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第7話 さてその皇太子はと言えば。
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「こういう時には皇后陛下のあの恐ろしいまでの体力がもの凄くありがたいですわ」
女官長は半ば呆れ、半ばありがたいとばかりにため息をつく。
と言うのも、この「皇后陛下」ときたら、普通の子供を産んだばかりの女性と違い、赤ん坊の乳の求めにきっちり対応できてしまうのだ。
*
そもそもの出産が実に順調だった。
女官長レレンネイは、出仕した十代の終わりの頃から、非常に多くの出産を見てきた。残念ながらどれも決して安産ではなかった。
それに引き換え。
このどう見ても少女をほんの少し越えた程度の女君は、そろそろ、と思われていた頃もいつもの様に文献だの報告書だのをサボンと一緒に調べていたのだ。
いい加減安静にしろ、という周囲の上級女官の声も何のその、ある時すっくと立ち上がり、大して表情も変えぬまま、産屋と決められた部屋へとさっさと移動してしまった。
サボンの方が「あああああああ」と言いながら、アリカの歩いて行く跡に大量の水が下りていたことに焦りまくっていた。
「そこは何とかするからサボンは早く女君を追って頂戴!」
レレンネイの言葉にはっとしたサボンはアリカを追った。
「お、お身体は大丈夫ですか」
着替え、いきむための場所に陣取ったアリカはやや口の端を引きつらせこう言った。
「痛いことは痛いです」
「痛かったら思い切り痛いと言って頂戴! いつもの様に我慢しないで」
「だから我慢してませんって」
そう言ってアリカは珍しく苦笑する。痛いことは痛い。おそらく他の人間だったら気絶する程に。だが彼女にとって「痛み」と「辛さ」は繋がっていないのだ。出よう出ようとしている子供、内側からばりばりと剥がれ落ちようとするもの、それらが痛みを伴わない訳がない。
ただそれに感情がさっぱり湧いてこないだけなのだ。
……そしてやってきた医女と産女が呆れる様なあっけなさで、皇太子は産み落とされた。
「いやあ、もうぎりぎりまで下りてきてましたねえ」
「よくそこまで我慢できましたねえ」
逆だ、とサボンは憮然としながら思った。アリカは少しいきめばすぐに出てくることに気付いていたから移動したのだ、と。
後産もすぐに終わり、出血もそれまでのお産に比べて相当少ない、と皆が皆驚きすぎ……
これが皇太子の誕生だということに、すぐには思い至ることができなかった。
「……あ、あの…… 皇帝陛下には……」
サボンが言うまでレレンネイですら気付かなかったくらいである。
アリカときたら、確かにいきんだ時の顔の赤みなどは酷かったが、用は済んだとばかりにまた起き上がろうとするので、皆揃って押さえつけなくてはならなかった。
「大丈夫なんですが」
「そう言って頭から血が下りて人事不省に陥った女君もありますのよ! 皇后陛下!」
レレンネイはあえてそこでその呼び名を強調した。既に確認していた。確かに男子だった。それまでは「出てくるまでは」と「女君」と併用していたのだ。
本当に大丈夫なのに、とつぶやきつつも、アリカはそのまましばらく横たわっていることになった。見張りとしてサボンを横につけて。
その後皇帝がやってきて感謝の意を身体一杯に示したとか、その時にも太公主が一緒だったとか、後々まで女官の口から口を通して話が帝都中を巡ったことは言うまでもない。
帝都は数日前からそわそわしていたが、実際にその知らせが出ると、いきなりお祭り騒ぎとなった。
ところがその後がまた一騒動だった。
すぐに乳母と決められていた女性がやってきたが、「乳をやる役目なら不要」とアリカ自身が言い放ったのだった。
まだ産後で大変だ、栄養が、赤子は時間を待たない、とか様々な説得が行われたが、そこは無駄だった。
「何とかして下さいませ」
と女官長達は自分で乳をあげ、離そうとしないアリカについてとうとう皇帝にまで奏上した。
「妥協点は無いのか?」
「ともかく乳だけは自分のものをあげたい、の一点張りです」
「乳だけは、か」
思うところがあったのか、皇帝はこう付け加えた。
「では乳以外のことで其方達は世話をするがいい」
「しかし赤子の乳やりというのは、本当に時間が」
「あれが大丈夫と言うなら大丈夫なのだろう」
自分と同じ生き物なのだから、とは言わなかったが。
「俺はあの女の乳などもらったことがなかった。あの頃に、だ。やりたいと思っている当人の身体に害が無いならやらせてやればいい。無理が来たなら手伝ってやってくれ」
さすがにそれを言われると女官長も弱かった。
「宿屋の倅」だった彼が、生まれてすぐに「あの女」―――皇太后から育ての母の手に渡され、素性も何も聞かされずに育ったのはある程度の歳がいった宮中の人間なら大まかに知っている。
レレンネイは直接見たことは無いが、先輩の女官から「即位なされたころしばらくはいらっしゃったのだが、実の母子とは思えない様な視線で睨み合っていた」と聞いている。
「判りました。では皇后様がお疲れになったら、乳母の方に」
「せっかく用意させたのに済まないな」
「いえ、一応乳母子も特別に今は入れさせてもらっております。時期が済めばまた副帝都に戻らせますが」
その女官長の言葉に、彼は何か言いたげだったが、何でもない、と結局は止めた。
*
しかし困ったことに、この皇后陛下は、恐ろしいまでの赤子の乳を求める時間に全て対応し、しかもまるで消耗していないのである。
ただし配膳方は大変だった。
「じっとしているのに無闇に腹が減るんですよ」
そういう彼女達の主人の言葉に、大量の食事を作る必要ができてしまったのだ。
「何でですかねえ。大して動いてもいないのに」
「……あのですねえ、私も聞いただけなんで何ですが、普通のお産をした方はそんなにすぐに元気ではいられませんって」
サボンもさすがに呆れ、うめく様にそう言ったものだった。
女官長は半ば呆れ、半ばありがたいとばかりにため息をつく。
と言うのも、この「皇后陛下」ときたら、普通の子供を産んだばかりの女性と違い、赤ん坊の乳の求めにきっちり対応できてしまうのだ。
*
そもそもの出産が実に順調だった。
女官長レレンネイは、出仕した十代の終わりの頃から、非常に多くの出産を見てきた。残念ながらどれも決して安産ではなかった。
それに引き換え。
このどう見ても少女をほんの少し越えた程度の女君は、そろそろ、と思われていた頃もいつもの様に文献だの報告書だのをサボンと一緒に調べていたのだ。
いい加減安静にしろ、という周囲の上級女官の声も何のその、ある時すっくと立ち上がり、大して表情も変えぬまま、産屋と決められた部屋へとさっさと移動してしまった。
サボンの方が「あああああああ」と言いながら、アリカの歩いて行く跡に大量の水が下りていたことに焦りまくっていた。
「そこは何とかするからサボンは早く女君を追って頂戴!」
レレンネイの言葉にはっとしたサボンはアリカを追った。
「お、お身体は大丈夫ですか」
着替え、いきむための場所に陣取ったアリカはやや口の端を引きつらせこう言った。
「痛いことは痛いです」
「痛かったら思い切り痛いと言って頂戴! いつもの様に我慢しないで」
「だから我慢してませんって」
そう言ってアリカは珍しく苦笑する。痛いことは痛い。おそらく他の人間だったら気絶する程に。だが彼女にとって「痛み」と「辛さ」は繋がっていないのだ。出よう出ようとしている子供、内側からばりばりと剥がれ落ちようとするもの、それらが痛みを伴わない訳がない。
ただそれに感情がさっぱり湧いてこないだけなのだ。
……そしてやってきた医女と産女が呆れる様なあっけなさで、皇太子は産み落とされた。
「いやあ、もうぎりぎりまで下りてきてましたねえ」
「よくそこまで我慢できましたねえ」
逆だ、とサボンは憮然としながら思った。アリカは少しいきめばすぐに出てくることに気付いていたから移動したのだ、と。
後産もすぐに終わり、出血もそれまでのお産に比べて相当少ない、と皆が皆驚きすぎ……
これが皇太子の誕生だということに、すぐには思い至ることができなかった。
「……あ、あの…… 皇帝陛下には……」
サボンが言うまでレレンネイですら気付かなかったくらいである。
アリカときたら、確かにいきんだ時の顔の赤みなどは酷かったが、用は済んだとばかりにまた起き上がろうとするので、皆揃って押さえつけなくてはならなかった。
「大丈夫なんですが」
「そう言って頭から血が下りて人事不省に陥った女君もありますのよ! 皇后陛下!」
レレンネイはあえてそこでその呼び名を強調した。既に確認していた。確かに男子だった。それまでは「出てくるまでは」と「女君」と併用していたのだ。
本当に大丈夫なのに、とつぶやきつつも、アリカはそのまましばらく横たわっていることになった。見張りとしてサボンを横につけて。
その後皇帝がやってきて感謝の意を身体一杯に示したとか、その時にも太公主が一緒だったとか、後々まで女官の口から口を通して話が帝都中を巡ったことは言うまでもない。
帝都は数日前からそわそわしていたが、実際にその知らせが出ると、いきなりお祭り騒ぎとなった。
ところがその後がまた一騒動だった。
すぐに乳母と決められていた女性がやってきたが、「乳をやる役目なら不要」とアリカ自身が言い放ったのだった。
まだ産後で大変だ、栄養が、赤子は時間を待たない、とか様々な説得が行われたが、そこは無駄だった。
「何とかして下さいませ」
と女官長達は自分で乳をあげ、離そうとしないアリカについてとうとう皇帝にまで奏上した。
「妥協点は無いのか?」
「ともかく乳だけは自分のものをあげたい、の一点張りです」
「乳だけは、か」
思うところがあったのか、皇帝はこう付け加えた。
「では乳以外のことで其方達は世話をするがいい」
「しかし赤子の乳やりというのは、本当に時間が」
「あれが大丈夫と言うなら大丈夫なのだろう」
自分と同じ生き物なのだから、とは言わなかったが。
「俺はあの女の乳などもらったことがなかった。あの頃に、だ。やりたいと思っている当人の身体に害が無いならやらせてやればいい。無理が来たなら手伝ってやってくれ」
さすがにそれを言われると女官長も弱かった。
「宿屋の倅」だった彼が、生まれてすぐに「あの女」―――皇太后から育ての母の手に渡され、素性も何も聞かされずに育ったのはある程度の歳がいった宮中の人間なら大まかに知っている。
レレンネイは直接見たことは無いが、先輩の女官から「即位なされたころしばらくはいらっしゃったのだが、実の母子とは思えない様な視線で睨み合っていた」と聞いている。
「判りました。では皇后様がお疲れになったら、乳母の方に」
「せっかく用意させたのに済まないな」
「いえ、一応乳母子も特別に今は入れさせてもらっております。時期が済めばまた副帝都に戻らせますが」
その女官長の言葉に、彼は何か言いたげだったが、何でもない、と結局は止めた。
*
しかし困ったことに、この皇后陛下は、恐ろしいまでの赤子の乳を求める時間に全て対応し、しかもまるで消耗していないのである。
ただし配膳方は大変だった。
「じっとしているのに無闇に腹が減るんですよ」
そういう彼女達の主人の言葉に、大量の食事を作る必要ができてしまったのだ。
「何でですかねえ。大して動いてもいないのに」
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サボンもさすがに呆れ、うめく様にそう言ったものだった。
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