四代目は身代わりの皇后③皇太子誕生~祖后と皇太后来たる

江戸川ばた散歩

文字の大きさ
7 / 38

第7話 さてその皇太子はと言えば。

しおりを挟む
「こういう時には皇后陛下のあの恐ろしいまでの体力がもの凄くありがたいですわ」

 女官長は半ば呆れ、半ばありがたいとばかりにため息をつく。
 と言うのも、この「皇后陛下」ときたら、普通の子供を産んだばかりの女性と違い、赤ん坊の乳の求めにきっちり対応できてしまうのだ。



 そもそもの出産が実に順調だった。
 女官長レレンネイは、出仕した十代の終わりの頃から、非常に多くの出産を見てきた。残念ながらどれも決して安産ではなかった。
 それに引き換え。
 このどう見ても少女をほんの少し越えた程度の女君は、そろそろ、と思われていた頃もいつもの様に文献だの報告書だのをサボンと一緒に調べていたのだ。
 いい加減安静にしろ、という周囲の上級女官の声も何のその、ある時すっくと立ち上がり、大して表情も変えぬまま、産屋と決められた部屋へとさっさと移動してしまった。
 サボンの方が「あああああああ」と言いながら、アリカの歩いて行く跡に大量の水が下りていたことに焦りまくっていた。

「そこは何とかするからサボンは早く女君を追って頂戴!」

 レレンネイの言葉にはっとしたサボンはアリカを追った。

「お、お身体は大丈夫ですか」

 着替え、いきむための場所に陣取ったアリカはやや口の端を引きつらせこう言った。

「痛いことは痛いです」
「痛かったら思い切り痛いと言って頂戴! いつもの様に我慢しないで」
「だから我慢してませんって」

 そう言ってアリカは珍しく苦笑する。痛いことは痛い。おそらく他の人間だったら気絶する程に。だが彼女にとって「痛み」と「辛さ」は繋がっていないのだ。出よう出ようとしている子供、内側からばりばりと剥がれ落ちようとするもの、それらが痛みを伴わない訳がない。
 ただそれに感情がさっぱり湧いてこないだけなのだ。
 ……そしてやってきた医女と産女が呆れる様なあっけなさで、皇太子は産み落とされた。

「いやあ、もうぎりぎりまで下りてきてましたねえ」
「よくそこまで我慢できましたねえ」

 逆だ、とサボンは憮然としながら思った。アリカは少しいきめばすぐに出てくることに気付いていたから移動したのだ、と。
 後産もすぐに終わり、出血もそれまでのお産に比べて相当少ない、と皆が皆驚きすぎ…… 
 これが皇太子の誕生だということに、すぐには思い至ることができなかった。

「……あ、あの…… 皇帝陛下には……」

 サボンが言うまでレレンネイですら気付かなかったくらいである。
 アリカときたら、確かにいきんだ時の顔の赤みなどは酷かったが、用は済んだとばかりにまた起き上がろうとするので、皆揃って押さえつけなくてはならなかった。

「大丈夫なんですが」
「そう言って頭から血が下りて人事不省に陥った女君もありますのよ! !」

 レレンネイはあえてそこでその呼び名を強調した。既に確認していた。確かに男子だった。それまでは「出てくるまでは」と「女君」と併用していたのだ。
 本当に大丈夫なのに、とつぶやきつつも、アリカはそのまましばらく横たわっていることになった。見張りとしてサボンを横につけて。
 その後皇帝がやってきて感謝の意を身体一杯に示したとか、その時にも太公主が一緒だったとか、後々まで女官の口から口を通して話が帝都中を巡ったことは言うまでもない。
 帝都は数日前からそわそわしていたが、実際にその知らせが出ると、いきなりお祭り騒ぎとなった。

 ところがその後がまた一騒動だった。
 すぐに乳母と決められていた女性がやってきたが、「乳をやる役目なら不要」とアリカ自身が言い放ったのだった。
 まだ産後で大変だ、栄養が、赤子は時間を待たない、とか様々な説得が行われたが、そこは無駄だった。

「何とかして下さいませ」

と女官長達は自分で乳をあげ、離そうとしないアリカについてとうとう皇帝にまで奏上した。

「妥協点は無いのか?」
「ともかく乳だけは自分のものをあげたい、の一点張りです」
「乳だけは、か」

 思うところがあったのか、皇帝はこう付け加えた。

「では乳以外のことで其方達は世話をするがいい」
「しかし赤子の乳やりというのは、本当に時間が」
「あれが大丈夫と言うなら大丈夫なのだろう」

 自分と同じ生き物なのだから、とは言わなかったが。

「俺はの乳などもらったことがなかった。あの頃に、だ。やりたいと思っている当人の身体に害が無いならやらせてやればいい。無理が来たなら手伝ってやってくれ」

 さすがにそれを言われると女官長も弱かった。
 「宿屋の倅」だった彼が、生まれてすぐに「あの女」―――皇太后から育ての母の手に渡され、素性も何も聞かされずに育ったのはある程度の歳がいった宮中の人間なら大まかに知っている。
 レレンネイは直接見たことは無いが、先輩の女官から「即位なされたころしばらくはいらっしゃったのだが、実の母子とは思えない様な視線で睨み合っていた」と聞いている。

「判りました。では皇后様がお疲れになったら、乳母の方に」
「せっかく用意させたのに済まないな」
「いえ、一応乳母子も特別に今は入れさせてもらっております。時期が済めばまた副帝都に戻らせますが」

 その女官長の言葉に、彼は何か言いたげだったが、何でもない、と結局は止めた。



 しかし困ったことに、この皇后陛下は、恐ろしいまでの赤子の乳を求める時間に全て対応し、しかもまるで消耗していないのである。
 ただし配膳方は大変だった。

「じっとしているのに無闇に腹が減るんですよ」

 そういう彼女達の主人の言葉に、大量の食事を作る必要ができてしまったのだ。

「何でですかねえ。大して動いてもいないのに」
「……あのですねえ、私も聞いただけなんで何ですが、普通のお産をした方はそんなにすぐに元気ではいられませんって」

 サボンもさすがに呆れ、うめく様にそう言ったものだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

ゲーム未登場の性格最悪な悪役令嬢に転生したら推しの妻だったので、人生の恩人である推しには離婚して私以外と結婚してもらいます!

クナリ
ファンタジー
江藤樹里は、かつて画家になることを夢見ていた二十七歳の女性。 ある日気がつくと、彼女は大好きな乙女ゲームであるハイグランド・シンフォニーの世界へ転生していた。 しかし彼女が転生したのは、ヘビーユーザーであるはずの自分さえ知らない、ユーフィニアという女性。 ユーフィニアがどこの誰なのかが分からないまま戸惑う樹里の前に、ユーフィニアに仕えているメイドや、樹里がゲーム内で最も推しているキャラであり、どん底にいたときの自分の心を救ってくれたリルベオラスらが現れる。 そして樹里は、絶世の美貌を持ちながらもハイグラの世界では稀代の悪女とされているユーフィニアの実情を知っていく。 国政にまで影響をもたらすほどの悪名を持つユーフィニアを、最愛の恩人であるリルベオラスの妻でいさせるわけにはいかない。 樹里は、ゲーム未登場ながら圧倒的なアクの強さを持つユーフィニアをリルベオラスから引き離すべく、離婚を目指して動き始めた。

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

美男美女の同僚のおまけとして異世界召喚された私、ゴミ無能扱いされ王城から叩き出されるも、才能を見出してくれた隣国の王子様とスローライフ 

さら
恋愛
 会社では地味で目立たない、ただの事務員だった私。  ある日突然、美男美女の同僚二人のおまけとして、異世界に召喚されてしまった。  けれど、測定された“能力値”は最低。  「無能」「お荷物」「役立たず」と王たちに笑われ、王城を追い出されて――私は一人、行くあてもなく途方に暮れていた。  そんな私を拾ってくれたのは、隣国の第二王子・レオン。  優しく、誠実で、誰よりも人の心を見てくれる人だった。  彼に導かれ、私は“癒しの力”を持つことを知る。  人の心を穏やかにし、傷を癒す――それは“無能”と呼ばれた私だけが持っていた奇跡だった。  やがて、王子と共に過ごす穏やかな日々の中で芽生える、恋の予感。  不器用だけど優しい彼の言葉に、心が少しずつ満たされていく。

処理中です...