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第6話 ソゾから見たマヌェとその周囲の人々
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……くしゅ!
急に喉と鼻がむずむずとしてくしゃみが出てしまった。
「だいじょうぶ?」
床に敷かれた毛足の長い小さな絨毯の上、マヌェが問いかけてくる。
「ああ大丈夫大丈夫。きっと悪い小鬼の仕業さ」
「小鬼!?」
「そう。見えない程小さなそいつらは冷えてくると、人の鼻の中に入り込んではくすぐってくるのさ」
「どうして?」
「それが奴等には面白いんだよ。むかしむかし、奴等はもっと大きかったんだけど……」
話はそこからどんどん広がっていく。
この妹は彼女の話を聞くのが好きだ。特に彼女の「つくりばなし」を。
この「口から出まかせ」を今でも熱心に聞いてくれる妹がとても好きなのだ。もう一人の妹ときたら、副帝都の家で慎ましく過ごしていた頃から「そんなのつまんない」で切り捨てたものだ。
「……だからね、冷えてきたら、奴等ができるだけ入って来ない様に、風が吹き込まない様に窓は閉めるんだ。だけど時々は開ける方がいい」
「何で?」
「間違えて居残ってしまった奴を追い出すのさ!」
そうなんだ、とマヌェは手を叩き、その乳母子のソゾは後ろで糸を紡いでいた。
ここのところともかく編み細工に凝っている主人のために、様々な色の糸を作ることがソゾの役目となっていた。
「いいかい、マヌェ様のことをずっと守ってやるんだよ」
そう母親に言われたことをずっと彼女は守っている。大丈夫だよ母さん、どうしてこのひとを守らずに居られるだろう?
一緒に育ったはずなのに、いつの間にか自分の主人の時間は何処かで止まったかの様だった。
乳母子は一緒に勉強するのが常だったが、その内容は上の二人とも、妹君とも違うものにならざるを得なかった。ソゾは必要だから、と時々マドリョンカとメイリョンの居るところで一緒に学ぶことが多かった。疲れやすい主人が寝ている時間には、特別に家庭教師のもとに訊ねに行くことも多かった。
十六になり、帝都に入ることができる様になっても、同じ歳の少女達の輪の中に入ることはできない。いっそ副帝都に残したらどうか、と姉妹の祖父母達は提案したこともあった。
だが姉妹の父、サヘ将軍の地位がそこまで上がってしまったことで、副帝都の小さな家に置いておくことはできなくなってしまった。
地位に伴って敵も増える。十六を越えた将軍の娘が副帝都に留まっているというのは、外聞も良くなかった。
それだけではない。このいつまでも小さな子供の様な彼女は、しっかりとした警護のついた館でないと、他の三人程に身を守ることができない。
殆ど閉じ込めておく様なことになっても、帝都の館に連れてくる他なかった。
待っていたかの様にシャンポンが彼女の保護役になり、ソゾは少し肩の荷が下りた思いだった。守るだけでなく、主人の望みをもう少し広く叶えることができる様になったのである。
そして最近はと言えば。
この家から出てしまった「皇后陛下」の教えて下さったという「編み飾り」…… それを奇妙な程に気に入り、手順を身につけ、その上「誰も考えたことがない」と言葉をもらった程の細工を作る様になったのである。
だがその作業をする時、マヌェは酷く根を詰める。真剣になりすぎて、食事の時間だ、昼寝の時間だというのに聞かない。
困ったソゾはシャンポンと相談し、時々手を休めるために話をしてやることが多いのだった。
「あのお話またして欲しいな。桜の国の」
「あれを? 本当にマヌェは好きだね」
そう、糸を繰りながらソゾは思う。それは帝都にやってきてから聞いたものなのだが、十数回は同じことをシャンポンに語らせている。
本当は全部覚えてらっしゃるのに。
そう、覚えてはいる。ただ本を読むのは疲れてしまうから、同じ、気に入った話を彼女から聞きたいのだ。
「それにシャンポンはときどき違った言い方するから面白いの」
他意無く彼女の主人はそう言う。
桜の藩国が栄えていたのに、武帝と呼ばれた先帝が単身入り込んで抵抗を続けるそこを平定するまでの話。シャンポンも帝都に来てから聞いたのだという。
「でもシャンポンの話の真ん中はいつも同じだからいいの。きっとシャンポンはそこだけはきっちり覚えているの」
「……いいですかマヌェ様、それをシャンポン様には絶対おっしゃるのではありませんよ」
「何で?」
「普通の方は聞いたおはなしを一言一句覚えていることはできません」
「お前もそういうのね」
「も?」
そこが引っかかったことがある。
「どなたかが貴女にそう言ったことがあるのですか?」
「サボンが」
異母妹の乳母子だ、とソゾは気付く。落ち着いた、静か、もしくは愛想が無い。メイリョンはそう評したが、アリカとは本当に仲が良い乳母子だ、とソゾの目には見えた。
―――無論、現在の皇后が「サボン」だったアリカであることをソゾは知らないのだが。
「サボンも全部おぼえるひとなのよ」
「そうなんですか?」
「それだけじゃないの。本に書かれていたこと全部覚えてるの」
さすがにそれは証明がし辛い、とソゾは思った。
「アリカ様が仰有ったのですか?」
「アリカが言ったの。それでサボンもそう答えたのよ。アリカが試したの。シャンポンの本を一つ借りて、はじめのところを少し読んだら、すぐに全部そらで言えたし」
それは凄い、とソゾは思った。
ただその事はそれだけで彼女達の間では終わっていた。現在宮中で起こっていることは、ソゾとその主人には縁の無いことだったのだ。
「ところで今度は何を作るんだい?」
シャンポンは妹に問いかける。
「皇太子さまに、服を」
急に喉と鼻がむずむずとしてくしゃみが出てしまった。
「だいじょうぶ?」
床に敷かれた毛足の長い小さな絨毯の上、マヌェが問いかけてくる。
「ああ大丈夫大丈夫。きっと悪い小鬼の仕業さ」
「小鬼!?」
「そう。見えない程小さなそいつらは冷えてくると、人の鼻の中に入り込んではくすぐってくるのさ」
「どうして?」
「それが奴等には面白いんだよ。むかしむかし、奴等はもっと大きかったんだけど……」
話はそこからどんどん広がっていく。
この妹は彼女の話を聞くのが好きだ。特に彼女の「つくりばなし」を。
この「口から出まかせ」を今でも熱心に聞いてくれる妹がとても好きなのだ。もう一人の妹ときたら、副帝都の家で慎ましく過ごしていた頃から「そんなのつまんない」で切り捨てたものだ。
「……だからね、冷えてきたら、奴等ができるだけ入って来ない様に、風が吹き込まない様に窓は閉めるんだ。だけど時々は開ける方がいい」
「何で?」
「間違えて居残ってしまった奴を追い出すのさ!」
そうなんだ、とマヌェは手を叩き、その乳母子のソゾは後ろで糸を紡いでいた。
ここのところともかく編み細工に凝っている主人のために、様々な色の糸を作ることがソゾの役目となっていた。
「いいかい、マヌェ様のことをずっと守ってやるんだよ」
そう母親に言われたことをずっと彼女は守っている。大丈夫だよ母さん、どうしてこのひとを守らずに居られるだろう?
一緒に育ったはずなのに、いつの間にか自分の主人の時間は何処かで止まったかの様だった。
乳母子は一緒に勉強するのが常だったが、その内容は上の二人とも、妹君とも違うものにならざるを得なかった。ソゾは必要だから、と時々マドリョンカとメイリョンの居るところで一緒に学ぶことが多かった。疲れやすい主人が寝ている時間には、特別に家庭教師のもとに訊ねに行くことも多かった。
十六になり、帝都に入ることができる様になっても、同じ歳の少女達の輪の中に入ることはできない。いっそ副帝都に残したらどうか、と姉妹の祖父母達は提案したこともあった。
だが姉妹の父、サヘ将軍の地位がそこまで上がってしまったことで、副帝都の小さな家に置いておくことはできなくなってしまった。
地位に伴って敵も増える。十六を越えた将軍の娘が副帝都に留まっているというのは、外聞も良くなかった。
それだけではない。このいつまでも小さな子供の様な彼女は、しっかりとした警護のついた館でないと、他の三人程に身を守ることができない。
殆ど閉じ込めておく様なことになっても、帝都の館に連れてくる他なかった。
待っていたかの様にシャンポンが彼女の保護役になり、ソゾは少し肩の荷が下りた思いだった。守るだけでなく、主人の望みをもう少し広く叶えることができる様になったのである。
そして最近はと言えば。
この家から出てしまった「皇后陛下」の教えて下さったという「編み飾り」…… それを奇妙な程に気に入り、手順を身につけ、その上「誰も考えたことがない」と言葉をもらった程の細工を作る様になったのである。
だがその作業をする時、マヌェは酷く根を詰める。真剣になりすぎて、食事の時間だ、昼寝の時間だというのに聞かない。
困ったソゾはシャンポンと相談し、時々手を休めるために話をしてやることが多いのだった。
「あのお話またして欲しいな。桜の国の」
「あれを? 本当にマヌェは好きだね」
そう、糸を繰りながらソゾは思う。それは帝都にやってきてから聞いたものなのだが、十数回は同じことをシャンポンに語らせている。
本当は全部覚えてらっしゃるのに。
そう、覚えてはいる。ただ本を読むのは疲れてしまうから、同じ、気に入った話を彼女から聞きたいのだ。
「それにシャンポンはときどき違った言い方するから面白いの」
他意無く彼女の主人はそう言う。
桜の藩国が栄えていたのに、武帝と呼ばれた先帝が単身入り込んで抵抗を続けるそこを平定するまでの話。シャンポンも帝都に来てから聞いたのだという。
「でもシャンポンの話の真ん中はいつも同じだからいいの。きっとシャンポンはそこだけはきっちり覚えているの」
「……いいですかマヌェ様、それをシャンポン様には絶対おっしゃるのではありませんよ」
「何で?」
「普通の方は聞いたおはなしを一言一句覚えていることはできません」
「お前もそういうのね」
「も?」
そこが引っかかったことがある。
「どなたかが貴女にそう言ったことがあるのですか?」
「サボンが」
異母妹の乳母子だ、とソゾは気付く。落ち着いた、静か、もしくは愛想が無い。メイリョンはそう評したが、アリカとは本当に仲が良い乳母子だ、とソゾの目には見えた。
―――無論、現在の皇后が「サボン」だったアリカであることをソゾは知らないのだが。
「サボンも全部おぼえるひとなのよ」
「そうなんですか?」
「それだけじゃないの。本に書かれていたこと全部覚えてるの」
さすがにそれは証明がし辛い、とソゾは思った。
「アリカ様が仰有ったのですか?」
「アリカが言ったの。それでサボンもそう答えたのよ。アリカが試したの。シャンポンの本を一つ借りて、はじめのところを少し読んだら、すぐに全部そらで言えたし」
それは凄い、とソゾは思った。
ただその事はそれだけで彼女達の間では終わっていた。現在宮中で起こっていることは、ソゾとその主人には縁の無いことだったのだ。
「ところで今度は何を作るんだい?」
シャンポンは妹に問いかける。
「皇太子さまに、服を」
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