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第5話 探り合う二人
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「君こそ絵を描いていたのではなかったのかな? ト・マドリョレシナ」
「辞めました!」
すっぱりと彼女は宣言する。
「何故? 昔あれだけ僕らの間で画家になりたいって言っていたのに?」
「帝都に行ったらそんな気持ち、粉々に打ち砕かれましたわ。桜の公主様の茶会に出入りを許される様になったのですけど、そこで皆様が手慰みにされている様々なことが、私が結構必死でやってきたこと以上なのよ?」
「仕方がない」
彼は腰に手をやり、首を振った。
「残念だけどサヘ将軍は成り上がりだと思われてるだろう? それはそれなりに理由があるさ。帝都で君が出会った令嬢達は、令嬢たりうるにそれなりに以上の努力をしているんだ」
「でも皇后になったのはアリカだわ」
「そう、でもそれとこれとは別だろう? 少なくとも皇后は見つけることができなかったんだから。だったら手近な所で自分の価値を最もその時高い位の方に示すのが、自分と家族の為にもなるよな」
「私にはその覚悟が足りなかった。絵では。そういうことね。そして私にそう言えるということは、貴方も音楽については自分の限界を悟ったのではないの?」
「そうだよ」
彼はきっぱりと言った。
「シャンポンと一緒にいっそ出ていって好きなことをする、と言い出すんじゃないか、って昔そちらの旦那様が心配なさってたわね」
「ああ。つい数年前までは、僕もまだまだその気が無い訳ではなかったさ」
けど、と彼は席を立ち、一つの箱を持ち出した。
「何」
「彼女からの手紙だ。見てもいいよ」
「私が勝手に見るものじゃないわ。読んでちょうだい」
「そのほうがよっぽど失礼じゃないのかい?」
でもいいさ、と彼は一つを取り上げた。
「僕はいつも、副帝都を出る前に言った言葉の返事を聞きたかった。だがいつもこうだ。『貴方とその気はない。それにマヌェのことで頭が一杯だ。頼むからもう手紙は寄越さないで欲しい』とね」
「マヌェに関しては確かにそうだと思うわ。だって、うちはトの母姓を持つのは四姉妹だって知られているのに、帝都に入る年齢になっても、外にマヌェを出すことができないだから。それでいて、副帝都に残しておく訳にもいかないわ。だってあの子だけ残したら、お父様の弱点にされてしまうのは確実ですもの」
「うん、君もずいぶん帝都の風に吹かれてきた様だね」
「貴方こそ、南で何があったのやら」
それには彼は黙って笑うのみだった。
「まあでも、音楽をあきらめて、病気もして。それだけ頬がこけた貴方をシャンポンが見たらどう言うかしらね」
「どうもしないさ」
彼は肩を竦めた。
「で、今はどうなさっているの?」
「一応、身体の回復をみながら、お祖父様の仕事をだんだん引き継いでいるよ」
「それで南の牛の乳を入れたスパイス茶なの?」
あはは、と彼女は声を立てて笑った。
「別に茶が一番の目的じゃないさ。一番大切なのはスパイスだ。香料だ。向こうの珍しい産物だ。そういうものを見る目は散々養ってきたつもりだ」
「では今度は北へでも?」
「いずれはそのつもりだな。ただその際に、北へ向かう許可が早く取れる様になるとありがたいとは思うけどね」
「南より厄介かしら」
その辺りがマドリョンカにはよく判らない。いや、彼女だけではない。背後のメイリョンにしても、西に砂漠があって東の突き当たりが海だということは知っているが、それ以上のことはよく判らない。
「北の藩候はなかなか通行証を出さないんで知られている。向こうは向こうで、中央にはない品物が多いのだけど、その辺りの情報がなかなか出回って来ないのが痛いね」
「……皇后陛下の茶会で、そう言えば、心太《ところてん》、というものの話を聞いたわ。と言うか、皇后陛下がそのことにもの凄く興味を持っていて、藩候夫人に聞いていたというべきかしら」
「だったら余計に、そういった各地の産物や、その原材料に関しては、もっともっと知りたいものだね」
*
それでは、と館を辞する時、彼はマドリョンカに「また来てくれる?」と問いかけた。
「お望みなら、毎日でも」
「それは良かった」
そしてゆっくりと祖母の待つ家まで、美しく刈り込まれた緑の絨毯の上を歩いて行く。ざくざくとした感触が足に懐かしい。
「マドリョンカ様」
「何?」
「毎日行かれるのですか?」
「暇だったらね」
「どちらがですか?」
マドリョンカは足を止めた。
「それは決まってるわ。どっちも今は暇で暇でたまらないのよ! ―――どうしたのメイリョン」
「私がどれだけ冷や冷やしながらお二人のお話を聞いていたか!」
うつむき加減にそう絞り出す乳母子の肩に、マドリョンカは手をかける。
「私が心配している様なことになりそうなのですか?」
「心配?」
「シャンポン様のことをずっとお好きだったことは、私達召使いも、皆よく知っていることですのよ」
「でも現実はどう? それはメイリョン、あんたもよく見たでしょ?」
「シャンポン様がどうお考えになっているかは、私の様な無知な者には判りませんが、少なくとも向こう様は言葉通りに受け取ろうとしている様に感じられました」
「そうよ」
マドリョンカはうなづいた。
「受け取ろうとしているの。それにシャンポンは駄目よ。あのひとの奥方は無理。考えてみて。あのひとの知識は役立つと思う?」
「それは……」
「皇后陛下の知識、の方がずっと役立つわ。シャンポンが知っているのは昔の格調高い物語のことや、普通の鞍を置いた馬に乗って出かけることや、知識持ちの男友達と話すことばかりよ。私にはできない」
「マドリョンカ様」
「でもシャンポンに女友達が居て?」
「辞めました!」
すっぱりと彼女は宣言する。
「何故? 昔あれだけ僕らの間で画家になりたいって言っていたのに?」
「帝都に行ったらそんな気持ち、粉々に打ち砕かれましたわ。桜の公主様の茶会に出入りを許される様になったのですけど、そこで皆様が手慰みにされている様々なことが、私が結構必死でやってきたこと以上なのよ?」
「仕方がない」
彼は腰に手をやり、首を振った。
「残念だけどサヘ将軍は成り上がりだと思われてるだろう? それはそれなりに理由があるさ。帝都で君が出会った令嬢達は、令嬢たりうるにそれなりに以上の努力をしているんだ」
「でも皇后になったのはアリカだわ」
「そう、でもそれとこれとは別だろう? 少なくとも皇后は見つけることができなかったんだから。だったら手近な所で自分の価値を最もその時高い位の方に示すのが、自分と家族の為にもなるよな」
「私にはその覚悟が足りなかった。絵では。そういうことね。そして私にそう言えるということは、貴方も音楽については自分の限界を悟ったのではないの?」
「そうだよ」
彼はきっぱりと言った。
「シャンポンと一緒にいっそ出ていって好きなことをする、と言い出すんじゃないか、って昔そちらの旦那様が心配なさってたわね」
「ああ。つい数年前までは、僕もまだまだその気が無い訳ではなかったさ」
けど、と彼は席を立ち、一つの箱を持ち出した。
「何」
「彼女からの手紙だ。見てもいいよ」
「私が勝手に見るものじゃないわ。読んでちょうだい」
「そのほうがよっぽど失礼じゃないのかい?」
でもいいさ、と彼は一つを取り上げた。
「僕はいつも、副帝都を出る前に言った言葉の返事を聞きたかった。だがいつもこうだ。『貴方とその気はない。それにマヌェのことで頭が一杯だ。頼むからもう手紙は寄越さないで欲しい』とね」
「マヌェに関しては確かにそうだと思うわ。だって、うちはトの母姓を持つのは四姉妹だって知られているのに、帝都に入る年齢になっても、外にマヌェを出すことができないだから。それでいて、副帝都に残しておく訳にもいかないわ。だってあの子だけ残したら、お父様の弱点にされてしまうのは確実ですもの」
「うん、君もずいぶん帝都の風に吹かれてきた様だね」
「貴方こそ、南で何があったのやら」
それには彼は黙って笑うのみだった。
「まあでも、音楽をあきらめて、病気もして。それだけ頬がこけた貴方をシャンポンが見たらどう言うかしらね」
「どうもしないさ」
彼は肩を竦めた。
「で、今はどうなさっているの?」
「一応、身体の回復をみながら、お祖父様の仕事をだんだん引き継いでいるよ」
「それで南の牛の乳を入れたスパイス茶なの?」
あはは、と彼女は声を立てて笑った。
「別に茶が一番の目的じゃないさ。一番大切なのはスパイスだ。香料だ。向こうの珍しい産物だ。そういうものを見る目は散々養ってきたつもりだ」
「では今度は北へでも?」
「いずれはそのつもりだな。ただその際に、北へ向かう許可が早く取れる様になるとありがたいとは思うけどね」
「南より厄介かしら」
その辺りがマドリョンカにはよく判らない。いや、彼女だけではない。背後のメイリョンにしても、西に砂漠があって東の突き当たりが海だということは知っているが、それ以上のことはよく判らない。
「北の藩候はなかなか通行証を出さないんで知られている。向こうは向こうで、中央にはない品物が多いのだけど、その辺りの情報がなかなか出回って来ないのが痛いね」
「……皇后陛下の茶会で、そう言えば、心太《ところてん》、というものの話を聞いたわ。と言うか、皇后陛下がそのことにもの凄く興味を持っていて、藩候夫人に聞いていたというべきかしら」
「だったら余計に、そういった各地の産物や、その原材料に関しては、もっともっと知りたいものだね」
*
それでは、と館を辞する時、彼はマドリョンカに「また来てくれる?」と問いかけた。
「お望みなら、毎日でも」
「それは良かった」
そしてゆっくりと祖母の待つ家まで、美しく刈り込まれた緑の絨毯の上を歩いて行く。ざくざくとした感触が足に懐かしい。
「マドリョンカ様」
「何?」
「毎日行かれるのですか?」
「暇だったらね」
「どちらがですか?」
マドリョンカは足を止めた。
「それは決まってるわ。どっちも今は暇で暇でたまらないのよ! ―――どうしたのメイリョン」
「私がどれだけ冷や冷やしながらお二人のお話を聞いていたか!」
うつむき加減にそう絞り出す乳母子の肩に、マドリョンカは手をかける。
「私が心配している様なことになりそうなのですか?」
「心配?」
「シャンポン様のことをずっとお好きだったことは、私達召使いも、皆よく知っていることですのよ」
「でも現実はどう? それはメイリョン、あんたもよく見たでしょ?」
「シャンポン様がどうお考えになっているかは、私の様な無知な者には判りませんが、少なくとも向こう様は言葉通りに受け取ろうとしている様に感じられました」
「そうよ」
マドリョンカはうなづいた。
「受け取ろうとしているの。それにシャンポンは駄目よ。あのひとの奥方は無理。考えてみて。あのひとの知識は役立つと思う?」
「それは……」
「皇后陛下の知識、の方がずっと役立つわ。シャンポンが知っているのは昔の格調高い物語のことや、普通の鞍を置いた馬に乗って出かけることや、知識持ちの男友達と話すことばかりよ。私にはできない」
「マドリョンカ様」
「でもシャンポンに女友達が居て?」
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