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第32話 良い展望、そうでない展望
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「あれがあのまま引っ込んでいると思うか?」
そろそろ出立したい、というダリヤとアリカは今後のことについてあれこれと話し合う時間が多くなっていた。
「太后さまはしばらくは――― そうですね、いらっしゃらないとは思うのですが、私は太后さまではないので、確実なことは言えません」
「まあ私も確実なことは言えないが……」
ダリヤはくしゃくしゃと自分の髪をかき回す。
「あれは勝手に傷ついて勝手に何処かを荒らしてまた何処かに行くというタチの悪い奴だ。私はできるだけ関わり合いたいになりたくはないがな……」
「どうしてそうなるのでしょう」
「ふむ」
そう言えばこの皇后は、人の心に関して普通に同情や共感ができないんだったな、とダリヤは思い出した。
「ともかくあれ自身、自分が嫌いなんだ」
「ご自分が?」
「仕組まれたものだろうと何だろうと、自分を育てた環境が、ある日突然自分の姉と自分自身を頭から否定した。それに加え、果たして間者を育てる環境では、子供の頃にしっかりとした愛情を与えられたかどうかも判らないな」
「それはそんなに必要でしょうか」
「普通に生まれたのならな」
そして一呼吸置いて、
「お主は生まれが違う」
「生まれ」
「そういう体質なのだろう? その恐ろしいまでの記憶力は」
「だと、思います。そしておそらく、私の故郷では時折出るのだとも。そうでなければ、その様な役目そのものが存在しません」
「ふむ」
ダリヤは軽く目を伏せた。
「やはり、辺境に近い場所では何かと習俗習慣が違う。その辺りも考慮して行きたいものだな」
「そこで今私、考えているのですが」
「ほぉ?」
「全土の地図を測量士を養成して作りたいと思っております」
「……それは…… またしばらくかかるな」
「判っております。だからまず、それができる、直属の人材を育てなくてはならないと思いますし、それに必要な知識を皆ある程度持って欲しいし、道具もです」
「道具―――」
ああ、とダリヤは懐から炭筆を出した。
「お主の作らせたこれだがな、確かに役立つ。ただ紙以外のものには厳しいな。紙以外のものに書かざるを得ない状況においては、墨筆を改良した方がいいかもしれない。だが一方で、もっと皆に手近に紙が回ればいいのかもしれない」
「紙の増産に関しては、まだしばらくかかるでしょう。材料に関しての情報と、それを持つ藩候との折衝が必要になります」。それもできるだけ、私の力と思われない方がいいですし」
「カヤはお主の自由に、と言ったからには、その辺りは責任をとってもらえばいい。あれは何はともあれ皇帝なのだからな。考えることを放棄した分」
「あの方は本当に放棄なさったのでしょうか」
「情が移ったか?」
「感謝しております。それ以上のことは判りません。ただご本人が殊更にご自身を『宿屋の倅』と仰有るので」
「仕方ないさ」
ダリヤは苦笑する。
「全てが全て、引っ張り出したイチヤのせいとは言い切れない事情が私の孫にもあった。孫はさすがに疲れていたのだろうよ。父親の後始末をしながら戦い続けすぎた。いい加減眠ってしまいたかったのだろう。ただそのためにはどうしても次の器が必要だった。そのために引っ張り出された訳だが、無論それはカヤからしてみれば考えもしなかった『仕事』だったろうからな。何の教育も受けていないところでお主も知る『知識』を詰め込まれたところで、どう使っていいかも判らないし、下手に使えばどうなるかも判らない。だったら何もしない方がまだましだ、とあれは判断したのだろう。残酷なことだ」
「では何故、始祖帝陛下は契約をなさったのでしょう?」
「さて。もう遠い昔すぎて、それは私にもわからん。ただ私の夫は、自分に力が無いのをともかく悔いる様な男だった。悔いることの無い力が欲しかった男は、ちょうどいい器だったのだろうさ」
ちら、と隣室に居る子供をアリカは見る。いつかはその「器」になるだろう息子を。
「あの子は皇帝としてどう育つのでしょう」
「さて。お主と似た傾向を持つ様だったら途中からはお主が直接育てればいい。そうでなければ、普通の情は必要だろうな」
「皇帝陛下に似て欲しいと思います」
「自分には似なくていいのか?」
「私は人の情を学ぶのにずいぶんと時間がかかりました。一緒に育った彼女達を観察することで、表情と反応と対応を学んできました。ですがそれは理解されることの無い訓練です。私は痛みで苦痛は感じませんが、徒労は苦痛です」
成る程、とダリヤは思った。それが何よりも苦痛ときたか、と。
「私と似た者が市井にも居るとしたら、ある程度その者も持つ能力は生かせればいいと思うのですが、なかなかそれは探すことはできないでしょう」
「お主の配下にそれは任せればいいのではないか?」
「『どう』指令すればいいのか、私にもなかなか考えづらいのですよ」
アリカは首を傾げる。
「ただ、これからできるだけ市井の子供達も読み書き計算程度は学べる場を作れればと思ってます」
「ほぉ?」
「そうやって子供を集めると、その中で自然、浮き出す者が居るでしょう。その時点でようやく見つかる程度でしょう」
「……やはりお主、展望は広いな。だとしたら、できることはどんどんやっていけ。そうでないと、……やってしまう前に、カヤが勝手に譲位してしまうこともしかねないからな」
「え?」
「あれは太公主が死んだら譲位するつもりだ」
そろそろ出立したい、というダリヤとアリカは今後のことについてあれこれと話し合う時間が多くなっていた。
「太后さまはしばらくは――― そうですね、いらっしゃらないとは思うのですが、私は太后さまではないので、確実なことは言えません」
「まあ私も確実なことは言えないが……」
ダリヤはくしゃくしゃと自分の髪をかき回す。
「あれは勝手に傷ついて勝手に何処かを荒らしてまた何処かに行くというタチの悪い奴だ。私はできるだけ関わり合いたいになりたくはないがな……」
「どうしてそうなるのでしょう」
「ふむ」
そう言えばこの皇后は、人の心に関して普通に同情や共感ができないんだったな、とダリヤは思い出した。
「ともかくあれ自身、自分が嫌いなんだ」
「ご自分が?」
「仕組まれたものだろうと何だろうと、自分を育てた環境が、ある日突然自分の姉と自分自身を頭から否定した。それに加え、果たして間者を育てる環境では、子供の頃にしっかりとした愛情を与えられたかどうかも判らないな」
「それはそんなに必要でしょうか」
「普通に生まれたのならな」
そして一呼吸置いて、
「お主は生まれが違う」
「生まれ」
「そういう体質なのだろう? その恐ろしいまでの記憶力は」
「だと、思います。そしておそらく、私の故郷では時折出るのだとも。そうでなければ、その様な役目そのものが存在しません」
「ふむ」
ダリヤは軽く目を伏せた。
「やはり、辺境に近い場所では何かと習俗習慣が違う。その辺りも考慮して行きたいものだな」
「そこで今私、考えているのですが」
「ほぉ?」
「全土の地図を測量士を養成して作りたいと思っております」
「……それは…… またしばらくかかるな」
「判っております。だからまず、それができる、直属の人材を育てなくてはならないと思いますし、それに必要な知識を皆ある程度持って欲しいし、道具もです」
「道具―――」
ああ、とダリヤは懐から炭筆を出した。
「お主の作らせたこれだがな、確かに役立つ。ただ紙以外のものには厳しいな。紙以外のものに書かざるを得ない状況においては、墨筆を改良した方がいいかもしれない。だが一方で、もっと皆に手近に紙が回ればいいのかもしれない」
「紙の増産に関しては、まだしばらくかかるでしょう。材料に関しての情報と、それを持つ藩候との折衝が必要になります」。それもできるだけ、私の力と思われない方がいいですし」
「カヤはお主の自由に、と言ったからには、その辺りは責任をとってもらえばいい。あれは何はともあれ皇帝なのだからな。考えることを放棄した分」
「あの方は本当に放棄なさったのでしょうか」
「情が移ったか?」
「感謝しております。それ以上のことは判りません。ただご本人が殊更にご自身を『宿屋の倅』と仰有るので」
「仕方ないさ」
ダリヤは苦笑する。
「全てが全て、引っ張り出したイチヤのせいとは言い切れない事情が私の孫にもあった。孫はさすがに疲れていたのだろうよ。父親の後始末をしながら戦い続けすぎた。いい加減眠ってしまいたかったのだろう。ただそのためにはどうしても次の器が必要だった。そのために引っ張り出された訳だが、無論それはカヤからしてみれば考えもしなかった『仕事』だったろうからな。何の教育も受けていないところでお主も知る『知識』を詰め込まれたところで、どう使っていいかも判らないし、下手に使えばどうなるかも判らない。だったら何もしない方がまだましだ、とあれは判断したのだろう。残酷なことだ」
「では何故、始祖帝陛下は契約をなさったのでしょう?」
「さて。もう遠い昔すぎて、それは私にもわからん。ただ私の夫は、自分に力が無いのをともかく悔いる様な男だった。悔いることの無い力が欲しかった男は、ちょうどいい器だったのだろうさ」
ちら、と隣室に居る子供をアリカは見る。いつかはその「器」になるだろう息子を。
「あの子は皇帝としてどう育つのでしょう」
「さて。お主と似た傾向を持つ様だったら途中からはお主が直接育てればいい。そうでなければ、普通の情は必要だろうな」
「皇帝陛下に似て欲しいと思います」
「自分には似なくていいのか?」
「私は人の情を学ぶのにずいぶんと時間がかかりました。一緒に育った彼女達を観察することで、表情と反応と対応を学んできました。ですがそれは理解されることの無い訓練です。私は痛みで苦痛は感じませんが、徒労は苦痛です」
成る程、とダリヤは思った。それが何よりも苦痛ときたか、と。
「私と似た者が市井にも居るとしたら、ある程度その者も持つ能力は生かせればいいと思うのですが、なかなかそれは探すことはできないでしょう」
「お主の配下にそれは任せればいいのではないか?」
「『どう』指令すればいいのか、私にもなかなか考えづらいのですよ」
アリカは首を傾げる。
「ただ、これからできるだけ市井の子供達も読み書き計算程度は学べる場を作れればと思ってます」
「ほぉ?」
「そうやって子供を集めると、その中で自然、浮き出す者が居るでしょう。その時点でようやく見つかる程度でしょう」
「……やはりお主、展望は広いな。だとしたら、できることはどんどんやっていけ。そうでないと、……やってしまう前に、カヤが勝手に譲位してしまうこともしかねないからな」
「え?」
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