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第9話 俺はとっさに首を横に振っていた。
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「あーまだ流れてる。もったいない」
そう言うと、奴は今度は本格的に、俺の頭を抱えた。やばい、と思って俺は手にしたままのシチュウの缶を雪の中に下ろした。
それは正解だった。
のそのそと奴は俺の膝にまで登ってきて、顔を寄せた。そしてまた同じことを繰り返すのか、と思ったら、今度は、その切れた部分を吸ってきた。
視界に入る喉が、軽く何かを飲み下すように、上下する。俺は吸われてる部分に、きゅっとした痛みが走るのを感じる。
「…おい… 止せよ!」
痛みが正気を取り戻させる。俺は奴の肩を押し戻した。
歌姫は目を大きく開けて、首を傾げている。そして唇が、赤く染まっている。それが自分の血なのだ、と認識すると、奇妙に気恥ずかしい。
そして、その赤く染まった唇のせいなのか、どうもその顔の綺麗さが壮絶になる。口からは、いつもの通りがさつな悪態ばかりが飛び出すとしてもだ。
俺は膝にのっかったままの歌姫をゆっくりと押し戻した。どうして? と言いたそうにその真っ赤な目はこちらを見据えている。どうしてと聞かれても。
「…お前なあ、こんな場所でふざけてるんじゃない」
とりあえずはこう言ってみるしかない。
「別に俺はふざけてなんかないけど?」
「じゃあ何か? お前はこういうことが、好きなのか?」
「まあわりあいね」
あっけらかん、と歌姫は言う。
「まあお前の血がもったいないってのもあるけどさ」
「…血?」
「栄養ありそうじゃないか。お前の血は」
「食うのか?」
「普段は食わないよ」
じゃあ普段じゃなければ食うのか。納得。俺の頭はそういう方向で納得したがっていた。
だがそういう時に限って、この歌姫は俺にとどめを刺すのだ。
「でも俺は、お前のこと好きだもん。そんなことしちゃ悪い訳?」
…俺は脱力した。頭を抱えた。思わずかき回してしまった髪はぐちゃぐちゃになる。…何と言ったらいいものか。
「悪いも何も… だいたいお前、最初は触られるの嫌がったじゃないか」
「嫌だよ」
奴は即答する。
「じゃあどういう風の吹き回しだよ」
「だから、お前は触らなかったじゃないか」
「?」
まだ合点のいかないような顔の俺を見て、歌姫はひどくじれったそうに言葉を投げかける。
「俺、姿だけ見て押し倒す奴って嫌いだもん」
「そういう奴が居るのか?」
「何言ってんだよ。そうでない奴のほうが、珍しいよ。メゾニイトの人間は、俺をまず忌むからどんなに俺がその相手を好きでも、あんまり触れようとはしなかったけどさ、メゾニイト以外の人間は逆なんだねと俺はひどく感心したね」
ひどくあっさりと、奴は言う。それが当然だ、と慣れてる、という言葉を裏に隠して。
俺は返す言葉を見失った。何か言おうとした言葉はあるのに、それは行き場所を無くしてしまったかのようだった。
「だからさ、お前俺と寝ない?」
俺はとっさに首を横に振っていた。奴は何も言わずに、くす、っと苦笑を浮かべた。
*
それは唐突だった。
風景は、ある一点を越えてから、がらりとその姿を変えた。
無論、雪景色であることには全く変わりはない。
だが、何もなくただ青い空と白い雪、もしくは降るような星空と月に白い雪だけというのに比べ、枯れた木々の頭が見えてくるだけでもずいぶんと安心できるものである。
見え始めると、何かしら景色はがらりとその印象を変える。
それまでの景色には、果てというものが無かった。
宇宙船の窓から外を眺めた時にも時々感じたことなのだが、何処まで行っても果てが無い、という感覚は、頭の芯がぐらりとなるような恐怖を伴っている。
だからこそ、このひたすら続く雪道を歩く時には、なるべく前だけを見るようにしてきた。そして話をする。
俺達は、ひたすらとりとめもない話をしながら歩いていた。実際、それ以外俺達にはすることがなかった。
疲れたら休み、夜になったら雪道を掘って火を炊いて休み、また朝になったら出発する。その繰り返しだった。それにも限度はある。
この惑星は電波障害が少ないから、磁石が有効だ。迷いはしない。ただ、食料には限界があるから、予測された以上の日数がかかりそうだったら、引き返さなくてはならない。
とりあえずは、あと三日がいいところだった。引き返すにしても、食料は必要なのだ。
歌姫は、あれからも、何ごともなかったかのように、俺の母星での話を聞きたがった。だが自分の話は俺の半分程度にしかしなかった。
「俺の話なんて、お前ほど波瀾万丈じゃないよ」
歌姫は言う。
何処がだ、と言いたい気にはなったが、その波瀾万丈の質が違うので、俺はとりあえずそれには返す言葉はなかった。
そして奴は妙に、俺の彼女のことに興味を持った。それが果たして奴の言った、俺のことが「好き」であるからなのか、それは判らない。奴の態度は、無邪気で単純そうに見えて、時々、妙に中身が見えない。
そんな奴でも、木々が視界に入った時には、露骨に喜びを顔に出していた。
「おい見ろよ! 木がある! これだったら、そろそろだ」
「お前、そう感じるのか?」
そもそも、人間方位磁石のこいつが金属反応があると言ったから、俺も歩いてみようという気になったのだ。奴は大きくうなづいた。そう言われてみれば、足にも元気が出る。
何と言っても、俺は雪道は慣れないのだ。だがそう言ったら、奴は意外そうな顔をした。
「何、お前は慣れてるの?」
「俺は慣れてるよ。だってお前、俺の星は場所によってはひどく寒いんだよ? 知らない?」
いやそれは知ってはいるが。学校の地理の時間に習った。
「確かに火山の熱のせいで暖かいとこもあるけど、熱の質が違うんだってば。おひさまが出てるのとは」
なるほど、と俺はうなづく。それでゲートルを巻く手つきや、雪を扱ったりするのに慣れていた訳か、と俺は妙に納得をしてしまう。
「お前の惑星は暖かかったの?」
「そうだな」
うなづいてみせる。まあ惑星全体、というには語弊はあるが、俺の育ったコウトルシュ星系の居住区は、温帯気候の地に集まっていた。
「生活するところは、暖かかったな」
「そうでないとこもあったんだ?」
「限定戦場は、寒いところか暑いところだったからな」
「限定戦場?」
奴は首を傾げた。
そう言うと、奴は今度は本格的に、俺の頭を抱えた。やばい、と思って俺は手にしたままのシチュウの缶を雪の中に下ろした。
それは正解だった。
のそのそと奴は俺の膝にまで登ってきて、顔を寄せた。そしてまた同じことを繰り返すのか、と思ったら、今度は、その切れた部分を吸ってきた。
視界に入る喉が、軽く何かを飲み下すように、上下する。俺は吸われてる部分に、きゅっとした痛みが走るのを感じる。
「…おい… 止せよ!」
痛みが正気を取り戻させる。俺は奴の肩を押し戻した。
歌姫は目を大きく開けて、首を傾げている。そして唇が、赤く染まっている。それが自分の血なのだ、と認識すると、奇妙に気恥ずかしい。
そして、その赤く染まった唇のせいなのか、どうもその顔の綺麗さが壮絶になる。口からは、いつもの通りがさつな悪態ばかりが飛び出すとしてもだ。
俺は膝にのっかったままの歌姫をゆっくりと押し戻した。どうして? と言いたそうにその真っ赤な目はこちらを見据えている。どうしてと聞かれても。
「…お前なあ、こんな場所でふざけてるんじゃない」
とりあえずはこう言ってみるしかない。
「別に俺はふざけてなんかないけど?」
「じゃあ何か? お前はこういうことが、好きなのか?」
「まあわりあいね」
あっけらかん、と歌姫は言う。
「まあお前の血がもったいないってのもあるけどさ」
「…血?」
「栄養ありそうじゃないか。お前の血は」
「食うのか?」
「普段は食わないよ」
じゃあ普段じゃなければ食うのか。納得。俺の頭はそういう方向で納得したがっていた。
だがそういう時に限って、この歌姫は俺にとどめを刺すのだ。
「でも俺は、お前のこと好きだもん。そんなことしちゃ悪い訳?」
…俺は脱力した。頭を抱えた。思わずかき回してしまった髪はぐちゃぐちゃになる。…何と言ったらいいものか。
「悪いも何も… だいたいお前、最初は触られるの嫌がったじゃないか」
「嫌だよ」
奴は即答する。
「じゃあどういう風の吹き回しだよ」
「だから、お前は触らなかったじゃないか」
「?」
まだ合点のいかないような顔の俺を見て、歌姫はひどくじれったそうに言葉を投げかける。
「俺、姿だけ見て押し倒す奴って嫌いだもん」
「そういう奴が居るのか?」
「何言ってんだよ。そうでない奴のほうが、珍しいよ。メゾニイトの人間は、俺をまず忌むからどんなに俺がその相手を好きでも、あんまり触れようとはしなかったけどさ、メゾニイト以外の人間は逆なんだねと俺はひどく感心したね」
ひどくあっさりと、奴は言う。それが当然だ、と慣れてる、という言葉を裏に隠して。
俺は返す言葉を見失った。何か言おうとした言葉はあるのに、それは行き場所を無くしてしまったかのようだった。
「だからさ、お前俺と寝ない?」
俺はとっさに首を横に振っていた。奴は何も言わずに、くす、っと苦笑を浮かべた。
*
それは唐突だった。
風景は、ある一点を越えてから、がらりとその姿を変えた。
無論、雪景色であることには全く変わりはない。
だが、何もなくただ青い空と白い雪、もしくは降るような星空と月に白い雪だけというのに比べ、枯れた木々の頭が見えてくるだけでもずいぶんと安心できるものである。
見え始めると、何かしら景色はがらりとその印象を変える。
それまでの景色には、果てというものが無かった。
宇宙船の窓から外を眺めた時にも時々感じたことなのだが、何処まで行っても果てが無い、という感覚は、頭の芯がぐらりとなるような恐怖を伴っている。
だからこそ、このひたすら続く雪道を歩く時には、なるべく前だけを見るようにしてきた。そして話をする。
俺達は、ひたすらとりとめもない話をしながら歩いていた。実際、それ以外俺達にはすることがなかった。
疲れたら休み、夜になったら雪道を掘って火を炊いて休み、また朝になったら出発する。その繰り返しだった。それにも限度はある。
この惑星は電波障害が少ないから、磁石が有効だ。迷いはしない。ただ、食料には限界があるから、予測された以上の日数がかかりそうだったら、引き返さなくてはならない。
とりあえずは、あと三日がいいところだった。引き返すにしても、食料は必要なのだ。
歌姫は、あれからも、何ごともなかったかのように、俺の母星での話を聞きたがった。だが自分の話は俺の半分程度にしかしなかった。
「俺の話なんて、お前ほど波瀾万丈じゃないよ」
歌姫は言う。
何処がだ、と言いたい気にはなったが、その波瀾万丈の質が違うので、俺はとりあえずそれには返す言葉はなかった。
そして奴は妙に、俺の彼女のことに興味を持った。それが果たして奴の言った、俺のことが「好き」であるからなのか、それは判らない。奴の態度は、無邪気で単純そうに見えて、時々、妙に中身が見えない。
そんな奴でも、木々が視界に入った時には、露骨に喜びを顔に出していた。
「おい見ろよ! 木がある! これだったら、そろそろだ」
「お前、そう感じるのか?」
そもそも、人間方位磁石のこいつが金属反応があると言ったから、俺も歩いてみようという気になったのだ。奴は大きくうなづいた。そう言われてみれば、足にも元気が出る。
何と言っても、俺は雪道は慣れないのだ。だがそう言ったら、奴は意外そうな顔をした。
「何、お前は慣れてるの?」
「俺は慣れてるよ。だってお前、俺の星は場所によってはひどく寒いんだよ? 知らない?」
いやそれは知ってはいるが。学校の地理の時間に習った。
「確かに火山の熱のせいで暖かいとこもあるけど、熱の質が違うんだってば。おひさまが出てるのとは」
なるほど、と俺はうなづく。それでゲートルを巻く手つきや、雪を扱ったりするのに慣れていた訳か、と俺は妙に納得をしてしまう。
「お前の惑星は暖かかったの?」
「そうだな」
うなづいてみせる。まあ惑星全体、というには語弊はあるが、俺の育ったコウトルシュ星系の居住区は、温帯気候の地に集まっていた。
「生活するところは、暖かかったな」
「そうでないとこもあったんだ?」
「限定戦場は、寒いところか暑いところだったからな」
「限定戦場?」
奴は首を傾げた。
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