16 / 31
第16話 「ここは、もしかして」
しおりを挟む
すみません、とそいつは言った。
濡れネズミになった俺は、腕組みをし、そこに現れた奴に口を歪める。
歌姫が正気になり、頭の上から水をひっかぶせられたところで、俺はようやく辺りを見渡す余裕ができた。
天井のさほど高くない部屋だった。コンクリートの打ちっ放しの壁に、窓はない。暗い部屋ではなかった。ごくごく当たり前の、蛍光灯の照明が、煌々と部屋中を照らしている。
スプリンクラーが急に作動したらしい。
見上げた天井には、シャワーのノズルのようなものから、さあさあと水が音を立てて降り注いでいた。
一体何が起こったのか、という顔をしていたのは歌姫も同じだった。
乾いている時には、あっち向きこっち向きしていた奴の銀色の髪も、しっとりと濡れて、重力に従い、水を滴らせている。俺は俺で、濡れた重い髪をざっとかき上げた。
そこへ、扉へ開けて、そいつが入ってきたのだ。俺は無意識のうちに、そいつと歌姫の間に立って腕を軽く広げていた。
ところが、そいつは扉を開けるなり、ぺこんと頭を下げた。そして、言った。
「すみません」
見た所は、青年と言うところだろうか。
奇妙に特徴の無い、整った顔。ブラウンの短い髪、ブラウンの目、高すぎも低すぎもしない背、太りすぎでも痩せすぎでもない身体。
ただ妙に声にも顔にも表情がない。
「少し試すつもりが、どうにもこうにも、こちらまで身動きが取れなくなってしまいまして… 止めて下すって感謝致します」
だが言葉だけは流暢だ。俺は言葉じりを捉えて、問いつめる。
「止めて… って、お前がやったのか?」
こんな、神経拷問の機械を。
「ええ。すみません。程度の資料が少なかったので」
「そういう問題じゃないだろ!」
危うくそいつにつかみかかるところだった。だが歌姫が後ろから袖を引っ張ったので、それは未遂に終わった。
「すみません。お二人に危害を加える気はなかったのです。ただこの方の、声の特性を確かめたかったのです」
ぴく、と俺の服を掴む歌姫の手が震える気配がする。
「…こいつに、用があったのか?」
「はい。メゾニイトの、『歌姫』の方なら、きっとそれはできると私共は思いました」
複数かよ、と俺は思い、口をとがらす。
「どうしても、かなえていただきたい願いがあるのです」
「願い?」
背後で声がする。
「ええ。おそらくあなたならできるでしょう。…いえできなくても、仕方ないのです。駄目もとなのです。ただ、我々には、もうそれをここにあるもので試す術がない…」
何だかこいつの言っていることの意味はさっぱり判らなかった。こちらに向かって言っているというよりは、自分自身のつぶやきの延長の様だ。
「…ごちゃごちゃとややこしいな」
ぶつぶつと勝手に納得されているのは、面白くない。俺は腰に両手をあて、目の前の奴に向かって言う。
「とにかくあんたは、俺達に危害を加える気はなかったというんだな」
「もちろんです」
顔を上げ、そいつは間髪入れずに、答える。
「そういう意味で言うなら、あなた方は、客人です。大変申し訳ないことをしたと思います」
「だったらな」
俺はぐっと顔を突き出す。
「客人に対する礼って奴があるんなら、とりあえず俺達に着替えと風呂と食事をくれ」
「着替えと、風呂… ですか?」
相手は無表情をようやく崩す。言われるとは思わなかった、という顔だ。俺はそれを見てようやくにやりと笑った。
「これを見てそれが必要だって、思わないのかよ?」
かき上げた髪からは、まだ水が滴っている。
*
先に「着替え」を受け取ってから、俺達はそこから早足で移動した。
この中は暖かかった。だが、かと言って、暑いという程ではない。そのままでは風邪をひく。風邪のビールスがこの地にあれば、の話だが。
案内され、その水浸しの部屋の外に出た。薄暗い廊下がそこにはあった。
何やらひどく人気の無い廊下だった。
いや人気が無い、というよりは、人間無しで長い時間が経っていたような気配だ。
時間が、建物そのものに染みつかせるにおい。少なくとも、そこには長い時間、誰もいなかったような。
だが、何かの気配がある。それは歌姫の方が強く気付いていたようで、気がつくと、奴は俺の左の腕を強く鷲掴みにしていた。そんな掴み方されてはさすがに俺も痛いのだが…まあ仕方がない。
「…もうずいぶんと使われていなかったのですが、コントロールは可能です。先ほどの部屋を出る時に起動するように呼びかけましたから、もうそろそろ使える筈です。…かつての職員が、利用していました」
二重の扉を開けると、いきなり熱帯雨林のような大気が押し寄せてきた。歌姫はややむっとした顔になる。何これ、とでも言いたそうだ。
「…その昔閉じたままですから、中のものが果たして使えるのか、私には判りませんが」
「あんたは使ったことはないのか?」
案内人は湯気をまといつかせてゆらりと振り向いた。
「私は端末です。この姿はどのくらいぶりでしょう。ここは私には必要はないのです」
「た」
端末?! そう口が動く俺に、案内人ははい、とうなづいた。
「私は、この小規模都市管制コンビュータの端末です。あなたがたの生体反応が私のレーダーに反応したので、私はこの身体を起動させました。長いことこの身体は眠っていたので、なかなか表情が安定しません。不愉快でしたら謝ります」
「…や、…いやそれはいいが…」
「ねえ、人間はいないの?」
背後で歌姫が訊ねた。
「俺は全くその気配を感じなかったけど」
「はい」
案内人… 端末はうなづいた。
「人間は、存在しません。ここは、そういう惑星なのです」
「静かだった」
「はい」
「だけど人間以外の気配はする」
「はい」
端末は歌姫の問いに一つ一つうなづく。
「そうです。この惑星は、かつて人間がひしめいていました。しかし今では、一人もいないのです」
誰一人として。その時俺の頭に、一つの記憶がひらめいた。学生時代。歴史の授業。
「おい… あんたもしや… ここは…」
「何でしょう」
あくまで冷静に、端末は問い返す。
「ここは、もしかして、地球なのか?」
そうです、とあくまでも冷静に、端末は答えた。
濡れネズミになった俺は、腕組みをし、そこに現れた奴に口を歪める。
歌姫が正気になり、頭の上から水をひっかぶせられたところで、俺はようやく辺りを見渡す余裕ができた。
天井のさほど高くない部屋だった。コンクリートの打ちっ放しの壁に、窓はない。暗い部屋ではなかった。ごくごく当たり前の、蛍光灯の照明が、煌々と部屋中を照らしている。
スプリンクラーが急に作動したらしい。
見上げた天井には、シャワーのノズルのようなものから、さあさあと水が音を立てて降り注いでいた。
一体何が起こったのか、という顔をしていたのは歌姫も同じだった。
乾いている時には、あっち向きこっち向きしていた奴の銀色の髪も、しっとりと濡れて、重力に従い、水を滴らせている。俺は俺で、濡れた重い髪をざっとかき上げた。
そこへ、扉へ開けて、そいつが入ってきたのだ。俺は無意識のうちに、そいつと歌姫の間に立って腕を軽く広げていた。
ところが、そいつは扉を開けるなり、ぺこんと頭を下げた。そして、言った。
「すみません」
見た所は、青年と言うところだろうか。
奇妙に特徴の無い、整った顔。ブラウンの短い髪、ブラウンの目、高すぎも低すぎもしない背、太りすぎでも痩せすぎでもない身体。
ただ妙に声にも顔にも表情がない。
「少し試すつもりが、どうにもこうにも、こちらまで身動きが取れなくなってしまいまして… 止めて下すって感謝致します」
だが言葉だけは流暢だ。俺は言葉じりを捉えて、問いつめる。
「止めて… って、お前がやったのか?」
こんな、神経拷問の機械を。
「ええ。すみません。程度の資料が少なかったので」
「そういう問題じゃないだろ!」
危うくそいつにつかみかかるところだった。だが歌姫が後ろから袖を引っ張ったので、それは未遂に終わった。
「すみません。お二人に危害を加える気はなかったのです。ただこの方の、声の特性を確かめたかったのです」
ぴく、と俺の服を掴む歌姫の手が震える気配がする。
「…こいつに、用があったのか?」
「はい。メゾニイトの、『歌姫』の方なら、きっとそれはできると私共は思いました」
複数かよ、と俺は思い、口をとがらす。
「どうしても、かなえていただきたい願いがあるのです」
「願い?」
背後で声がする。
「ええ。おそらくあなたならできるでしょう。…いえできなくても、仕方ないのです。駄目もとなのです。ただ、我々には、もうそれをここにあるもので試す術がない…」
何だかこいつの言っていることの意味はさっぱり判らなかった。こちらに向かって言っているというよりは、自分自身のつぶやきの延長の様だ。
「…ごちゃごちゃとややこしいな」
ぶつぶつと勝手に納得されているのは、面白くない。俺は腰に両手をあて、目の前の奴に向かって言う。
「とにかくあんたは、俺達に危害を加える気はなかったというんだな」
「もちろんです」
顔を上げ、そいつは間髪入れずに、答える。
「そういう意味で言うなら、あなた方は、客人です。大変申し訳ないことをしたと思います」
「だったらな」
俺はぐっと顔を突き出す。
「客人に対する礼って奴があるんなら、とりあえず俺達に着替えと風呂と食事をくれ」
「着替えと、風呂… ですか?」
相手は無表情をようやく崩す。言われるとは思わなかった、という顔だ。俺はそれを見てようやくにやりと笑った。
「これを見てそれが必要だって、思わないのかよ?」
かき上げた髪からは、まだ水が滴っている。
*
先に「着替え」を受け取ってから、俺達はそこから早足で移動した。
この中は暖かかった。だが、かと言って、暑いという程ではない。そのままでは風邪をひく。風邪のビールスがこの地にあれば、の話だが。
案内され、その水浸しの部屋の外に出た。薄暗い廊下がそこにはあった。
何やらひどく人気の無い廊下だった。
いや人気が無い、というよりは、人間無しで長い時間が経っていたような気配だ。
時間が、建物そのものに染みつかせるにおい。少なくとも、そこには長い時間、誰もいなかったような。
だが、何かの気配がある。それは歌姫の方が強く気付いていたようで、気がつくと、奴は俺の左の腕を強く鷲掴みにしていた。そんな掴み方されてはさすがに俺も痛いのだが…まあ仕方がない。
「…もうずいぶんと使われていなかったのですが、コントロールは可能です。先ほどの部屋を出る時に起動するように呼びかけましたから、もうそろそろ使える筈です。…かつての職員が、利用していました」
二重の扉を開けると、いきなり熱帯雨林のような大気が押し寄せてきた。歌姫はややむっとした顔になる。何これ、とでも言いたそうだ。
「…その昔閉じたままですから、中のものが果たして使えるのか、私には判りませんが」
「あんたは使ったことはないのか?」
案内人は湯気をまといつかせてゆらりと振り向いた。
「私は端末です。この姿はどのくらいぶりでしょう。ここは私には必要はないのです」
「た」
端末?! そう口が動く俺に、案内人ははい、とうなづいた。
「私は、この小規模都市管制コンビュータの端末です。あなたがたの生体反応が私のレーダーに反応したので、私はこの身体を起動させました。長いことこの身体は眠っていたので、なかなか表情が安定しません。不愉快でしたら謝ります」
「…や、…いやそれはいいが…」
「ねえ、人間はいないの?」
背後で歌姫が訊ねた。
「俺は全くその気配を感じなかったけど」
「はい」
案内人… 端末はうなづいた。
「人間は、存在しません。ここは、そういう惑星なのです」
「静かだった」
「はい」
「だけど人間以外の気配はする」
「はい」
端末は歌姫の問いに一つ一つうなづく。
「そうです。この惑星は、かつて人間がひしめいていました。しかし今では、一人もいないのです」
誰一人として。その時俺の頭に、一つの記憶がひらめいた。学生時代。歴史の授業。
「おい… あんたもしや… ここは…」
「何でしょう」
あくまで冷静に、端末は問い返す。
「ここは、もしかして、地球なのか?」
そうです、とあくまでも冷静に、端末は答えた。
0
あなたにおすすめの小説
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
道化たちの末路
希臘楽園
ファンタジー
母亡き後、継承権もない父と愛人母娘が公爵家を狙い始めた。でも私には王太子という切り札がいる。半年間、道化たちが踊るのを、私たちは静かに楽しんで見ていた。AIに書かせてみた第3弾。今回も3000文字程度のお気楽な作品です。
【完結】精霊に選ばれなかった私は…
まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。
しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。
選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。
選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。
貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…?
☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる