未来史シリーズ⑦目覚めよと呼ぶ声あり~野球を忘れたウサギと家族を忘れた猫のはなし

江戸川ばた散歩

文字の大きさ
4 / 46

第4話 ぐっすり眠ろう、夢も見ないほどに。

しおりを挟む
 あれ?
 店から戻ったキディは部屋の灯りを点けながら思う。同居人の姿が無い。もう眠ったのか、と思ったりもする。自分の勤務時間は、夜中までなのだから。だけど向こう側の部屋の扉は開いていた。そして姿が無い。
 ちぇ、と彼は舌打ちをする。またあそこかな。
 また。キディは相棒の居場所の予想はついていた。

「せーっかく、持ってきたのにさ」

 誰に聞かせる訳でもなく、彼はつぶやき、キッチンのテープルの上に、缶のビールの入ったネットを置く。ネットは缶の重みに、すぐにごろん、と形を崩す。
 何も置かれていないテーブルが、すぐに缶で一杯になる。キディは椅子にかけると、ごろごろとそのネットの中の缶を指でもてあそぶ。
 妬いている訳ではない、とキディは思う。彼は相棒の行く先の相手も知っていた。確か、大通りから少し離れた所にある古書店の女主人だった。
 まだ若い。はっきりと歳を聞いたことがある訳ではないが、相棒と自分のちょうど間くらいではないか、とキディは思う。
 小柄で可愛らしいタイプの女性で、古書店にしても、しゃかりきになって働いている、という印象ではない。親から相続したか何かで、そのままのんびりと経営しているのだ、と相棒から聞いたことがある。
 このハルゲウの街に彼らが越してきてから、わりとすぐは相棒は彼女とつきあいだした、という記憶が彼にはある。
 マーチ・ラビットはあのスポーツ選手の様な身体、その身体に似合った行動力に似合わず、古い本とか眺めるのも好きらしい。もっとも荷物が増えると動きがとりにくくなるので、もっばらそれは立ち読みに限られたが……
 それでもほんの時折、薄い本や軽い本は買ってくる時がある。その本について訊ねたのが、きっかけだったらしい。
 それも相棒の口から聞いた。ただ自分から進んで言う人物ではなかったので、そこまで聞き出すのにはずいぶんと時間がかかったのだが。
 結果、彼女と付き合うようになってからというもの、週一の割合で、相棒は夜、部屋を空ける。決まっている訳ではない。週二にも三にもなる時もあれば、二週間三週間に一日、という忙しい時期もあるらしい。平均すればそのくらい、ということだ。
 ありふれたことだ、とキディは思う。別に相棒に恋人が居たところで、それは健康な成人男子なら当然のことだろう。だいたい相棒は普通に暮らしていれば、既に結婚して十歳かそこらの子供が居てもおかしくはない年齢なのだ。自分にしたところで、あの流刑の時間が無かったら、家庭を持っていてもおかしくはない。
 何がきっかけで、自分は足を踏み外したのだろう? キディは時々考える。その一方で、思い出したくない自分が居ることも、彼は知っている。
 彼はネットの中で横たわる缶を一つ取り出し、ぷし、とそれを開ける。アルコールには強くないが、時々、それでもビールくらいは口にする。そして必ず、こうつぶやくのだ。

「……まず……」

 何故相棒がこんなものを好むのか、キディにはよく判らない。だけど時々、どうしてこれを美味く感じるのか、知りたくなるのだ。
 ただそれがどうしてなのか、彼にはやはり判らなかった。
 ぶるん、と頭を振って、堂々巡りになりそうな考えを彼は頭から追い払う。こんなこと考えるんだったら、とっととほろ酔い加減になって、ぐっすり眠ってしまう方がいい。
 ぐっすり眠ろう、と彼は思う。夢も見ないほどに。
 夢には、嫌なものが出てくるから。

   *

「……ん? もう帰るの? マーティ」

 まだ外は薄暗いというのに。ゼルダは訊ねる。男は既に服を身につけている。昨夜自分を抱きしめ、揺さぶったあの頑丈な身体も、既に平凡な服の下に隠されている。

「仕事が入ったからね」

 ふうん、と彼女はマーティと呼ぶ男に向かって返す。

「今度はいつ?」
「まあ、首尾良く済めば、また来週」
「また来週。あなたね、TVの連続ドラマじゃないんだから」

 そう言いながら彼女はゆっくりと身体を起こした。身体を覆っていた毛布が肩から背中からずり落ちる。

「あんまり放っておくと、浮気するかもよ」
「できる?」

 軽く言われて、彼女は思わず口をゆがめる。冗談、と男はそれにまた軽く返す。

「嫌なひと」
「悪いね」

 そう言いながら男は、ベッドの上にちょん、と座り込む彼女に近づくと、その大きな両手で頬をくるみ、軽くキスをする。

「やあよね。これで許してもらえると思ってるんだから」
「違う?」
「違わないけど」
「今度はゆっくりさせてもらうよ」

 ゼルダはそれには答えずに、むき出しの両肩を軽くすくめた。
 扉が閉じられた後も、彼女はしばらくそこを見つめていた。
 やがて彼女は、ふい、と手を挙げると、柔らかい枕をいきなりその扉に投げつけた。
 ぱん、と大きな音がして、枕は扉にぶつかり、撃たれた鳥の様にその場に落ちた。
 いつだってそうだ、と彼女は思う。彼女が一年ほど前に出会い、そしてつきあうようになったあの男は、いつもああだ。
 マーティ・ラビイと名乗っているあの男が、一体何の仕事をしているのかゼルダは知らない。
 別に知らなくても、そういう付き合いはできる。できると思っていた。
 自分はもう少女ではないし、実際、結婚も一度経験している。自分一人で生きてくことの楽しさも自由も知っている。別れた男は、自分のその一人の時間を大事に思う気持ちをどうしても理解できなかった。
 だけど一人でやってくだけでは、少し寂しい。時には人肌が恋しくなることもある。だから時々の夜を過ごす相手は欲しい。
 そんな気持ちを抱えていた時に、出会った相手だった。
 隠居して、南の都市へと越してしまった父母のあとを、なりゆきで継いで経営している古書店だが、仕事は嫌いではない。元々は趣味の範疇にはなかった古書だが、やってみると案外楽しく、そして、めまぐるしく変わる流行とは無縁でやっていけるあたりが彼女は気に入っていた。
 まあそう売り上げが格別良い、ということはないが、一応このハルゲウにも一つある大学の関係者にはひいきにしてもらっているし、学生達もよく活用してくれる。
 だから、その男が入ってきた時には、大学でスポーツのコーチでもしているのかな、と彼女は思った。そのくらい、その男の体つきは、見事なものだった。
 この地域にしては珍しい程によく焼けた肌にしても、筋肉質の腕にしても、広い肩にしても、普段机に向かっていることが多い男達を見慣れた目にはひどく新鮮だった。
 それに加えて、明るい色の髪、太い眉、大きな目。その彫りの深い、濃い顔立ちに、彼女は一目で引きつけられていた。
 まあ一目惚れというものである。正直彼女も、そんな自分の気持ちに驚いたくらいである。学生時代以来だった。何年も感じたことがない。相手がこちらを見ると、心臓が躍り上がるような気持ちになるなど。
 だから、その男が、いきなりレジ・カウンターに、数冊のペーパーバックを手にしてきた時には、かなり焦ったものだった。
 そしてついこう訊ねてしまった。

「フラヴュ、お好きなんですか?」

 それは彼が持っていた薄いペーパーバック三冊に共通した作家の名前だった。すると彼はこう答えた。

「どうですかね。ぱらばらとめくって、文体がいい感じだったから、見覚えがあるかもしれないと思ったけれど」

 不思議な言い回しだ、と彼女は思った。見覚えがあるなら、それは読んだことがあるんじゃないだろうか。だけどその疑問はとりあえず彼女は胸の奥にしまって、彼にこう続けた。

「読んでいい感じでしたら、まだ棚には何冊かありますよ」
「じゃあその時にはまた来ますよ」

 彼はそう言い、にっこりと笑った。彼女の心臓はまた飛び跳ねた。
 男が立ち去った後、彼女は自分の身体が一気に汗をかき、それが扉を開けた瞬間にさっと吹き込む風によって引くのが判った。自分の汗のにおいが感じ取れるくらいだった。
 彼女は期待はしなかった。が、またあの姿を見られたらいいな、という気持ちではいた。そんな出会いに、期待はしないことにしていたのだ。
 だがどうやら、過大な期待をしないと、どうやら天は救いの手をさしのべるらしい。男はそれから二日後に来た。
 本の話から始まり、やがてお茶に誘い、食事をするようになり、食事がランチからディナーになり…… ディナーがベッドになった。
 男はマーティ・ラビイと名乗った。ありふれた名前だ、と思う一方で、何となく違和感の様なものも彼女は感じていた。
 まだ明け方の光が窓から射し込むには時間がある。彼女はベッドから降りると、一度投げつけた枕を拾い、再び眠りについた。
 何せ明日も仕事があるのだ。睡眠不足ではやってはいられない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

婚約破棄のあと、あなたのことだけ思い出せない

柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢セシリアは、王宮の舞踏会で王太子レイヴンから公開の場で婚約破棄を言い渡され、その場で倒れた。 目覚めた彼女は、礼儀も常識も覚えているのに――ただ一つ、レイヴンだけを思い出せない。 「あなたは、どなたですか?」 その一言に、彼の瞳は壊れた。 けれどレイヴンは何も語らず、セシリアを遠ざける。彼女を守るために、あの日婚約を捨てたのだと告げられないまま。 セシリアは過去を断ち切り、王宮の侍女として新しい生活を始める。 優しく手を差し伸べる護衛騎士アデルと心を通わせていくほど、レイヴンの胸は嫉妬と後悔で焼けていった。 ――守るために捨てたはずなのに。忘れられたまま、他の男に笑う彼女を見ていられない。 一方、王宮では“偽聖女”の陰謀と、セシリアの血に眠る秘密が動き出す。 記憶を取り戻せば、彼女は狙われる。取り戻さなければ、二人は永遠に届かない。 これは、忘れてしまった令嬢と、忘れられてなお愛を捨てられない王太子が、もう一度“選び直す”恋の物語。

【完結短編】ある公爵令嬢の結婚前日

のま
ファンタジー
クラリスはもうすぐ結婚式を控えた公爵令嬢。 ある日から人生が変わっていったことを思い出しながら自宅での最後のお茶会を楽しむ。

どうやらお前、死んだらしいぞ? ~変わり者令嬢は父親に報復する~

野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
「ビクティー・シークランドは、どうやら死んでしまったらしいぞ?」 「はぁ? 殿下、アンタついに頭沸いた?」  私は思わずそう言った。  だって仕方がないじゃない、普通にビックリしたんだから。  ***  私、ビクティー・シークランドは少し変わった令嬢だ。  お世辞にも淑女然としているとは言えず、男が好む政治事に興味を持ってる。  だから父からも煙たがられているのは自覚があった。  しかしある日、殺されそうになった事で彼女は決める。  「必ず仕返ししてやろう」って。  そんな令嬢の人望と理性に支えられた大勝負をご覧あれ。

処理中です...