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第9話 「彼は、投手ですよ」
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「おいもう少し落ち着けよ」
エッグ・ビーダーは運ばれてきた食前酒を口にしながら、斜め前に座るマーチ・ラビットに声をかけた。
「判ってるんだけどよ、この服……」
はぁん? とビーダーは首を傾げる。
「何っかもう、肩がこって肩がこって……」
「何だあ」
かかか、という当座の相方の笑いに、マーチ・ラビットは太い眉をしかめ、頬杖をつく。
「仕方ねーだろ、俺ここ何年も、こういう服着たことが無いんだよ」
「ふうん? 俺なんか、ここまできちんとした服なんざ、一度も着たことはないがね」
「本当かよ」
「うそ」
再びかかか、という笑いがマーチ・ラビットの耳に飛び込み、彼の神経を逆撫でする。
「だいたいよ、ビーダー、俺がこんな所に居ること自体、場違いなんだよ」
「そうかなあ? でもまあ、今日のところは少しは我慢してくれないか? マーティ」
仕事なんだからな、とビーダーはわざとらしく強調する。
「それにあんたの服には俺もちょっと苦労したんだぜ?」
「へいへい」
マーチ・ラビットはため息混じりにそう答えた。周囲を見渡すと、きらきらしたクリスタルの欠片を散りばめたシャンデリアが目に映る。
少なくとも、あの相棒が働いている店とは、値段のランクが二桁違いそうな店だった。だが彼にしてみれば、そんな店では物を食った気にはなれない、と思うような場所である。
だいたいそういう店では、盛装が無言のルールである。食事は三度三度気楽に摂れて、それが美味ければ満足、という彼にとって、そんな高級感そのものが売りであるような店など、自分から願い下げだった。
たとえどんなに一流の料理人が心を込めて作ろうが、その心を込めて美しくセッティングされた皿を見ただけで、彼は食欲を減退させてしまうのだ。
それよりは、あの冬の惑星の食事の方が、よほど彼には判りやすかった。「不満分子」で左遷されて赴任していた料理長が、本星から来る少ない材料の中で、自分達政治犯のために、必要なカロリーを確保してくれた食事の方が、ずっと。
あの惑星に居た時には、ずっと同じ労働服を着けていた訳だし、脱出してからも、動きやすい服以外身につけたことはない。形がきっかり決まった服など、肩が凝って仕方が無い。彼にしてみれば、「マヌカン」の店員のシャツとエプロン、という制服すら肩の凝るものにしか思えないのだ。
もっともそれは彼の体型のせいもあった。一般成人男子よりは充分に大きい彼の身体には、市場に安く買えるような品は少ない。いきおい、サイズなど気にしなくてもいい服ばかりを身につけることになる。
―――だから今のこの状態は、マーチ・ラビットにとっては不本意以外の何ものでもなかった。
古典的な、夜会の服。黒の上着はちゃんと彼の広い肩幅に合わせたものだ。何処でどう注文したものか、筋肉がみっしりついて太い腕もしっかりとくるみこんでくれる。中にはアイロンをしっかりかけたことが肌で判るようなシャツ。ご丁寧に、カフスボタンも後付だった。
そして、何やりマーチ・ラビットの背中をむずむずとさせたのは、その蝶ネクタイだった。自分からは見えない位置にあって良かった、と彼は心底思う。そんなものをつけた自分の姿など、見たくもない。
なのにこの仮の相棒は、彼に向かってこんなことを言うのだ。それも実に楽しそうに笑いながら。
「でもあんた、結構似合うぜ?」
思わず彼は、顔を片手で覆う。
「やめてくれ……」
「いいじゃん、俺ほめてるのよ?」
「お前にほめられても俺は嬉しくない」
「まあそう言いなさんなって。別にあんたに愛想ふりまけって訳じゃないんだし」
「愛想なぞ振りまいてたまるか」
腕組をして、彼は椅子にふんぞり返った。あまりにも勢いが良すぎて、細かい細工が背に施してある椅子がぎし、ときしんだ。ビーダーはそれを見て苦笑する。
「とにかくせっかくの料理は味わうのが一番さあ。ほら呑んで呑んで」
「商談じゃないのか?」
「商談は商談だけど、今回は向こうのお誘いなんでねえ」
「お誘い?」
それは初耳だった。
「お前そんなこと言ってなかったじゃないか」
「そうだったっけ?」
ビーダーはそらとぼける。その明後日の方向に向いた顔が、あ、と視線を向こう側に飛ばした。
「待ち人来る、だよ」
ビーダーはふっと立ち上がり、片手を上げた。マーチ・ラビットはその視線の先をたどる。そこには上品そうな中年の婦人が居た。
似合わない、と彼は思った。「ビールの横流し」の相談と、「ベースボール」と「上品な婦人」。どうにもつながらない。
混乱していると、婦人はふわりとした身のこなしで、彼らのテーブルまで近づいて来た。ボーイに椅子を引かれるのにも当然、と言った仕草は、明らかに育ちの良さを伺わせる。
歳の頃は、上等の化粧ではっきりは判らない。だが自分よりは十歳は上だろう、と彼は踏んでいた。美しい手は隠すことなくテーブルの上に重ねられている。しかしいくら美しいとは言え、年齢はその上には確実に現れるのだ。
「遠路はるばる、ご苦労様でした」
そしてその声もまた、優雅だった。
「いえこちらこそ、わざわざのご足労、ありがとうございます。ヒノデ夫人」
するり、とビーダーの口からそんな言葉が流れ出す。慣れた口調だ。
「ようやくそちらのチームと対戦するに当たって、ふさわしいメンバーが揃いましたので、ご報告と」
俺かい! とマーチ・ラビットは内心叫んだ。太い眉が勢いよく飛び上がる。
「まあ。ずいぶんとたくましい方ですのね」
「ええ」
「ポジションは何ですの?」
「彼ですか?」
ちら、とビーダーは斜め横の相方を見る。マーチ・ラビットはこの訳の分からない展開に頭をかきむしりたい気分だった。もっとも仕事仕事、と釘を刺すその視線に、何も言えなかったのは確かだが。
そんな彼の葛藤など、何処の空、という晴れやかな顔で、ビーダーはこう続けた。
「彼は、投手ですよ」
エッグ・ビーダーは運ばれてきた食前酒を口にしながら、斜め前に座るマーチ・ラビットに声をかけた。
「判ってるんだけどよ、この服……」
はぁん? とビーダーは首を傾げる。
「何っかもう、肩がこって肩がこって……」
「何だあ」
かかか、という当座の相方の笑いに、マーチ・ラビットは太い眉をしかめ、頬杖をつく。
「仕方ねーだろ、俺ここ何年も、こういう服着たことが無いんだよ」
「ふうん? 俺なんか、ここまできちんとした服なんざ、一度も着たことはないがね」
「本当かよ」
「うそ」
再びかかか、という笑いがマーチ・ラビットの耳に飛び込み、彼の神経を逆撫でする。
「だいたいよ、ビーダー、俺がこんな所に居ること自体、場違いなんだよ」
「そうかなあ? でもまあ、今日のところは少しは我慢してくれないか? マーティ」
仕事なんだからな、とビーダーはわざとらしく強調する。
「それにあんたの服には俺もちょっと苦労したんだぜ?」
「へいへい」
マーチ・ラビットはため息混じりにそう答えた。周囲を見渡すと、きらきらしたクリスタルの欠片を散りばめたシャンデリアが目に映る。
少なくとも、あの相棒が働いている店とは、値段のランクが二桁違いそうな店だった。だが彼にしてみれば、そんな店では物を食った気にはなれない、と思うような場所である。
だいたいそういう店では、盛装が無言のルールである。食事は三度三度気楽に摂れて、それが美味ければ満足、という彼にとって、そんな高級感そのものが売りであるような店など、自分から願い下げだった。
たとえどんなに一流の料理人が心を込めて作ろうが、その心を込めて美しくセッティングされた皿を見ただけで、彼は食欲を減退させてしまうのだ。
それよりは、あの冬の惑星の食事の方が、よほど彼には判りやすかった。「不満分子」で左遷されて赴任していた料理長が、本星から来る少ない材料の中で、自分達政治犯のために、必要なカロリーを確保してくれた食事の方が、ずっと。
あの惑星に居た時には、ずっと同じ労働服を着けていた訳だし、脱出してからも、動きやすい服以外身につけたことはない。形がきっかり決まった服など、肩が凝って仕方が無い。彼にしてみれば、「マヌカン」の店員のシャツとエプロン、という制服すら肩の凝るものにしか思えないのだ。
もっともそれは彼の体型のせいもあった。一般成人男子よりは充分に大きい彼の身体には、市場に安く買えるような品は少ない。いきおい、サイズなど気にしなくてもいい服ばかりを身につけることになる。
―――だから今のこの状態は、マーチ・ラビットにとっては不本意以外の何ものでもなかった。
古典的な、夜会の服。黒の上着はちゃんと彼の広い肩幅に合わせたものだ。何処でどう注文したものか、筋肉がみっしりついて太い腕もしっかりとくるみこんでくれる。中にはアイロンをしっかりかけたことが肌で判るようなシャツ。ご丁寧に、カフスボタンも後付だった。
そして、何やりマーチ・ラビットの背中をむずむずとさせたのは、その蝶ネクタイだった。自分からは見えない位置にあって良かった、と彼は心底思う。そんなものをつけた自分の姿など、見たくもない。
なのにこの仮の相棒は、彼に向かってこんなことを言うのだ。それも実に楽しそうに笑いながら。
「でもあんた、結構似合うぜ?」
思わず彼は、顔を片手で覆う。
「やめてくれ……」
「いいじゃん、俺ほめてるのよ?」
「お前にほめられても俺は嬉しくない」
「まあそう言いなさんなって。別にあんたに愛想ふりまけって訳じゃないんだし」
「愛想なぞ振りまいてたまるか」
腕組をして、彼は椅子にふんぞり返った。あまりにも勢いが良すぎて、細かい細工が背に施してある椅子がぎし、ときしんだ。ビーダーはそれを見て苦笑する。
「とにかくせっかくの料理は味わうのが一番さあ。ほら呑んで呑んで」
「商談じゃないのか?」
「商談は商談だけど、今回は向こうのお誘いなんでねえ」
「お誘い?」
それは初耳だった。
「お前そんなこと言ってなかったじゃないか」
「そうだったっけ?」
ビーダーはそらとぼける。その明後日の方向に向いた顔が、あ、と視線を向こう側に飛ばした。
「待ち人来る、だよ」
ビーダーはふっと立ち上がり、片手を上げた。マーチ・ラビットはその視線の先をたどる。そこには上品そうな中年の婦人が居た。
似合わない、と彼は思った。「ビールの横流し」の相談と、「ベースボール」と「上品な婦人」。どうにもつながらない。
混乱していると、婦人はふわりとした身のこなしで、彼らのテーブルまで近づいて来た。ボーイに椅子を引かれるのにも当然、と言った仕草は、明らかに育ちの良さを伺わせる。
歳の頃は、上等の化粧ではっきりは判らない。だが自分よりは十歳は上だろう、と彼は踏んでいた。美しい手は隠すことなくテーブルの上に重ねられている。しかしいくら美しいとは言え、年齢はその上には確実に現れるのだ。
「遠路はるばる、ご苦労様でした」
そしてその声もまた、優雅だった。
「いえこちらこそ、わざわざのご足労、ありがとうございます。ヒノデ夫人」
するり、とビーダーの口からそんな言葉が流れ出す。慣れた口調だ。
「ようやくそちらのチームと対戦するに当たって、ふさわしいメンバーが揃いましたので、ご報告と」
俺かい! とマーチ・ラビットは内心叫んだ。太い眉が勢いよく飛び上がる。
「まあ。ずいぶんとたくましい方ですのね」
「ええ」
「ポジションは何ですの?」
「彼ですか?」
ちら、とビーダーは斜め横の相方を見る。マーチ・ラビットはこの訳の分からない展開に頭をかきむしりたい気分だった。もっとも仕事仕事、と釘を刺すその視線に、何も言えなかったのは確かだが。
そんな彼の葛藤など、何処の空、という晴れやかな顔で、ビーダーはこう続けた。
「彼は、投手ですよ」
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