七代目は「帝国」最後の皇后

江戸川ばた散歩

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第49話 逃げてきた草原からの学都留学生

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   話は二週間程さかのぼる。

 ひどい風だ、と彼は思って、作業の手を止めた。
 がたがたと窓が音を立てて鳴っている。時々風がすきまから入り込んで高く細い、嫌な音を立てる。
 彼は冬がそう好きではない。最も春よりはずいぶんとましな季節ではあるのだが。
 春は、砂漠と草原に面したこの地区の人々が一様に嫌う季節である。暦の上で春と言っても、しばらくは気温も低く、時には名残の雪がおだやかどころではない勢いで降りつける。
 雪がやんだとしても、安心してはいけない。「おしゃれ好きは春秋に死ぬ」ということわざがあるくらいで、少し暖かくなったと思って、軽い衣服に変えて外へ出ると、見る見る間に空は曇り、風は吹き出し、一気に気温が下がる、ということがある。
 身体の方も油断していると病原菌のいいカモになる。風がもたらす一番単純で、また一番怖い病気は風邪である。
 だから、その瞬間彼は、ひどい風が吹き込んだのか、と思ったのだ。

「エカム居るか?」

 反射的に彼は立ち上がっていた。膝の上に置いていた本がすべり落ちる。
 扉を一杯に引いて、息を切らした友人がそこには居た。ただし、そこに居るはずのない友人が。

「ティファン!」
「お前は何回呼んだら気がつくんだ、馬鹿者!」

 口の悪さは相変わらずだ、と彼は思った。だがその恰好を見たら、絶対にその言葉は目の前の相手が出しているとは思わないだろう。
 頭を深く包むアイボリーのクロッシェ帽に、大きな焦げ茶色の不織布で作られた、肩を深く覆う刺繍入りの角張った飾り襟、その襟の下にはかっちりと型をとって都会の服屋で注文を取って作られたらしい、襟よりはやや淡い茶色の上着、同じ色のひだはないがたっぷりとしたどっしりした織りの、足首よりはやや短いスカート、黒い編み上げた靴。
 そして何と言っても、耳の下位で切り揃えた髪。この地方では絶対に有り得ない髪型。この地方だけではない。そんなふうに、女が髪を短くするなど、帝国広しと言えども、一ヶ所しかない。
 一ヶ所。
 何処をどう見ても、それは帝国最大の居住区である副帝都の最新モードであり、それを身にまとう目の前の相手は、そこに帰る家を持つ、ある程度以上余裕がある令嬢にしか見えない。
 だが彼が間違える訳がない。この目の前の相手は、幼なじみのカン・ティファン・フェイだ。
 一昨年、このカラ・ハン族の中等学校初等科を卒業した子供達の中で、たった一人選ばれて東の学都である東海華市の中等学校高等科へ留学した、彼の一番の友人だった。

「とにかく中へ入れてくれ。この恰好を何とかしたい」

 ティファンはそう言うと、エカムの了解を待つまでもなく、ずかずかと家の中へと入って行った。
 勝手知ったる他人の家とばかりに彼女はまっすぐ彼の部屋へ向かう。そして入るとすぐ、肩を覆う襟を取り外す。ああ重かった、と彼女はつぶやく。それに続いて上着を取り、さらにはその下に着ていたぴったりした内着まで取ろうとしたので、エカムは驚いた。胸が見えそうになったので慌てて彼は窓のカーテンを閉め、勢いよく部屋から飛び出した。

「……ちょっと待て! 着替え持ってくるから…… 扉閉めとけ!」
「お前の服にしろよ! 間違えてお前の姉さんの持ってきたら、ぶち殴るぞ!」
「判ってるよ!」

 だが考えてみればそれもまたおかしいのである。
 滅多に目にしないものを見てしまうと、胸が躍る。言われた通り、エカムは自分の服の入っている箱を引きずり出し、その中から彼女にも着られそうなものを選びだした。
 もともとこの地方の服は、たっぷりしたものが多い。たっぷりとした綿か毛の服を腰の所でたくしあげているのが普通である。そこまでは男女兼用である。飾りのあるなしで違いはあるが、形としては同じである。
 その下にたっぷりとしたズボンを履き、余った裾を長い編み上げ靴に入れてしまうのが男もので、下着を一枚増やして短いスカートにするか、やや短いズボンを裾を広げて履いているのが女である。
 そう言えば昔からティファンはその女の着方が嫌いだったな、と幼なじみは思い出す。これじゃ馬に乗れない、木に上れない、弓や剣の練習もできない、と言っては、母親が心配するのもよそに、自分の兄の服をぶんどっては着ていた。
 それでも時々、特別な日、三年に一回の祭だの、一年に一回やってくる帝都視察団の出迎えの時などには、「女の子の晴れ着」を嫌でも何でも着せられた。そんな時は、その必要な時間が過ぎると、彼女はいちもくさんに飛び出す。そして、たいていそんな催しものが行われる広場の近くにあるエカムの家に飛び込んでは着替えをしていくのだ。
 もちろん小さい頃は、それこそ男も女もないから、ティファンはエカムの家で彼の目の前でぱっぱっと脱いでは着替えていたのだが。

 だが。
 だがなあ。

 エカムは頭を抱える。俺達とっくに結婚できる年齢なんだぞ!
 扉を半分開けて、服を一式押し込むと、

「ここへ置いとくから、着替えたら言え!」

 彼は大声を張り上げた。



「……腕が余る」

 形のいい眉を片方上げて、ティファンは余った袖を手先で掴む。折ればいいだろうが! とそれを見てエカムは一つ二つと折り上げる。
 目の前には彼の母親が入れた甘い乳茶がポットに入れられて置かれていた。
 母親はちょうど彼女の着替えが終わった頃に用事があって出かけていた近所から戻ってきた。そして彼女の短い髪には驚いたが、それはそれ、息子の幼なじみが久しぶりに来た、ということで用意してくれたのだ。
 ……だが彼女が息子の服を着ていたことに関しては一体どう考えていたやら。

「仕方ないだろーが! お前が俺のと言ったんだぞ!」

 するとティファンは彼の腕をぐっと掴むと、

「全くこんなめきめきと大きくなりやがって」

 それを聞くと彼ははあ、と彼はため息をつく。

「……お前本当に学都へ行ったの? その言葉何とかなんねえ?」
「お前相手にいちいち丁寧に喋ってどうする。あんな喋り方するのは向こうだけで充分だ…… あ、でももうすることもないな」
「? どういう意味だ?」

 いぶかしげに彼は訊ねる。

「言葉の通りだ。そんな言葉づかいをする必要はない。もう向こうへは戻らん」
「は?」

 学都留学は三年のはずだ。そこで成績が良ければ、さらに男なら五年の高等教育が受けられる。女は三年だった。
 年に一人、である。その機会と援助が帝国学府からこのカラ・ハンの地に与えられるのは。
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