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第59話 相棒との最初の会話
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入り口から客間までは結構な距離がある。
ホロベシ男爵の副帝都の本宅は、学校の校舎ほど大きくはないが、学校の寄宿舎ぐらいの大きさはある。少なくともシラは思っている。
帰った途端ほっとする程、長い時間ここで暮らしてきた訳ではない。
だが少なくとも寄宿舎の盗聴器だの相互監視の状態がないだけ、ここは彼女にとってましである。
誰もいない廊下などいたるところにあるし、大声を出してもそう簡単には聞こえないだろう。
何となく日頃の鬱憤を晴らすべく大声で叫んでやろうかな、と一瞬思うが、とりあえず思いとどまる。そういうのは客人に会ってから考えよう。
そして途中で彼女は一度、立ち止まる。一人の女性の肖像画の前だった。
「お母様、お久しぶり」
絵の中の女性に向かってシラはつぶやく。だがそれだけである。
自分とよく似ているらしいその女性は、シラにとって馴染みのある人ではなかった。
産んですぐ亡くなったという訳ではないから、多少の記憶はある。だが懐かしいとか恋しいとかそういう気持ちはあまり起こらない。母に甘えたという記憶すらもない。
寄宿舎でホームシックになった少女が夜中に母恋しと泣くのを見たことがあるが、シラには無縁のものだった。
冷めてるなあ、あたし。
そう思わずにはいられない。
母が亡くなった時、それでも六歳にはなっていた筈だから、ある程度記憶が残っていてもいいはず。なのにそこにまとわりつくべき感情はほとんどなかった。
何故だろう。
彼女は時々思う。
父親のホロベシ男爵に対して何の感情も持てないのには理由があるし、その理由も自分で納得できる。だが母に関してはその理由が判らない。
「また後で」
そうつぶやくと彼女は絵の前から離れた。
細かいねじり模様の、父親が南方で買ったジュータンを踏みしめながら、客間の扉の前に立った。
静かだった。中に人が居るような感じかしない。彼女は扉の持ち手を掴む。
ぎ、と音を立てて扉が開いた。と。
ふっと、光が動いた気がした。
「え?」
そう声を立てていたのはシラの方だった。
光ではない。人だった。
中に居た少女がその扉の開く音に立ち上がったのだ。
「……あなた…… 誰?」
確かに光はその部屋に満ちていた。春の午後、客間は南向きで日当たりがいい。
だがシラの視界に入った光は一人で動いたのだ。
その正体はすぐに判った。金と銀の間の色の髪。
「私ですか?」
アルトの声。こんな急な侵入者にも何も驚くこともなく、平然と。
「はじめまして。イラ・ナギ――― イラ・ナギマエナ・ミナミと言います。あなたはアヤカ・シラお嬢様?」
「……はじめまして…… 確かにアヤカ・シラよ。でもお嬢様はやめて。好きじゃないわ…… あなたお父様の連れてきたひとでしょ?」
目が、離せない。
口はすらすらと言葉をつむぎ出すが、いつもと違って、全然その中に感情を込められない。
それだけじゃない。シラの口は、シラの理性とは別に、勝手に動き出していた。
「……あなた綺麗ね」
「え?」
「そうよ、あなた綺麗よ」
「ありがとうございます」
見事な笑みが広がる。見事すぎて、その正体が判ってしまう。
「違うわよ」
とっさにシラは言い返していた。
「……え?」
「そういう意味じゃない。本当に、綺麗だって言ってるのよ」
お世辞ではない。社交儀礼でもない。本当に。
だって。
シラは必死で考え始める。どう見ても、この目の前に居る、自分と同じ歳くらいの少女は、常識的な人が見たら、「綺麗」なんて、決して言わない。
自分より頭半分くらい高いくらいの身長、すらりとした身体には、その線がはっきり出るような、身体にぴったりとした紺の服をつけている。
伝統的なハイカラーに右開き。その下には、深い茶の、何の飾りもないスカートが自然の重力に逆らわずにすとんと降りている。長さは膝よりやや下くらいだが、その中の脚は、紺のストッキングと編み上げの焦げ茶の靴でしっかりと包まれている。
明らかにこれは、妙な格好、だった。―――そのライン。
現在も、帝国では女性が腕や上半身の線、そして脚をあらわにすべきではない、という考え方が普通である。
この時シラの着ていた皇立第一中等の制服は、二の腕が大きく膨らんでいる。上半身もふわり膨らんだラインである。
脚はスカートのようにも見えるが、実はその間は割れている。ひどく大きく裾を広げたスボンであるとも言える。
その下には焦げ茶の編み上げ靴。その点は目の前の少女もシラと同じではあるが、そのスカートの長さやストッキングの色のせいで、全く別のものに見えた。
だが、何よりも、そんな理由よりも、普通なら「綺麗」なんて決して評しない、評してはいけない理由があるのだ。
金と銀の間の色合いの髪が、短い。
いや、短いだけならまだいい。
多少お偉方のおばサマがたは眉をひそめても、耳の下くらいで切りそろえるのは副帝都の最新モードの一つである。だが。
だがその髪は、どうみても「切りそろえられて」などいない。自分で適当に切った、と言いたげにばらばらなのである。最新モードを着た娘の髪がつやつやと櫛目も通ってまっすぐか、くせ毛なら、リボンや髪留めを飾って華やかなのに比べ、その髪は何もされていない。
そして何故か、後ろに尻尾がある。白金の髪は、後ろで一房だけ長く伸ばされ、腰くらいの長さの細い三つ編みにされている。
明らかにこれは故意的に作られたものである。
すごく変だ。
見た瞬間シラは思った。なのに。
その次の瞬間、出てきたのは、「綺麗」という言葉だったのだ。
「あなた、面白い人ですね」
イラ・ナギマエナと名乗った少女は、口の端だけで笑ってみせた。
「あんたは変な人よ」
それが相棒との最初の会話だった。そしてその時シラは自覚していた。
これは一目惚れだわ。
ホロベシ男爵の副帝都の本宅は、学校の校舎ほど大きくはないが、学校の寄宿舎ぐらいの大きさはある。少なくともシラは思っている。
帰った途端ほっとする程、長い時間ここで暮らしてきた訳ではない。
だが少なくとも寄宿舎の盗聴器だの相互監視の状態がないだけ、ここは彼女にとってましである。
誰もいない廊下などいたるところにあるし、大声を出してもそう簡単には聞こえないだろう。
何となく日頃の鬱憤を晴らすべく大声で叫んでやろうかな、と一瞬思うが、とりあえず思いとどまる。そういうのは客人に会ってから考えよう。
そして途中で彼女は一度、立ち止まる。一人の女性の肖像画の前だった。
「お母様、お久しぶり」
絵の中の女性に向かってシラはつぶやく。だがそれだけである。
自分とよく似ているらしいその女性は、シラにとって馴染みのある人ではなかった。
産んですぐ亡くなったという訳ではないから、多少の記憶はある。だが懐かしいとか恋しいとかそういう気持ちはあまり起こらない。母に甘えたという記憶すらもない。
寄宿舎でホームシックになった少女が夜中に母恋しと泣くのを見たことがあるが、シラには無縁のものだった。
冷めてるなあ、あたし。
そう思わずにはいられない。
母が亡くなった時、それでも六歳にはなっていた筈だから、ある程度記憶が残っていてもいいはず。なのにそこにまとわりつくべき感情はほとんどなかった。
何故だろう。
彼女は時々思う。
父親のホロベシ男爵に対して何の感情も持てないのには理由があるし、その理由も自分で納得できる。だが母に関してはその理由が判らない。
「また後で」
そうつぶやくと彼女は絵の前から離れた。
細かいねじり模様の、父親が南方で買ったジュータンを踏みしめながら、客間の扉の前に立った。
静かだった。中に人が居るような感じかしない。彼女は扉の持ち手を掴む。
ぎ、と音を立てて扉が開いた。と。
ふっと、光が動いた気がした。
「え?」
そう声を立てていたのはシラの方だった。
光ではない。人だった。
中に居た少女がその扉の開く音に立ち上がったのだ。
「……あなた…… 誰?」
確かに光はその部屋に満ちていた。春の午後、客間は南向きで日当たりがいい。
だがシラの視界に入った光は一人で動いたのだ。
その正体はすぐに判った。金と銀の間の色の髪。
「私ですか?」
アルトの声。こんな急な侵入者にも何も驚くこともなく、平然と。
「はじめまして。イラ・ナギ――― イラ・ナギマエナ・ミナミと言います。あなたはアヤカ・シラお嬢様?」
「……はじめまして…… 確かにアヤカ・シラよ。でもお嬢様はやめて。好きじゃないわ…… あなたお父様の連れてきたひとでしょ?」
目が、離せない。
口はすらすらと言葉をつむぎ出すが、いつもと違って、全然その中に感情を込められない。
それだけじゃない。シラの口は、シラの理性とは別に、勝手に動き出していた。
「……あなた綺麗ね」
「え?」
「そうよ、あなた綺麗よ」
「ありがとうございます」
見事な笑みが広がる。見事すぎて、その正体が判ってしまう。
「違うわよ」
とっさにシラは言い返していた。
「……え?」
「そういう意味じゃない。本当に、綺麗だって言ってるのよ」
お世辞ではない。社交儀礼でもない。本当に。
だって。
シラは必死で考え始める。どう見ても、この目の前に居る、自分と同じ歳くらいの少女は、常識的な人が見たら、「綺麗」なんて、決して言わない。
自分より頭半分くらい高いくらいの身長、すらりとした身体には、その線がはっきり出るような、身体にぴったりとした紺の服をつけている。
伝統的なハイカラーに右開き。その下には、深い茶の、何の飾りもないスカートが自然の重力に逆らわずにすとんと降りている。長さは膝よりやや下くらいだが、その中の脚は、紺のストッキングと編み上げの焦げ茶の靴でしっかりと包まれている。
明らかにこれは、妙な格好、だった。―――そのライン。
現在も、帝国では女性が腕や上半身の線、そして脚をあらわにすべきではない、という考え方が普通である。
この時シラの着ていた皇立第一中等の制服は、二の腕が大きく膨らんでいる。上半身もふわり膨らんだラインである。
脚はスカートのようにも見えるが、実はその間は割れている。ひどく大きく裾を広げたスボンであるとも言える。
その下には焦げ茶の編み上げ靴。その点は目の前の少女もシラと同じではあるが、そのスカートの長さやストッキングの色のせいで、全く別のものに見えた。
だが、何よりも、そんな理由よりも、普通なら「綺麗」なんて決して評しない、評してはいけない理由があるのだ。
金と銀の間の色合いの髪が、短い。
いや、短いだけならまだいい。
多少お偉方のおばサマがたは眉をひそめても、耳の下くらいで切りそろえるのは副帝都の最新モードの一つである。だが。
だがその髪は、どうみても「切りそろえられて」などいない。自分で適当に切った、と言いたげにばらばらなのである。最新モードを着た娘の髪がつやつやと櫛目も通ってまっすぐか、くせ毛なら、リボンや髪留めを飾って華やかなのに比べ、その髪は何もされていない。
そして何故か、後ろに尻尾がある。白金の髪は、後ろで一房だけ長く伸ばされ、腰くらいの長さの細い三つ編みにされている。
明らかにこれは故意的に作られたものである。
すごく変だ。
見た瞬間シラは思った。なのに。
その次の瞬間、出てきたのは、「綺麗」という言葉だったのだ。
「あなた、面白い人ですね」
イラ・ナギマエナと名乗った少女は、口の端だけで笑ってみせた。
「あんたは変な人よ」
それが相棒との最初の会話だった。そしてその時シラは自覚していた。
これは一目惚れだわ。
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