5 / 84
5.海の喇叭(らっぱ)/戦時少年海員養成所のススメ
しおりを挟む
> 昌吉は応接間の硝子戸に仄さし込む冬の朝の光のなかに、この文字の一つ一つを、暗んずるまで幾度も読み辿つた。
始発の電車のひびきが、都会の朝の沈黙を破つて、ゴーッと鳴る――それが太平洋の――南海の――北海の――海の潮鳴りと昌吉の耳にひびいた――青い波――行く船――マストの上の日の丸の旗――汐風――昌吉の瞼の裏に幻想の船が浮かんだ。
(少年海員、泉昌吉! おーい、来い、早く! 待ってるぞ!)
遠く遠く海からわれを呼ぶ声が聞こえる…少年の総身の純な血は熱くたぎつた。
青少年日本男子は船員として軍に続き御稜威を護れ!
この言葉は昌吉の前に、天の声――海からわれを呼ぶ声とひびいた。
友の晋一は海善く征く軍艦に武人として――われは同じ海征く商船に船員として、友に続かん、いざ!
***
昭和19年4月発行、『海の喇叭』です。ジャンルとしては少年小説なんでしょうか。
雑誌掲載の気配はとりあえず見つかっておりません。この時期ですので、当局から依頼されて書いた斡旋小説とも考えられます。
ちなみに伝記ではこの時期は「ほとんど書いていない」「書けなかった」的な記述がされてますが、まあ実際のとここういうものは書いてます。あと「戦線文庫」にも小説を書いてます。とりあえず要求には応える形です。ですがまあ、そういう事実は「なかったこと」の発言されてます。
おはなしとしては。
まずこの主人公の昌吉くん。裕福ではないので、国民学校の尋常科を出たら商家へ奉公に出つつ、夜間商業に通うという暮らしをしています。その奉公先で、古新聞の整理をしていた時、海員養成所のことを知り、「官立宮古海員養成所」の一ヵ年課程に入ります。
もともと幼馴染と一緒に江田島の海軍兵学校に行きたかったので、海に関係する学校に行けるというのでうれしくて仕方ないです。
ちなみにこの養成所、管轄は逓信省のようです。意外。
そして航海科に合格。寮生活となりまして、機関科の伸之助くんという友達もでき、厳しくも楽しい訓練生活を送ることに。
ただ故郷のお母さんはさすがに心配で、宮古まで一度見学に来たりもします。だけどそこでの生活と目的に感動し、自分も子を送り出す心もちにならないと、と考え直します。
まあこのあたりは吉屋信子の当時の本心だと思われます。
彼女は「個人の情」より、「理性や公」の方を母親というものに求める傾向がございまして。
だからここではこの母親に結構マジでこう言わせていると思うのです。
***
>「だけど、昌吉安心しておくれ、おつ母さんはさつきから所長さんにああして連れられて、お前たちのすること為す事見せてもらつてゐるうちに――もうお前を連れて帰らうなどと思つたのが、ほんとに親のそれこそ利己主義とやらで――まちがつた考へだとわかつてきたのだよ――だからさつきくも所長さんに、しんからお辞儀をしてあやまり、どうぞあの子を立派な少年海員に仕立ててお国の役に立てて下さいませ――とお願ひし、ほかの教官様にも改めて御挨拶してお頼みしておいたんだよ―――ああ、ほんとに昌吉――たいした勉強だねえ、おつ母さんはほんとに何から何まで感心してしまつて――早速東京へ帰つたらお父さんにもよく話してきかせます。どうぞみつしり勉強しておくれよ、おつ母さんは安心してかへるからね――」
***
で、最後は卒業後、実際の軍用貨物船に乗った昌吉くんと伸之助くんの連名の手紙。後輩に向けてのものです。攻撃とかあったようですが、何とかなったことを。
まあ何というか、実にじーっと読まないと、吉屋信子の吉屋信子らしさというものが見当たらない文体と文章です。
いやまあ、あちこちに感激だの感動だのしている人々が出てきますが、「この時期だしなあ」と思って読めば、ありがちな文体に見えてしまいます。
ただここで、やっぱり吉屋信子だよなというのが、その「母」の取り扱い。
情におぼれた利己主義だなんだというのは、彼女が嫌う所でして。思うに、この時期の人々の心情は大っぴらに吉屋信子の美学に合うものだったんじゃねえのかと。
「そうでなければ自分が救われない」とでもいう感じに。
とはいえ、正直この話、「つくりもの」「宣伝小説」としては非常にうまいと思うのですよ。何か「好きなものが書けない」時期だったらしいですが、こういう要求に応じた小説のほうがうまかったんじゃねえか? とつい思ってしまうんですが。
始発の電車のひびきが、都会の朝の沈黙を破つて、ゴーッと鳴る――それが太平洋の――南海の――北海の――海の潮鳴りと昌吉の耳にひびいた――青い波――行く船――マストの上の日の丸の旗――汐風――昌吉の瞼の裏に幻想の船が浮かんだ。
(少年海員、泉昌吉! おーい、来い、早く! 待ってるぞ!)
遠く遠く海からわれを呼ぶ声が聞こえる…少年の総身の純な血は熱くたぎつた。
青少年日本男子は船員として軍に続き御稜威を護れ!
この言葉は昌吉の前に、天の声――海からわれを呼ぶ声とひびいた。
友の晋一は海善く征く軍艦に武人として――われは同じ海征く商船に船員として、友に続かん、いざ!
***
昭和19年4月発行、『海の喇叭』です。ジャンルとしては少年小説なんでしょうか。
雑誌掲載の気配はとりあえず見つかっておりません。この時期ですので、当局から依頼されて書いた斡旋小説とも考えられます。
ちなみに伝記ではこの時期は「ほとんど書いていない」「書けなかった」的な記述がされてますが、まあ実際のとここういうものは書いてます。あと「戦線文庫」にも小説を書いてます。とりあえず要求には応える形です。ですがまあ、そういう事実は「なかったこと」の発言されてます。
おはなしとしては。
まずこの主人公の昌吉くん。裕福ではないので、国民学校の尋常科を出たら商家へ奉公に出つつ、夜間商業に通うという暮らしをしています。その奉公先で、古新聞の整理をしていた時、海員養成所のことを知り、「官立宮古海員養成所」の一ヵ年課程に入ります。
もともと幼馴染と一緒に江田島の海軍兵学校に行きたかったので、海に関係する学校に行けるというのでうれしくて仕方ないです。
ちなみにこの養成所、管轄は逓信省のようです。意外。
そして航海科に合格。寮生活となりまして、機関科の伸之助くんという友達もでき、厳しくも楽しい訓練生活を送ることに。
ただ故郷のお母さんはさすがに心配で、宮古まで一度見学に来たりもします。だけどそこでの生活と目的に感動し、自分も子を送り出す心もちにならないと、と考え直します。
まあこのあたりは吉屋信子の当時の本心だと思われます。
彼女は「個人の情」より、「理性や公」の方を母親というものに求める傾向がございまして。
だからここではこの母親に結構マジでこう言わせていると思うのです。
***
>「だけど、昌吉安心しておくれ、おつ母さんはさつきから所長さんにああして連れられて、お前たちのすること為す事見せてもらつてゐるうちに――もうお前を連れて帰らうなどと思つたのが、ほんとに親のそれこそ利己主義とやらで――まちがつた考へだとわかつてきたのだよ――だからさつきくも所長さんに、しんからお辞儀をしてあやまり、どうぞあの子を立派な少年海員に仕立ててお国の役に立てて下さいませ――とお願ひし、ほかの教官様にも改めて御挨拶してお頼みしておいたんだよ―――ああ、ほんとに昌吉――たいした勉強だねえ、おつ母さんはほんとに何から何まで感心してしまつて――早速東京へ帰つたらお父さんにもよく話してきかせます。どうぞみつしり勉強しておくれよ、おつ母さんは安心してかへるからね――」
***
で、最後は卒業後、実際の軍用貨物船に乗った昌吉くんと伸之助くんの連名の手紙。後輩に向けてのものです。攻撃とかあったようですが、何とかなったことを。
まあ何というか、実にじーっと読まないと、吉屋信子の吉屋信子らしさというものが見当たらない文体と文章です。
いやまあ、あちこちに感激だの感動だのしている人々が出てきますが、「この時期だしなあ」と思って読めば、ありがちな文体に見えてしまいます。
ただここで、やっぱり吉屋信子だよなというのが、その「母」の取り扱い。
情におぼれた利己主義だなんだというのは、彼女が嫌う所でして。思うに、この時期の人々の心情は大っぴらに吉屋信子の美学に合うものだったんじゃねえのかと。
「そうでなければ自分が救われない」とでもいう感じに。
とはいえ、正直この話、「つくりもの」「宣伝小説」としては非常にうまいと思うのですよ。何か「好きなものが書けない」時期だったらしいですが、こういう要求に応じた小説のほうがうまかったんじゃねえか? とつい思ってしまうんですが。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる