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54.吉屋信子の戦前長編小説について(10)昭和5年から支那事変までの作品(8)~母の曲

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 今回も「婦人倶楽部」掲載の小説です。
 ただし珍しく「翻案」。
 当時話題になった米国映画「ステラ・ダラス」というのがありまして、これを日本流に書き直してみた~+吉屋テイストを入れた~というものです。
 まあそのせいか、人間関係はシンプルですな。

https://plaza.rakuten.co.jp/edogawab/diary/201806090005/

 ちなみに元映画のあらすじはこんなん。
 https://movie.walkerplus.com/mv4776/ より。ちょっと改行加えてみる。
 当時出た映画の名作ノベライズ(文庫サイズより小さい単行本シリーズがあったのだ)では、スチイブン、ロオレルとなってたり。

***

 スチーブン・ダラスは父が銀行の破産で自殺したので、許婚ヘレンと結婚するのを断念して失踪した。
 彼はある工場町で勤めるうち、ステラ・マーティンという美貌の娘と結婚して一女ローレルをもうけた。
 しかし無教養のステラは彼の趣味に合わず、ことごとに夫婦は口喧嘩するようになった。
 そしてスチーブンがニューヨークへ栄転したときも、ステラはニューヨークの社交界で窮屈な思いをするよりもと故郷に止まったので、スチーブンは時折ローレルを招いたりした。
 ローレルは女学校に通うようになると母の麗質と父の趣味とを受けて美しい処女となった。
 しかし、ステラが町で爪弾きにされている馬券屋のエドと親しくするために、友達の誕生日に招いても、友達の母は娘をステラの家はやらなかった。
 スチーブンは偶然ヘレンと逢った。ヘレンはモリソン未亡人であった。
 ヘレンの3人の息子とローレルとはすぐ仲良しになった。
 そして長男コンの友達のリチャード・グロスベナーとローレルとは淡い恋をお互いに感じるようになった。
 そしてスチーブンとヘレンとは互いに昔の愛を忘れてはいなかった。
 ステラは夫がヘレンと親しくするのを聞いて嫉妬の情を押さえ得なかった。
 それでスチーブンから離婚を申し込んできても承諾はしなかった。
 ところが休暇に避暑地へローレルを伴って行ったとき、娘が母親が無教養であるために愛する青年を失うだろうという友達の陰口をふと聞いて、ステラは己れが娘の幸福の障害であることを初めて知った。
 彼女はヘレンを訪れ娘のことを頼みスチーブンと離婚して失踪した。ローレルとリチャードとの華やかな結婚式の晩、ステラは美しい花嫁をかい間見て母のみが知る幸福に酔った。

***

 この二つに関して竹田志保氏が「三人の娘と六人の母 : 「ステラ・ダラス」と「母の曲」」という論文を書いておりまして、実に興味深い。
https://glim-re.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=2787&file_id=22&file_no=1
PDFで読めます。
 この方は戦前映画のほうも網羅してるんで、映画翻案小説を更に映画化したものとも比較しております。

 彼女の考察はかなりワタシと近いのでありがたや。
 ともかくこの話が元の話とまるで違うのが、「産みの母」の取り扱い。
ステラ・ダラスのステラがそれでも満足なままである「だけ」なのに対して、「母の曲」の場合「雨の中濡れ鼠+車にひかれそうになる」+警官にも罵声浴びてるんだよなあ。
 ちょっと酷すぎねえか? と思うわけどすよ。
 あ、あとモリソン未亡人が「未亡人」である一方、薫さんは独身という辺りも。誰をより持ち上げて、より下げてるのかが、非常によぉくわかるという。

 吉屋信子がステラ・ダラスをあえて書こうと思ったのは、その辺にあるんじゃないかとも思うのですよ。はい。

 ちなみにこの映画化されたものでは、ここまで産みの母を貶めたりしておりません。
 ともかく彼女の小説が映画化された場合、まず多少以上の手が入るんですな。結婚式でちゃんと産みの母は報われるようになってます。
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