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61.吉屋信子の戦前長編小説について(16)昭和5年から支那事変までの作品(14)愛情の価値

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​​​ さてここからは新聞掲載の小説です。
 雑誌連載と違って、毎日毎日何かしら読ませなくちゃならないのが新聞小説の恐ろしさ。
 そこでも吉屋信子は看板作家になったりしたんですが。
 とりあへずは最大の看板、東京日日・大阪毎日以前の「報知新聞」に載った作品。
 読売とその後くっつくのですが、この時代は「小説の報知」と言われてた新聞どす。
 ただし期間は不明。そこまで当時のワタシの調べでは判明しませんでした。

 時期が昭和5年ということで、帰国早々ですな。
 で、その前に中編で「日本人倶楽部」という、あまり起伏の無い小説()を掲載。海外に一時的に住んでいる日本人の倶楽部での話。何か「これ」という筋が思い出せないんですな。いや、「新潮版全集」見ればいいんですがね。これは手元に残ってるんで。
 で、この頃はまだ人間関係がばたばたしてた。

https://plaza.rakuten.co.jp/edogawab/diary/201806180007/

 この話はようすんに、気立てがいいお金持ちのお嬢さんお坊ちゃんが身分を隠して働いていく中で惹かれあっていきまして―――最後に「あら!」という、明るい話どす。
 このひとの話としてはわりと読後に首をひねらなくてもいい。

 婦人公論のほうに載った「お嬢さん」に出てくるお嬢さんより、この睦子さんはよほど立場を自覚してる女性です。
 あくまで自分は跡取り娘だということは自覚しつつ、「職業婦人」も真面目にやる。つまり「休暇は休暇」と自覚しているんですね。ここで収入がどう、とか考えてるふしがない。社会見学と割り切った感があるわけ。
 そのあたりが曖昧なのが「お嬢さん」の先生稼業やろうとしていてた彼女の、「私は働いている!」「お給料これだけ?」「服買おうっと」のとんちんかんな人とは違う。
 キャラとして安定してるってことですな。
 で、そのキャラっぽいとこを少しリアル入れようとしたら何か嫌なひとになったのがあちらの~。
 で、最後に「結婚して終わり」だし、悪玉は綺麗に消えて、失恋した人も納得したわけで。娯楽小説としては楽しかったです。

 つかなあ、吉屋信子という作家は、リアルな描写しようとすればするほど「しみったれたものになっていく」という傾向がありましてな。
 これはもう戦後になってこれでもかと発揮されるんですが、​「きらきらした人が出てくるおはなし」であるならば綺麗にまとまる​んだよなあ……

 この時代~戦後しばらくの「フィクション軽視」の風潮はどうなんでしょうねえ、と思う次第。
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