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第15話 音は記憶を引き出してしまう。
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なんとかしなくちゃ。
とりあえずヘッドフォンを耳にあて、さっきもらったテープをセットする。テープの上に貼ったシールには、「EYES」と書かれていた。
ノイズはない。ずいぶんといい環境の中でMTRに録音したらしい。しかもこれはいいテープだった。あのリーダーらしいや、と思う。
と。流れてきたのは流れるようなピアノの音だった。てっきりギターのリフかな、とか、カウント4を刻むハイハットの音かな、と思っていたのに。そしてヴォーカルが入る。
―――え。
神経が、音に吸い寄せられた。
ゆったりとしたバラードのそれは、ひどく懐かしい色を脳裏に映し出す。何だったろう。
現実の、今こで見ているものとは全く別のものが自分の中のスクリーンに映し出されるのが判る。
……何で?
ずっと小さい頃に見た映画の、モノクロームの雨の街や、高校に入る以前の自分が突然フラッシュバックする。今ではもう思い出すこともなかったような。
ヴォーカルのつややかな、きらきらした声が、低音で少しハスキィ気味になる。甘く、包み込むように。それにピアノがストレートな音を流し、その下をベースの音が抱きしめている。インスト部分では、歪んだギター音が優しいメロディを、重く背中を掻きむしる。
映画じゃない。
不意にその記憶の情景が映画と重なっていたことに気付く。
雨の日だ。
傘を忘れた日に、誰も一緒に帰る人がいなかった自分。濡れて歩く街が雨に白く煙っている。いつも雨降りの日に濡れて帰ると母親は言う。雨の中ずぶ濡れになってくるなんてよしなさい、みっともない。近くまでバスなりタクシーなり使いなさい。
違うのよ。
丸々とした自分がつぶやく。
別に濡れたって構わないんですってば。そんなの、雨の日に傘をささなきゃずぶ濡れになることなんて判りきってるし、帰り着いた時に大きなタオルで拭けばすむことでしょう? 違うんだって。笑い飛ばせばすむことでしょう? 違うのよ。
言ってほしいのは、そんな言葉じゃなくて。
何てことはない、ささいなことで、普段張りつめている神経が震え出す。
ああいう所を御近所の人が見たら、あの子一体何んだって言われるのよ。母さんだって恥ずかしいわ。
あたしは母さんに恥ずかしい思いをさせている?
そうかもしれない、と当時の自分がつぶやく。
だって母さんはもっとあなたの娘を着飾らせたかったんでしょ?
なのに娘はその甲斐もない太い子で。
失望してる?
あたしは母さんを失望させてる?
でも雨の中を歩くのは好きだったのだ。誰の上にも等しく雨は降る。
特に生活がつまらないという訳ではないのだ。成績はいいし教師やクラスメートにも一応人望はあるらしい。部活も面倒だけど嫌いではない。勉強も嫌いではない。帰ってから塾。もうじき高校受験。別にいいのよ。何とかやっていけば何とかなる。それはそれでいいのよ。だけど。
どうして。
満足しているならどうして雨の中を歩きたいの?
張りつめた神経。張れば張るだけそれを弾いた瞬間、悲鳴のような高音になっていく。
―――助けて。
絶対に口には出せない言葉。淡々と前だけ見て歩く。
それでも足は止まらない。
どうしようどうしようどうしよう……
こんなあたしなんて嫌い。見たくもない。誰か助けて。何とかして。動きたくない。立ち止まって、しゃがみ込んで、眠ってしまえば楽よ。でもそう思う自分は嫌い。だから誰か助けて。思いっきり、あたしの手を引っ張って。お前は馬鹿だとののしって蹴飛ばして高笑いしてちょうだい。あたしは本当に馬鹿なんだから。そう言われてしまえば気が楽になるわ。だってそれはあたしのせいじゃないもの。ねえお願い誰か―――
その時、ピアノの音が、聞こえた。
誰も、助けては、くれないんだよ。自分が動かなくちゃ。
……誰の声だろう?
*
「どうしたのっ?」
「……え?」
左脇から、見覚えのある顔がのぞきこんでいた。
「あんたまだ帰ってなかったの?」
「ちょっと用があって、引き返してきたの。HISAKAはそのまま帰った。そしたらあんたがぼろぼろ泣いてるから」
「泣いてる?」
ほっぺたに手をあてる。と。確かに濡れている。
「あ、泣いてたんだ」
「気付かなかったん?」
「全く」
「……」
あきれたようにTEARは手にしていた袋を、がさがさ音をたてながらテーブルの上に置く。そしてFAVがヘッドフォンを付けていることに気付くと、何聴いてたの、と片方を耳にした。
「ああ、これか」
「あんたこういうベースも弾くんだ」
あの激しく派手なベースとは別人のような、落ち着いた、優しい甘い音。
「あたしは何だって弾きますよぉ。曲がそれを望んでいれば」
「曲が」
「うちらは曲が全て、だからね。曲が望んでいる音を出すのが大事。少なくとも音入れの時には」
「ライヴでは切れてるくせに」
「ほほほ」
「笑ってごまかすんじゃなーい」
そう言って、TEARの上だけウェーヴのかかっている頭をげしげしと揺さぶる。と、視線が彼女から離れた拍子に、彼女の持ってきた袋に気付いた。近くのコンビニのマークと文字がついている。
「何それ」
「おっ忘れてた」
そう言うと、彼女はテーブルの上に中身をごろごろと転がした。
「……」
オレンジ、ピーチ、グレープ、キーウィに…… 果てはライチまである、果物ゼリーのカップが、ひいふうみぃ、全部で十二個、1ダース。
「まあ嫌いでなかったら、平気なものでもお食べ」
「何でこーゆーのが平気って判ったの」
「ああ、冷蔵庫の中身。ジュースと果物しかなかったじゃん。あんた物食えん人でしょーに、こうゆう時は。のどごしのいいものとか酸っぱいものとかしか」
「はい」
素直にうなづくしかない。確かに図星だから。そしてとりあえず一つどお?と訊ねるTEARにFAVはキーウィ、と答える。
「F・W・A、無くなったんだって?」
「え」
「ハルシ君に聞いたよ」
「え、何で」
「ベーシストにはベーシストのつながりがあるのだよ」
あっさりと言うと、手にしたゼリーの一つのふたをめくろうとする。ひどく取りにくそうで、真剣にふたをにらんでいる。
「だからって訳じゃないけど、真剣に、うちに来ること、考えてみてや」
「PH7に?」
「そ」
目はゼリーのふたから離さないのに、そんなこと言ってる。
「何で、あたしがいい訳?」
そこでやっとTEARは顔を上げた。そして、何を今更、と言いたそうな目で、
「あんたの、音が好きだから。他に何の理由がある?」
彼女はそう断言した。
本当かい、とFAVは肩をすくめた。
とりあえずヘッドフォンを耳にあて、さっきもらったテープをセットする。テープの上に貼ったシールには、「EYES」と書かれていた。
ノイズはない。ずいぶんといい環境の中でMTRに録音したらしい。しかもこれはいいテープだった。あのリーダーらしいや、と思う。
と。流れてきたのは流れるようなピアノの音だった。てっきりギターのリフかな、とか、カウント4を刻むハイハットの音かな、と思っていたのに。そしてヴォーカルが入る。
―――え。
神経が、音に吸い寄せられた。
ゆったりとしたバラードのそれは、ひどく懐かしい色を脳裏に映し出す。何だったろう。
現実の、今こで見ているものとは全く別のものが自分の中のスクリーンに映し出されるのが判る。
……何で?
ずっと小さい頃に見た映画の、モノクロームの雨の街や、高校に入る以前の自分が突然フラッシュバックする。今ではもう思い出すこともなかったような。
ヴォーカルのつややかな、きらきらした声が、低音で少しハスキィ気味になる。甘く、包み込むように。それにピアノがストレートな音を流し、その下をベースの音が抱きしめている。インスト部分では、歪んだギター音が優しいメロディを、重く背中を掻きむしる。
映画じゃない。
不意にその記憶の情景が映画と重なっていたことに気付く。
雨の日だ。
傘を忘れた日に、誰も一緒に帰る人がいなかった自分。濡れて歩く街が雨に白く煙っている。いつも雨降りの日に濡れて帰ると母親は言う。雨の中ずぶ濡れになってくるなんてよしなさい、みっともない。近くまでバスなりタクシーなり使いなさい。
違うのよ。
丸々とした自分がつぶやく。
別に濡れたって構わないんですってば。そんなの、雨の日に傘をささなきゃずぶ濡れになることなんて判りきってるし、帰り着いた時に大きなタオルで拭けばすむことでしょう? 違うんだって。笑い飛ばせばすむことでしょう? 違うのよ。
言ってほしいのは、そんな言葉じゃなくて。
何てことはない、ささいなことで、普段張りつめている神経が震え出す。
ああいう所を御近所の人が見たら、あの子一体何んだって言われるのよ。母さんだって恥ずかしいわ。
あたしは母さんに恥ずかしい思いをさせている?
そうかもしれない、と当時の自分がつぶやく。
だって母さんはもっとあなたの娘を着飾らせたかったんでしょ?
なのに娘はその甲斐もない太い子で。
失望してる?
あたしは母さんを失望させてる?
でも雨の中を歩くのは好きだったのだ。誰の上にも等しく雨は降る。
特に生活がつまらないという訳ではないのだ。成績はいいし教師やクラスメートにも一応人望はあるらしい。部活も面倒だけど嫌いではない。勉強も嫌いではない。帰ってから塾。もうじき高校受験。別にいいのよ。何とかやっていけば何とかなる。それはそれでいいのよ。だけど。
どうして。
満足しているならどうして雨の中を歩きたいの?
張りつめた神経。張れば張るだけそれを弾いた瞬間、悲鳴のような高音になっていく。
―――助けて。
絶対に口には出せない言葉。淡々と前だけ見て歩く。
それでも足は止まらない。
どうしようどうしようどうしよう……
こんなあたしなんて嫌い。見たくもない。誰か助けて。何とかして。動きたくない。立ち止まって、しゃがみ込んで、眠ってしまえば楽よ。でもそう思う自分は嫌い。だから誰か助けて。思いっきり、あたしの手を引っ張って。お前は馬鹿だとののしって蹴飛ばして高笑いしてちょうだい。あたしは本当に馬鹿なんだから。そう言われてしまえば気が楽になるわ。だってそれはあたしのせいじゃないもの。ねえお願い誰か―――
その時、ピアノの音が、聞こえた。
誰も、助けては、くれないんだよ。自分が動かなくちゃ。
……誰の声だろう?
*
「どうしたのっ?」
「……え?」
左脇から、見覚えのある顔がのぞきこんでいた。
「あんたまだ帰ってなかったの?」
「ちょっと用があって、引き返してきたの。HISAKAはそのまま帰った。そしたらあんたがぼろぼろ泣いてるから」
「泣いてる?」
ほっぺたに手をあてる。と。確かに濡れている。
「あ、泣いてたんだ」
「気付かなかったん?」
「全く」
「……」
あきれたようにTEARは手にしていた袋を、がさがさ音をたてながらテーブルの上に置く。そしてFAVがヘッドフォンを付けていることに気付くと、何聴いてたの、と片方を耳にした。
「ああ、これか」
「あんたこういうベースも弾くんだ」
あの激しく派手なベースとは別人のような、落ち着いた、優しい甘い音。
「あたしは何だって弾きますよぉ。曲がそれを望んでいれば」
「曲が」
「うちらは曲が全て、だからね。曲が望んでいる音を出すのが大事。少なくとも音入れの時には」
「ライヴでは切れてるくせに」
「ほほほ」
「笑ってごまかすんじゃなーい」
そう言って、TEARの上だけウェーヴのかかっている頭をげしげしと揺さぶる。と、視線が彼女から離れた拍子に、彼女の持ってきた袋に気付いた。近くのコンビニのマークと文字がついている。
「何それ」
「おっ忘れてた」
そう言うと、彼女はテーブルの上に中身をごろごろと転がした。
「……」
オレンジ、ピーチ、グレープ、キーウィに…… 果てはライチまである、果物ゼリーのカップが、ひいふうみぃ、全部で十二個、1ダース。
「まあ嫌いでなかったら、平気なものでもお食べ」
「何でこーゆーのが平気って判ったの」
「ああ、冷蔵庫の中身。ジュースと果物しかなかったじゃん。あんた物食えん人でしょーに、こうゆう時は。のどごしのいいものとか酸っぱいものとかしか」
「はい」
素直にうなづくしかない。確かに図星だから。そしてとりあえず一つどお?と訊ねるTEARにFAVはキーウィ、と答える。
「F・W・A、無くなったんだって?」
「え」
「ハルシ君に聞いたよ」
「え、何で」
「ベーシストにはベーシストのつながりがあるのだよ」
あっさりと言うと、手にしたゼリーの一つのふたをめくろうとする。ひどく取りにくそうで、真剣にふたをにらんでいる。
「だからって訳じゃないけど、真剣に、うちに来ること、考えてみてや」
「PH7に?」
「そ」
目はゼリーのふたから離さないのに、そんなこと言ってる。
「何で、あたしがいい訳?」
そこでやっとTEARは顔を上げた。そして、何を今更、と言いたそうな目で、
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