女性バンドPH7③子供達に花束を/彼女と彼女が出会って話は動き始めた。

江戸川ばた散歩

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第26話 「あれだけの『大好き』を浴びてみたい」

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 まほは首をかしげる。

 はて。何かあっただろうか。

 あまりたどりたくない記憶の中の安全地帯に触手を伸ばす。
 そんなことをしているうちに、ライヴハウスの店員が時間だ、と告げる。
 中で火照る身体をさます少女や、再会を喜ぶ少年たちはいっしょくたにされて掃き出される。
 行こうか、とハルはまほの手を引っ張った。まだ軽く汗ばんでいる。



 通りに出ると、向かいにコンビニが見えた。まだ喉が乾いている二人はそちら方面へ向かう。信号は赤。
 夜の信号はにじみだした絵の具より鮮やかだ。昼の光の中ではあんなに所在すらはっきりしない人工の光が、この夜の中ではひどく誇らしげに見える。
 信号が変わる。歩きだそうとした瞬間、止まりきらなかったスピートのまま、一台の車が彼女達の目の前を過ぎていった。止まっている車が、何やっているんでえ、とクラクションを鳴らす。

「はあ」

 向こう岸にたどりつくと、急に思い出されて、汗をかいた身体に寒気が走る。あー全く、とか言いながらハルは無意識にまほの肩を抱いてコンビニへと入っていった。飲物、お菓子、夜食…… かごにいろいろ入れているうちに、すれ違う人の視線に気がついた。

「何なんだ一体…… 人のころとじろじろと」
「だってハルさん目立つもん」
「はい?」
「ハルさん大きくてスリムだし、美人だから」
「はあ」

 どう言ったものだろう。否定してもいいんだが、どうやら、まほの言い方からすると冗談ではないらしい。と、すると。
 ハルは自分の容姿という奴に改めて気がついた。



「何ですか、今まで知らなかったんですか?」

 ハルは思わずテーブルにつっぷせてしまった。
 帰ってから、お茶をすすめるマリコさんにコンビニでのまほとの会話のことを話すと、あきれたように彼女はそう言って、何を今更、とあっさり付け加えた。

「はい?」
「てっきり知ってるかと思いましたがね」
「別に知っても知らなくともどうもなる訳ではなかったからね」
「ほお」

 マリコさんは片方の眉をあげると、彼女にしては珍しく口の端で笑った。

「では知って今はどう思います? やっぱりどうでもいいですか?」
「うーん」

 どうでもいい、という感覚ではなかった。

「でも何かひっかかる」
「引っかかりですか」
「そ。引っかかりなのよ」

 だが何に引っかかっているのか、まだ形が見えない。
 最近はそんなものばかりだ、とハルは思う。
 ドラムを叩いている自分にしたって、まほをそばに置いている自分にしたって、実際「何故」そうしているのかは、ハル自身にも判らないのだ。
 あんな感じだ。
 高校の時の、美術部の友人の手を思い出す。
 その友人は、とにかくよくデッサンを繰り返していた。暇な放課後に美術室に遊びに行くと、特に受験だのコンクールだの関係もないのに、前方2~3m地点に何かしら置いて、その形を写し取っていた。
 ところが、その彼女の描き方は、ハルには珍しいものだった。とにかくはじめは、手にしている鉛筆なり木炭なり、めちゃくちゃに紙に走らせるのだ。
 もちろん紙は真っ黒になる。そしてそれを一度ざっと消す。ガーゼではたくだけのこともある。そしてさらにその上から、今度は一応形のようなものを取っていく。
 ただし、それは決してその目の前のものには見えない。前にあるものが「りんご」なら、「丸」程度だ。そしてまた消す。それをひたすら繰り返し、やがて彼女の手は「消す」線と「消さない」線とを分けていく。
 とんでもない手間だ、とハルはよく思った。皆美術関係に行く連中はそういう描き方をするのか、と訊いたら、さあ、と答えた。

「もっと簡単に『本当の形』を捕まえるひともいるけど」

 自分は不器用なんだ、と。八分通り完成しても、その時点で「違った」ら、全部消さずにはいられないんだ、と。

「不器用なのよ」

 彼女は繰り返し言っていた。自分のような描き方をしていたら、絶対に美術関係の大学の受験には通らないのだ、と。時間制限のあるデッサンは苦手だから、と。
 でも、と彼女はそれに付け加えた。

「あたしはただ本当の形を感じとりたいだけなのよ。目に映るそのものを」

 そうかもしれない。
 デッサンの、今は途中なのかもしれない。まだ最初の、ぐちゃぐちゃで訳の判らなくなっている紙の上に、可能性のある線を少しづつ入れている状態なのかもしれない。
 自分は自分でどういう絵を描きたいのか見たいのかもしれない。

「ハルさん?」
「あ、何?」
「まほちゃんは?」
「疲れたからお風呂入ってすぐに寝るって…… そりゃ疲れるだろうな」
「あなた元気ですね」
「放っといて」

 だがまだ寝てはいなかった。部屋の方から灯がもれている。ひょいと顔をのぞかすと、洗い立ての髪をまだ乾かしてもいない彼女が居た。

「あ、ハルさん」
「まだ起きてたの?」
「足痛いーっ」
「筋肉痛? あんなぴょんぴょん飛び跳ねてたからだわ。あとでマリコさんに診てもらおうね」
「うん」

 素直にうなづく。

「でも楽しそうで良かった」
「うん。嬉しい。何か、すごい久しぶり」
「久しぶり?」
「うん。何か知らないけれど『わくわく』する」
「『わくわく』」

 乾かしかけていた髪をくしゃくしゃとバスタオルで拭きながらまほはうなづく。
 ハルはその様子を見ていたが、しばらくして、ちょっと貸して、とそのタオルを取ると見ていられない、と言うようにわしゃわしゃと一気に彼女の髪の水気をとりはじめた。
 何何、とまほは一瞬たじろいだが、人に髪をあれこれされる感触はなかなか気持ちよく、やがてじっと、彼女のなすがままになっていた。
 タオルがやがてドライヤに変わる。暖かい空気が頭から首まわりにただよい、何となく眠くなってきそうである。

「こら、眠るな」
「んー」

 ベッドの上に乗っかって、後ろから風を当てていたハルに重みがかかる。

「だってあったかくて… だーっと足は重いし」
「だけどまだ駄目」
「もー」

 ごろん、とまほは後ろへ倒れかかる。あらららら、とハルもそのままバランスを崩してしまう。ハルの胸の上に仰向けのまほの頭があった。

「こらこら」

 ドライヤを止めて、よいしょ、と眠る寸前の重い身体を押し上げる。
 ぽかぽかとまだ暖かい身体は、いつもより柔らかく感じる。だかどうにもくっついたまま離れそうにない。実はこの子酔ってるんじゃないか、とふと思ってしまうくらいだった。
 正直言えばそれに近い。眠る寸前で、半ば抱きかかえられている状況も、自分が何言っているのかまほもいちいち把握してないのだ。

「まーったく」
「ハルさんって気持ちイイ」
「はいはい」
「でねー、今日のライヴも気持ち良かったのお」
「そうだねえ」

 何が良かったの、とハルは訊ねた。

「何と言っても判らないけど」
「何かあるでしょ」
「大声でうたった」

 歌った? ハルは記憶をひっくり返す。
 確かに何かぎゃーつか叫んでいたようだったが…… そうかあれは歌っていたのか………

「歌うの好き?」
「好き。大好き」
「人がたくさんいたじゃない」
「別にそんなモノ怖くないもの」
「そお?」

 喋りながら、何となくゆらゆらと自分が彼女をゆっくりしたリズムで揺らしているのに気付く。ゆりかごのように。

「怖いものなんてないもの」
「強気」
「だって、もしも人前で大声出して歌って…… 調子っぱずれでも何でも…… どれだけ恥かいたって何だって、別に殺されるわけでも無視されるわけでもないじゃない。どれだけ嫌われたってどれだけ笑われよーが…… 笑う奴らはあたしが居るってことは認めてるってことじゃない…… だったら何もこわくないもの」

 ハルは驚いた。

「へえ」
「何?」
「結構強気」
「だって」
「雷は怖いくせに?」

 くすくすとハルは笑う。それで眠気が少し醒めたのか、一瞬照れたようにまほは馬鹿、とハルを叩く真似をする。

「だって、だからってそれでうるさいって、あたしを殺す訳じゃないし」
「まほちゃん?」

 物騒な答だ。ハルは思う。何でそんな仮定が出てくるのか。

 一方まほは思う。

 あのひとは、歌ってるあたしが許せなかったじゃないの。あたしの声が聞こえること自体認めてなかったじゃないの。だからあたしは我慢したのよ。歌わなければまだ大丈夫かも、と思ってたから。(それは錯覚だったけどね)

「歌うのは好き?」

 ハルはもう一度訊ねた。今度は明かに彼女を抱きかかえたまま、そして彼女もその状態に気付いたまま。

「好き」
「すごく好き?」
「好き。だって」
「だって?」
「うん、うたうこと、声出すこと、人のコトバで歌うこと、すごく気持ちイイし。それに、あのライヴの時の声」
「あのヴォーカルの?」
「ううん、歓声が気持ち良かったの。気がつかなかった? あたし気付いた。ちょっと後ろ向いたときに。あの歓声って、絶対、すごいパワー持ってるもん」
「確かにパワーは感じたけど」
「背中がね、ぞくぞく。で、あれを、シャワーみたいに、もっといっぱい、真っ向から身体全部で受けとめられたら、凄く気持ちイイだろうな、と思った」
「へえ」

 意外だった。

「だって、あの歓声は、全部、あのバンドの、特にあのヴォーカルさんに向かって、思いっきり『好きーっ!!!!』って言ってる訳じゃない。全部が全部と言っていいくらい、あれは『大好き』という思いなんじゃない。あんだけのひとのあんだけの『大好き』を全身に浴びられたら、すごく気持ちイイと思うもん」
「失敗とか、怖くない?」

 ゆらゆらを止めずにハルは訊ねる。

「それでも、そのひとたちはそのヴォーカルさんもバンドのひとたちも、無視しないでしょ?そこに集まってくる自分のエネルギーのぶんだけ、そのひとの動きひとつひとつ見たいじゃない。別に失敗したってそれはそれで、好きだって思えるもの。そのくらい、やってくるだけのエネルギー持ってるひとたちは、『好き』なんだと思うもの、その舞台のひとを」

 意外な程にポジティヴな意見に、ハルはびっくりした。

「あれだけの『大好き』を浴びてみたいな」
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