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第28話 バンドの練習を見に行こう。
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「どうしたの?」
え、とハルは問い返す。
「どうしたのって?」
「……」
まほはハルの手にあるアイスクリームのカップを指す。あ、とハルは声を立てる。半ば以上溶けていた。
「うーむ」
「今日変だよお、ハルさん」
「そうかなあ」
「絶対そお」
そうかもしれない、とハルは思う。
マリコさんの言葉がどうしても頭から離れない。横で食べ尽くしたアイスクリームのカップを何処に捨てようかときょろきょろしている彼女。そして自分はその彼女と同じ方向を向こうとしているのだろうか。
いらいらする。
いや、いらいらと言うより、もやもやだ。
はっきり言って、ハルは自分が何が欲しいのか、どっちの方向へ行きたいのか、見えないのだ。
見えないからとにかく動きたい。だが動いても、なかなかはっきりしたものが見えてこない。もどかしい。溶けかかったアイスはプラスチックの薄いスプーンじゃすくいにくい。面倒くさい。ぐっとハルはカップを口につけて、すずっとすすった。
横ではまほがどうしたんだ、という表情で見ている。さすがにいきなり冷たいものを飲んだので、やや喉がこそばゆいが、手の中のカップが空っぽになったのには満足した。
「ハルさあん」
「んー……」
せっかくの「お出かけ」で、しかも5時には約束がある。その前からこんな調子じゃあ仕方ない。少なくとも、態度でまほに当たることはないのだ。
「調子よくないなら、今日別にいいからさあ」
「いーや」
ハルは苦笑しながら頭を振る。まほはベンチに座るハルの前に立ちはだかる様にして、困った表情になっている。暗に「あたしのせい?」と問いたそうな目をして。
違うよ、と言ってやりたい。それはあんたのせいじゃないんだよ、と。
でもまほは言葉にしてそれを問いかけている訳ではない。なら言葉でいくら言ったって本当に通じはしない。せいぜいがところ一番大事な一言だけ。
「ごめんね」
そう言ってハルはまほの頭をくしゃ、となでる。そして気がつく。彼女は、自分を見ている。視線を飛ばしてはいない。それまで、いくら「見て」いるようでも、ほんのわずか、焦点を逸らしているようだった彼女の視線がまっすぐ。
目が、離せない。彼女の目はひどく深かった。あまり大きくはないが、形はいい。やや黒目がちで、そしていつもやや涙がたまっているようで、しかも底無しに深い。
……こんな目だったっけ。
どれくらいそうしていただろうか。先にその視線を外したのはまほの方だった。貸して、と空いたカップをハルの手から取ると、ようやく視界に入ったくずばこの方へと駆け出して行く。
どうしたって言うのよ。まほはまほで、ひどく焦り出す胸を、走る事で鎮めるしかなかった。最も、いつのまにか自分がハルに対して視線を外さなくなったことなど、まほは気付いてはいない。それもまた、無意識のものだった。
そうして自分のことも、相手のこともこういう言葉ひとつで片付けたくなる。自分のことは棚に上げて。
「今日は特にハルさんおかしいよ」
「……うーん…… そうかもねえ」
「もうそろそろ時間じゃない?」
手首を外側に返して時計を見る。ああ、そうだね、とハルは答える。
*
防音の重いドアを開けたら、どかどかどか、と一気に音が溢れ出してきた。まほはハルの所に昼間用がある時にはいつもそんな感じだったから慣れていたが、ハルは自分を自分で訪ねる趣味はないから、なかなかその勢いにはびっくりした。低音がうなっている。
ずいぶん速いベードラだな、と彼女は思う。少なくとも片足ではこうは踏めない。バスドラムのヘッドを見る。確かに黒い真ん中の部分がわずかに違った場所で交互に震えている。
「あ、来たね」
空気が一瞬変わる感覚に、カラセは気付いたのか、にこにこしながら二人を出迎えた。
「あ、言ってた子達?」
とドラマーが訊く。
「そお。ハルさんとまほちゃん」
「前言ってたマホちゃん?」
色はついてないが、長い髪を後ろで無造作にくくったベーシストが訊ねる。
「や、あの子とは別…… でもハルさんはそのお姉さんで、あの子と同じ、ドラマーだよ」
「ひゅう」
手を止めて、バンダナを頭に巻いた、大柄なドラマーがハルの方を見る。
「じゃああんたは?」
と、やや不機嫌そうに目を細める、楽器は手にしていない、肩よりやや長めの髪の細身の男がまほに声を掛ける。
まほはびくっとしてハルの方に寄る。ハルも何となくその男には嫌なものを感じた。そしてまほの代わりに、
「この子は別に楽器はしてないけど。そちらもそうでしょ?」
「ふーん…… じゃあまあゆっくりしてって」
そう言ってヴォーカルらしいその細身の男は、二人には興味なさそうにベーシストの所へ行って、何やらこそこそと話を始める。
「『NO-LIMIT』って言うんだけどさ、こいつはドラムのヤナイ。あっちにいるのがヴォーカルのユキタカとベースのエジマ。うちは4人編成ね」
「ギター一本ってタイプ」
「そお。ツインギターってのもいいんだけど、いまいち性に合う奴がいなくって。あ、んでもって、ハルさん、お宅の妹のマホちゃんは、こいつの弟子だったの」
カラセはヤナイを指す。弟子ってのはおおげさだよ、とヤナイは低い声で言う。大柄だが、優しそうな小さい目をしている。象みたいだな、とハルは内心評した。
「妹がどーも御世話に」
「いやいやこちらも楽しかったし…… 最近彼女見なくなったけど」
「用事ができて、しばらく帰ってこれなくなったんですよ。あの子、多少なりとも上手くなりました?」
「筋良かったスよ」
「ま、そうゆう話はいーからさ、演奏聴いてってよ」
カラセはそこから話を逸らした。ハルがあまりその方向に話を持って行って欲しくないようなのは彼でも判る。彼はずっとハルの態度に不自然さを感じていた。
いきなり連絡が途絶えた。だってあの時は翌週の予約だって入れてあった。なのに、あの律儀な子がそれをすっぽかした。あの時はヤナイが待ちぼうけ食わされた。そして注文した楽器も…… 代金は払ってあったけど、すっぽかしたままで。その楽器は彼女の姉がやっている。
変だ。変に決まっている。それに姉であるハルはあまり妹の話を…… 聞きたそうに喋ってはいるが、聞きたくなさそうな感触も受ける。
カラセはギターの音を合わせながら、ドーナツ椅子にちょこんと座っている「妹ではない」まほの方を横目で見る。
同じ名。身体付きは似ているが、顔だの声だの、第一印象だの、全く似ていない。なのにハルはそれを妹の名で呼ぶ。
何なんだ。カラセは指慣らしに、よく弾くコピー曲のイントロの部分だけカッティングしてみる。女の子二人はかなりくっつき気味になって、あっちを見、こっちを見、しながら音程を持たない声で話し合っている。
え、とハルは問い返す。
「どうしたのって?」
「……」
まほはハルの手にあるアイスクリームのカップを指す。あ、とハルは声を立てる。半ば以上溶けていた。
「うーむ」
「今日変だよお、ハルさん」
「そうかなあ」
「絶対そお」
そうかもしれない、とハルは思う。
マリコさんの言葉がどうしても頭から離れない。横で食べ尽くしたアイスクリームのカップを何処に捨てようかときょろきょろしている彼女。そして自分はその彼女と同じ方向を向こうとしているのだろうか。
いらいらする。
いや、いらいらと言うより、もやもやだ。
はっきり言って、ハルは自分が何が欲しいのか、どっちの方向へ行きたいのか、見えないのだ。
見えないからとにかく動きたい。だが動いても、なかなかはっきりしたものが見えてこない。もどかしい。溶けかかったアイスはプラスチックの薄いスプーンじゃすくいにくい。面倒くさい。ぐっとハルはカップを口につけて、すずっとすすった。
横ではまほがどうしたんだ、という表情で見ている。さすがにいきなり冷たいものを飲んだので、やや喉がこそばゆいが、手の中のカップが空っぽになったのには満足した。
「ハルさあん」
「んー……」
せっかくの「お出かけ」で、しかも5時には約束がある。その前からこんな調子じゃあ仕方ない。少なくとも、態度でまほに当たることはないのだ。
「調子よくないなら、今日別にいいからさあ」
「いーや」
ハルは苦笑しながら頭を振る。まほはベンチに座るハルの前に立ちはだかる様にして、困った表情になっている。暗に「あたしのせい?」と問いたそうな目をして。
違うよ、と言ってやりたい。それはあんたのせいじゃないんだよ、と。
でもまほは言葉にしてそれを問いかけている訳ではない。なら言葉でいくら言ったって本当に通じはしない。せいぜいがところ一番大事な一言だけ。
「ごめんね」
そう言ってハルはまほの頭をくしゃ、となでる。そして気がつく。彼女は、自分を見ている。視線を飛ばしてはいない。それまで、いくら「見て」いるようでも、ほんのわずか、焦点を逸らしているようだった彼女の視線がまっすぐ。
目が、離せない。彼女の目はひどく深かった。あまり大きくはないが、形はいい。やや黒目がちで、そしていつもやや涙がたまっているようで、しかも底無しに深い。
……こんな目だったっけ。
どれくらいそうしていただろうか。先にその視線を外したのはまほの方だった。貸して、と空いたカップをハルの手から取ると、ようやく視界に入ったくずばこの方へと駆け出して行く。
どうしたって言うのよ。まほはまほで、ひどく焦り出す胸を、走る事で鎮めるしかなかった。最も、いつのまにか自分がハルに対して視線を外さなくなったことなど、まほは気付いてはいない。それもまた、無意識のものだった。
そうして自分のことも、相手のこともこういう言葉ひとつで片付けたくなる。自分のことは棚に上げて。
「今日は特にハルさんおかしいよ」
「……うーん…… そうかもねえ」
「もうそろそろ時間じゃない?」
手首を外側に返して時計を見る。ああ、そうだね、とハルは答える。
*
防音の重いドアを開けたら、どかどかどか、と一気に音が溢れ出してきた。まほはハルの所に昼間用がある時にはいつもそんな感じだったから慣れていたが、ハルは自分を自分で訪ねる趣味はないから、なかなかその勢いにはびっくりした。低音がうなっている。
ずいぶん速いベードラだな、と彼女は思う。少なくとも片足ではこうは踏めない。バスドラムのヘッドを見る。確かに黒い真ん中の部分がわずかに違った場所で交互に震えている。
「あ、来たね」
空気が一瞬変わる感覚に、カラセは気付いたのか、にこにこしながら二人を出迎えた。
「あ、言ってた子達?」
とドラマーが訊く。
「そお。ハルさんとまほちゃん」
「前言ってたマホちゃん?」
色はついてないが、長い髪を後ろで無造作にくくったベーシストが訊ねる。
「や、あの子とは別…… でもハルさんはそのお姉さんで、あの子と同じ、ドラマーだよ」
「ひゅう」
手を止めて、バンダナを頭に巻いた、大柄なドラマーがハルの方を見る。
「じゃああんたは?」
と、やや不機嫌そうに目を細める、楽器は手にしていない、肩よりやや長めの髪の細身の男がまほに声を掛ける。
まほはびくっとしてハルの方に寄る。ハルも何となくその男には嫌なものを感じた。そしてまほの代わりに、
「この子は別に楽器はしてないけど。そちらもそうでしょ?」
「ふーん…… じゃあまあゆっくりしてって」
そう言ってヴォーカルらしいその細身の男は、二人には興味なさそうにベーシストの所へ行って、何やらこそこそと話を始める。
「『NO-LIMIT』って言うんだけどさ、こいつはドラムのヤナイ。あっちにいるのがヴォーカルのユキタカとベースのエジマ。うちは4人編成ね」
「ギター一本ってタイプ」
「そお。ツインギターってのもいいんだけど、いまいち性に合う奴がいなくって。あ、んでもって、ハルさん、お宅の妹のマホちゃんは、こいつの弟子だったの」
カラセはヤナイを指す。弟子ってのはおおげさだよ、とヤナイは低い声で言う。大柄だが、優しそうな小さい目をしている。象みたいだな、とハルは内心評した。
「妹がどーも御世話に」
「いやいやこちらも楽しかったし…… 最近彼女見なくなったけど」
「用事ができて、しばらく帰ってこれなくなったんですよ。あの子、多少なりとも上手くなりました?」
「筋良かったスよ」
「ま、そうゆう話はいーからさ、演奏聴いてってよ」
カラセはそこから話を逸らした。ハルがあまりその方向に話を持って行って欲しくないようなのは彼でも判る。彼はずっとハルの態度に不自然さを感じていた。
いきなり連絡が途絶えた。だってあの時は翌週の予約だって入れてあった。なのに、あの律儀な子がそれをすっぽかした。あの時はヤナイが待ちぼうけ食わされた。そして注文した楽器も…… 代金は払ってあったけど、すっぽかしたままで。その楽器は彼女の姉がやっている。
変だ。変に決まっている。それに姉であるハルはあまり妹の話を…… 聞きたそうに喋ってはいるが、聞きたくなさそうな感触も受ける。
カラセはギターの音を合わせながら、ドーナツ椅子にちょこんと座っている「妹ではない」まほの方を横目で見る。
同じ名。身体付きは似ているが、顔だの声だの、第一印象だの、全く似ていない。なのにハルはそれを妹の名で呼ぶ。
何なんだ。カラセは指慣らしに、よく弾くコピー曲のイントロの部分だけカッティングしてみる。女の子二人はかなりくっつき気味になって、あっちを見、こっちを見、しながら音程を持たない声で話し合っている。
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