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第32話 露骨な悪意と価値観の違い
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ハルだったら彼女の言う「当然のこと」は当然じゃなくて「変」だから。他人がそうしようが勝手だが、自分がそんなことをしたら、明らかに何処か「変」である。
「だけどあなた自身のやりたい事ってあるでしょう?」
「なくはないですけど、誰かを好きになる時ってのは、それ全部飛ばしてもいいって思いません?」
「思いません」
ハルはきっぱりと言った。
「誰かをどんなに好きになろうと、あたしはあたしのしたい事を最優先させるし、それをそうさせないような奴だったら、容赦なく切るからね」
「だからだわ」
珍妙な生物を見るような目でよう子はハルを見る。
「日坂さんって冷たい」
「冷たいで結構」
「だからメイトウ君にも捨てられるのよ。あなたみたいなひと、絶対結婚できないわっ」
は?
何か一瞬、聞き慣れない単語を聞いたような気がして、ハルは思わず飲みかけた缶コーヒーを流し間違ってしまい、せき込んだ。
よう子は一気に自分の手にあったジュースを流し込むと、ピアニストの、握力の強い手でスチールの缶を握りつぶした。そういうことができるとは思ってはいたが、さすがにこの恰好の子がやると何となく怖いものがある。
「もういいですっ。何であのひとが私と別れたかよく判りました!あなたのような人に慣れてちゃあの人もロクな女としかこれから会わないでしょうねっ」
そして握りつぶした缶を勢いよく缶入れに叩き込んだ。がぽん、と厚手の缶入れにぶつかる妙に大きな音が聞こえて、ハルは背筋がゾッとした。
はあ。内心ため息をつく。
あの女はどういう思考回路しているんだ……
よう子のように自分のことを考える人がそれなりにいる、ということも知ってはいた。
だが、こう露骨に悪意をぶつけられると、どう反応して良いのやら判らない。しかもその悪意の最大の理由は、メイトウではない。
ハルが自分と違う価値観の人間だから、悪意を持っていた…… 少なくとも彼女にはそう感じられたのだ。
自分が時々周囲から浮く、と感じることがある。それは特に男女の恋愛関係について話すときなのだが、集まってわいわいと遊ぶ友達の話に、同意を求められると辛い。
あいづちであれ何であれ、「どうしても同調できない」ことというものはあるのだ。自分はどんな時でも、相手と同等でありたいと思っている。それは相手が男であろうが女であろうが同じである。自分は女である前に人間なんだから。
だが、友達は無意識に言う。
彼があの色の方が似合うって言ったから…… 最近会ってもキスの一つもしてくれないの……
「……してくれない」というのは、「……して当然」という意識の裏返しである。そこに相手に対する甘えがある、とハルは思う。甘えは「媚び」のようにも映る。では何故媚びなくてはならないのだろう。別に自分が自分であれば、誰かに媚びる必要なんてないのに。
だってあの連中は楽したいんだもの。
妹はずばりそう言った。
ただねーさんはねーさんで、楽したがってんのよ? 判る? だってあの連中は媚びを売ることに何の苦もないけど、ねーさんにそんなことしろなんて言ったら殴られかねないわよお。
そんなことはない、と言ったら、絶対そお、と妹は言い返した。
永久就職とはよく言ったものよね。あのひとたちは責任って奴を全部背負ってくれる雇用者を探しているのよ。
じゃああんたはどうなの、とその時聞いたら、妹は答えた。
あたしはあたしの王様だから、あたし以外の人間に責任取らせるなんてごめんよお。責任を売り渡したら、その代償に何を要求されるやら。確かに代償を期待しない愛情って奴もあるかもしれないけど、とりあえずあたしにはまだ経験不足で判らないもの。
代償を期待しない……
自分は妹に代償を期待してたのだろうか?
していた。それはおそらく無意識のものだったろうが、確かに存在した。今なら判る。自分が行く方向に必ずいてほしい、と期待していた。
だが必ず、ということはありえない。少なくとも自分はそう言葉にしていない。相手に伝えていない。
それでそうしてくれ、なんて虫のいい話だ。勝手に自分でシナリオを描いて、相手がそうしなかったからと怒っている。悲しんでいる。滑稽だ。ただの馬鹿に過ぎない。
相手の返事が判っていたから、というのは言い訳にはならない。そういう相手に対して、それを期待すること自体はともかく、何の努力もしないのなら、ただの空回りに過ぎないのだから。
それが判っていて。
どうして、とハルは自分に問い返す。それが甘えなんだ、と妹の声で責める声が聞こえるようだった。
残った缶コーヒーを飲み干すと、無意識に缶を片手でつぶし、やはり最寄りの缶入れに放り込む。かぽん、と気の抜けた音がした。
まほは。そしてもう一人のことを思い返す。彼女は。
期待はしている。
妹の代わり?
それだけ?
違うでしょ何かまだあんたはあの子に期待しているのよ。
あんたは妹と別の意味であの子に惚れ込んでいるのよ。
顔?
身体?
性格?
それとも声?
声。
自分の中の反対側が質問をひっきりなしにぶつける。それに合わせて急激な勢いでハルは答えを返す。
声よ。それが最初だし、あの声じゃなかったら警察へ連れていったわ。
あの子の声が、あの最初の朝に聞いた声がどうしてもまた聞きたかったのよ。
ステージの上に上がった時のあの少し不安定な、上ずった声、決してクラシックの上手、なんてものとは似ても似つかないけれど、だけどあの瞬間、あの子の声はあたしをわし掴みにしたのよ。
掴まれた後がうずいて、あたしはそれをまた求めてるのよ。
文句を言うな、とハルは自分の中のもう一人に命ずる。
見返りは、求めてる。
あんたが何を言おうと、それはごまかしゃしない。あの子にそのことを告げてもいい。あんたの声があたしには必要だから、そばに居て。何でもするから、一緒に音楽をしよう。
欲しかったのは。
「だけどあなた自身のやりたい事ってあるでしょう?」
「なくはないですけど、誰かを好きになる時ってのは、それ全部飛ばしてもいいって思いません?」
「思いません」
ハルはきっぱりと言った。
「誰かをどんなに好きになろうと、あたしはあたしのしたい事を最優先させるし、それをそうさせないような奴だったら、容赦なく切るからね」
「だからだわ」
珍妙な生物を見るような目でよう子はハルを見る。
「日坂さんって冷たい」
「冷たいで結構」
「だからメイトウ君にも捨てられるのよ。あなたみたいなひと、絶対結婚できないわっ」
は?
何か一瞬、聞き慣れない単語を聞いたような気がして、ハルは思わず飲みかけた缶コーヒーを流し間違ってしまい、せき込んだ。
よう子は一気に自分の手にあったジュースを流し込むと、ピアニストの、握力の強い手でスチールの缶を握りつぶした。そういうことができるとは思ってはいたが、さすがにこの恰好の子がやると何となく怖いものがある。
「もういいですっ。何であのひとが私と別れたかよく判りました!あなたのような人に慣れてちゃあの人もロクな女としかこれから会わないでしょうねっ」
そして握りつぶした缶を勢いよく缶入れに叩き込んだ。がぽん、と厚手の缶入れにぶつかる妙に大きな音が聞こえて、ハルは背筋がゾッとした。
はあ。内心ため息をつく。
あの女はどういう思考回路しているんだ……
よう子のように自分のことを考える人がそれなりにいる、ということも知ってはいた。
だが、こう露骨に悪意をぶつけられると、どう反応して良いのやら判らない。しかもその悪意の最大の理由は、メイトウではない。
ハルが自分と違う価値観の人間だから、悪意を持っていた…… 少なくとも彼女にはそう感じられたのだ。
自分が時々周囲から浮く、と感じることがある。それは特に男女の恋愛関係について話すときなのだが、集まってわいわいと遊ぶ友達の話に、同意を求められると辛い。
あいづちであれ何であれ、「どうしても同調できない」ことというものはあるのだ。自分はどんな時でも、相手と同等でありたいと思っている。それは相手が男であろうが女であろうが同じである。自分は女である前に人間なんだから。
だが、友達は無意識に言う。
彼があの色の方が似合うって言ったから…… 最近会ってもキスの一つもしてくれないの……
「……してくれない」というのは、「……して当然」という意識の裏返しである。そこに相手に対する甘えがある、とハルは思う。甘えは「媚び」のようにも映る。では何故媚びなくてはならないのだろう。別に自分が自分であれば、誰かに媚びる必要なんてないのに。
だってあの連中は楽したいんだもの。
妹はずばりそう言った。
ただねーさんはねーさんで、楽したがってんのよ? 判る? だってあの連中は媚びを売ることに何の苦もないけど、ねーさんにそんなことしろなんて言ったら殴られかねないわよお。
そんなことはない、と言ったら、絶対そお、と妹は言い返した。
永久就職とはよく言ったものよね。あのひとたちは責任って奴を全部背負ってくれる雇用者を探しているのよ。
じゃああんたはどうなの、とその時聞いたら、妹は答えた。
あたしはあたしの王様だから、あたし以外の人間に責任取らせるなんてごめんよお。責任を売り渡したら、その代償に何を要求されるやら。確かに代償を期待しない愛情って奴もあるかもしれないけど、とりあえずあたしにはまだ経験不足で判らないもの。
代償を期待しない……
自分は妹に代償を期待してたのだろうか?
していた。それはおそらく無意識のものだったろうが、確かに存在した。今なら判る。自分が行く方向に必ずいてほしい、と期待していた。
だが必ず、ということはありえない。少なくとも自分はそう言葉にしていない。相手に伝えていない。
それでそうしてくれ、なんて虫のいい話だ。勝手に自分でシナリオを描いて、相手がそうしなかったからと怒っている。悲しんでいる。滑稽だ。ただの馬鹿に過ぎない。
相手の返事が判っていたから、というのは言い訳にはならない。そういう相手に対して、それを期待すること自体はともかく、何の努力もしないのなら、ただの空回りに過ぎないのだから。
それが判っていて。
どうして、とハルは自分に問い返す。それが甘えなんだ、と妹の声で責める声が聞こえるようだった。
残った缶コーヒーを飲み干すと、無意識に缶を片手でつぶし、やはり最寄りの缶入れに放り込む。かぽん、と気の抜けた音がした。
まほは。そしてもう一人のことを思い返す。彼女は。
期待はしている。
妹の代わり?
それだけ?
違うでしょ何かまだあんたはあの子に期待しているのよ。
あんたは妹と別の意味であの子に惚れ込んでいるのよ。
顔?
身体?
性格?
それとも声?
声。
自分の中の反対側が質問をひっきりなしにぶつける。それに合わせて急激な勢いでハルは答えを返す。
声よ。それが最初だし、あの声じゃなかったら警察へ連れていったわ。
あの子の声が、あの最初の朝に聞いた声がどうしてもまた聞きたかったのよ。
ステージの上に上がった時のあの少し不安定な、上ずった声、決してクラシックの上手、なんてものとは似ても似つかないけれど、だけどあの瞬間、あの子の声はあたしをわし掴みにしたのよ。
掴まれた後がうずいて、あたしはそれをまた求めてるのよ。
文句を言うな、とハルは自分の中のもう一人に命ずる。
見返りは、求めてる。
あんたが何を言おうと、それはごまかしゃしない。あの子にそのことを告げてもいい。あんたの声があたしには必要だから、そばに居て。何でもするから、一緒に音楽をしよう。
欲しかったのは。
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