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第33話 「すげえ、怖い声だった」
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小走りに店を出ていく彼らの声の中に、そんなものを見つけた時、ハルはまさか、と思った。
彼らは何かに明らかに動揺しているようだった。蒼白になった顔のまま、一応顔見知りのはずの自分に気付きもしなかった。ハルは相手が自分に気付くようだったら声をかけようと思っていたが、足を速める彼らには、結局その機会を失ってしまった。
だが、その残したコトバは気にかかった。
怖い声?
カウンターには女性店員が一人居るだけだった。
「こんにちわ…… スタジオの方に女の子来ているはずですけど」
「あら? まだ残っているのかしら……」
ひとまわりくらい年上に見える店員の女性は向こうだけど、と言って貸しスタジオの部屋番号を言った。どうも、とハルは言うと、スタジオのある二階へと上がっていった。ドアのすりガラスに大きく白テープで「3」と書かれている。
灯はついている。重いドアを開ける。誰もいない?ハルは視線を巡らす。と。
目線を下に落としたとき、見つけた。
「まほちゃん……」
ぺたりと床に座り込んで、力が抜けたように壁にもたれている。そして衣服が乱れている。
「ハルさん?」
目の焦点は合うけれど、頭の焦点はなかなか定まらない。何でここにハルさんがいるんだろ。いるはずなんかないのに。呼んだって来なかったんだから。
でも。
「……ハルさん遅かったじゃないの……」
「何が」
その時頭の焦点も合った。目をパチクリさせながらハルを見ているうちに、頭の中のスクリーンには、ほんの十分ほど前の光景が走る。生々しい触感。がくん、と何かが崩れる感覚。
寒気がした。何でか判らないけれど、全身の震えが止まらない。
「ハルさん…… やだ」
「まほちゃん……」
「来ないでえっ!」
ドアが固く閉められる。これで声は漏れない。
*
何であんたわざわざオレたちのやってることに口出してくる訳?
ちょっと歌が上手いと思って……
何こーゆーおんなのこってのは、身体に言った方がいーんだよ。お嬢ちゃん頭良さそうだもんね。
ちょっと待て。まほは内心、そう呟く。
そりゃあオレ下手だわ、あんた程声出ねえわ。だけどオレたちはオレたちでそれなりに上手くやってきたのよ? それなのにいきなり代打のあんたがベストヴォーカル賞でオレたちには何もなし? オレたちっていったい何よ?
彼の言うことは本音だろう、と妙に平静な部分が呟く。
だけどまほの大半はその時本気でおびえていた。
それは、直接の悪意だった。
初めて受け取るそれは、思いの他、痛かった。数もあった。相手は二人で、まほは一人だった。
壁に押しつけられる。肩を押さえつけられる。動けない。もがこうとすると頬を手で掴まれて止められる。
近付く手。
やめて。
*
ハルは気付いた。このコトバは逆だ。
今の彼女は、「来ないで」といいなから、自分には、来てほしがっている。
触れないで、と言いながら、自分には、抱きしめられたがっている。
あたしに触れるな。
サマーニットのよく伸びる胸元に、差し込まれる、手。
近ヅクナ!
……
「大丈夫」
ハルはゆっくりと近付いた。そしてふわりと上着をかけると、その上から彼女を抱きしめた。
息が荒い。泣きじゃくった時のように、ひくひくと呼吸が音を立てる。自分の意志ではどうにもならないというかのように。
「大丈夫だから……」
そのまま十分もその体勢でいただろうか。スタジオの時間制限も近付いている。ハルはゆっくりと腕をほどく。まほの呼吸も治まっていた。
「どお?」
「うん」
それから、ひどくしっかりした声で言った。
「大丈夫」
「まほちゃん」
「あんな連中」
「……」
「あんな連中だけど、あたしを殺した訳じゃないもの」
ハルは眉をしかめた。あの連中、というコトバはひどく冷たい。
「あたしを最後まで痛めつけることができない程度のあんな連中にやられたくらいであたしは傷つかないから」
それは何かの宣言のようにハルの耳には届き―――
ハルは彼女の声に寒気が、した。
*
衣服の乱れは直せば判らなくなる。泣いたところで拭いて乾けば判らない。
だけどそれだからと言って当人が立ち直ったとは限らない。
表面上、まほは実に平静だった。ハルの目から見て判らない程度に。
マリコさんは気付いたのかどうか、だけど夕食の後にはケーキがついた。何かのお祝い? とまほは訊ねた。かもしれませんね、とマリコさんは答えた。
*
翌日の夜、ハルはアカエミュージックまで出向いた。カラセに会うだめだった。
「あれ? どうしたのハルさん、こっちへ来るなんて珍しい」
「ちょっと……」
親指で外を示す。黒地に派手なプリントの「いかにも」洋楽ロックTシャツに彼はエプロンをつけたまま出てレジの所から出てきた。
ちょっと頼むね、とフロアにいたもう一人の店員に頼む。ちっともう一人の店員は舌打ちをするのがハルの目ににも映った。
どうしたの、と笑って訊くカラセを見て、ハルはああこれは知らないな、と思った。知っていてこういう表情のできる奴ではない。
ウィンドーの前でハルはざらっと前日の出来事を話した。
カラセは冗談? とつぶやき、本気で怒っているハルの目を見て表情を曇らせた。
彼らは何かに明らかに動揺しているようだった。蒼白になった顔のまま、一応顔見知りのはずの自分に気付きもしなかった。ハルは相手が自分に気付くようだったら声をかけようと思っていたが、足を速める彼らには、結局その機会を失ってしまった。
だが、その残したコトバは気にかかった。
怖い声?
カウンターには女性店員が一人居るだけだった。
「こんにちわ…… スタジオの方に女の子来ているはずですけど」
「あら? まだ残っているのかしら……」
ひとまわりくらい年上に見える店員の女性は向こうだけど、と言って貸しスタジオの部屋番号を言った。どうも、とハルは言うと、スタジオのある二階へと上がっていった。ドアのすりガラスに大きく白テープで「3」と書かれている。
灯はついている。重いドアを開ける。誰もいない?ハルは視線を巡らす。と。
目線を下に落としたとき、見つけた。
「まほちゃん……」
ぺたりと床に座り込んで、力が抜けたように壁にもたれている。そして衣服が乱れている。
「ハルさん?」
目の焦点は合うけれど、頭の焦点はなかなか定まらない。何でここにハルさんがいるんだろ。いるはずなんかないのに。呼んだって来なかったんだから。
でも。
「……ハルさん遅かったじゃないの……」
「何が」
その時頭の焦点も合った。目をパチクリさせながらハルを見ているうちに、頭の中のスクリーンには、ほんの十分ほど前の光景が走る。生々しい触感。がくん、と何かが崩れる感覚。
寒気がした。何でか判らないけれど、全身の震えが止まらない。
「ハルさん…… やだ」
「まほちゃん……」
「来ないでえっ!」
ドアが固く閉められる。これで声は漏れない。
*
何であんたわざわざオレたちのやってることに口出してくる訳?
ちょっと歌が上手いと思って……
何こーゆーおんなのこってのは、身体に言った方がいーんだよ。お嬢ちゃん頭良さそうだもんね。
ちょっと待て。まほは内心、そう呟く。
そりゃあオレ下手だわ、あんた程声出ねえわ。だけどオレたちはオレたちでそれなりに上手くやってきたのよ? それなのにいきなり代打のあんたがベストヴォーカル賞でオレたちには何もなし? オレたちっていったい何よ?
彼の言うことは本音だろう、と妙に平静な部分が呟く。
だけどまほの大半はその時本気でおびえていた。
それは、直接の悪意だった。
初めて受け取るそれは、思いの他、痛かった。数もあった。相手は二人で、まほは一人だった。
壁に押しつけられる。肩を押さえつけられる。動けない。もがこうとすると頬を手で掴まれて止められる。
近付く手。
やめて。
*
ハルは気付いた。このコトバは逆だ。
今の彼女は、「来ないで」といいなから、自分には、来てほしがっている。
触れないで、と言いながら、自分には、抱きしめられたがっている。
あたしに触れるな。
サマーニットのよく伸びる胸元に、差し込まれる、手。
近ヅクナ!
……
「大丈夫」
ハルはゆっくりと近付いた。そしてふわりと上着をかけると、その上から彼女を抱きしめた。
息が荒い。泣きじゃくった時のように、ひくひくと呼吸が音を立てる。自分の意志ではどうにもならないというかのように。
「大丈夫だから……」
そのまま十分もその体勢でいただろうか。スタジオの時間制限も近付いている。ハルはゆっくりと腕をほどく。まほの呼吸も治まっていた。
「どお?」
「うん」
それから、ひどくしっかりした声で言った。
「大丈夫」
「まほちゃん」
「あんな連中」
「……」
「あんな連中だけど、あたしを殺した訳じゃないもの」
ハルは眉をしかめた。あの連中、というコトバはひどく冷たい。
「あたしを最後まで痛めつけることができない程度のあんな連中にやられたくらいであたしは傷つかないから」
それは何かの宣言のようにハルの耳には届き―――
ハルは彼女の声に寒気が、した。
*
衣服の乱れは直せば判らなくなる。泣いたところで拭いて乾けば判らない。
だけどそれだからと言って当人が立ち直ったとは限らない。
表面上、まほは実に平静だった。ハルの目から見て判らない程度に。
マリコさんは気付いたのかどうか、だけど夕食の後にはケーキがついた。何かのお祝い? とまほは訊ねた。かもしれませんね、とマリコさんは答えた。
*
翌日の夜、ハルはアカエミュージックまで出向いた。カラセに会うだめだった。
「あれ? どうしたのハルさん、こっちへ来るなんて珍しい」
「ちょっと……」
親指で外を示す。黒地に派手なプリントの「いかにも」洋楽ロックTシャツに彼はエプロンをつけたまま出てレジの所から出てきた。
ちょっと頼むね、とフロアにいたもう一人の店員に頼む。ちっともう一人の店員は舌打ちをするのがハルの目ににも映った。
どうしたの、と笑って訊くカラセを見て、ハルはああこれは知らないな、と思った。知っていてこういう表情のできる奴ではない。
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