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12.鳩が帰ってきたのは、その翌日だった。
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足の鉛管を外すと、中にはミキさんからの返事が入っていた。
『親愛なるさつき』
そんな書き出しで始まる。あたしがその書き出しが好きだ、ということをミキさんは覚えていてくれて、それを欠かしたことはない。
『依頼のものの調べがつきました。あなたが思った通り、確かにファウンデーションのもとです。絹雲母、という名前を聞いたことがありますか』
はいはい、ありません。
『鉱物の一種で、その優れた脂感と透明感滑性から、ファウンデーションの原料とされています。けど今では化粧品自体が贅沢物として生産されなくなって以来、発掘は各地で縮小されているはずです。少なくともあなたのいるあたりでは現在は』
発掘されていない?
『しかもあなたの送ってきたものは精製されたものです』
あたしは思わず右の親指の爪を噛んだ。
*
「絹雲母?」
何を聞くんだ、というすっとんきょうな声を上げて、生田はあたしを見た。
「先生、自然科学担当でしょ。ご存じないですか?」
「って言ってもなあ…… それは鉱物だろう?」
くるり、と彼女はあたしの方へ身体を向ける。
「それはどっちかというと、阿部先生に聞いた方がいいぞ。阿部さん~」
「何ですかい」
さすがに高等となると、職員とは言え、個性の主張の強い教師達が同じ部屋にいるのは騒動の種になると思われてるらしい。自然科学分野の教師は、それだけで結構広い一室を持っていた。
阿部先生というのは二年の教室で担任をしている教師だ、という記憶がある。だが直接三年のこっちに授業をしには来ていないので、あたしはよくは知らない。
「あなた確か、鉱物関係詳しくなかったですかね」
「鉱物? ああ、そりゃあ確かにワタシの専門だ」
四十代半ばくらいの男性教師は、眼鏡のふちを直しながらあたし達の方を見た。
「生田さん、あんたの生徒さんかね。女生徒とは珍しい」
「あなた職員朝礼聞いてませんね。この子は越境生ですよ」
「ああ~ 話には聞いてましたが、ほおほお」
気の抜ける様なしゃべり方は、何となく森田を思い出させる。
「で、何ですかな。何か絹雲母とか聞こえたけど」
「この管区で取れたりしますか?」
あたしは問いかけた。
「絹雲母ねえ……」
阿部は再び眼鏡のふちを押さえる。ふうん、と言いながら、書棚へ向かい、「管区の自然と歴史」というぶ厚い本を引っぱり出した。
何か持っているだけで腕が疲れそうな本だが、仕方ない。
大量に刷られる本とそうでない本との違いが今では大きいのだ。こういう学術系の本は、高くて立派な外見をしている。ただ必要はあるので、なくなることはない。
「聞いたことは何となくあるんですがね。して何でまた、越境生くん、君そんなこと気にするんですか?」
「ええと」
あたしはズボン(この学校には女子にスカートなどないのだ)のポケットの中から、ハンカチに包まれた例の絹雲母の断片を取り出す。
「こんなものを見つけたんで」
ほぉ? と眼鏡を押さえながら、阿部はあたしの手のひらのそれを眺め、本と見比べる。
「確かに似てるねえ」
「でもそれ、鉱物って感じじゃあないね」
生田も口をはさむ。
「どっちかというと、その絹雲母を機械に掛けた…… ほら、こっちの写真に似てますね。それにしても白くて綺麗ですな」
やっぱり、とあたしは黙ってうなづいた。
「うん、確かにこの管区でも採れていたことはあるんですよ。ほら」
阿部は机の上に、その重い本をどん、と置いた。
重いだけでなく、大きなその本は、そのへんで売られている粗悪な紙の文庫とは違って、つるつるした綺麗な紙に印刷されている。
その上の写真もまた綺麗だ。
「ほら、こっちが精製前の絹雲母」
含まれている石と、その結晶の写真が並んで出ている。
「で、こっちが、精製した後。何かよく似てるでしょ」
「そうですね」
「何でもね、数十年くらい前には、よく採れていたらしいよ」
「数十年前?」
「化粧品の原料だって言うから、まあそうなんじゃないのかなあ」
「化粧品の、ですかね」
生田は目を丸くする。
「鉱物を顔に塗りたくっていたんですかね、当時の女性は」
「そういうことですね。ま、そのもーっと昔は、鉛白粉が主流だった時代もあるくらいですから。女性の美に対する追求というのは、すごいですよねえ」
さらっと阿部は答える。そんなこと私にはできん、と生田はあきれたようにつぶやく。
「だから今はもう、採掘も精製もされていないはずですよ。だいたいあの採掘には結構手間がかかるらしいし」
「そうなんですか?」
あたしは身を乗り出す。
「うん。ほらここを見て。『当時は愛知県東永町と呼ばれた地域で採掘がされていたが、当時では珍しい坑道堀りを採用していた。露店掘りの方が安価ではあったが、化粧品の厳しい品質を維持するためには、その方法が最も適していた』」
「も少し判りやすく……」
「だから、機械でだだだっ、と掘ってしまう訳にはいかなかったみたいだね。職人の手でこつこつ、という感じだったらしい」
「人の手で」
「まあ他にも色々使い道はあったようだね。最初はその採掘した会社も、溶接棒とかに使っていたようだし… でもやっぱり化粧品らしいよ。結構世界的に有名だったらしい」
「世界的」
すごいですねえ、とあたしは感心してみせた。
『親愛なるさつき』
そんな書き出しで始まる。あたしがその書き出しが好きだ、ということをミキさんは覚えていてくれて、それを欠かしたことはない。
『依頼のものの調べがつきました。あなたが思った通り、確かにファウンデーションのもとです。絹雲母、という名前を聞いたことがありますか』
はいはい、ありません。
『鉱物の一種で、その優れた脂感と透明感滑性から、ファウンデーションの原料とされています。けど今では化粧品自体が贅沢物として生産されなくなって以来、発掘は各地で縮小されているはずです。少なくともあなたのいるあたりでは現在は』
発掘されていない?
『しかもあなたの送ってきたものは精製されたものです』
あたしは思わず右の親指の爪を噛んだ。
*
「絹雲母?」
何を聞くんだ、というすっとんきょうな声を上げて、生田はあたしを見た。
「先生、自然科学担当でしょ。ご存じないですか?」
「って言ってもなあ…… それは鉱物だろう?」
くるり、と彼女はあたしの方へ身体を向ける。
「それはどっちかというと、阿部先生に聞いた方がいいぞ。阿部さん~」
「何ですかい」
さすがに高等となると、職員とは言え、個性の主張の強い教師達が同じ部屋にいるのは騒動の種になると思われてるらしい。自然科学分野の教師は、それだけで結構広い一室を持っていた。
阿部先生というのは二年の教室で担任をしている教師だ、という記憶がある。だが直接三年のこっちに授業をしには来ていないので、あたしはよくは知らない。
「あなた確か、鉱物関係詳しくなかったですかね」
「鉱物? ああ、そりゃあ確かにワタシの専門だ」
四十代半ばくらいの男性教師は、眼鏡のふちを直しながらあたし達の方を見た。
「生田さん、あんたの生徒さんかね。女生徒とは珍しい」
「あなた職員朝礼聞いてませんね。この子は越境生ですよ」
「ああ~ 話には聞いてましたが、ほおほお」
気の抜ける様なしゃべり方は、何となく森田を思い出させる。
「で、何ですかな。何か絹雲母とか聞こえたけど」
「この管区で取れたりしますか?」
あたしは問いかけた。
「絹雲母ねえ……」
阿部は再び眼鏡のふちを押さえる。ふうん、と言いながら、書棚へ向かい、「管区の自然と歴史」というぶ厚い本を引っぱり出した。
何か持っているだけで腕が疲れそうな本だが、仕方ない。
大量に刷られる本とそうでない本との違いが今では大きいのだ。こういう学術系の本は、高くて立派な外見をしている。ただ必要はあるので、なくなることはない。
「聞いたことは何となくあるんですがね。して何でまた、越境生くん、君そんなこと気にするんですか?」
「ええと」
あたしはズボン(この学校には女子にスカートなどないのだ)のポケットの中から、ハンカチに包まれた例の絹雲母の断片を取り出す。
「こんなものを見つけたんで」
ほぉ? と眼鏡を押さえながら、阿部はあたしの手のひらのそれを眺め、本と見比べる。
「確かに似てるねえ」
「でもそれ、鉱物って感じじゃあないね」
生田も口をはさむ。
「どっちかというと、その絹雲母を機械に掛けた…… ほら、こっちの写真に似てますね。それにしても白くて綺麗ですな」
やっぱり、とあたしは黙ってうなづいた。
「うん、確かにこの管区でも採れていたことはあるんですよ。ほら」
阿部は机の上に、その重い本をどん、と置いた。
重いだけでなく、大きなその本は、そのへんで売られている粗悪な紙の文庫とは違って、つるつるした綺麗な紙に印刷されている。
その上の写真もまた綺麗だ。
「ほら、こっちが精製前の絹雲母」
含まれている石と、その結晶の写真が並んで出ている。
「で、こっちが、精製した後。何かよく似てるでしょ」
「そうですね」
「何でもね、数十年くらい前には、よく採れていたらしいよ」
「数十年前?」
「化粧品の原料だって言うから、まあそうなんじゃないのかなあ」
「化粧品の、ですかね」
生田は目を丸くする。
「鉱物を顔に塗りたくっていたんですかね、当時の女性は」
「そういうことですね。ま、そのもーっと昔は、鉛白粉が主流だった時代もあるくらいですから。女性の美に対する追求というのは、すごいですよねえ」
さらっと阿部は答える。そんなこと私にはできん、と生田はあきれたようにつぶやく。
「だから今はもう、採掘も精製もされていないはずですよ。だいたいあの採掘には結構手間がかかるらしいし」
「そうなんですか?」
あたしは身を乗り出す。
「うん。ほらここを見て。『当時は愛知県東永町と呼ばれた地域で採掘がされていたが、当時では珍しい坑道堀りを採用していた。露店掘りの方が安価ではあったが、化粧品の厳しい品質を維持するためには、その方法が最も適していた』」
「も少し判りやすく……」
「だから、機械でだだだっ、と掘ってしまう訳にはいかなかったみたいだね。職人の手でこつこつ、という感じだったらしい」
「人の手で」
「まあ他にも色々使い道はあったようだね。最初はその採掘した会社も、溶接棒とかに使っていたようだし… でもやっぱり化粧品らしいよ。結構世界的に有名だったらしい」
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