21 / 36
20.今はまだ、あいまいにしておきたい
しおりを挟む
最初に久野さんに出会ったのは、まだあたしが越境生として派遣されて二度目の場所だった。
今でも覚えてる。
まだ彼自身、車に乗り慣れていなかった頃だった。
地図も読み慣れていなかったようで、管警に呼ばれたのに、大きく遅刻してきて、平謝りしていた。
ようやく開放されてふう、と開襟シャツのボタンを一つ外した時に、あたしに気が付いた。
その時ときたら。
何じゃこりゃ? とでも言いたそうに、目を大きく見開き、次の瞬間、慌てて別の方向を向いた。
あたしは、と言えば、まだその頃は、そんなぶしつけな視線にはいちいち傷ついていた頃だったので、大股で歩み寄ると、その後ろ姿に膝蹴りを食らわせた。
言っておくが、飛び膝蹴りではない。膝の後ろをついただけだ。
案の定彼は、その場に転んだ。ざまぁみろ、だ。
とどめにアカンベーまでしてやった。
ただ彼は、あたしのその行動の意味がすぐに判ったらしい。
転ばしたのはあたしなのに、即座にごめん、と謝ってきた。
そう言われると、あたしはあたしで、どうしたものか判らなくなって、照れ隠しに、判ったならいいのよ、と大きな態度を取ってしまった。
事件が解決して、もう会わないだろう、とお互い思ってほっとしたものだ。
だがその次の事件でも出会ってしまった。
あたしの露骨に嫌な表情を見て、彼はがっくりと肩を落とした。
その時お互いに、名前を聞いたんだと思う。必要があった。
向こうはあたしをさつき、と名前で覚えた。あたしは向こうを名字で覚えた。
理由は同じだ。呼びやすい。それだけ。それだけだと、思う。
そして二度あることが三度あった時、さすがに彼もあたしがただ越境して学校に行ってるだけではない、と気付きだしたらしい。
それからというもの、時々彼はあたしに「正体」を聞いてきた。あたしはそのたびにかわし続けてきた。
特警に言ってはいけない、とは別にあの総理のおっさんも言ってはいないし、ミキさんも格別な注意はしなかった。それはあたし達越境生の自主的な判断に任せられている。
あたしが久野さんとよく顔を合わせている、ということを彼らは知っているにも関わらず、だ。
同じ総理の管轄下にあるから、ということだろうか。
だけど、「鎖国体制を守る」特警の存在理由と、あたし達が行動している理由は、明らかに異なる。
訳が分からない。
そして判らないと言えば。
正直、何で今、自分が動揺しているのか、理由がつかめないのだ。
「彼のこと好きなんじゃない」と若葉がそう判断するのも判らなくもない。他人事として、あたしのことを聞けば、そう判断してしまうだろう。
実際、彼があたしのことを仕事上で関わってしまう奴、としか思っていないのが悔しいのは確かだ。
ただ、それが「好き」という感情なのか?
そこがあたしには判らないのだ。
訓練中によくあたしにミキさんは言った。
「無理に決めつける必要はないのよ」
ちょうど二十歳違う彼女は、あたしにとっては母親と言ってもいい年齢だった。
だけど母親とは違う感触を受けた。どちらかというと「年の離れた姉」というところだ。
だけどその「姉」という感覚も、彼女が「それはこうじゃない?」と後付けしてくれたものだ。
「あなたがそれを判らないのは、仕方ないことなのだから、焦ってはだめよ」
そう言って、よく優しく肩を抱いてくれたものだ。
その時の暖かい肩や腕の感触にふんわりした、暖かいものを感じた。その感情の流れを説明したら、こうじゃない? と彼女は美味く当てはまる言葉を探してくれた。
でも本当のところ、「母親」も「姉」も、あたしにはよく判らない。
そもそも、自分に、どんな家族がいたのかすら判らない。
家族だけではない。
本当の名前も、どこに住んでいたのかも、どんな学校に通っていたのかも、まるで判らない。
その部分を思い出そうとすると、とたんにぼんやりと頭の中に霧がかかる。
もしくは、何を思い出そうとしていたのか判らなくなる。頭が混乱する。
あたしは誰かを好きになったことがあるのだろうか。
それはどんな時に、どんな相手を、どんな感覚で思ったときのことなんだろうか。
それを考え出すと、何だがすごく、背中が寒くなる。
だから、普段は考えないようにしている。寒い背中は置いておこう。とにかく前を見るしかない。
それが根本的解決になるとは思わない。だけど、それを考えていたら、立ち止まって、うずくまって、あたしは動けなくなる。
それは嫌だ。
だから、今はまだ、あいまいにしておきたいのだけど。
今でも覚えてる。
まだ彼自身、車に乗り慣れていなかった頃だった。
地図も読み慣れていなかったようで、管警に呼ばれたのに、大きく遅刻してきて、平謝りしていた。
ようやく開放されてふう、と開襟シャツのボタンを一つ外した時に、あたしに気が付いた。
その時ときたら。
何じゃこりゃ? とでも言いたそうに、目を大きく見開き、次の瞬間、慌てて別の方向を向いた。
あたしは、と言えば、まだその頃は、そんなぶしつけな視線にはいちいち傷ついていた頃だったので、大股で歩み寄ると、その後ろ姿に膝蹴りを食らわせた。
言っておくが、飛び膝蹴りではない。膝の後ろをついただけだ。
案の定彼は、その場に転んだ。ざまぁみろ、だ。
とどめにアカンベーまでしてやった。
ただ彼は、あたしのその行動の意味がすぐに判ったらしい。
転ばしたのはあたしなのに、即座にごめん、と謝ってきた。
そう言われると、あたしはあたしで、どうしたものか判らなくなって、照れ隠しに、判ったならいいのよ、と大きな態度を取ってしまった。
事件が解決して、もう会わないだろう、とお互い思ってほっとしたものだ。
だがその次の事件でも出会ってしまった。
あたしの露骨に嫌な表情を見て、彼はがっくりと肩を落とした。
その時お互いに、名前を聞いたんだと思う。必要があった。
向こうはあたしをさつき、と名前で覚えた。あたしは向こうを名字で覚えた。
理由は同じだ。呼びやすい。それだけ。それだけだと、思う。
そして二度あることが三度あった時、さすがに彼もあたしがただ越境して学校に行ってるだけではない、と気付きだしたらしい。
それからというもの、時々彼はあたしに「正体」を聞いてきた。あたしはそのたびにかわし続けてきた。
特警に言ってはいけない、とは別にあの総理のおっさんも言ってはいないし、ミキさんも格別な注意はしなかった。それはあたし達越境生の自主的な判断に任せられている。
あたしが久野さんとよく顔を合わせている、ということを彼らは知っているにも関わらず、だ。
同じ総理の管轄下にあるから、ということだろうか。
だけど、「鎖国体制を守る」特警の存在理由と、あたし達が行動している理由は、明らかに異なる。
訳が分からない。
そして判らないと言えば。
正直、何で今、自分が動揺しているのか、理由がつかめないのだ。
「彼のこと好きなんじゃない」と若葉がそう判断するのも判らなくもない。他人事として、あたしのことを聞けば、そう判断してしまうだろう。
実際、彼があたしのことを仕事上で関わってしまう奴、としか思っていないのが悔しいのは確かだ。
ただ、それが「好き」という感情なのか?
そこがあたしには判らないのだ。
訓練中によくあたしにミキさんは言った。
「無理に決めつける必要はないのよ」
ちょうど二十歳違う彼女は、あたしにとっては母親と言ってもいい年齢だった。
だけど母親とは違う感触を受けた。どちらかというと「年の離れた姉」というところだ。
だけどその「姉」という感覚も、彼女が「それはこうじゃない?」と後付けしてくれたものだ。
「あなたがそれを判らないのは、仕方ないことなのだから、焦ってはだめよ」
そう言って、よく優しく肩を抱いてくれたものだ。
その時の暖かい肩や腕の感触にふんわりした、暖かいものを感じた。その感情の流れを説明したら、こうじゃない? と彼女は美味く当てはまる言葉を探してくれた。
でも本当のところ、「母親」も「姉」も、あたしにはよく判らない。
そもそも、自分に、どんな家族がいたのかすら判らない。
家族だけではない。
本当の名前も、どこに住んでいたのかも、どんな学校に通っていたのかも、まるで判らない。
その部分を思い出そうとすると、とたんにぼんやりと頭の中に霧がかかる。
もしくは、何を思い出そうとしていたのか判らなくなる。頭が混乱する。
あたしは誰かを好きになったことがあるのだろうか。
それはどんな時に、どんな相手を、どんな感覚で思ったときのことなんだろうか。
それを考え出すと、何だがすごく、背中が寒くなる。
だから、普段は考えないようにしている。寒い背中は置いておこう。とにかく前を見るしかない。
それが根本的解決になるとは思わない。だけど、それを考えていたら、立ち止まって、うずくまって、あたしは動けなくなる。
それは嫌だ。
だから、今はまだ、あいまいにしておきたいのだけど。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
七日後に神罰が落ちる。上層部は「下を切り捨てろ」と言った——私は全員を逃がす
蒼月よる
ファンタジー
七日後、この港に神罰が落ちる。
追放された元観測士イオナだけが、その事実を知っていた。
しかも災害は自然現象ではない——誰かが、意図的に引き起こそうとしている。
港の上層部はすでに手を打っていた。「下層区画を緩衝被害区として切り捨てる」秘密契約。被害を最小限に見せかけ、体制を守る冷徹な計画だ。
イオナは元護送隊長ガルム、荷運び組合長メラとともに動き出す。
犯人を暴き、証拠を公開し、住民を逃がし、工廠を止める——すべてを七日で。
被害を「選ぶ」管理か、全員を「残す」運用か。
追放観測士の、七日間の港湾カウントダウン・サスペンス。
この作品は以下の箇所にAI(Claude Code)を利用しています。
・世界観・設定の管理補助
・プロット段階の壁打ち
・作者による執筆後の校正
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜
深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。
処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。
なぜなら彼女は――
前世で“トップインフルエンサー”だったから。
処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。
空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。
タイトルは――
『断罪なう』。
王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。
すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、
国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。
処刑台は舞台へ。
断罪はエンタメへ。
悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。
これは、
処刑されるはずだった悪役令嬢が、
“ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。
支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、
それとも――自由か。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる