もう転生しませんから!

さかなの

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魔王と勇者 編【L.A 2034】

てのあたたかさ

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 男は彷徨っていた。失った。やっと一緒にいられたのに。帰る場所を、失ってしまった。半ば自暴自棄になっていたかもしれない。
 道すらない砂漠を長い間歩き続けているうちに、一ヵ所に留まっていた砂嵐が消えた。その中から現れた城が、果たして幻覚なのかどうか。それを確かめに、男の重くなった足は引きずりながらでも城へと向かったのだった。

「なんっ……だ、ここは」

 確かに城だった。しかし、『こんな場所』にこのような城が建っていたことなど『覚えがない』のだ。城だけではない、砂に埋もれてはいるが様々な瓦礫が見られる。ここには街もあったのだ。進むにつれ違和感を覚えた。足跡が残っている。一人分のものだ。そして小さい。何より……新しい。
 吸い込まれるように、男は城の門をくぐった。

(どうしよう、どうしよう)

 思わず隠れてしまった。掃除をするときに使っていた三角巾を巻いてなんとかツノを隠したものの、城に入ってきた男の腰には剣が携えてあったのだ。ゾクリと体の芯がすぅと冷え、震え上がる。街の住人でさえ見た瞬間に石を投げてきたのだ。剣があれば、振るってくるだろうか。けれど、あの男の人はひどく痩せている。唇など目に見えて乾き切っているのだ。

(このままだと死んじゃう……)

 ぎゅうと胸を押さえるが、水と食料を持って「どうぞ!」と飛び出せる勇気などない。

(そうだ……!!)

 その辺にあった石を投げる。これで植木鉢を置いてる部屋まで連れて行けばよいのだ。名案とばかりに少女は男の様子を見ようとした。だが、階段を昇るはずの男の姿が、ない。

「あれ……」

 ふっと踊り場に影がさした。やけに暗く感じる。おかしいなと思って、周囲に目を向けようとしたのにその光景は目に入ってはこなかった。目の前にいたのは、あの男だったのだから。

「キャアッ!!」

 見つかった、見つかってしまった。どうして、ここ二階と三階の踊り場なのに。恐怖と、困惑で震えと涙が止まらない。頭を守る……というか、ツノと顔を隠すように腕で覆った。男がどんな表情なのか、少女には見えていない。

「……おい、大丈夫か」

 何か話しかけられてるけど頭に入って来ない。

「なあ」

 腕が痛い、握られている。引っ張られて自分の顔が見られている。でも怖くて目が開けられない。声が出せない。
 痛みが消えて、次に触れられたのは背中だった。宥めるようにやさしく、ゆっくり撫でている。息をするのが楽になって、やっと目が開いた。男の顔は、困っているのか、悲しそうなのか、よく分からない顔をしていた。

「急に悪かったな、お前さんは誰だ?」

「わたし……?私、は……メ、メイドです」

 主人がいないのにメイドはおかしすぎただろうか……いや、かなりおかしい。主人はおろか、ここにヒトが住んでいるわけでもないのだから。

「……もっかい言ってくれ」
「メイド、ですっ!」

 もうやけに近かった。彼は笑いを堪えたあと、目いっぱい息を吐いてじろじろと私を見てきた。

「ツノ、見えてるぞ」
「えっ!?」

 ばっと頭を押さえる。最初から見えてた?今みえた?

「大方、前世はヒトだったのに魔族に生まれてここに追いやられたんだろ」

 ちょっと違うけど……この人は、私が魔族でも何もしない。怒ってこないし、攻撃するわけでもない。ほっとして、目頭に涙がたまっていく。ぐっとこらえて、袖で目元を拭った。

「少し、待っててください」

 軽くなった足取りで階段を駆け上がる。転生してから初めてヒトと話せたことがこんなにも嬉しい。
 植木鉢用の水だけど、自分も飲めたし大丈夫だろう。ちょっと緑の残るトマトを採って、持っていく。男は座って待っていた。

「ど、どうぞ」

 素直に受け取り、一気に水を飲み干す。もしかして足りなかっただろうか、唇が渇くまであの砂漠を彷徨っていたのだろう。一体どのくらい……。お肉もあればよかったかな、あまり食べなくても良さそうだから考えてなかったけど、いざっていうときに干し肉にでもして……。

「にがっ……」
「え、すみません!」

 やっぱり苦かったらしい。

「先にできてたのは私が食べちゃって……ごめんなさい」

 やっぱり彼は笑いを堪えて震えている。こっちは申し訳ないし、恥ずかしいのに。

「あんがとさん、おかげで生き返ったぜ。トマト、うまかったぞ」
「さっき苦いって……」
「……じゃあ熟れてうまくなった頃にまた食わせてもらってもいいか?」

 今……いま、なんて言ったのだろう。また、と言った気がする。

「ま、また?」

 どうしよう、顔はにやけてないかな、赤くなってないかな。本当はこんな砂漠ばっかりで何もないところ、用なんて無いはずなのに。

「あぁ、長居はできないんでね。じゃあな」

 男は城を出ていった。なんだったのだろう、もしかして寂しすぎたあまりの幻覚だったのかな。夢だったのかな。トマト、美味しくできてたから、ちゃんと熟れたのを食べてほしかったな。
 トマトは、私にとっても兄にとっても大好物だった。前世の最後は……夕食はトマトスープにしようと思って、塩が無かったから買いに行ったんだっけか。その後から記憶がない……多分、また事故に遭ったんだろう。
 今までの人生を思い返してみれば、最初から自分が生きることに精いっぱいで、ようやく生活が安定した頃に命を落とすということを繰り返していたものだから結婚はおろか恋もしたことがない。どれだけ運に恵まれていないのだろう……でも、前世で兄がいたことと、今世で話のできるヒトと出会えたことが何よりの救いだった。

 『また来る』と、あの人は言っていた。その言葉を思い出すだけで、胸が温かくなる、寂しさが和らぐ。植木鉢の数を増やして、ベッドのある部屋を掃除して眠れるようにした。
 植木鉢の種類も増やして、レタスやネギ、ピーマンやきゅうりも育ってきた。育つくらいに……時間が経っていたことには気付けなかった。ひとりでいるというのは、時間の流れが曖昧になってしまう。さらに魔族であるというこの体はあまり食べ物を食べなくてもいいらしい。だから一日トマトを二、三個食べるくらいでお腹いっぱいになってしまうのだ。それなのに……こんなに種類を増やしてしまって……枯れさせたら、可哀想だし。
 時間の流れに鈍感になってしまうと言ったものの、誰かと言葉を交わしてしまったことで余計に寂しさが目立つようになってしまった。だから森で食べ物を探して、城に帰って家庭菜園をして、本を読んで……何をやっても、寂しさはずっとあとをついてまわった。

 次は料理をしよう、お菓子を作ってみよう、明日も明後日も、まだまだやることはいっぱいあるんだから。

「一人でだって、できるもの……服だって作れるし、畑もできるかもしれないし、おうちを直すことだって……ひとり、で」

 積み重ねられた感情は、堰を切ったように溢れてしまった。出会えてよかった、でも出会わなければこんなに寂しいと思わなかった。泣いてたって、誰も止めない、困らない。だったら落ち着くまで泣いてしまおう。

「お、おい、どうした?」

 と、思った矢先のことだった。

「どっかケガしたのか?」
「……っ、!? えっ!ノ、ノックをして、ください!!」

 涙は引っ込んでしまった。
 あぁ、あの人だ。この前よりやつれていない、ちゃんとあのあと砂漠を超えて故郷に戻れたんだ。よかった。

「悪かったよ、で、ケガしたのか?」
「いえ……ただ、ひとりだと……なんだか……」

 すん、と鼻を鳴らして息を整える。しゃっくりみたいに引き攣りそうな声をおさえた。頭の上に置かれた手の平は大きくて、あたたかかい。心地よくて、すっかり体は落ち着いてしまった。

「そういえば」
「はい?」
「そのツノ、魔王にしか生えないんだってな」

「……はい?」
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