もう転生しませんから!

さかなの

文字の大きさ
上 下
17 / 49
魔王と勇者 編【L.A 2034】

 わずかなほころびは、どこにでも

しおりを挟む
 わっと声が上がる。息を吸い込めば咽てしまいそうな程にあたりを覆い尽くす空中の砂のせいで、視界は悪くなるばかりだった。兵士たちは四人体制で剣と盾を構える。互いの背を守る形で。

「っせェい!!」

 その守りはいとも容易く崩された。兵士たちは子供の頃に彼らを見て、憧れて、強くなろうとした。しかし、いま眼前で野生の獣のように目をぎらつかせて咆哮するのは誰だ。本当に自分たちが憧れて目指そうとした勇者の一行のメンバーなのか。足元の瓦礫の山を、素手で粉砕され兵士たちは恐れおののき、そのまま尻を砂に埋める者や足を滑らせながら逃げようとする者もいた。

「盾兵、前へ! 円陣を組め!」

 その中で数少ない冷静な判断を下せる兵士が統率をとり、幾分か態勢は持ち直したかに思えた。
 そう、相手が同じ『兵士』という存在ならば、機会はあっただろう。

「ひ、ひぃぃっ!?」

 岩でもぶつけられたかのような衝撃に、横一列に並んでいた大盾の壁の一部分が陣形を崩す。だがぶつかったのは岩ではない。何もうつさない、つり上がって伏せられた瞼。隙間から覗いたその顔の一部はどんどん大きくなる。ズルリと這い出てきた指は、大盾を軋ませながら隙間を広げるべく兵士と力比べをするが優劣の差は明らかすぎた。

「押されているわけじゃありません……がっ! こんなときにあの魔導師はどこをぶらついてるんですかね!」

 選りすぐりの兵士たち、トーマもその存在は知っていた。というより訓練したこともある。特殊訓練兵、精鋭部隊。しかし覚えている顔は一人もいなかった。入れ替わりが早いのか、時の流れが早いのか。

「魔導師……だとぉ?」
「うわっ誰ですかあれ」

 先ほどから総指揮をとっているこの人物にも覚えがなかった。剣をとり、戦う素振りもなかったものだから全く視界に入っておらず、今になって存在に気付く。

「知らねーツラだな」
「現在の王国直属の最強魔術師だよ。トーマくんの後釜といったところかな」
「へぇぇ~そうですか」

 口角だけを釣り上げて形だけの笑顔を取り繕うが、こめかみに浮かんだ青筋に気付いたドレアスは『ぅゎ……』と引いていた。国で最強の魔術師の称号をもつものが、こんな偉そうにふんぞり返って罵声を飛ばすことしかできない上官が、自分の後釜……ということが気に入らないのだろう、と。

「いや、違うかな」

 ふむ、と顎に指を添えてサイロンは前述を取り消した。

「誰だそんな……クソ生意気なヤローはぁ!!」
「最凶の呪術師だったよ、すまない」

 何に対してのすまないなのか全く分からない。心底理解に苦しむ、と顔に書いてあるような顔になってしまったトーマだが、一瞬でその表情は警戒の色を濃くした。
 突然叫び出した呪術師は黒いもやをまとった魔術陣を展開させる。それが一直線にこちら目掛けて飛んでくるが速度は大したことはない。速度の話だけで見ると、だ。

「ひッ、ぎ、ぐ、ぅ、う゛っ」

 黒いもやを受けてしまった兵士は自分でヘルメットを外し、首に手をあてた。自害行為かとも思ったが、手は喉の下、そして左胸へと移動する。顔は赤から紫へ変色し、血走った眼球はぐるりと上を向いた。

「自然のエレメンタルを使っていない……黒魔術ですか、これは」
「よく分かったなぁ、ボクよりよわーい先人さん」

 トーマの目に浮かぶのは嫌悪に満ちた炎のゆらめきのようで。怒りそのものが目視できるんじゃないかと思えるほどに敵意が体を覆う。

「教科書どおりの魔術を使ってなにが最強だ。上も目指さないでよく偉そうにできてたもんだよなァ」
「……黒魔術は、ヒトの命を引き換えにして発動できるものです。それほどの力……一体何人を犠牲にしたんだ、貴様」

 トーマがこれほどに怒るのは馬鹿にされたことが原因ではない。『黒魔術』を行使することが許せなかったのだ。魔術とは、一個人の生まれ持つ魔力の容量で威力を変える。しかし、黒魔術は犠牲にした人数分、威力を増すのだ。

「んなのいちいち数えるわけねぇーだろ」

 もう一撃放たれたその一閃をドレアスが横から投げた大きな瓦礫が遮る。

「ユリウスは殺してないって言うけどなぁ、お前らを殺したのはユリウスなんだよ……ボクが!! あいつを呪って!! てめーらを殺させたんだァ!!」

 下卑いた笑いと共に、恍惚とした表情で蕩ける口元からはだらしなく涎が垂れている。兵士たちは、呪術師を恐れ後ずさり、頭を抱えて震えた。先ほどの黒魔術を受けた兵士が痙攣しながら口から泡を吹いていても誰も助けない、助ける術など持たないのだから当然のことではあるが。

「てっ……めぇ!!」

 怒りの沸点が既に頂点に達していたドレアスは獣のような唸りを上げながら次々と瓦礫を投げ飛ばす。だが、それは呪術師に届くこともなく腐食し溶けていった。

「本当はユリウスの妹を使えばもっと強力な呪いができて、あいつをボクの思い通りにできたんだけどぉ……見つけた時には死んじゃっててぇー、だから妹の死体を使って呪いを組んだんだぁ!! 最っっ強の!! 傀儡の黒魔術!!」

 息を荒くしながら興奮状態で呪術師は語る。反吐がいくらでも出そうな話を。妹の死体、それは……前世のベネットの肉体のことだ。トーマは振り返りベネットを見る。顔を真っ青にさせて震える膝でなんとか立っていられるのは扉にしがみついているから。零れ落ちるか落ちないかの涙をいっぱいにためて。

「あいつは逆らえない!気持ちだけでも逆らったら魂も肉体もどぉんどぉん蝕まれていく……三十年もよくもったよぉ、純粋なヒト族に産まれちまったばかりに妖精族の倍以上苦しんだだろうなぁ」

 知らなかった。今ここで戦っているユリウスは肉体ばかりではなく魂までも苦しめられているなどと。
 知っていたのだろうか、その黒魔術が自らの妹の亡骸を媒介にして仕組まれたものだと。

「あぁ……今も苦しんでる、さいっ……こうだよ……」

「貴様に……私たちは、弄ばれたと……っ」

 踏み出した一歩はあまりに重く、石畳を砕き足は埋もれた。怒りはついに現象として具現化し、黒い刀身は炎をまとい赤みを帯び始める。柄を握る手を覆う魔術陣はその炎よりも眩しかった。

「いいオモチャで、いい実験材料だったよぉ。あぁでも、ユリウスはもう死んじゃうだろうなぁ。だから魔王の体を使って新しい黒魔術を組む、ボクに逆らわないオモチャをたくさん作るんだ!!」
「貴様ああァァアアッ!!」

 体中の筋肉が震えて熱い。喉を焼きそうな憎悪の熱が目の前を真っ赤にする。剣を大きく振りかぶり、柄が握り潰されそうな音を立てている。薙いだ炎の奔流が呪術師に押し寄せるが、球体に当たったかのようにその流れは遮られた。

「転生者がなんだ! 死んでもやり直せるんだろぉ!? 羨ましい……羨ましいよなぁ!! だから転生しても追いかけてやる……魂に呪いを刻み込んで、生まれ変わってもボクに跪かせてやる。反逆するものは死ね!! 生まれ変わってボクの下僕になり続けながら!!」

 これが、呪術師の根底。転生者ではない者の心の奥の奥にある言葉と嫉視。ユリウスだったからその魂を呪ったのではない。強さも、周囲の誉望も名声も全てを持っているようなユリウスが近くにいたから、このような暴挙に出たのだろう。

「そんなのは……ひどすぎます」

 消え入りそうな声に、全ての音が無と化す。風の音でさえ。戦いの場に決してそぐわない、鈴のような少女の声。
 その膝に震えはもう無かった。涙は溢れて零れ落ち続けているが、目を奪われるのはどうしてか。
 おそろしいだろう、逃げ出したいだろう、悲しさに浸って泣き叫びたいだろう。それなのに。

 ――少女の瞳は、曇りなく輝いていた。

「でも、その魔術が、呪いが組めるというなら、ほどくことだってできるはずです!」
「ばぁか!! 作った天才のボクでも解けない呪術を解くだってェ!?」

 歪んだ嘲笑を浮かべる顔に睨まれてもなお、ベネットは退かずに、いや、進んだのだ。

「いいえ、ほどくんです。わずかな、ほころびを見つけて」

 絶対的な自信に満ちたその目に呪術師がたじろぐ。魔術の不可能を可能にする黒魔術、だがそれは贄なしで発動はできない。しかし、それゆえに黒魔術は魔術より強力なのだ。覆せるものが本当に存在するならば、この世界で最も強いものの上位関係が揺らいでしまう。そんなことは許されない。自分が、自分こそが、最強なのだから。

「ジェロシア……お前は確かに天才だった。転生者じゃないのに、一代で今の地位を築き上げた」

 ジェイソンと対峙していたはずのユリウスは、死屍累々と地面を埋め尽くす兵士たちの中心に立っていた。

「だがな……トーマより、お前より……天才はいるんだぜ」

 指差した方向は、城門にいるベネット……ではない。後ろから姿を現した、異形の異質。
 呪術師……ジェロシアにも、その異質さは瞬時に理解できた。理解できないということを、理解した。

「あぁ、やだなぁ、混ざりたくない……」

 それは、心底面倒くさそうにぼやいたのだ。

しおりを挟む

処理中です...