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魔王と勇者 編【L.A 2034】
かえられない、さだめというなら
しおりを挟む「君はつねに魔術を行使することで魔力を使い続けていますが、お嬢様は少ししか魔術を使わなかった……蓄積され続けた魔力のツケが、今きたのだよ」
近くの石柱に掴まろうにも、足元は崩れ、あまつさえ石柱までも崩壊を始める始末。落ちてくる瓦礫に悲鳴が上がった。
「だとしても、たった数年でこんな威力には……!!」
「君とあろうものが……何を寝ぼけているんだい。三十年は経っているのだよ、僕たちがここで過ごして」
ほんの十年ほどしか経っていないと思っていたのだ。驚きは言葉に出せず、ただ呆然とする。そんなに長く、自分たちは無為に時間を浪費していたのかと。
「なんで……なんでだ、ボクが三十年以上努力して努力して……たくさん生贄を使ってまで力を得たのに!! 何も……何もしてないお前が!! なんで!!」
「ソレガ、王ノチカラダカラジャヨ」
大地が響くような、低い声。洞窟の中で風が唸っている時に聞いたことのあるそれは、頭上から落ちてきた。
自らの影よりも、もっとずっと大きな影が覆いかぶさっている。おそるおそる、背後を見ても、大木しか無かった。いや、そもそも枯れた大地に、これほど立派な大木などあるはずがないのに。
「ト、トォマ……」
「こ、りゃぁ……」
ジェイソンとドレアスは揃って腰を抜かし、地べたにぺたりと座り込む。皆が体を震わせていたが、それは様々な理由からであった。恐怖、畏敬、驚愕、未知なるものとの出会いによる、歓喜。
「滅びた存在だと言われた……樹木族……デントロータス」
その呼び名は、一部の文献に稀に記された言葉。そしてそれは、架空のものとして切り離された『吸血鬼』のような存在。樹木族という名の通り、その大木の木肌はゴツゴツとして、その中には顔があった。影による明暗が顔のように見えるのではなく、表情としての顔があるのだ。
「私は今まで架空のものだとばかり思ってましたよ……」
トーマは必死に腕の震えを押さえていたが、上から押しつけている片腕すらも震えているのだから意味などなかった。恐怖を抱きながらも、その目に歓喜の色を煌めかせながら。
「王よ、小さな我が王よ、どうか……心を穏やかに」
脳髄へゆっくり染み込むような女性の声だった。樹木そのものが、大きく太い根を足のように引きずって歩く先。城の隣にはしっかりと根付いた巨大な樹木がそびえ立つ。幹の太さは大股に歩いたとしても何十歩分だろうと呆けるくらいに、どこから飛び出たのかと開いた口が塞がらなかった。
ぱらぱらと舞い落ちる木の葉は青々として、表面は光沢が見えるくらいに瑞々しい。大木の幹から真っ白で淡い光を帯びる手が這い出す。もう片方の手、膝、脚、胸、そして顔が見えたが……大きい、大きすぎる、女性が現れた。
「……そんな……あり得ない」
ジェロシアはガクガクと震える膝を押さえ、中腰のまま威嚇する。その姿を見れば、トーマたちは滑稽だと鼻で笑うだろうに本人たちもジェロシアのことなど忘れてしまうほど、目の前の光景に目を奪われていた。
「これだけの大量の魔力、ベネットに戻すよりだったらあなたに分けた方がいいんじゃないかな」
この状況で、未知の存在であるデントロータスに平然と話しかける輩など決まっていた。アオイはいつもと変わらない口調で、彼女に問いかける。淡く輝く肌は、透き通るどころか後ろの幹が透けて見えている。正直なところ、地面にいる者たちは彼女の顔が見えていない。豊満な胸に遮られているせいで、地上から見上げても美しく広がる柔らかな髪しか目で追えないのだ。
だから、アオイが不躾に突然話しかけたことで、怒るのではないかと。
「偉大なる魔術師、あなたのお力も借りましょう。この大地に張り巡らされた魔術陣を使わせて頂いても?」
「どぉぞどぉぞ」
いいのか、というより魔術陣?なんの話をしているのかさっぱりだが、この状況になっても……否、まるで予見していたかのようにあの男は用意周到だったということだ。デントロータスの実在も知っていたのだろうか、そしてベネットの魔力が暴走することさえも……どこまで分かっていたのか、と想像し始めれば全身に鳥肌が立つ。
「オォ、ヨウヤク我ガ同胞タチガ目覚メルカ」
「同胞!? まだいんのかよ!!」
顎を閉めようにも閉められず打ち上げられた魚のようにしていたドレアスはついに突っ込みの声を上げた。目視できるだけでもデントロータスは四体、中心にあの巨大な女性の大樹。それだけでこの砂漠が崩壊しかねないというのに、これより増えるのかと。
地響きは止むことなく、砂の中から次々と大木が現れては歩き出す。いっそこれが幻術であったらまだ納得できるのに。地面から湧き上がる光は、しっかりと線をかたどっていた。光は柱となり、あたりを埋め尽くす。ベネットがユリウスを包み込んだあの金色と同じ光。それは徐々に緑を交え、染まっていった。
「……大地に、大量の……魔術陣が」
光の柱の下には、魔術陣が描かれている。それも一つや二つではない。
数百の、それぞれが巨大な魔術陣として発動しているのだ。
「こんだけの量……戦争のときでさえ、見たことねぇぞ……」
大樹の女性が大きく手を広げると、歌うように、踊るように葉がざわめき舞い上がる。乾いた大地は割れ、大樹から伸びた根が隙間を埋めた。緑色の苔が一気に広がり、乾いた砂は湿った土へと変わる。まるで、砂であったことが間違いだったように。花は狂い咲き、草は土を覆わんとしながら埋め尽くす。
「王ニ歯向カイシ無礼者ヨ。コノ地カラ立チ去ルガヨイ」
体の芯に響く言葉に、兵士たちは尻を引きずりながら後ずさる。意味を成さない言葉を喉から絞り出しながら。
『立チ去レ……』
『立チ去レ』
『立チ、去レェ』
デントロータスたちは木々によって言い方は様々だった。声も同じで個性がある。ざわざわと枝葉で太陽を遮り、兵士たちだけに闇が訪れているようだった。
「こっ、殺せば、いいだろう? それが世界の理だ」
「貴様ノ汚ラワシイ血ヲ、我ラノ地ニ染ミ込マセヨト申スカ」
ギギ、と木肌を軋ませながら表情が変わる。どんな顔かは、こちら側から見えないが、ジェロシアがつんざくような悲鳴を上げているところから察するにとんでもなく恐ろしい形相なのだろう。
四つん這いで木々の牢獄から出ようと這い出してきた兵士は、一瞬で姿を消してしまった。
間近で見ていた兵士の一人が、追いかけるようにまた姿を消す。後ろからぞろぞろと他の兵士たちも連れ立って同じように消えていった。僅かな地面の歪み。あれは移動魔術だ。
この状態で使うのは、たった一人しかいない。
「おい! お前ら、お前らぁ!! 逃げるな!! 魔王を殺せ……っ、魔族を滅ぼせ!! ボクを……置いて、逃げるんじゃ、ない……っ」
残されたジェロシアは歪んだ空間の穴に向かって叫ぶ。もう立ち上がることもできないくらい、膝が震えているのに敵意を抱いたまま。その体は何かに押されたようにバランスを崩してゆっくりと落ちた。木々が、根を使って落としたのだ。
静寂に、木々のざわめきが混じる。かろうじて道を残していた石畳は見る影もなく崩れ、周囲には崩れた石柱や瓦礫だらけ。この状態でもあの城はよく無事なままでいられると感心した。
「あなたの……溢れるほどの後悔と、悲しみの涙がこの大地を潤す。けれど、そのような悲しみをこれ以上広げてはいけないのです」
伸ばした手の先から細いつるが伸び、ベネットの頬を撫でる。その声は、胸が締め付けられるように温かく、優しく、懐かしいような気がした。
「私……知らなかった、世界がこんなに怖くて、悲しいことばかりで……誰も、救えない……っ」
「いいえ、あなたは救ったのです。幼き命を、苦しむ兄を、枯れた大地で眠ることしかできなかった私たちを」
つるの先に小さな花が一輪、ほころぶ。地上のベネットたちに合わせてかがみ、ようやくその面貌が目に入る。葉と同じ色の髪と目、柔らかく微笑むその顔は声で想像したものと同じ顔つきだった。
「わたくしの名はイグテラ、すべての樹木族の母です。どうか……どうか、もっとこの世界を見つめてください。他の国のものだけではないのです。もっと大きな存在が……計り知れないほどの黒い脅威が、世界を覆い尽くそうとしています。このままではいずれ、世界は悲しみで満ち溢れるでしょう。再び大地は枯れ、生きとし生けるものの多くが失われます、わたくしたちが永き眠りに就かざるを得なかったように」
眠り続けていたという彼女にどうしてそれが分かるのだろうか。本当の脅威が、世界を覆い尽くすと、国より大きな存在が、大地を枯れさせると。
しかし、ベネットのような類を見ない魔王の存在、アオイという世界を変えるほどの知識を持った魔術師、ジェロシアのように他者の命を際限なく浪費し黒魔術を確立させるもの。そして伝説の存在が復活した今、何かの異変が世界に起きようとしているのではないかと。これは、予兆ではないのか。トーマはそんな考えばかり膨れさせてしまうのだ。
「私は、弱いんです。大好きな兄の魂も守れない、皆を守る術も何も持ってない。こんなの、魔王どころか……皆の家族にだって、なれない……っ」
「あなたを弱いと誰が決めたのです。弱いと思うならば、強くなりましょう。気持ちも、力も。あなたにしか……新たな王にしかできないことがあるからこそ、王たる器にあなたの魂が宿ったのです。自分を……仲間を、家族を信じてください」
言葉と共に涙は零れ続けた。その涙を吸い取るほどに、花は潤い瑞々しくなる。そしてイグテラの言葉が紡がれるたび、その涙は収まりぴたりと止まった。伏せるばかりだった視線が空を仰ぐ。眩しいはずの光は、木漏れ日となってイグテラの髪を通り抜けベネットに降り注ぐ。
失い続けるばかりだった母たちのような面影が重なった。
「我が王よ、あなたは何を目指すのですか?」
「……もう、自分を弱いなんて言いません。私は、私にできることを、続けます。だって、こんなに長く生きれたこと今までなかったんです。みんな……みんな私の家族です! 私は魔王です、弱くない、魔王になります!! 家族を……守れる強い魔王に」
ヒトの王はヒト族を守る、魔王は魔族を守る。けれど、それは正しいことなのだろうか。間違っているわけではない、けれどそうでなければならないという理由なんてありはしないのだ。
転生したこの体が、魔王の体であるというなら私は魔王になろう。
ヒトも、魔族も守れる、民のための王に。
「ありがとうございます」
目元に輝いたのは涙なのか、それとも葉の光沢か。イグテラは再び幹に体を埋めて、姿を消してしまった。デントロータスもまさか大地に埋まるのかと思ったが、わさわさと頭を揺らしながらその辺をうろついている。
イグテラの残した花は根を残し、花は瑞々しいままだった。
日がよく当たり、ベネットの部屋からも見えるところにユリウスの墓を建てて、皆で祈った。
「……お兄ちゃん、待ってるから、ここで」
ちょうど良さそうな瓦礫は墓標にしては歪すぎる。棺はデントロータスが自らの枝を分け集めてくれたもので作った。深く深く掘った穴は、ここが砂漠の中心であることが嘘であるかのように湿った土となっていた。
ベネットの涙を吸って咲いた花は、墓の前にその根を埋める。
転生者だから転生する、また必ず会えると分かっているからトーマたちは涙など流さない。
「だいじょぶ。ユリウスなら絶対、くるよ。あいつは、嘘つけないやつだから」
だからこそ、棘が刺さったままのように不可解なことが胸に刺さったままだった。
ユリウスは自分たちを殺していない、自分も殺された側だと言っていた。そしてジェロシアも黒魔術を使ってユリウスに自分たちを殺させたと言っていた。それならどうしてユリウスは死んだのだろう。呪術を解くために、自殺したとでも?
ジェロシアの言ったことが本当ならば、自分たちはユリウスに殺されたということで実力を考えれば納得できる。しかし、ユリウスの話を信じるなら……自分たちとユリウスは誰に殺されたというのか。
「色々情報が多くて少し困惑してますが……とにかくあの魔導師、いつのまにあんな魔術陣を……」
「いねぇぞ」
「嫌な予感がするのだよ」
しまいにはあの大量の魔術陣だ。おそらく、あれが用意されていたからこそ、ベネットの暴走するだけだった魔力をデントロータスたちが吸い上げあれらが復活したのだろう。暴走を見過ごせば、この砂漠を覆い尽くすほど巨大な砂嵐が十数年吹き荒れる災害を引き起こしていたのかもしれないのだから。
不在のものの噂話をしていると、空間がぐにゃりと歪み思わず「ぅゎきた」と溢してしまった。
「たっだいまぁ」
「あなたねぇ、突然消えたり現れた……り……」
ずんずんと説教を垂れながら近づいていたトーマの語尾がか細く消えていく。今日だけで何度、顎が外れるかというくらいに口が塞がらなかったことか。負担がかかり続けた顎に、追い打ちをかける光景を目の当たりにする。
「すぐ近くにいたから連れてきちゃったぁ」
てへ、と付け加えてアオイは首をこてんと傾げた。悪びれも無く。
その後ろからは、ぞろぞろと難民たちが移動魔術の陣から現れた。
「だからっ……情報がっ……多すぎっ……」
トーマは、膝から崩れ落ちてそう言い残したのだった。
応援ありがとうございます!
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