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建国 編【L.A 2064】
ただ、きおくがあるだけのそんざい
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アラシとアオイの助言を受けながら、ベネットは皆に仕事を言い渡す。その采配は見事なものだった。自らも多くの仕事で走り回っていたというのに、個人の得手不得手を配慮しながらできること、長所を活かそうとしている。ひとりひとりを、よく見ていたということに他ならない。
あっという間に水車小屋を増やし、畑の面積も大幅に増えた。さらには狩りだけで肉を得ることは危険性を伴うし効率も悪い、と指摘され家畜の飼育場の建設にも取り掛かっている。
陽が落ちる前に、と狩りから戻ってきたトーマたちは獲物をうっかり落としてしまうほど驚いたものだった。せいぜい水車小屋が一つか二つ増えているぐらいだろうな、と考えていたからだ。しかし狼の中には数人、転生者がいるように話していた気がする。建築の技術に富んだものがいれば確かに納得できた。
あっという間に暗くなり、今日も外で豪勢な夕餉だ。今夜はヘビが丸々皿に盛られていなくてよかった……とドレアスとトーマは互いの顔を見ながらほっと息をもらす。
狼たちと一部の民、建築を担当していたものたちはすっかり意気投合して笑い声が満ちていく。
「こ、これは……筆頭のメシ」
「休んでくださいって言ったんですけど……」
ベネットの両腕を広げても届かなさそうな大鍋には、溢れそうな量のスープがもうもうと湯気を立てている。辺り一帯がその鍋のにおいで満ちているものだから、ドレアスは垂れそうな涎をなんとか引っ込めた。隣には大皿に、あの味がついたイネがこんもり盛られている。
うまい、うまい、と狼たちはペロリと平らげてはおかわりをしていた。皿が小さすぎるな、と思わず笑ってしまう。
「書庫で得た畑の機能促進術を教えて、建築に必要な木材の4分の1を一人で運んで、食事を作っていたのだよ。恐ろしいほどの底なしの体力だね」
「筆頭は、面倒見が良すぎるんだ……うっ、うめぇ」
サイロンはベネットの補佐のためと、食事を作る人材として数えられていたため狩りにはこなかった。ジェイソンと二人が揃ったらまたオオサソリとオオヘビを獲ってくることが簡単に予想できるため、同行しなくてよかったと思っている。
機転も利いて、面倒見も良くて、体力もあって……やはりどうにも既視感が拭えない。精霊のいとしごなんて可愛い呼び名じゃない、いっそ子だくさんの母親とでも言ってくれた方がしっくりくる。
「皆さんと一緒には食べないんですね」
しかしその姿はどこを見回してもなかった。
「あの仮面は外せねぇからなぁ……今までもずっと、俺達にメシ作ってくれるのに、筆頭はたった一人で俺達の知らねぇところでメシ食ってたんだ」
朝の様子から察するに、おそらくはアオイの部屋だろう。かと言ってあの二人が互いに顔を晒し合えるのかは分からない。今度、双方にこっそりどんな顔をしているのか聞いてみよう。
肉が入っていないのにスープからは鶏肉のようなにおいと、鼻にツンとくる独特な香りが混じっている。それがなぜか嫌なものではない、むしろ口内では唾液がとめどなく分泌され続けている。具が入っていないスープなんてただの飲み物だと思っていたが、そんな考えが覆されてしまう。
少し離れた位置にいる狼たちを見れば、肉と炒めたイネにそのスープをかけて食べている姿が目に入った。また、布を被って暖をとっている女性たちはパンをそのスープに浸してから食べている。
始めに少し、スープを口に含んで舌いっぱいに香ばしさを感じる。ピリッとした辛味を感じるが、それほど辛いというわけではなくあとを引く美味しさが残り続けていた。一気に飲み干したい気持ちを抑えて、何もかけないままイネと肉と一緒に頬張る。少し大きめの肉からは脂がじゅわりと広がって口内でイネと絡んだ。
あれほど不味いと思っていたイネが美味しく感じられる。元の色が黄色くて細長い種類のイネだと思うが、確かパサパサしているし味もないしで次に出て来たら食べないようにしようと思っていたものだったはずだ。ベネットがどう味付けしようかと悩んでいたことも覚えている。
そして、ついにスープをイネに注ぎ、スプーンで掬い口に運ぶ。すぐに飲み込むのではなく、スープに浸し柔らかくなったイネを奥歯ですり潰しながら。肉とともに食べても、スープに浸しても美味しい。味が無かったはずなのに、と思ったが目を凝らすとイネに黒や赤といった粉のようなものがついている。
胡椒のようにも思えるがこの味は違う……調味料といえば、塩胡椒くらいしか思いつかない。だがベネットの買い物について行ったときの調味料の棚はどれがどれだか分からないほど多くの瓶が並んでいた気がする。「買わなくていいのか」と尋ねたところ、「調味料は高いので……」と苦笑いで返された。
いつの間にか皿は空っぽになっていた。しばし悩んで、やっぱりおかわりをしようとドレアスは左腕を椅子につけようとしたが、そこは椅子ではなかった。
「うっわ、びっくりした……いたのか」
あまりの美味しさに少しの間周りが見えていなかった。隣にはマテウスが表情を無くしたようにぼうと座っている。反応の無さに困って、覗きこんだり指先で肩をつついたりしても彼女は動かない。
「……あなたは、転生者、なのですよね」
「はっ? ん、まぁな」
やっと口を開いたかと思えば、それがどうしたという質問にドレアスは頬をかく。
「あの方に……アラシ、さまに言われたのです。マーが、どうして本が読めるのか、って」
「そりゃ、お前は賢いから……って、本って、あの旧字体のか?」
自分が賢いと思っていたトーマは結局、旧字体をすらすら読むことがまだできない。魔術の授業のときを思い出しても、マテウスはきっと頭の回転がいいのだろう。
「マーは、奴隷で……娼婦なのです。勉強をすることも、文字を学ぶこともしていないのです」
自分自身を未だに奴隷だとか娼婦だとか、そう言い放つマテウスの様子にドレアスは少しだけ苛立った。マテウスにそう感じたのではない、奴隷という存在そのもの、その存在を利用するものたちにだ。
「転生者は、生まれた時から文字が読めるのですか……!? 前世の記憶があるって、どういうものなのですか……っ」
「おいおい、ちょっと落ち着け。お前がとんでもなく賢いって話じゃだめなのか? 転生者とか前世とか、そんなに重要なのか?」
暗がりで丸くなった瞳孔に、遠くの炎がきらめいて反射する。眼球は膜のように張られた涙で揺れていた。さっと顔を俯かせて、マテウスはドレアスの視線から逃れようする。ドレアス自身、いや、彼女だけではない。転生者だって「自分がそういうもの」だとしか思ってないから、前世があると分かっても狼狽えたりなどしない。幼いころから文字が読めたり、両親でも知らない知識を持っていても、「転生者だから」とその一言で片付けられるのだ。
「……マーが転生者だったら、パパとママも殺されなかった……奴隷になんか、ならなかったのです」
弱々しい声だった。強気で、声を張り上げている姿ばかり見ていたから、ただでさえ小さい体が余計に小さく見える。彼女の両肩を抑える自分の手が、やけに凶暴に感じた。微かに伝わる震えは痛みからか、悔しさからか。ゆっくり手を離し、今度は手の平からやさしくマテウスに触れる。
「いいか、マテウス。あたしも、トーマたちも……転生者だが奴隷にされた。ジェロシアに襲撃されたときだって、アオイがいなけりゃ誰かが死んでたかもしれねぇ」
黒魔術、というものを自分たちはあまりに見くびっていた。ちょっと使えるだけで、使いこなせているわけじゃないと。だがジェロシアは、他者の命を糧にして黒魔術を昇華させて今の地位まで上りつめたのだ。自分たちは転生者だから、他の兵士たちより知識と経験がある。そんな驕りがあったことを認めざるを得ない。
「転生者はそんないいもんじゃない。前世を思い出して、いつも通り転生局に行ったら奴隷にされるなんて羨ましいか? 確かに、学ばなくても前世の知識がある。財産だってもう一度手に入れられる。お前がもし、前世の記憶がないのに知識だけ残っている転生者だとしても……きっとジェロシアが相手だったら何も変わらない」
「だったらなぜ! 転生者という存在があるのですか! 特別だから、前世の記憶を持っていたり、転生局というものがあったり……アオイさまのように、特別な方のために、転生者というものがあるのではないのですか」
ドレアスは、前世で共にいた勇者パーティーの仲間は全員が転生者だった。そして、今もその繋がりを持っている。自分から見て……転生者から見て、転生者というものは特別でもなんでもない。ただ前世の記憶があるだけ。それゆえに、マテウスがどうしても転生者を特別なものにしたい意志を汲むことができなかった。
「マーは、転生者は意味があるからこそ記憶を持ったまま生まれ変わるのだと、信じています……だから、前世の記憶が、知識があるならマーは思い出したいのです。今度こそ……ジェロシアを」
言葉を聞かずとも、マテウスが何を言わんとしているか分かった。だから思わずその口を塞いだのだ。手で覆われていない顔の上半分は驚きから泣きじゃくりそうな顔に変化する。ガブリ、と小指の根元を思い切り噛まれ急いで手を引っ込めた。しっかりと歯形がついてしまっている。
「マテウス……復讐を希うな。あたしは復讐に取りつかれた男を知っている。そしてあたしはその復讐に加担した……後悔しているよ」
かつて勇者と呼ばれた男。類稀な強さをもつあまり、己を過信して魔族を滅ぼそうとしたユリウスのことを思い出す。なぜあれほど魔族を憎むのか、その仔細のほどは結局知らぬこととなってしまった。再び出会うことがあったら、聞かねばならないだろう。
勇者であるから魔王を、魔族を倒さなければならないという信念だけではなかったと今では思う。抵抗できない魔族の村を焼き払うとき、ユリウスの瞳は憎悪で満ちていたのだから。
「あなたが自分の復讐を後悔しているとしても……マーは、許せないのです。ジェロシアも……自分のことも」
あぁ、同じ目だ。ドレアスは、その瞳に宿る揺らめきを前世でずっと見てきた。
今度こそ自分自身が後悔しないために。マテウスが復讐で心を支配されてしまわないように。
……お前に、ジェロシアを手にかけることなんて、させはしない。
その小さな手が持つのは凶器ではない。本と知識でいいのだと。多くを殺した自分と、少しでも誰かを救おうとしたマテウス。触れるほど近くにいても、その境界線は消えることはないだろう。
消えなくても、いいのだ。
あっという間に水車小屋を増やし、畑の面積も大幅に増えた。さらには狩りだけで肉を得ることは危険性を伴うし効率も悪い、と指摘され家畜の飼育場の建設にも取り掛かっている。
陽が落ちる前に、と狩りから戻ってきたトーマたちは獲物をうっかり落としてしまうほど驚いたものだった。せいぜい水車小屋が一つか二つ増えているぐらいだろうな、と考えていたからだ。しかし狼の中には数人、転生者がいるように話していた気がする。建築の技術に富んだものがいれば確かに納得できた。
あっという間に暗くなり、今日も外で豪勢な夕餉だ。今夜はヘビが丸々皿に盛られていなくてよかった……とドレアスとトーマは互いの顔を見ながらほっと息をもらす。
狼たちと一部の民、建築を担当していたものたちはすっかり意気投合して笑い声が満ちていく。
「こ、これは……筆頭のメシ」
「休んでくださいって言ったんですけど……」
ベネットの両腕を広げても届かなさそうな大鍋には、溢れそうな量のスープがもうもうと湯気を立てている。辺り一帯がその鍋のにおいで満ちているものだから、ドレアスは垂れそうな涎をなんとか引っ込めた。隣には大皿に、あの味がついたイネがこんもり盛られている。
うまい、うまい、と狼たちはペロリと平らげてはおかわりをしていた。皿が小さすぎるな、と思わず笑ってしまう。
「書庫で得た畑の機能促進術を教えて、建築に必要な木材の4分の1を一人で運んで、食事を作っていたのだよ。恐ろしいほどの底なしの体力だね」
「筆頭は、面倒見が良すぎるんだ……うっ、うめぇ」
サイロンはベネットの補佐のためと、食事を作る人材として数えられていたため狩りにはこなかった。ジェイソンと二人が揃ったらまたオオサソリとオオヘビを獲ってくることが簡単に予想できるため、同行しなくてよかったと思っている。
機転も利いて、面倒見も良くて、体力もあって……やはりどうにも既視感が拭えない。精霊のいとしごなんて可愛い呼び名じゃない、いっそ子だくさんの母親とでも言ってくれた方がしっくりくる。
「皆さんと一緒には食べないんですね」
しかしその姿はどこを見回してもなかった。
「あの仮面は外せねぇからなぁ……今までもずっと、俺達にメシ作ってくれるのに、筆頭はたった一人で俺達の知らねぇところでメシ食ってたんだ」
朝の様子から察するに、おそらくはアオイの部屋だろう。かと言ってあの二人が互いに顔を晒し合えるのかは分からない。今度、双方にこっそりどんな顔をしているのか聞いてみよう。
肉が入っていないのにスープからは鶏肉のようなにおいと、鼻にツンとくる独特な香りが混じっている。それがなぜか嫌なものではない、むしろ口内では唾液がとめどなく分泌され続けている。具が入っていないスープなんてただの飲み物だと思っていたが、そんな考えが覆されてしまう。
少し離れた位置にいる狼たちを見れば、肉と炒めたイネにそのスープをかけて食べている姿が目に入った。また、布を被って暖をとっている女性たちはパンをそのスープに浸してから食べている。
始めに少し、スープを口に含んで舌いっぱいに香ばしさを感じる。ピリッとした辛味を感じるが、それほど辛いというわけではなくあとを引く美味しさが残り続けていた。一気に飲み干したい気持ちを抑えて、何もかけないままイネと肉と一緒に頬張る。少し大きめの肉からは脂がじゅわりと広がって口内でイネと絡んだ。
あれほど不味いと思っていたイネが美味しく感じられる。元の色が黄色くて細長い種類のイネだと思うが、確かパサパサしているし味もないしで次に出て来たら食べないようにしようと思っていたものだったはずだ。ベネットがどう味付けしようかと悩んでいたことも覚えている。
そして、ついにスープをイネに注ぎ、スプーンで掬い口に運ぶ。すぐに飲み込むのではなく、スープに浸し柔らかくなったイネを奥歯ですり潰しながら。肉とともに食べても、スープに浸しても美味しい。味が無かったはずなのに、と思ったが目を凝らすとイネに黒や赤といった粉のようなものがついている。
胡椒のようにも思えるがこの味は違う……調味料といえば、塩胡椒くらいしか思いつかない。だがベネットの買い物について行ったときの調味料の棚はどれがどれだか分からないほど多くの瓶が並んでいた気がする。「買わなくていいのか」と尋ねたところ、「調味料は高いので……」と苦笑いで返された。
いつの間にか皿は空っぽになっていた。しばし悩んで、やっぱりおかわりをしようとドレアスは左腕を椅子につけようとしたが、そこは椅子ではなかった。
「うっわ、びっくりした……いたのか」
あまりの美味しさに少しの間周りが見えていなかった。隣にはマテウスが表情を無くしたようにぼうと座っている。反応の無さに困って、覗きこんだり指先で肩をつついたりしても彼女は動かない。
「……あなたは、転生者、なのですよね」
「はっ? ん、まぁな」
やっと口を開いたかと思えば、それがどうしたという質問にドレアスは頬をかく。
「あの方に……アラシ、さまに言われたのです。マーが、どうして本が読めるのか、って」
「そりゃ、お前は賢いから……って、本って、あの旧字体のか?」
自分が賢いと思っていたトーマは結局、旧字体をすらすら読むことがまだできない。魔術の授業のときを思い出しても、マテウスはきっと頭の回転がいいのだろう。
「マーは、奴隷で……娼婦なのです。勉強をすることも、文字を学ぶこともしていないのです」
自分自身を未だに奴隷だとか娼婦だとか、そう言い放つマテウスの様子にドレアスは少しだけ苛立った。マテウスにそう感じたのではない、奴隷という存在そのもの、その存在を利用するものたちにだ。
「転生者は、生まれた時から文字が読めるのですか……!? 前世の記憶があるって、どういうものなのですか……っ」
「おいおい、ちょっと落ち着け。お前がとんでもなく賢いって話じゃだめなのか? 転生者とか前世とか、そんなに重要なのか?」
暗がりで丸くなった瞳孔に、遠くの炎がきらめいて反射する。眼球は膜のように張られた涙で揺れていた。さっと顔を俯かせて、マテウスはドレアスの視線から逃れようする。ドレアス自身、いや、彼女だけではない。転生者だって「自分がそういうもの」だとしか思ってないから、前世があると分かっても狼狽えたりなどしない。幼いころから文字が読めたり、両親でも知らない知識を持っていても、「転生者だから」とその一言で片付けられるのだ。
「……マーが転生者だったら、パパとママも殺されなかった……奴隷になんか、ならなかったのです」
弱々しい声だった。強気で、声を張り上げている姿ばかり見ていたから、ただでさえ小さい体が余計に小さく見える。彼女の両肩を抑える自分の手が、やけに凶暴に感じた。微かに伝わる震えは痛みからか、悔しさからか。ゆっくり手を離し、今度は手の平からやさしくマテウスに触れる。
「いいか、マテウス。あたしも、トーマたちも……転生者だが奴隷にされた。ジェロシアに襲撃されたときだって、アオイがいなけりゃ誰かが死んでたかもしれねぇ」
黒魔術、というものを自分たちはあまりに見くびっていた。ちょっと使えるだけで、使いこなせているわけじゃないと。だがジェロシアは、他者の命を糧にして黒魔術を昇華させて今の地位まで上りつめたのだ。自分たちは転生者だから、他の兵士たちより知識と経験がある。そんな驕りがあったことを認めざるを得ない。
「転生者はそんないいもんじゃない。前世を思い出して、いつも通り転生局に行ったら奴隷にされるなんて羨ましいか? 確かに、学ばなくても前世の知識がある。財産だってもう一度手に入れられる。お前がもし、前世の記憶がないのに知識だけ残っている転生者だとしても……きっとジェロシアが相手だったら何も変わらない」
「だったらなぜ! 転生者という存在があるのですか! 特別だから、前世の記憶を持っていたり、転生局というものがあったり……アオイさまのように、特別な方のために、転生者というものがあるのではないのですか」
ドレアスは、前世で共にいた勇者パーティーの仲間は全員が転生者だった。そして、今もその繋がりを持っている。自分から見て……転生者から見て、転生者というものは特別でもなんでもない。ただ前世の記憶があるだけ。それゆえに、マテウスがどうしても転生者を特別なものにしたい意志を汲むことができなかった。
「マーは、転生者は意味があるからこそ記憶を持ったまま生まれ変わるのだと、信じています……だから、前世の記憶が、知識があるならマーは思い出したいのです。今度こそ……ジェロシアを」
言葉を聞かずとも、マテウスが何を言わんとしているか分かった。だから思わずその口を塞いだのだ。手で覆われていない顔の上半分は驚きから泣きじゃくりそうな顔に変化する。ガブリ、と小指の根元を思い切り噛まれ急いで手を引っ込めた。しっかりと歯形がついてしまっている。
「マテウス……復讐を希うな。あたしは復讐に取りつかれた男を知っている。そしてあたしはその復讐に加担した……後悔しているよ」
かつて勇者と呼ばれた男。類稀な強さをもつあまり、己を過信して魔族を滅ぼそうとしたユリウスのことを思い出す。なぜあれほど魔族を憎むのか、その仔細のほどは結局知らぬこととなってしまった。再び出会うことがあったら、聞かねばならないだろう。
勇者であるから魔王を、魔族を倒さなければならないという信念だけではなかったと今では思う。抵抗できない魔族の村を焼き払うとき、ユリウスの瞳は憎悪で満ちていたのだから。
「あなたが自分の復讐を後悔しているとしても……マーは、許せないのです。ジェロシアも……自分のことも」
あぁ、同じ目だ。ドレアスは、その瞳に宿る揺らめきを前世でずっと見てきた。
今度こそ自分自身が後悔しないために。マテウスが復讐で心を支配されてしまわないように。
……お前に、ジェロシアを手にかけることなんて、させはしない。
その小さな手が持つのは凶器ではない。本と知識でいいのだと。多くを殺した自分と、少しでも誰かを救おうとしたマテウス。触れるほど近くにいても、その境界線は消えることはないだろう。
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