2つの糸

碧 春海

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三章

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「ふああ~」
 朝比奈優作は大きな欠伸をしながらリビングルームのドアを開けた。
「あっ、姉さん、おはよう」
 身を正して声を掛けた。
「おはようね~。今何時だと思っているの」
 姉の麗子は掛け時計を指差した。
「すみません。深夜遅くまでコンビニのバイトが入っていまして、家に帰ったのは3時を過ぎていましたので、こんな時間になってしまいました」
 直ぐにキッチンへ向かった。
「優作、今はバイトの掛け持ちで大変だとは思うけど、将来の為にもちゃんとした職に就くことを真面目に考えなさいよ。そんな不規則な生活ばかりしてると、そのうち身体も壊すわよ」
 弁護の為に集めた仕事書類に目を通しながら苦言を呈した。
「姉さんに心配していただくのは大変嬉しいのですが、この生活が今の僕には合っていますので、もうしばらく見守っていただけませんか」
 エプロンをして冷蔵庫の中を覗いた。
「私はいいけど、父さんがどういうかな。いつも迷惑ばかり掛けているからね。次はないわよ」
 キッチンへと振り向き右の人差し指を立てて示した。
「分かっていますよ。もし、親父から連絡があったら、大人しくしていると伝えておいてください。姉さん、何か食べますか」
 話を逸らして尋ねた。
「ありがとう。でも、朝食はトーストとコーヒーで済ませたばかり、昼食にはまだ早すぎるでしょ」
 もう一度掛け時計を示した。
「そうですね、中途半端になりますので僕も我慢します」
 諦めてエプロンを外すと、ヤカンに水を入れて湯を沸かすことにした。
「あっ、姉さん、明日はクリスマスイブなんだけど、夜の予定は入っていますか」
 手際良くハーブティーを2人分用意してリビングへと戻った。
「何と驚くことに本当に珍しく、今年は何も入っておりません」
 口説いくらいに滅多に無いことを強調しながら、テーブルに置かれたハーブティーに手を伸ばした。
「ああっ、それは本当に良かった。あっ、いや、残念でした」
 どう表現して良いのか頭を掻きながら麗子の前に腰を下ろした。
「いいわよ。どうせ、女はクリスマスケーキと同じで、クリスマスイブ、つまり24まではもてはやされるけれど、その日をすぎれば見向きもされなくなるって誰かが言ってたわね。私はクリスマスイブどころか、大晦日も過ぎてしまったんですから」
 淋しそうな表情で、壁に掛けられた新聞社からもらったカレンダーに目を移した。
「あっ、いえ、僕はそんなこと微塵も思ったことはありません」
 美人過ぎると近寄り難いものだと普段から思っている朝比奈は、右手を顔の前で小刻みに振った。
「それで、運良くクリスマスイブの夜に何も予定がない私に何処に連れてゆくつもりなのでしょうか」
 朝比奈の顔を睨む目力が半端なかった。
「実は、クリスマスイブの夜、一緒に食事をしようと思ってさ。いつも姉さんには迷惑を掛けていますので、明日は僕が奢りますよ」
 朝比奈はドヤ顔で胸を張った。
「えっ、まさか、本当なの。夢じゃないよね」
 麗子は右のほっぺを摘んだ。
「そのリアクションは酷いでしょ」
 溜息を吐いて首を傾げた。
「でもね、優作がそれ程胸を張って私に奢るって言うなんて、鳥取砂丘でなくしたパールのピアスを見付けるのと同じ程の奇跡。雷の鳴る豪雨の中を傘も差さずに家路につくようなもの。くわばらくわばら」
 頭を抱えてみせた。
「それはいくら何でも酷すぎませんか」
 ハーブティーを持つ手を止めて言い返した。
「いいえ、今までの経験と理論に基づく結果です」
 今度は麗子が胸を張った。
「そうやって僕をイジって、いつも楽しんでますよね。そんな性格だから、イブの日に誰も誘ってくれな・・・・・・」
 あっと思い、慌てて口を塞いだ。
「優作に性格まで指摘されるとは思いませんでした。あんたこそ、そんな性格だから誰にも相手にされないんでしょ。特に女の子にはね、どうなの」
 腕を組んで睨み付けた。
「あの、お言葉を返すようなのですが、これは姉さんのせいでもあるのですよ。子供の頃から成績優秀で運動神経も良く、柔道の有段者である文武両道の姉さんを超えるような女性を、見付け出すのは非常に難しいですよね。もし、奇跡的にそんな女性が存在するとしても、そんな素敵な女性は僕を相手にしてくれませんからね」
 感情込めて答えた。
「そうやっていつも煽てて誤魔化すんだから。本当、口だけは達者になったわね」
 身内の言葉とはいえ悪気はしなかった。
「いえ、僕の本心ですよ。自分では気づいていないかもしれませんが、姉さんは外見だけではなく、内面も本当に綺麗な人格者で子供の頃からずっと尊敬しています。嫌味や口が悪いのをの除けばね」
 勝手に大きく頷いてみせた。
「嫌味だけは余計ね。でも、やはり優作が奢るなんて絶対何かあるわね。白状しなさい」
 『はけ,はけ』と続けば、警察の取調室さながらの状況であった。
「はい、素直に白状します。今度の仕事でホテルでのウエディング特集を組むのです。それで、明日の夕刻そのホテルでパーティーが開かれてるのですが、取材を兼ねて僕も招待されているのです。できれば、女性からの視点で姉さんからもアドバイスをもらえればと2名での参加をお願いしていたのです」
 朝比奈は立ち上がるとパンフレットを戻ってきた。
「ハッピーメリークリスマスディナー?」
 パンフレットに大きく書かれた文字を読み上げた。
「まるっとベタな企画でしょ。僕は反対したんですが、そんな権力はないですから即に却下されました。企画としては、そのホテルで挙式予定のカップルを招待すると共に、僕を含む色々なメディアを招いて宣伝するというものらしい。勿論、無料で招待するのですが、中には既に他でブランを立てているカップルもいて、宣伝の意味もあり華やかなものにする必要がある為に、できれば女性同伴での出席を要望されているのです」
 朝比奈は両手を顔の前で合わせた。
「おかしいと思ったわよ。でも、招待だから勿論無料なわけでしょ。そんな条件、高級ホテルでのディナーが奢ってもらえるのに、それでも付いて来てくれる女性が居ないって訳ね。そうね、昔からずっとだけど、優作って女の子どころか男の友人も居た記憶はないわね。まぁ、その性格だから無理はないわ。仕方ない、今回は付き合ってあげることにするわね」
 ここで、この姉弟の紹介を簡単にしておきます。朝比奈姉弟は、将棋で有名となった藤井名人と同じ愛知県瀬戸市で生まれ育った。優作が大学在籍中に名古屋市東区へと引っ越した。小中高大学まで公立の学校で、特に高校は尾張旭市の旭野高校へ、大学は愛知県立大学へと進学した。高校と大学ではラグビー部で活躍し一度は全日本に選抜されて海外遠征も経験した。その後、大学を卒業して日本でも名門の薬品会社に就職したのだが、2年も続かず退職して、会社の清掃員・夜間の警備員・動物園の飼育係・レストランのウエイター・白犬ヤマタの配達員など両手の指では数え切れない職種のアルバイトを経験してきた。今は、名古屋市内のカフェバー『ゼア・イズ』のアルバイトと、フリーのライターとして店舗などを紹介する記事を書いていた。
 一方姉の麗子は、小中高校までは弟と同じであったが、大学は東京大学の法学部を主席で卒業し、在籍中に司法試験にも合格を果たして国家試験も受かって、名古屋地検で検察官として働いていたのだが、ある事件を機に検察官を辞めて弁護士事務所を開いていた。いわゆるヤメ検弁護士ではあるが、名古屋市だけではなく愛知県内でも敏腕弁護士として認知され活躍していた。高身長・高学歴・高収入、尚且つ美人なのに今も独身で、弟と
実家で同居していると、法曹界での七不思議となっている。ただ、仕事が忙しいのもあってか、家事全般は弟が受け持っているようであった。
 そんな姉弟ではあったが、特に仲は悪くもなく時々姉の仕事を手伝うことで、反対に家族に迷惑を掛けることも多く、姉には今でも頭が上がらない状態であった。
「そうそう、ブライダルといえば、優作宛に招待状が届いていたわよ」
 麗子は立ち上がって、先程郵便受けから取り出して他のテーブルに置いてあった封筒を手渡した。差出人は、親の名前国友幸助・内田久美子の連名になっていた。
(国友と内田か、やっぱりあの2人結婚するんだ)
 朝比奈は早速封筒を開けてみた。
 謹啓 巌寒の頃貴家益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
 此の度長谷部寛様ご夫婦のご媒酌により
    幸 助 次男 鉄男 
    久美子 長女 友美
 との婚約相整い挙式の運びとなりました。
 就きましては、幾久しくご指導とご懇情を賜りますようお願い旁々披露の小宴を催した 
 いと存じますので、ご多忙中誠に恐縮ではございますが、何卒ご光臨の栄を賜りますよ 
 うご案内申し上げます。                          敬具
と認め、日時と場所が記載された招待状であった。そして、その招待状の他には出・欠席を知らせるハガキと折り畳まれた手紙が1通入っていた。
 『突然の招待状に驚いていらっしゃることと思います。多分名前に見覚えがなく、困っていらっしゃるのかも知れませんね。私は旭野高校時代に2学年下でラグビー部のマネジャーをしていた後輩です。夫となる鉄男さんとも同学年だということで、招待していただくことを快諾していただきました。つきましては、ご多忙中とは思いますが是非ご出席していただくようお願いいたします。挙式でお会いすることを楽しみにしています。』と女性らしい綺麗な文字で書かれていた。
(もう会っているんだけどね。幸せ過ぎてやっぱり気づいていなかったんだ)
 朝比奈はちょっぴりショックではあったが、それでも目を閉じて高校時代の場面を思い出していた。
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