2つの糸

碧 春海

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四章

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 翌日、クリスマスイブの夕刻に朝比奈姉弟は予定通り名古屋ニューグランドホテルへと向かっていた。いつもはそんなに渋滞しない道なのに、クリスマスイブの夜ということで混雑していた。
 街路樹は色とりどりの電色で飾られ、サンタクロースの図柄がやたら目に付き、クリスマスソングが流れる中を、肩を抱いたり恋人繋ぎをするカップルの姿を想像するだけで心が折れた。名鉄百貨店本店にある20フィートもあるナナちゃん人形もサンタクロースの衣装をまとっているとテレビで紹介されていた。
 朝比奈は子供の頃から不思議に思っていることがあった。日本は神道と仏教の国なのになぜイエス・キリストが生まれてきたことをお祝いしなければならないのかと。そして、街中がクリスマス一色に染まる中、朝比奈の視界にXmasの文字が飛び込んで来て、ある思いが頭に明かりを灯した。
「姉さん、今この時、24日がクリスマスイブなんだけど、本来クリスマスは25日なんだからおかしいよね」
 答えられなくて戸惑う麗子の表情を期待した。
「クリスマスと呼ばれる降誕祭は元々キリストの誕生日ではなかったんだよね。ローマ帝国時代、キリスト教は国教ではあったんだけど、まだまだ民衆にには定着していなくて、その頃ペルシャから太陽信仰の性格を持つミストラル教が伝わってきたの。そして、このミストラル教には『光の祭り』が年に一度、昼夜が最も短くなりその日を境に再び昼間が長くなっていく冬至の日に行われていたのよ。旧暦ではこの冬至が12月25日にあたっていた。一方で、ローマ帝国ももともと土着の祭りとして、農耕の儀式もまた12月25日前後に執り行われていて、そこでローマ皇帝はイエス・キリストを『光』に例え、『光の復活はキリストの復活』として、土着の祭りを全て吸収する形で12月25日をキリストの降誕祭に制定したって訳。因みに、クリスマスイブのイブとは英語のイブニングと同じ意味の古語イブのことであり、クリスマスイブはクリスマスの前夜ではなくクリスマスの夜のことを言うのよ。これは、ユダヤ歴が大きく関わっていて、ユダヤ暦では日没が1日の変わり目とされていて、12月24日の日没から25日の日没までがクリスマスとなり、クリスマスイブは既にクリスマスに含まれている24日の日没から深夜までになるのよ」
 麗子は朝比奈の問いにスラスラと答えた。
「どしてそんなこと知ってるの。じゃ、じゃあ、サンタクロースの語源は知っていますか」
 どうしても困る顔が見たくて続けて尋ねた。
「サンタクロースのモデルはギリシャ出身の司教『聖ニコラウス』だと言われているの。ある時、ニコラウスは貧しさの余り3人の娘を身売しなければならない一家の存在を知り、真夜中にその家を訪れ窓から金貨を投げ入れたの。ニコラウスのお蔭で家族はバラバラにならずに済み、皆んなで一緒に暮らすことができたという逸話が残されたのよ。ニコラウスがその金貨を投げ入れた時に、偶然にも暖炉に下げられていた靴下に入り、これが『サンタクロースが夜中に家に来て靴下の中にプレゼントを入れる』という伝説が始まったって訳ね。『聖(セント)ニコラウス』が英語風になまって『サンタクロース』になったのでしょう」
 困った表情を見せることなく当たり前のように言い放った。
「良く分かりました。今後一切姉さんには質問しません」
 改めて麗子の凄さを感じ取っていた。
「何怒ってるのよ」
 語気を強めた朝比奈に呆れていた。
「別に・・・・・・」
 2人が言い合っている間に朝比奈の運転する車は、名古屋ニューグランドホテルの地下駐車場へと滑り込んでいった。そして、その車の中からは、マリンブルーのカクテルドレスを身にまとった麗子と、それに合わせるように濃いブルーのタキシード姿の朝比奈が降り立ち、エレベーターで取り敢えず1階のロビーに向かったのだが、その間にも擦れ違ったりする人たちは麗子の姿に釘付けとなった。
 ロビーは2つの外壁が全てガラス張りで、一方は夕暮れの街並みをコートの襟を立てたサラリーマンやケーキの箱を持った家族連れが家路を急ぐ姿が、もう一方は5メートル以上もある人工の滝が見渡せたが、どちらも寒そうな風景であった。
 ロビーの床面積はそんなに広くはなかったが、3階まで吹き抜けになっている為に空間的にはとても広く感じた。ロビーの片隅には、朝比奈がアルバイトとして務める白犬ヤマタの宅配コーナーが用意されていて、結婚式の引き出物を自宅に送ることもできるようになっていた。
 東海地方、特に名古屋地区は挙式が派手で、テレビでも『名古屋嫁取り物語』などでも紹介されているように、引き出物の品数も多く大きくて重いものが好まれて持ち帰りが大変だと言うことをよく聞く。見栄を張らずもっとコンパクトなものにすれば良いと思いながら受付に向かった。受付には3人の女性が座っていたが、朝比奈姉弟の姿を見ると一斉に立ち上がり『いらっしゃいませ』と言葉を掛けた。
「今日のクリスマスディナーに招待していただいている朝比奈ですが、こちらでよろしいですか」
 招待状を一番左側の女性に差し出した。
「朝比奈様ですね。お待ちしておりました」
 招待状を受け取り先頭に立ってエレベーターまで案内した。
「会場は8階のダイアモンドの間になります。エレベーターを出られて左手になりますので、よろしくお願いいたします。申し訳ありませんが、こちらの券を入口の担当者にお渡しください」
 券を渡して案内し、女性は軽く一礼すると、2人を羨望の眼差しで見ていた。きっと恋人同士と勘違いしているのだろうが、とんだ迷惑だった。
 エレベーターを8階で降りて会場の入口に近づくと『いらっしゃいませ』と声を掛けて黒のスーツを身にまとった若い女性が笑顔で挨拶して2人を迎えてくれた。その女性にA-3と書かれた番号札を渡すと、指定された席まで2人を案内して『こちらの席になります。皆様がお揃いになりますまでしばらくお待ちください』と言葉を添えて戻っていった。
 会場はとても広くて、6人掛けのテーブルが30以上並んでいた。この会場にもクリスマスツリーが飾られていて、勿論BGMはクリスマスソングだった。
(本当に日本人のクリスマス好きも困ったものだ)
 そう呟いた朝比奈にはきっと、クリスマスという日に良い思い出が今まで無かったからでもある。
 会場への出足は良くはなかったが、朝比奈姉弟が席に着いた頃から続々とカップルが集まり始めて、開演の5分前には満席となった。何気なく会場を見渡すと、1組のカップルの姿が目に飛び込んできた。朝比奈は静かに席を立ってそのテーブルに近づいた。
「この度は、結婚式の招待ありがとうございました。そして、おめでとうございます」
 朝比奈は2人の男女に頭を下げた。
「えっ、あっ、朝比奈先輩ですか?久しぶりです、もう10年になりますよね」
 先に友美が声を出し2人は顔を見合わせた。朝比奈の蝶ネクタイにタキシード姿は10年前の姿と余にも掛け離れていたからだった。
「勝っても負けても泣いていた、あの泣き虫友ちゃんがこんなに綺麗になって驚いたよ。また、その相手が鉄男だなんて本当に驚いたよ。高校の時からずっと付き合っていたのか」
 右手で交互に2人を指差して尋ねた。
「いえ、俺は付き合いたかったんだけど、色々事情があってその後会うことはなかつたんだけど、偶然同じ会社に務めることになって俺の方からアタックして口説いたんだ」
 2人を代表して鉄男が答えた。
「好きだったら高校の時に告白すればよかったのに。鉄男はチャンスはいくらでもあったんだろ」
(朝比奈はラクビーではレギュラーじゃなかったんだから、時間があっただろうとは言えなくて。鉄男はお前のせいだろと言いたかった)
「朝比奈先輩も結婚されるのですか」
 朝比奈が座っていた席を右手で示し、それに気がついて麗子が立ち上がり近づいてきた。
「あっ、あの・・・・・」
「婚約者の麗子です」
 2人に向かって頭を下げた。
「先輩にお似合いの素敵な方ですね」
 友美は少し嫉妬をしていたのかもしれない。
「ちょっと誤解されるでしょ。これは、僕の姉です」
 慌てて否定した。
「でも今日は・・・・・・」
 一瞬朝比奈が気を使ったのではないかと思った。
「いや、これは仕事の一環で、ホテルから招待されたんだよ」
 麗子を睨み付けた。
「確か、朝比奈のお姉さんは、東大を出て検事になられたのですよね」
 鉄男が間に入った。
「今は検事を辞めて弁護士をやっています。離婚問題が生じた時はご相談に乗りますので是非ご依頼ください」
 鉄男に向けて右目を瞑った。
「馬鹿、素敵なカップルに向けてなんてことを言うのよ。こんな奴ですので、学生時代も迷惑を掛けたんでしょうね。弟に成り代わってお詫びいたします」
 麗子は2人に向かって頭を下げた。
「迷惑だなんて、全然そんなことはありませんでしたよ」
 鉄男のその言葉はあくまでも社交辞令としか思っていない麗子。長年の付き合い、顔の表情で分かる。朝比奈は、家に戻ってからのお説教を覚悟した。
「先輩、仕事の一環といわれましたが、今どんな仕事をされているのですか」
 先程の朝比奈の言葉が気になり友美が尋ねた。
「仕事ですか・・・・・あっ、そうだ、内田さんは10年ぶりと言いましたが、実はこのホテルで丁度2年前にあっているんですよ」
 どの仕事を告げようかと考えてふと思いついた。
「2年前、このホテル・・・・・・えっ、やっぱりレストランのギャルソンが、朝比奈先輩だったのですね」
 友美は納得して頷いた。
「今もそうだけど、あの時もギャルソンとしての制服姿だったから、高校時代のだらしない姿からのギャップが大きすぎて気づかなかったんだろうな」
 気まずそうに頭の後頭部に手を当てた。
「それでホテルから招待されたのですね」
 納得して頷いた。
「僕の好きな歌にもそんな歌詞があったけど、付き合っていなかった高校時代の同級生と後輩が、同じ会社でまた出会って結婚するなんて、何か特別な運命を感じるな。皆に好かれる布を紡げればいいね」
 朝比奈は、2人の姿を交互に見て微笑んだ。
「ありがとうございます。あっ、そうだ、大神崇にも招待状をだそうと思っていたんだが、住所が分かれば教えてくれないか」
 鉄男が代表して答えた。
「ああっ、あいつは無理だと思う」
 嫌な顔を思い出していた。
「えっ、無理ってどういう事なんだ。確か、東大に行ったんだよな」
 朝比奈の言葉に鉄男が疑問を持って尋ねた。
「それは俺も気になっていたんだよな。あいつ、何故か姉のことを尊敬していて、全く同じ道を歩んで検察官になったんだけど、奴の場合は何か失態を犯したんだろうか、現在は行方不明になっているんだ。海外にでも逃げたんじゃないのかな」
 ゆっくりと姉の顔を見た。
「何か冷たいな。高校時代は一番の親友だったんじゃないか」
 友美に同意を求めるように顔を見た。
「そうなのよ、たった1人の友人というか、唯一の理解者だったのにね」
 麗子が大きく肩を落としてみせた。
「言い過ぎですよ。大神以外に友達は・・・・・・ああっ、鉄男だってそうだったよな」
 でも、これといった人物が思い浮かばなかった。
「そうか、大神に友人代表の1人としてスピーチを頼もうと思っていたけど、口だけは達者だった朝比奈に頼むよ。親友だった大神の代わりだから断らないよな」
 鉄男は右手を差し出した。
「わっ、分かったよ。1月15日を楽しみにしているよ」
 仕方なく差し出された右手を握った。そして、2人に頭を上げて自分の席へと戻っていくと、制服を着た女性が待っていた。
「本日、このテーブルを担当いたします伊藤ゆかると申します。よろしくお願いします」
 そう言ってテーブルに置いてあった札を持って戻っていった。
(最後はちょっと後味の悪い再開となってしまったが、パーティーを楽しもう)
 朝比奈は気を取り直すことにした。しばらくすると、主催の名古屋ニューグランドホテルの支配人の今夜の催しの詳細と、参列した皆様への感謝とお礼の言葉に続き、手元に用意された食前酒を手に取り乾杯が行われた。招待客は、ビュッフェ形式であった為に、用意されていた皿を手にすると、目当ての料理へと向かった。
(今夜はしっかり食べるぞ)
 そう意気込んで席を立った朝比奈ではあったが、やがて訪れる2人の挙式に恐ろしい事件が待っているとは、この時点では想像もできなかった。
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