2つの糸

碧 春海

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八章

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 翌日、朝比奈はいつもより早く起きて朝刊に目を通した。
『名古屋市内のホテルで新婦が殺害される!15日午後6時30分頃、名古屋市内にある名古屋ニューグランドホテルの教会の予備室で、挙式が済んだばかりの新婦内田友美さんが血まみれで倒れている姿をスタッフが発見。直ちに救急車と警察が駆け付けたが既に死亡しており、愛知県警中央署は殺人事件として、挙式に参列していたA氏を重要参考人として任意にて取り調べを行っている』と朝比奈が思っていたより小さな事件として、隅の方に載せられていた。
(重要参考人ね。親父が事実を知ったらびっくりするだろうな)
 そう思いながら、他の記事に目を移そうと思ったところで家の電話が鳴った。
『もしもし、朝比奈です』
『おおっ、優作、出たな。久しぶり』
『とっ、とっ、父さん、おはようございます』
 朝比奈は記事を見た後でもあり吃ってしまった。
『どうした、何かあったのか?携帯に掛けても出ないから、ダメ元で家に掛けたら出たから驚いたよ』
『いえ、別に何もありません。つねに規則正しい生活を送っています』
『そう言って、仕事の方はどうなんだ。今はどこに勤めているんだ』
『今、真剣に検討中です。何度も仕事を替える訳にはいきませんからね』
『仕事って言っても、お前の場合はアルバイトなんだろ』
『心配掛けて申し訳ありません』
 朝比奈は受話器を持ったまま頭を下げた。
『まぁ、お前の人生だからな。ところで・・・・・昨夜は大変だったようだな』
 父親は話題を変えた。
『えっ、何のことでしょう』
 無駄とは思ったが、兎に角惚ける道を選んだ。
『無駄なことは止めた方がいいぞ』
『えっ、他のマスコミの報道で名前が載ったのですが?』
 その為に朝早く起きて急いで新聞を確認したのだったが、まだテレビまではチェックしていなかった。
『事件そのものの報道はあったが、捜査状況など詳しい話は何も分かっていないとのことだったけどな』
『あっ、姉さんですね』
 憎たらしい姉の顔が頭に浮かんだ。
『そうだ、お前のことだから、また首を突っ込んで皆に迷惑を掛けるんじゃないかと心配して、釘を刺すように頼まれたんだよ』
『姉さんが心配性なだけですよ。僕は、好き好んで事件なんかに関わろうと思ったことは一度もありません。今回もですが、警察の方から犯人と間違えられたりして巻き込んでくるのですよ。父さんから受け継いだ性格上、そう朝比奈家の血筋で、正義を通す為には戦うのみ。それに、他人の手を借りるのは好きではないので、自分の身は自分で守らなければなりませんからね』
『それでも、時と場合、そして立場というものがある。それに、今回も殺人事件であり相手は殺人犯なんだぞ。お前は何の権利も持たない、一般人なんだからな』
 いつも無茶をする朝比奈のことを、本当に心配していた。
『ご忠告はありがたいのですが、もう少しで犯人にされそうになったのですよ。昔から親父は、売られた喧嘩は買っていたじゃないですか。倍にして返すつもりはありませんが、行った罪に対してはそれ相応の罰を受けなければならない。全ては、因果応報です。でも、危険なことはしませんので、ご安心ください。それでは失礼します』
 素早く耳から遠ざけた受話器からは『おい、待て、優作』と叫ぶ父親の声が聞こえたが、お構いなしに受話器を元の位置にそっと戻し、空かさず留守番電話のボタンを押した。すると、案の定、電話が鳴って留守番電話に切り替わった。今まで定職に就けず、色々なアルバイトを経験しては辞めていて、真面にボーナスをもらったことのない人間だから、社会人としては失格の烙印が押され、一人前とは見られていないことは仕方がないが、せめて家族だけには信頼を回復したいと本当に願っていた。
(さて、早速、捜査を開始しましょうか)
 朝比奈はトーストとコーヒーで朝食を済ますと、車で中央署に向かい新しい証拠や捜査の状況を尋ねたが、挙式の参列者名簿を順次当たっているとのことで、新しい証拠等は何もないとの素っ気ない返事が帰ってくるのみであった。朝比奈は、一般市民の素人に対するそんな警察の態度を当然と理解しつつも、警察だけに任せてはおけないという気持ちも益々芽生え、売られた喧嘩を買う覚悟を決めた。
 朝比奈は、バイト先でもあるカフェバー『ゼア・イズ』に足を運び、マスター特性の卵トロトロのオムライスの大盛りを注文し、暫くバイトには入れないことを告げて許可をもらった。
「マスター、手土産でデザートを持っていきたいんだけど、レモン味のシフォンケーキのホールって流石に無いよね」
 オムライスを平らげて朝比奈が申し訳なさそうに尋ねた。勿論、メニューには載っていないが、長い付き合いで『もしか』を期待した。
「あるよ」
 マスターは奥の部屋へと姿を消し、暫くして白くて大きな箱に入ったシフォンケーキを手にして戻ってきた。
「あっ、あるんだ」
 朝比奈は箱の中に入っていた、レモンの香りがする1ホールのシフォンケーキに感動し、マスターの偉大さに改めて感謝して尊敬の眼差しで見詰めた。その後店を出た朝比奈は、バイト先を次々と訪れて事件のことやそれに際して警察で事情聴取を受けたことを正直に話し『ゼア・イズ』と同じように暫くの間、休みをもらうことを承諾してもらった。電話で済むことではあったが、事情が事情だけに直接話して理解してもらいたかった。
 全てのバイト先を回り終えると、内田友美のお通夜の会場になっていた名古屋市の東部と接する尾張旭市にある雲龍殿葬祭センターのセレモニーホールへと向かった。結婚式当日に新婦が殺害されるという特異の話題性と、その結婚相手が愛知グループ社長の息子であるとのことを嗅ぎ付けた、週刊誌の記者やテレビ局のレポーターなどが多数押し寄せ、家族やその関係者は勿論のこと会葬者までも話を聞いたり、それぞれの方法で取材や報道をしていた。
 朝比奈は受付に向かう前に、シフォンケーキの入った箱を手に持って、ある人物を探していた。しかし、残念ながらその人物を発見できず、ホールの関係者に事情を話すと奥の部屋へ案内された。
「やっと会えました、随分探したんですよ。これ、お姉さんに供えてくれませんか」
 朝比奈は女性の前にケーキが入った箱を差し出した。
「失礼ですがあなたは・・・・・・あっ、もしかしたら朝比奈さんですか」
 驚きながらも差し出された箱を受け取った。
「はい、そうです。友美さんの妹の友紀ちゃん、いや友紀さんですよね。本当にお久しぶりです」
 丁寧に頭を下げた。
「そっ、そうですけど、10年以上も経っているのに、よく私のことを覚えていましたね。姉の結婚式の時も挨拶はしてなかったですよね」
 驚いた表情で言った。
「でも、友紀さんも僕のことを覚えていたじゃないですか」
 逆に質問を返した。
「それはお姉ちゃんから色々聞いていたから」
 本当は姉の友美が、朝比奈と2人並んで映った写真を、定期入れや勉強机に飾っていたことを知っていたからだった。
「色々って、友紀さんとは高校の時のラグビー部の秋の大会での決勝戦で負けた時、その残念会と言って大神と4人で牛丼屋で食事をした時の1度だけだったはず。俺と大神は奮発して、ご飯おかわり無料の牛皿・カルビ定食で、友美さんと友紀さんはWハムエッグ牛小鉢定食だったよね」
 腰を下ろした朝比奈は、左の顳かみを人差し指で叩きながら答えた。
「えっ、10年も前に私たちが食べたメニューも覚えているんですか」
 友紀には、それは信じられない言葉であった。
「友紀さんは知らないと思うけど、僕はサヴァン症候群なんだ」
 部屋の中央にある席に案内されて腰を下ろした。
「何か怖い病気みたいですね」
 友紀もテーブルにケーキの箱を置いて、朝比奈の前に心配そうな顔で腰を下ろした。
「別に、日常生活に支障はなく、死に至る病気でもないよ。これは医学的な用語ではなく、明確な診断もないんだ。概念としては1887年に、J・ラングドン・ダウン博士が提唱したもので、知的障害や発達障害がある中で『記憶力』『音楽』『美術』『計算』等の分野において、特出した才能を持っている状態やその意味をなす言葉なんだ。絶対音感や何年の何月何日は何曜日と聞かれて即答できるのもその一種なのかもしれないけど、僕の場合はある瞬間の情景を写真や映像のように頭に記憶として残すことができるみたい。子供の頃から物覚えが良いなんて言われていたけど、当たり前のことで誰でも一緒だと思っていたから最近まで気付かなかったけどね。気付いていれば、もっと活用して勉強に励めたんじゃないかと今は後悔してるよ」
 頭の後ろに手を当てた。
「でも、それってすごいことですよね。ある種、天才ってことですよね」
 感動し、羨ましく思えた。
「でも、全部が全部覚えていたら、頭の中のデータベースがいっぱいになってしまうよ。印象に残ったり、興味があることしか覚えていないんだ。それに、良い事ばかりじゃなくて、いわゆる副反応として協調性がなく頓珍漢なことを言ったり、マイペースで場の空気が読めないとか思われ常識のない人間とか変人なんてレッテルを貼られて、相手もされないみたいなんだ」
 当たり前のように接しているのに納得ができないでいた。
「でも、先程言ったようにお姉ちゃんは朝比奈さんのことをよく話してくれたし、多分好きだったんじゃないのかな。朝比奈さんが卒業するまでには、絶対に告白すると思っていたのに、お姉ちゃんの気持ち気が付かなかったんですか」
 サヴァン症候群という特殊技能をもっているのにと、不思議そうな表情で首を傾げた。
「あのね、サヴァン症候群はエスパーとは違って人の心までは分からないんだ。ちゃんと言葉や態度で示してくれないとね。それに、高校時代も女の子達には変人と呼ばれていたけど好きって言われたことは一度もない。バレンタインなんかも大神は沢山チョコレートをもらっていたけど、僕は義理チョコだってもらったことはないんだよ」
 でも、毎年姉がチョコレートをくれていたことを思い出していた。
「えっ、そうだったんですか。でも、私お姉ちゃんが高校一年生のバレンタインデーの日のことは、今もよく覚えているんですよ。お姉ちゃんは綺麗にラッピンクしたチョコレートを用意してそわそわしていたから。だからきっと、朝比奈さんに渡したものだと思っていたんです。でも、その日の夜はとても落ち込んでいたから、朝比奈さんに告白して振られたとずっと思っていました」
 恨めしい表情に変わった。
「ちょっと待って、高校三年生の二月十四日は・・・・・ああっ、その日は、親父の転勤が決まって引越しの手伝いで朝から東京に行ってたから、高校の同級生や部活の仲間には会えなかったからね」
 左の顳かみを叩きその時の様子を頭に描いた。
「そうだったのですか・・・・・あっ、お供え物ありがとうございます」
 友紀は、何が入っているのか気になってケーキの箱を開けると、レモンの香りが漂ってきた。
「友美さんはレモネードとかレモンのグミのようにレモンが好きだったよね。供え終えた後で、友美さんのことを偲んで皆んなでいただいてください」
「確かにお姉ちゃんはレモンが好きだったけど、そんなことまでちゃんと覚えているのですね。サヴァン症候群の朝比奈さんは、印象に残ったり興味があることしか記憶に残さないんですよね。ひよっとしたら、朝比奈さんもお姉ちゃんのこと気になっていたんじゃないですか。もし、バレンタインの日に会えていれば、そして恋人同士になっていればこんなことにはなっていなかったのかもしれません。とても残念です」
 寂しそうに肩を落とした。
「あっ、そうだ、今日は友紀さんに尋ねたいことがあって伺ったんだけど、今回の結婚相手は僕の高校時代の同級生だったんだけど、どうして付き合うようになったのかその事情を知っていれば教えて欲しいんだ」
 先程の友紀の話からすると、自分から鉄男へと直ぐに気持ちを変えたとは思えなかった。
「高校時代もそして卒業してからも、朝比奈さんのことをずっと引きずっていたのだろうと思うのですが、姉ちゃんには恋人は居なかったみたいです。大学を卒業して愛知精機に就職したのですが、そこで国友さんに再会して付き合うようになったみたいです。お姉ちゃんの話では、国友さんは高校時代の時からお姉ちゃんのことが好きだったようですが、告白することができずに卒業し、再会できた偶然を必然に感じて恋人同士になり、国友さんが2年前にプロポーズをしたそうです。親戚や友人達は、愛知グループの息子との結婚を玉の輿だなんて喜んだのですが、お姉ちゃんは父親がいない片親状態の自分とは釣り合わないと初めは断っていたのですが、国友さんの絶対に僕が守る幸せにするとの言葉と熱意を信じ、結婚を承諾することになったのです」
 そう決断した時の姉の表情を思い出して悲しみの表情になった。
「そうだったんだ」
 想像しながら頷いた。
「でも、結婚するといってもすんなりは運ばなくて、お姉ちゃんは会社を辞めて2年間は花嫁修業として、料理や行儀作法に親戚などの付き合いなど、国友家に相応しい女性になることが求められ、慣れない修行に苦労していたみたい。それに耐え、ずっと我慢してきた2年間、やっと幸せになれると思っていたのに、お姉ちゃんの気持ちを考えると悲しくなります」
 近くにあったティッシュに手を向けた。
「警察にも聞かれたと思うけど、お姉さんが悩んでいたこととか、ストーカーなんかに付き纏われていたってことはなかったかな」
 話を変えて尋ねた。
「逆恨みも含めて、お姉ちゃんの本人じゃないと分からないけど、私は一度も聞いたことはありません」
 しばらく考え込んでから答えた。
「それじゃもう一つ。高校時代にお父さんが行方不明になったそうだけど、その後一度も連絡はなかったのですか」
 いつもの右手の人差し指を立てるポーズをとった。
「家を出て行ってからは一度も連絡はありません」
 思い出したくもないのか、顔を左右に振った。
「そうですか。あっ、そうだ、明日の告別式には出られないかもしれませんので」
 朝比奈は内ポケットから香典袋を取り出して友紀に差し出した。
「そうですよね、平日の昼間ですからね。ところで、朝比奈さんはどんなお仕事をされていらっしゃるのですか」
 頭を下げて両手で受け取って尋ねた。
「仕事ですか・・・・・・まぁ、色々ですね」
 その問いにはどう答えていいのか迷った。
「色々ですか・・・・・・」
 本当に色々想像した。
「あの、仕事の都合で来られないんじゃなくて、お姉さんの事件について僕なりに調べようと思っているのです。新聞にも載っていたと思いますが、警察で取り調べを受けた人物は、実は僕だったのですよ」
 気不味い顔で答えた。
「えっ、でも、今ここに居ますよね」
 少し身を引いた。
「ああっ、勿論犯人じゃないですよ。今日も警察に寄って捜査状況を尋ねても、何も教えてはくれないし、僕を犯人と間違えるような警察だけに、このまま捜査を任せてはおけませんからね」
 簡単にあしらわれた先程の警察の態度に怒りさえ覚えていた。
「それは・・・・・」
 仕方ないの言葉を飲み込んだ。
「だったら、名誉挽回も兼ねて自分で犯人を見つけだし、警察に対しても一度ガツンとやって目に物を言わせてやらないとね。それに、それがお姉さんに対しての本当の供養になると思います」
 やる気も増し、言葉にも腕に力が入っていた。
「あの、お気持ちは勿論嬉しいのですが、朝比奈さんは警察関係者ではないんですよね。やはり、事件のことは警察に任せた方がいいんじゃないでしょうか」
 仕事のことを尋ねた時に『色々と言って』口を濁したことが気になった。警察に関係した仕事をしているのであれば、誤魔化す必要もなくはっきりと答えたからだ。
「本当にそうでしょうか?確かに、人数も多く捜査能力においては劣り、事件に対する経験も乏しいです。でもね、反対に言えば、警察の常識とか固定概念に縛られることなく、自由な発想ができます。それに、組織っていうのは縦社会で構成されていて、古くて頭の固い人間が動かしている場合が多いんですよ。上の命令は絶対なんてことがまかり通っているのですよ。僕は1人で自由、何の柵もありませんからね。そして、今こうして友紀さんと話すことで沢山の情報を得ることができました。これは警察も知らない情報ですよね。もう来ないとは思いますが、もし警察が再度訪ねてきても、今の話は聞かれない限り内緒にしていてくださいね」
 憎たらしい程の笑みでお願いした。
「それはいいですが、朝比奈さんは本当に1人で捜査するつもりなのですか」
 サヴァン症候群の副作用の頓珍漢で空気が読めないところがよく分かった。
「ああっ、残念ながら僕には、警察官が持つ手錠や逮捕権もありませんから、最後は警察にお任せすることになるとは思いますが、色々な証拠を集めて推理することは1人でもできますからね」
 当たり前とばかりに自信満々な表情だった。
「でも、殺人事件なんですよ。相手は殺人犯なんですよ」
 あっけらかんとしたその言葉にかえって怖くなった。
「それは父にも姉にも言われました。でも、こう見えても空手と柔道、合気道に剣道も有段者で、ボクシングも習っていたし、危険物取扱者、毒物劇物取扱責任者、小型船舶操縦士、健康運動指導士、運転免許、調理師免許、そろばんの1級に漢検は2級、ちょっと自慢できるのは、名探偵コナン検定と・・・・・・・」
「あのどこまで続くのでしょう」
 指を折って数え始めた朝比奈を止めた。
「残念だな、まだまだ色々あるんですよ。兎に角、自分で言うのもなんですが、友紀さん達が心配する程弱くはないし、自分の身くらいは自分で何とか守れるってことですよ」
 ガッツポーズを作ってみせた。
「でも、お仕事はどうするんですか?」
 朝比奈が教えてくれた資格などから職業を想像してみたが、余にも多すぎて全く想像できなかった。
「あの、友紀さん、これ絶対誰にも言わないでくださいよ。実は、僕フリーターなんです。大学卒業後、一度は大手薬品会社にに就職したのですが、先程話したようにサヴァン症候群の副作用で、人との付き合いができずに辞めてしまって、世間で言われる定職には就いていないのですよ」
 そんな、仕事のことまで心配してくれなくてもと、これもサヴァン症候群の副作用なのか、質問の意図も読むことができない朝比奈であった。
「えっ、えっ、その歳で、無職なのですか?」
 あれだけの資格を持っているのにと流石に驚いた。
「別にニートではなく、アルバイトの掛け持ちで結構忙しいのです。だから、先程もそのアルバイト先に直接出向いて、しばらく休せてもらえるようにお願いしてきたところです。まぁそれでも、友紀さんが言うように奇跡が起きて、お姉さんが僕に告白して付き合うことになっていたとしても、お姉さんを幸せにすることはできなかったと思います。あっ、これからすることがありますので、ここで失礼させていただきます。お母さんにもお姉さんにもよろしくお伝えください」
 朝比奈は頭を下げると呆気に取られている友紀を後にして部屋を出ると、焼香を済ませることにした。丁度その頃、鉄男もセレモニーホームに着いて、マスコミに注意を払いながら目立たないように受付を行い、焼香を済ますと自分で車を運転して今滞在しているホテルへと向かった。ただ、その鉄男の車をすぐ後ろではなく1台や2台空けて同じ車が付いくるのに気付いた。それは、鉄男がサイドミラーで何度も確認していたからで、普段ならそんなに何度も見る方ではないが、父親からマスコミ等に気を付けるようにと注意されて気付く事ができたのであった。
(マスコミが嗅ぎ付けたのだろうか)
 そう思いながら、わざと少し遠回りしてホテルの駐車場に入る為に左折すると、付けていたと思っていた車はそのまま真っすぐ直進して通り過ぎていった。
(ちょっと神経質になり過ぎてたかな)
 鉄男はホテルの地下駐車場に車を滑り込ませてから、12階にある部屋へと向かった。そして、上着を脱いでソファーに腰を下ろしてスマホを手にしていると、ドアをノックする音が響き鉄男が慌てて扉に近づきマジックミラーを覗き込むと、そこには見覚えのある男が微笑んでいて、驚きながらもロックを外して部屋の中に招き入れた。
「やぁ、今回は大変だったね」
 朝比奈はズケズケと進み、テーブルにデザートの小箱をテーブルに置いて勝手に腰を下ろした。
「朝比奈、お前、警察で取り調べを受けてるんじゃないのか」
 目の前に腰を下ろすと早速尋ねた。
「ああっ、しっかりと取り調べを受けましたよ。そして、もう少しで犯人にされるところだったけど、でもどうして俺が取り調べを受けたってことを知っているんだ」
 眉間に皺を寄せた。
「ああっ、親父が警察関係者と親しいので・・・・・でも、本当にお前が犯人じゃないんだな」
 口を濁した後に話題を変えた。
「まさか、今度はお前を殺しに来たってな・・・・そんな訳ないだろう」
 刃物を取り出す仕草を見せた。
「通夜の会場から車で付けてきたのもお前なのか」
 車のハンドルを操作する格好をした。
「ああ、そうだよ。会場で声を掛けても良かったんだけど、マスコミ等大勢詰め掛けていたからな。それで尾行して、何処か落ち着いたところで話を聞けたらと思っていたんだけど、バレてるなんて俺もまだまだだな。弁護士をしている姉の手伝いで、そういう仕事もしているんだよ」
 望遠鏡を覗く仕草で返した。
「そうなんだ。でも、尾行までして俺に会う用事ってなんだ」
 高校時代の友人とはいえ、一度は警察で取り調べを受けた人間が、尾行までして会いに来るのに警戒の意味を兼ねて尋ねた。
「色々な事情はあるけど、まぁ、主な理由は友美さん殺害の犯人を見付け出す為の情報収集だ」
 小箱の中からインヨンと呼ばれるデザートを取り出した。
「おいおい、お前が事件の捜査ってことなのか?正気なのか?」
 朝比奈の言葉の意味が理解できなかった。
「ああっ、そのつもりだし、至って正気ですよ。俺を犯人と勘違いするような警察には任せておけないからな。それに、犯人が捕まらなかったら、国友だって悔しいだろ。あっ、これ、インヨンって言って、コーヒーと紅茶をブレンドしてゼラチンで固めたデザートだ。上に垂らしてあるミルクと適当に掻き回してから食べてくれ」
 自分と国友を取り分け、紙製のスプーンを手に渡した。
「あのな、俺だって、友美を殺害した犯人は憎いさ。できることならこの手で殺してやりたいくらいだ」
 デザートを前に握り拳を作った。
「はい、それではご協力お願いします。まず、警察でも聞かれたと思うけど、挙式当日友美さんに何か変わったことはなかったか。披露宴後に教会の予備室に、誰にも見られないように行くなんてそれ自体異常なんたけど」
 早速インヨンを掻き回し始めた。
「それにも気が付かなかったし、結婚自体が初めての経験だから、何が正常なのか何が異常かなんて分かんないよ。お前も経験して分かっているだろうけど、挙式当日は参列者の挨拶などで、2人で話す機会って意外と少ないんだよな」
 朝比奈の真似をしてインヨンを掻き混ぜた。
「そういうもんなんだ。残念ながら、俺にはそういう経験は一生味わえないかもな」
 紙のスプーンを持つ手が止まった。
「えっ、お前まだ結婚してなかったのか?高校の時はラグビーの主将もやって、女の子にもモテたろ。現に、友美もお前のことが好きだったって言ってたぞ」
 朝比奈の意外な現状に驚いた。
「それは妹の友紀ちゃんにも聞いたよ。でもね、変人とは良く呼ばれてたけど、そんな好意を持たれる言葉なんて一度も聞いたことはなかったぜ。友美さんも、他の男と違って変わり者だったから、怖いもの見たさで興味が湧いたんだと思う。そして、今はお前と違ってアルバイトを掛け持つフリーターなんだ。そんな男を好きになる変わり者は、世の中には滅多に居ない」
 残念そうに肩を落とした。
「そっ、そうなんだ」
 高校時代のカッコいい、ラガーマンからは想像ができなかった。
「話は戻るけど、どんな小さなことでもいい、友美さんの動作で気になったことがあったら、今じゃなくても構わないからよく思い出して欲しいんだ。それからもう一つ、警察では個人情報の関係で教えてもらえなかったんだけど、招待者の名簿を自宅でいいから送ってくれないか」
 いつもの右の人差し指を立てて依頼した。
「分かった。用意しておくよ」
 素人がどこまでできるのか全く分からなかったが、自分達の為に1人で捜査してくれるという気持ちが鉄男には嬉しかった。
「気を落とすなっていうのは無理だとは思うけど、何かあったらいつでも連絡をくれ」
 その言葉に鉄男が頷き、連絡先を交換すると朝比奈は部屋を出た。そして翌日には、早速鉄男から新特急郵便書留で、朝比奈の自宅へ招待者名簿と、捜査の手付金として現金20万円が入れられていた。新特急郵便は札幌市・東京23区・名古屋市・大阪市・福岡市だけで利用されていて、早ければ半日で配達されるシステムである。
(無理しやがって、でもありがたくいただいておくよ)
 そう呟きながら手にした書留に頭を下げた。
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