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十章
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翌日、朝比奈は内田家を訪れる為に車を走らせていた。内田親子の自宅は名古屋市の北東部の守山区にあり、昨年の秋に銃の発砲事件があった場所から目と鼻の先にある2階建てのコーポの1階で今は2人で住んでいた。前もって連絡を入れてあり母子2人とも在宅してくれていた。車をコーポの共同駐車場に止めた朝比奈は、表札を確認して玄関の呼び鈴を鳴らすと『はーい』と言う声と共に友紀が扉を開けて出迎えた。
「色々と大変だったね。お母さんは大丈夫」
朝比奈はレモン風味のロールケーキが入った小箱を差し出した。
「ご心配いただいてありがとうございます。天国から地獄に突き落とされたものですから、私以上にショックだったようで、今も寝室で横になっています。ですから、きょうも私が分かる範囲でお話します」
友紀は小箱を受け取り、朝比奈を部屋に入れた。朝比奈は先ず仏壇で線香をあげて両手を合わせてからリビングへと案内されたが、棚の上にそっと置かれた野球のグローブに目を止め立ち止まった。
「ああ、それは父のものです」
朝比奈の動作に友紀が言葉を掛けた。
「お父さんは野球をやっていらした、それもピッチャーだったのですね」
グローブを手に取り懐かしそうに見詰めていた。
「私はよく分からないのですが、高校までやっていてピッチャーで4番バッターだったって自慢していました。もし、子供が男の子だったら、自分が果たせなかったプロ野球の選手にさせたかったようですが、2人とも女の子でしたので残念がっていたと母から聞いたことがあります」
2人分のコーヒーを入れてテーブルに置き向かい合って座った。
「お父さんはプロ野球の選手に憧れていらしたのですね」
NOSカフェのレギラーコーヒーの香りを楽しんでいた。
「父の高校は野球としての名門高ではなかったのですが、高校3年生の春夏の甲子園大会では、準決勝、準々決勝まで進み、プロからも注目を浴びてたそうなのですが、身長も172センチと小柄で細身だったので、プロでは体力的にも通用しないだろうと、父の才能を認めていてくれた球団にも、ドラフトでの指名を見送られてしまったのです。いくら努力しても身長や体格はどうしようもないと悔しがっていたようです」
「プロ野球に憧れる気持ちはよく分かるし、そのどうしようもない悔しさもね。実は僕も中学校までは野球部でピッチャーをやっていたんですよ。打順は足も早かったし打席が何度も回ってくる1番バッターでした。友紀さんと食事に行った時に居た悪友の大神は、守備範囲の広さで有名だった遊撃手で4番を打つホームランバッターだったんだ」
懐かしそうに試合の様子を思い出していた。
「えっ、でも、朝比奈さんも大神さんも高校ではラグビー部だったんですよね」
ラグビーの試合でグランドを駆け回る2人の姿から想像ができなかった。
「今は旭野高校にも野球部があるけど、僕達が入学した時は無かったんだよ」
実に簡単な答えだった。
「2人とも野球が好きだったんじゃなかったのですか。どうして野球部のない高校を選んだのですか」
2人の考えが理解できなかった。
「自慢する訳じゃないけど、2人とも野球の名門の私立高校からスポーツ推薦でそれも学費免除で迎え入れたいって言われていたのですが、何処かの偉い人ではありませんが、誰にも負けないという気持ちがありましたが、ただ野球が少しくらい上手いからといって入学できたなんて思われるのは嫌で、実力で入学して野球部を作り、無名校なのに強いって世間に思わせたいなんて、2人とも自信過剰でへそ曲がりの変人でしたのでね。でも、現実は甘くなく、学力重視の県立高校でありグランドもなく、何度も嘆願書を出したのですがそんなに簡単に新しい部活は作れなくて、仕方なく現存のラグビー部に入部した訳です」 残念そうにまたあのグローブを見詰めた。
「そうだったのですか・・・・でも、どうしてグローブを見ただけで父がピッチャーだったと分かったのですか」
朝比奈の視線の先にあるグローブのことが気になった。
「僕も使っていたからよくわかるのですが、野球のポジションによってグラブの形が違うのです。特にピッチャー用のグローブはサイズが大きく出来ています。その理由は2つあり、1つがボールの握りを見えないようにする為、2つ目がピッチャー返しに対応する為です。外野手のグローブも大きいのですが、もう1つの特徴としてピッチャーのグローブはウェブ部分など隙間なく設計されていて、ボールの握りまで見えないようになっています。反対に大神が使っていた内野手用のグローブは、小型で少しでも重量を軽くする為に、H型ウェブやクロス型ウェブなどアミ状の形をしているのです」
左の顳かみを叩いて答えた。
「野球のポジションによってそんな違いがあるなんて初めて聞きました。でも、その話はお父さんから聞きたかったな。それでも、グローブを一瞬見ただけでそんなことまで分かるなんて、朝比奈さんはとても物知りで、頭の回転が良いって耳にタコができるくらいにお姉ちゃんから聞いていましたので、その通りだと今納得できました」
姉の楽しそうに話す顔が頭に浮かんできた。
「それがそうでもないんですよ。大神に言わせると、頓珍漢なことを突然話し出しだすので、お前は余計なことをしゃべるなとよく釘を刺されました。ですから、お姉さんから聞いた話も話半分で受け取っていてくださいね」
照れながら言い返した。
「はい、考えておきます。でも、初めて婚約の話を聞いた時、相手はてっきり朝比奈さんだと思っていましたよ」
友紀が初めて微笑んだ。
「あっ、あの、先日はお姉さんのことを伺ったのですが、今日はお父さんのことについて少し話を聞かせていただけませんか」
朝比奈はグラブを置いて話題を変えた。
「お父さんのことですか。でも、もう何年も前のことですので、今回の事件には関係ないと思いますよ」
笑顔から急に暗い表情に変わった。
「失踪してから連絡は一度もないのですか」
「はい、一度もありません」
力を込めて言い返した。
「お姉さんはどうだったのでしょう」
朝比奈は念を押すように尋ねた。
「もしあれば、私にもお母さんにも教えてくれたと思います」
「そうですよね」
もし友美が会っていたのが父親だったとすれば、当日に連絡を取っていたことは間違いないと確信した。
「どうしてそんなことを聞くのですか」
なぜ会っていない父親のことを尋ねるのか頭に疑問符が付いた。
「お姉さんが披露宴が終了してから、人目を避けてわざわざ教会へ行ったのは、ひょっとするとお父さんに会う為だったと考えているからです」
「父にですか、まさか・・・・・・」
思っても見ない話に言葉が続かなかった。もしその話が本当ならば、父が姉を殺害したことになるからだ。
「これはあくまでも僕の推理なのですが、お姉さんがお父さんに呼び出されたのは間違いないと考えています。ただ、その連絡が挙式の前日までなのか、それとも当日だったのかを確認したかったのです。今、友紀さんからの話を聞く限り、やはり当日だったと確信しました」
自分の推理に納得していた。
「朝比奈さん、そんなことまで調べて本当にお姉ちゃんの事件に首を突っ込むつもりなんですか。もし、犯人が・・・・・・」
言葉を飲み込んだ。
「どんな悲しい結末がそこにあるとしても、真実として受け止めなければならないと思います。どうしてお姉さんが殺されなければならなかったのかを調べ上げ、友紀さんやお母さんに報告することが、生前に何もしてあげられなかった僕の責任だと思っています」
お父さんが犯人ではないかと思わせたことに少し負い目を感じていた。
「朝比奈さんの気持ちは良く分かりました。でも、昔から餅は餅屋と言いますので、私は事件のことはやはり警察に任せるべきだと思います」
危険な捜査に関わって欲しくなかった。
「この前、僕が警察で取り調べを受けたことを話しましたが、その理由はお姉さんが亡くなる直前に自らの血で書いて残したダイイングメッセージなんです」
「えっ、お姉ちゃんは何て残したのですか」
警察からは聞かされていない事実に興味を示した。
「その血文字は『アサヒナフ』でした。それでだけで連行され取り調べを受けたんですよ」
不満そうな表情で答えた。
「えっ、どうして朝比奈さんの名前を残して・・・・・・・それでは、警察が朝比奈さんを疑うのは当然だと思います。だって、警察はお姉ちゃんのことを想い、事件を解決しようとしているなんて思ってもいないでしょうから。勿論、私は朝比奈さんのこと1ミリも疑っていませんよ」
顔の前で右手を左右に振った。
「友紀さんに信用していただいて嬉しいのですが、推理小説では最も信用のできる人間、事件を解決しようとしている人間が犯人だったりするんですよね」
朝比奈は笑みを作った。
「まさか・・・・朝比奈さん、本当怒りますよ」
友紀は朝比奈を睨み付けた。
「すみません。一応、中央署の刑事さんには、僕なりに推理を伝えてはありますが、警察も意地がありますから、素直に採用してくれるかどうか分かりませんからね。ですから、警察を頼ることなく自分の力で解決するしかない、そう思いませんか」
自信を持って言い切った。
「それは、そうですが・・・・・朝比奈さんの気持ち、そしてお姉ちゃんに対する思いも良く分かりました。では、その捜査に私も参加させてください。朝比奈さんからすれば、お姉ちゃんはただの高校時代の後輩。それなのに、何の得もないのに仕事も休んでお姉ちゃんの為に、事件の真相を突き止めようとしてくれている。実の妹が、何もしない訳にはいかないでしょう」
姉の笑顔が頭に描かれ頷いているように思えた。
「あの、友紀さんも言っていたように、相手はお姉さんを殺害した人物なんですよ。犯人が捜査のことを知れば、逆恨みでどんなことをしてくるのか分かりません。そんな危険なことに付き合わせることはできないな」
友紀の予想もしない要望に、流石の朝比奈も驚いていた。
「その時は、頼もしい朝比奈さんが守ってくれますよね」
柔道の突きのポーズをとって見せた。
「意気込みはありがたいのですが、本当に無茶はしないでくださいよ。決してお母さんにも気づかれないように、心配かけないように、いいですよね」
本当に心配で念を押した。
「それで、捜査に参加する私はまず何をすればいいのでしょう」
朝比奈の言葉をスルーしてやる気満々であった。
「お父さんの顔の写った写真と、お姉さんが勤めていた会社で親しかった人の連絡先を教えて欲しいんだ」
諦めて協力してもらうことにした。
「分かりました。早速調べてみます」
そう言って友紀が立ち上がった時電話が鳴った。
『はい、内田です』
友紀が慌てて受話器を取り上げ、耳に当てて答えた。
『愛知県警中央署の者ですが、失礼ですが内田秀夫さんの娘さんでしょうか』
『はい、そうですが、どのような御用でしょう』
警察と言われて、父親の名前が出て友紀は緊張が走った。
『あなたのお父さんの内田秀夫さんと思われるご遺体が、中央区の公園内の駐車場で発見されまして、所持されていた携帯電話の記録から連絡を入れさせていただきました。ご遺体は既に中央署に運ばれていますので、できればご家族の方に本人かどうかの確認をお願いしたいのですが』
家族のことを気遣い、とても丁寧な口調であった。
『えっ、お父さんが亡くなった・・・・・・』
友紀の体は硬直し、手から受話器が離れて床で弾んだ。
『もしもし、お電話代わりました。今から直ぐに伺います』
受話器を拾い上げた朝比奈は、友紀の態度から話の内容が想像でき受話器をそっと置いた。すると、呆然と立ち尽くしていた友紀が突然朝比奈に抱き付き、その背中にゆっくりと手を回した朝比奈は暫くその胸で泣かせてあげた。姉に続いて父の死の知らせは相当ショックだったのであろう。
「友紀さん、兎に角中央署に行ってみましょう」
そう朝比奈が声を掛けると、友紀はゆっくり頷いてそっと涙を手で拭いた。2人は横になっている母親には知らせず、朝比奈の運転する車で中央署に向かうことにした。車の中では2人は一言も言葉を交わさなかった。朝比奈も友紀も、こんな状況でどんな話をしたらよいのかと思いながら、言葉を探していたが中央署に着くまでに見付けることができなかった。中央署に着くと、沖田刑事が待っていてくれて死体安置所へと案内され、2人は台の上に横たわる内田秀夫の姿に対面することとなった。
友紀は、遺体に掛けられた白い布を持ち上げ、変わり果てた父親の顔を見た時、体中から力が抜けてしまいその場に倒れそうになり、慌てて朝比奈が支えた。
「お父さんの内田秀夫さんに間違いありませんか」
沖田が少し落ち着いた友紀に尋ねた。
「はい、間違いありません」
聞こえるかどうかの小さい声で答えると、もう一度遺体に近づいて涙をこぼし、朝比奈はただ手を合わせるだけだった。
「死亡の原因を聞いてもいいですか」
白い布を被せている沖田に尋ねた。
「2階の捜査1課で近藤警部の方から説明があると思います」
近藤警部の名前を聞いた時、あの強面のぶっちょう顔が蘇った。
「その話は僕1人でお聞きしますので、彼女のことをお願いします」
朝比奈は泣き崩れた友紀を沖田に託して2階に上がることにした。
「ああっ、朝比奈名探偵の登場ですか。色々とお忙しいですね」
応接室で待っていた近藤警部が嫌味で迎えた。
「早速ですが、内田秀夫さんの死因についてお聞かせ願いませんか」
勝手に部屋の真ん中にあるソファに腰を下ろした。
「死因は練炭による一酸化炭素中毒死。遺体は中央区の公園の駐車場に止められた車から発見され、その車は前日に盗難にあったものです」
事務的に一通りの説明を淡々とした。
「警察、いや近藤警部は、どう判断しているのですか」
目の前に渋々腰を下ろした近藤に嬉しそうに微笑んだ。
「車中に手書きの遺書と、本人の指紋の付いた睡眠薬の瓶もあり、勿論体内からも検出されていますので、その状況だけでも自殺と判断するでしょう」
だから素人は困るよと付け加えたいくらいだった。
「争った形跡とか他殺を示す証拠は全く無かったのでしょうかね」
疑いの眼で近藤を見た。
「テレビの刑事ドラマの見すぎじゃないですか。警察が自殺と判断すると、それは殺人によるものではないかと、素人は興味本位で何でもかんでも事件にしたがりますよね。でもね、今回は間違いなく自殺ですよ」
あんたなんかの出番は無いんだよとばかりに睨み付けた。
「他殺を疑う要素は全く無いということですか」
朝比奈も食い下がった。
「無いですね。なぜならば、その車のトランクから内田友美さんの血液が付着したマリア像が発見されましたので、残された手書きの遺書の文面から判断すれば、必然的に内田秀夫が娘の友美さんを殺害し、その後悔の念から自殺したと判断できるのではないでしょうか。本件は被疑者死亡として、2つの事件は終了となります。まぁ、一応、裏取りの捜査は行いますけど、その結論に間違いありませんね」
「すみませんが、残されていた遺書を見せていただけませんか」
「残念ながら、重要な書類ですのでお見せすることはできません。でも、折角お越しいただきましたので、書かれた内容だけはお教えいたします。その言葉は『友美、お父さんを許して欲しい』です」
「えっ、それだけですか」
「それだけで十分でしょ」
「なるほどね。勿論、筆跡は確認されたのですよね」
「後で内田家に訪問して、父親が残していた文字との照合をいたしますのでご心配なく」
大きなお世話だと言いたげだった。
「それでは、内田さんが亡くなっていた車の状態を見たいのですが、手配していただけないでしょうか」
許可が出るとは思わなかったが、敢えて絡んでみた。
「はぁ、なぜ、どうして、今、あなたにそれを見せる必要があるのでしょう。もう既に事件は解決しているんですよ。もうこれ以上、余計なことはしないでください。速やかにご退席いただけませんか」
出口を右手で示した。
「分かりました」
予想通りの言葉に、朝比奈は勢いよく立ち上がって出口へ向かい、扉のノブを手にしてしばらく考えてからゆっくり回して外に出た。父親が娘を殺害したなんて簡単に判断する警察に『今に見てろよ』と反抗心を胸に部屋を出た。朝比奈が応接室を後にし霊安室へと向かうと、その廊下では父とのお別れを済ました友紀と沖田が朝比奈を待っていた。
「大丈夫ですか」
相当涙を流したのだろう、両目の瞼が腫れ上がった友紀を心配して声を掛けた。
「朝比奈さんが遅いから泣き疲れちゃいました」
無理に笑顔を作った。
「すみません、ちょっと事件のことについて話をしていたら長くなってしまいました」
沖田にお礼を言って中央署を後に友美の家へと向かうことにした。
「朝比奈さん、事件の話はどうだったのでしょう」
車に乗り込むと友紀が早速尋ねてきた。
「お父さんの死因は練炭による一酸化炭素中毒死で、自殺と判断したようです」
先程聞いた内容を話し始めた。
「どうしてお父さんが自殺なんて・・・・・・」
今どうしてそんな行動を起こすのか友紀には信じられなかった。
「今はこれ以上話すべきではないと思うのですが」
流石に躊躇していた。
「何ですか。私なら大丈夫です。事件解決に関係あることなんでしょ」
朝比奈の口振りが気になった。
「近藤警部の説明によると、お父さんは中央署館内の公園に止められた車の中で亡くなっていて、その車のトランクにはお姉さんを殺害したと思われるマリア像が残されていたそうなのです」
「えっ、まさか、そんな、と言うことは・・・・・・」
色々なことが頭に浮かんだ。
「つまり警察では、お父さんがお姉さんを殺害して自殺したと考えているようです。勿論、僕はそんなことは考えていませんよ」
「でも、そんな証拠が残っていてはどうしようもないですよね」
朝比奈の言葉だけでは安心できなかった。
「まず、動機についての説明がありませんでした。と、言うか、そんな動機は無いとは思います。僕はお父さんが友美さんを殺ず理由が、どう考えても見当たらないんですよね」
左の顳かみを叩いた。
「それでもきっと警察は、都合の良い理由を探し出すんじゃないですか。それに父が自殺をしたのは事実なんですよね」
「えっ、友紀さんの『まさか』というのは、お父さんが自殺をしたことに対してなのではなく、お父さんがお姉さんを殺害したことを示していたのですか」
「そうです。先程の刑事さんも自殺は間違いないと説明してくれましたから」
「それはおかしいですね。お父さんがお姉さんを殺害していなければ、そもそも自殺をする動機が存在しなくなります。つまり、2人とも殺害され、凶器のことを考えれば同じ人物によるものだと思います」
「本当に、本当に、そうなのでしょうか」
枯れたはずの涙が滲んできた。
「先ずは、お父さんの死が自殺ではなかったことを証明しましょう」
「えっ、そんなことができますのですか」
「それは」
「それは」
「それは・・・・・分かりません」
朝比奈は、首を傾げて微笑んだ
「自信が無いんですね」
呆れ顔で言い返した。
「でも、有名な曲の歌詞で、『闘う君の唄を闘わない奴等が笑うだろうファイト!』って歌うじゃないですか。兎に角、闘わずに諦めたらそこで終わりなんですよ。僕は中途半端は嫌いな性格ですので、真実を知るためには徹底的にやりますよ」
朝比奈は力強く言い切り、友紀もその言葉を信じて頷いた。
『あっ、沖田さん。ちょっとお願いしたいことがあるのですが』
友紀を家に送り届けるとスマホを手にした。
『あっ、はい、何でしょうか。近藤警部に詳しくお聞きになったと思うのですが、事件はもう解決したんですよ』
迷惑そうに答えた。
『ちょっと気になることがありますので、内田秀夫さんが亡くなっていた時の車を見せていただきたいのです』
『えっ、あの車をですか、何が気になるのですか。私も見ていますので、聞いて頂ければお答えできると思いますよ』
『もし、沖田さんが内田秀夫さんの立場だとして、何かの理由があって娘を殺害したとします。そして、それを後悔して自殺しようとしたとしても、わざわざ車を盗んで練炭も買って自殺するという面倒くさい手段を選びますか』
『それは・・・・・・・』
どう答えていいのか言葉が出なかった。
『僕だったら、娘を殺害したことを他の家族には知られたくないですから、凶器も処分して遺書なんか残さず死にますよ。まぁ、1度はバンジージャンプをしたかったから、どこかの海峡からダイブするかな』
『わっ、分かりました。明日の午後、署長と近藤警部は、今回の事件についての説明を兼ねて、県警本部に行きますので準備しておきます。そうですね、午後1時に玄関で待っています』
『ありがとうございます。それから、車内に残されていた遺書と凶器の鑑定書を見せていただきたいのですが、お願いできないでしょうか』
『えっ、遺書の現物と鑑定書をですか』
流石に近藤の顔が目に浮かんだ。
『重大な発見ができるかもしれませんよ。ああっ、そうなれば、その手柄は勿論沖田さんの物ですから、近藤警部にも署長にも褒められると思いますよ』
『分かりました、用意しておきます』
朝比奈の甘い言葉に押し切られた沖田だった。
「色々と大変だったね。お母さんは大丈夫」
朝比奈はレモン風味のロールケーキが入った小箱を差し出した。
「ご心配いただいてありがとうございます。天国から地獄に突き落とされたものですから、私以上にショックだったようで、今も寝室で横になっています。ですから、きょうも私が分かる範囲でお話します」
友紀は小箱を受け取り、朝比奈を部屋に入れた。朝比奈は先ず仏壇で線香をあげて両手を合わせてからリビングへと案内されたが、棚の上にそっと置かれた野球のグローブに目を止め立ち止まった。
「ああ、それは父のものです」
朝比奈の動作に友紀が言葉を掛けた。
「お父さんは野球をやっていらした、それもピッチャーだったのですね」
グローブを手に取り懐かしそうに見詰めていた。
「私はよく分からないのですが、高校までやっていてピッチャーで4番バッターだったって自慢していました。もし、子供が男の子だったら、自分が果たせなかったプロ野球の選手にさせたかったようですが、2人とも女の子でしたので残念がっていたと母から聞いたことがあります」
2人分のコーヒーを入れてテーブルに置き向かい合って座った。
「お父さんはプロ野球の選手に憧れていらしたのですね」
NOSカフェのレギラーコーヒーの香りを楽しんでいた。
「父の高校は野球としての名門高ではなかったのですが、高校3年生の春夏の甲子園大会では、準決勝、準々決勝まで進み、プロからも注目を浴びてたそうなのですが、身長も172センチと小柄で細身だったので、プロでは体力的にも通用しないだろうと、父の才能を認めていてくれた球団にも、ドラフトでの指名を見送られてしまったのです。いくら努力しても身長や体格はどうしようもないと悔しがっていたようです」
「プロ野球に憧れる気持ちはよく分かるし、そのどうしようもない悔しさもね。実は僕も中学校までは野球部でピッチャーをやっていたんですよ。打順は足も早かったし打席が何度も回ってくる1番バッターでした。友紀さんと食事に行った時に居た悪友の大神は、守備範囲の広さで有名だった遊撃手で4番を打つホームランバッターだったんだ」
懐かしそうに試合の様子を思い出していた。
「えっ、でも、朝比奈さんも大神さんも高校ではラグビー部だったんですよね」
ラグビーの試合でグランドを駆け回る2人の姿から想像ができなかった。
「今は旭野高校にも野球部があるけど、僕達が入学した時は無かったんだよ」
実に簡単な答えだった。
「2人とも野球が好きだったんじゃなかったのですか。どうして野球部のない高校を選んだのですか」
2人の考えが理解できなかった。
「自慢する訳じゃないけど、2人とも野球の名門の私立高校からスポーツ推薦でそれも学費免除で迎え入れたいって言われていたのですが、何処かの偉い人ではありませんが、誰にも負けないという気持ちがありましたが、ただ野球が少しくらい上手いからといって入学できたなんて思われるのは嫌で、実力で入学して野球部を作り、無名校なのに強いって世間に思わせたいなんて、2人とも自信過剰でへそ曲がりの変人でしたのでね。でも、現実は甘くなく、学力重視の県立高校でありグランドもなく、何度も嘆願書を出したのですがそんなに簡単に新しい部活は作れなくて、仕方なく現存のラグビー部に入部した訳です」 残念そうにまたあのグローブを見詰めた。
「そうだったのですか・・・・でも、どうしてグローブを見ただけで父がピッチャーだったと分かったのですか」
朝比奈の視線の先にあるグローブのことが気になった。
「僕も使っていたからよくわかるのですが、野球のポジションによってグラブの形が違うのです。特にピッチャー用のグローブはサイズが大きく出来ています。その理由は2つあり、1つがボールの握りを見えないようにする為、2つ目がピッチャー返しに対応する為です。外野手のグローブも大きいのですが、もう1つの特徴としてピッチャーのグローブはウェブ部分など隙間なく設計されていて、ボールの握りまで見えないようになっています。反対に大神が使っていた内野手用のグローブは、小型で少しでも重量を軽くする為に、H型ウェブやクロス型ウェブなどアミ状の形をしているのです」
左の顳かみを叩いて答えた。
「野球のポジションによってそんな違いがあるなんて初めて聞きました。でも、その話はお父さんから聞きたかったな。それでも、グローブを一瞬見ただけでそんなことまで分かるなんて、朝比奈さんはとても物知りで、頭の回転が良いって耳にタコができるくらいにお姉ちゃんから聞いていましたので、その通りだと今納得できました」
姉の楽しそうに話す顔が頭に浮かんできた。
「それがそうでもないんですよ。大神に言わせると、頓珍漢なことを突然話し出しだすので、お前は余計なことをしゃべるなとよく釘を刺されました。ですから、お姉さんから聞いた話も話半分で受け取っていてくださいね」
照れながら言い返した。
「はい、考えておきます。でも、初めて婚約の話を聞いた時、相手はてっきり朝比奈さんだと思っていましたよ」
友紀が初めて微笑んだ。
「あっ、あの、先日はお姉さんのことを伺ったのですが、今日はお父さんのことについて少し話を聞かせていただけませんか」
朝比奈はグラブを置いて話題を変えた。
「お父さんのことですか。でも、もう何年も前のことですので、今回の事件には関係ないと思いますよ」
笑顔から急に暗い表情に変わった。
「失踪してから連絡は一度もないのですか」
「はい、一度もありません」
力を込めて言い返した。
「お姉さんはどうだったのでしょう」
朝比奈は念を押すように尋ねた。
「もしあれば、私にもお母さんにも教えてくれたと思います」
「そうですよね」
もし友美が会っていたのが父親だったとすれば、当日に連絡を取っていたことは間違いないと確信した。
「どうしてそんなことを聞くのですか」
なぜ会っていない父親のことを尋ねるのか頭に疑問符が付いた。
「お姉さんが披露宴が終了してから、人目を避けてわざわざ教会へ行ったのは、ひょっとするとお父さんに会う為だったと考えているからです」
「父にですか、まさか・・・・・・」
思っても見ない話に言葉が続かなかった。もしその話が本当ならば、父が姉を殺害したことになるからだ。
「これはあくまでも僕の推理なのですが、お姉さんがお父さんに呼び出されたのは間違いないと考えています。ただ、その連絡が挙式の前日までなのか、それとも当日だったのかを確認したかったのです。今、友紀さんからの話を聞く限り、やはり当日だったと確信しました」
自分の推理に納得していた。
「朝比奈さん、そんなことまで調べて本当にお姉ちゃんの事件に首を突っ込むつもりなんですか。もし、犯人が・・・・・・」
言葉を飲み込んだ。
「どんな悲しい結末がそこにあるとしても、真実として受け止めなければならないと思います。どうしてお姉さんが殺されなければならなかったのかを調べ上げ、友紀さんやお母さんに報告することが、生前に何もしてあげられなかった僕の責任だと思っています」
お父さんが犯人ではないかと思わせたことに少し負い目を感じていた。
「朝比奈さんの気持ちは良く分かりました。でも、昔から餅は餅屋と言いますので、私は事件のことはやはり警察に任せるべきだと思います」
危険な捜査に関わって欲しくなかった。
「この前、僕が警察で取り調べを受けたことを話しましたが、その理由はお姉さんが亡くなる直前に自らの血で書いて残したダイイングメッセージなんです」
「えっ、お姉ちゃんは何て残したのですか」
警察からは聞かされていない事実に興味を示した。
「その血文字は『アサヒナフ』でした。それでだけで連行され取り調べを受けたんですよ」
不満そうな表情で答えた。
「えっ、どうして朝比奈さんの名前を残して・・・・・・・それでは、警察が朝比奈さんを疑うのは当然だと思います。だって、警察はお姉ちゃんのことを想い、事件を解決しようとしているなんて思ってもいないでしょうから。勿論、私は朝比奈さんのこと1ミリも疑っていませんよ」
顔の前で右手を左右に振った。
「友紀さんに信用していただいて嬉しいのですが、推理小説では最も信用のできる人間、事件を解決しようとしている人間が犯人だったりするんですよね」
朝比奈は笑みを作った。
「まさか・・・・朝比奈さん、本当怒りますよ」
友紀は朝比奈を睨み付けた。
「すみません。一応、中央署の刑事さんには、僕なりに推理を伝えてはありますが、警察も意地がありますから、素直に採用してくれるかどうか分かりませんからね。ですから、警察を頼ることなく自分の力で解決するしかない、そう思いませんか」
自信を持って言い切った。
「それは、そうですが・・・・・朝比奈さんの気持ち、そしてお姉ちゃんに対する思いも良く分かりました。では、その捜査に私も参加させてください。朝比奈さんからすれば、お姉ちゃんはただの高校時代の後輩。それなのに、何の得もないのに仕事も休んでお姉ちゃんの為に、事件の真相を突き止めようとしてくれている。実の妹が、何もしない訳にはいかないでしょう」
姉の笑顔が頭に描かれ頷いているように思えた。
「あの、友紀さんも言っていたように、相手はお姉さんを殺害した人物なんですよ。犯人が捜査のことを知れば、逆恨みでどんなことをしてくるのか分かりません。そんな危険なことに付き合わせることはできないな」
友紀の予想もしない要望に、流石の朝比奈も驚いていた。
「その時は、頼もしい朝比奈さんが守ってくれますよね」
柔道の突きのポーズをとって見せた。
「意気込みはありがたいのですが、本当に無茶はしないでくださいよ。決してお母さんにも気づかれないように、心配かけないように、いいですよね」
本当に心配で念を押した。
「それで、捜査に参加する私はまず何をすればいいのでしょう」
朝比奈の言葉をスルーしてやる気満々であった。
「お父さんの顔の写った写真と、お姉さんが勤めていた会社で親しかった人の連絡先を教えて欲しいんだ」
諦めて協力してもらうことにした。
「分かりました。早速調べてみます」
そう言って友紀が立ち上がった時電話が鳴った。
『はい、内田です』
友紀が慌てて受話器を取り上げ、耳に当てて答えた。
『愛知県警中央署の者ですが、失礼ですが内田秀夫さんの娘さんでしょうか』
『はい、そうですが、どのような御用でしょう』
警察と言われて、父親の名前が出て友紀は緊張が走った。
『あなたのお父さんの内田秀夫さんと思われるご遺体が、中央区の公園内の駐車場で発見されまして、所持されていた携帯電話の記録から連絡を入れさせていただきました。ご遺体は既に中央署に運ばれていますので、できればご家族の方に本人かどうかの確認をお願いしたいのですが』
家族のことを気遣い、とても丁寧な口調であった。
『えっ、お父さんが亡くなった・・・・・・』
友紀の体は硬直し、手から受話器が離れて床で弾んだ。
『もしもし、お電話代わりました。今から直ぐに伺います』
受話器を拾い上げた朝比奈は、友紀の態度から話の内容が想像でき受話器をそっと置いた。すると、呆然と立ち尽くしていた友紀が突然朝比奈に抱き付き、その背中にゆっくりと手を回した朝比奈は暫くその胸で泣かせてあげた。姉に続いて父の死の知らせは相当ショックだったのであろう。
「友紀さん、兎に角中央署に行ってみましょう」
そう朝比奈が声を掛けると、友紀はゆっくり頷いてそっと涙を手で拭いた。2人は横になっている母親には知らせず、朝比奈の運転する車で中央署に向かうことにした。車の中では2人は一言も言葉を交わさなかった。朝比奈も友紀も、こんな状況でどんな話をしたらよいのかと思いながら、言葉を探していたが中央署に着くまでに見付けることができなかった。中央署に着くと、沖田刑事が待っていてくれて死体安置所へと案内され、2人は台の上に横たわる内田秀夫の姿に対面することとなった。
友紀は、遺体に掛けられた白い布を持ち上げ、変わり果てた父親の顔を見た時、体中から力が抜けてしまいその場に倒れそうになり、慌てて朝比奈が支えた。
「お父さんの内田秀夫さんに間違いありませんか」
沖田が少し落ち着いた友紀に尋ねた。
「はい、間違いありません」
聞こえるかどうかの小さい声で答えると、もう一度遺体に近づいて涙をこぼし、朝比奈はただ手を合わせるだけだった。
「死亡の原因を聞いてもいいですか」
白い布を被せている沖田に尋ねた。
「2階の捜査1課で近藤警部の方から説明があると思います」
近藤警部の名前を聞いた時、あの強面のぶっちょう顔が蘇った。
「その話は僕1人でお聞きしますので、彼女のことをお願いします」
朝比奈は泣き崩れた友紀を沖田に託して2階に上がることにした。
「ああっ、朝比奈名探偵の登場ですか。色々とお忙しいですね」
応接室で待っていた近藤警部が嫌味で迎えた。
「早速ですが、内田秀夫さんの死因についてお聞かせ願いませんか」
勝手に部屋の真ん中にあるソファに腰を下ろした。
「死因は練炭による一酸化炭素中毒死。遺体は中央区の公園の駐車場に止められた車から発見され、その車は前日に盗難にあったものです」
事務的に一通りの説明を淡々とした。
「警察、いや近藤警部は、どう判断しているのですか」
目の前に渋々腰を下ろした近藤に嬉しそうに微笑んだ。
「車中に手書きの遺書と、本人の指紋の付いた睡眠薬の瓶もあり、勿論体内からも検出されていますので、その状況だけでも自殺と判断するでしょう」
だから素人は困るよと付け加えたいくらいだった。
「争った形跡とか他殺を示す証拠は全く無かったのでしょうかね」
疑いの眼で近藤を見た。
「テレビの刑事ドラマの見すぎじゃないですか。警察が自殺と判断すると、それは殺人によるものではないかと、素人は興味本位で何でもかんでも事件にしたがりますよね。でもね、今回は間違いなく自殺ですよ」
あんたなんかの出番は無いんだよとばかりに睨み付けた。
「他殺を疑う要素は全く無いということですか」
朝比奈も食い下がった。
「無いですね。なぜならば、その車のトランクから内田友美さんの血液が付着したマリア像が発見されましたので、残された手書きの遺書の文面から判断すれば、必然的に内田秀夫が娘の友美さんを殺害し、その後悔の念から自殺したと判断できるのではないでしょうか。本件は被疑者死亡として、2つの事件は終了となります。まぁ、一応、裏取りの捜査は行いますけど、その結論に間違いありませんね」
「すみませんが、残されていた遺書を見せていただけませんか」
「残念ながら、重要な書類ですのでお見せすることはできません。でも、折角お越しいただきましたので、書かれた内容だけはお教えいたします。その言葉は『友美、お父さんを許して欲しい』です」
「えっ、それだけですか」
「それだけで十分でしょ」
「なるほどね。勿論、筆跡は確認されたのですよね」
「後で内田家に訪問して、父親が残していた文字との照合をいたしますのでご心配なく」
大きなお世話だと言いたげだった。
「それでは、内田さんが亡くなっていた車の状態を見たいのですが、手配していただけないでしょうか」
許可が出るとは思わなかったが、敢えて絡んでみた。
「はぁ、なぜ、どうして、今、あなたにそれを見せる必要があるのでしょう。もう既に事件は解決しているんですよ。もうこれ以上、余計なことはしないでください。速やかにご退席いただけませんか」
出口を右手で示した。
「分かりました」
予想通りの言葉に、朝比奈は勢いよく立ち上がって出口へ向かい、扉のノブを手にしてしばらく考えてからゆっくり回して外に出た。父親が娘を殺害したなんて簡単に判断する警察に『今に見てろよ』と反抗心を胸に部屋を出た。朝比奈が応接室を後にし霊安室へと向かうと、その廊下では父とのお別れを済ました友紀と沖田が朝比奈を待っていた。
「大丈夫ですか」
相当涙を流したのだろう、両目の瞼が腫れ上がった友紀を心配して声を掛けた。
「朝比奈さんが遅いから泣き疲れちゃいました」
無理に笑顔を作った。
「すみません、ちょっと事件のことについて話をしていたら長くなってしまいました」
沖田にお礼を言って中央署を後に友美の家へと向かうことにした。
「朝比奈さん、事件の話はどうだったのでしょう」
車に乗り込むと友紀が早速尋ねてきた。
「お父さんの死因は練炭による一酸化炭素中毒死で、自殺と判断したようです」
先程聞いた内容を話し始めた。
「どうしてお父さんが自殺なんて・・・・・・」
今どうしてそんな行動を起こすのか友紀には信じられなかった。
「今はこれ以上話すべきではないと思うのですが」
流石に躊躇していた。
「何ですか。私なら大丈夫です。事件解決に関係あることなんでしょ」
朝比奈の口振りが気になった。
「近藤警部の説明によると、お父さんは中央署館内の公園に止められた車の中で亡くなっていて、その車のトランクにはお姉さんを殺害したと思われるマリア像が残されていたそうなのです」
「えっ、まさか、そんな、と言うことは・・・・・・」
色々なことが頭に浮かんだ。
「つまり警察では、お父さんがお姉さんを殺害して自殺したと考えているようです。勿論、僕はそんなことは考えていませんよ」
「でも、そんな証拠が残っていてはどうしようもないですよね」
朝比奈の言葉だけでは安心できなかった。
「まず、動機についての説明がありませんでした。と、言うか、そんな動機は無いとは思います。僕はお父さんが友美さんを殺ず理由が、どう考えても見当たらないんですよね」
左の顳かみを叩いた。
「それでもきっと警察は、都合の良い理由を探し出すんじゃないですか。それに父が自殺をしたのは事実なんですよね」
「えっ、友紀さんの『まさか』というのは、お父さんが自殺をしたことに対してなのではなく、お父さんがお姉さんを殺害したことを示していたのですか」
「そうです。先程の刑事さんも自殺は間違いないと説明してくれましたから」
「それはおかしいですね。お父さんがお姉さんを殺害していなければ、そもそも自殺をする動機が存在しなくなります。つまり、2人とも殺害され、凶器のことを考えれば同じ人物によるものだと思います」
「本当に、本当に、そうなのでしょうか」
枯れたはずの涙が滲んできた。
「先ずは、お父さんの死が自殺ではなかったことを証明しましょう」
「えっ、そんなことができますのですか」
「それは」
「それは」
「それは・・・・・分かりません」
朝比奈は、首を傾げて微笑んだ
「自信が無いんですね」
呆れ顔で言い返した。
「でも、有名な曲の歌詞で、『闘う君の唄を闘わない奴等が笑うだろうファイト!』って歌うじゃないですか。兎に角、闘わずに諦めたらそこで終わりなんですよ。僕は中途半端は嫌いな性格ですので、真実を知るためには徹底的にやりますよ」
朝比奈は力強く言い切り、友紀もその言葉を信じて頷いた。
『あっ、沖田さん。ちょっとお願いしたいことがあるのですが』
友紀を家に送り届けるとスマホを手にした。
『あっ、はい、何でしょうか。近藤警部に詳しくお聞きになったと思うのですが、事件はもう解決したんですよ』
迷惑そうに答えた。
『ちょっと気になることがありますので、内田秀夫さんが亡くなっていた時の車を見せていただきたいのです』
『えっ、あの車をですか、何が気になるのですか。私も見ていますので、聞いて頂ければお答えできると思いますよ』
『もし、沖田さんが内田秀夫さんの立場だとして、何かの理由があって娘を殺害したとします。そして、それを後悔して自殺しようとしたとしても、わざわざ車を盗んで練炭も買って自殺するという面倒くさい手段を選びますか』
『それは・・・・・・・』
どう答えていいのか言葉が出なかった。
『僕だったら、娘を殺害したことを他の家族には知られたくないですから、凶器も処分して遺書なんか残さず死にますよ。まぁ、1度はバンジージャンプをしたかったから、どこかの海峡からダイブするかな』
『わっ、分かりました。明日の午後、署長と近藤警部は、今回の事件についての説明を兼ねて、県警本部に行きますので準備しておきます。そうですね、午後1時に玄関で待っています』
『ありがとうございます。それから、車内に残されていた遺書と凶器の鑑定書を見せていただきたいのですが、お願いできないでしょうか』
『えっ、遺書の現物と鑑定書をですか』
流石に近藤の顔が目に浮かんだ。
『重大な発見ができるかもしれませんよ。ああっ、そうなれば、その手柄は勿論沖田さんの物ですから、近藤警部にも署長にも褒められると思いますよ』
『分かりました、用意しておきます』
朝比奈の甘い言葉に押し切られた沖田だった。
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