2つの糸

碧 春海

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十六章

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 いよいよ待ちわびた日がやってきた。朝比奈は自宅を出ると、名古屋ニューグランドホテルに寄ってから、沖田刑事の待つ中央署に向かった。朝比奈の提出した書類の鑑定が済むまでしっかりと打ち合わせをした2人は、予定の時間が近づいたので鑑定結果などを携え、朝比奈の運転する車で橋下経済産業副大臣の家に向かった。家に着くと、2人は昨日と同様に橋下が待つリビングへと案内された。お茶などの接待は、家政婦に直ぐにお邪魔すると伝え辞退していた。
「朝比奈さん、今日のお供は男性ですか。昨日の女性はどうされたのですか」
 席に着いた沖田の姿に警戒していた。
「今日は父の配慮で検事を手配してもらいました。沖田といいます」
 そう紹介したが、どう見ても検事とは思えなくて橋下は怪訝な表情になっていた。
「そうでしたか」
 沖田をじっと見たが、ヒットしたドラマではジーンズ姿の検事が出ていたので、それも有りかと勝手に納得していた。
「まず先に、橋下徹也君はご婚約も済まれ、結婚に向けてお忙しいと伺っております。本当におめでとうございます」
 朝比奈は父親の横に座る徹也に頭を下げた。
「ありがとう。でも、その祝いの言葉をいただく為に、私をわざわざ呼んだのではないでしょう。何か事情があるんですよね」
 言葉と裏腹に感謝の気持ちは全くなかった。
「実は、昨日お父様にお話をさせていただいたのですが、徹也君にも確認の意味を含めて一緒に聞いていただくように呼んでいただきました」
 その表情を見て嬉しそうに微笑んだ。
「その話は、後で私から話しておくので、何回も話していただかなくてもいいですよ。お金はそこに用意したので、さっさと持って帰ってください」
 橋下は大きな紙袋を床から取り上げて朝比奈の前に置いた。
「折角ご用意していただいたのですが、そのお金は受け取ることはできなくなりました」
 朝比奈は一応中の札束を見てから橋下に戻した。
「あの時の私の態度を見て、もっと上乗せするように彼女から言われたのですね。君の示した金額に従ったのだから、そう言われてもこちらも困りますよ。まぁ、ある程度の上乗せは譲歩しますが、どれ位上乗せすればいいのかな」
 昨日、余り簡単に応じた自分を後悔した。
「いえ、彼女は全く関係していません。昨日お話したことと、随分事情が変わったものですから、そのお金は受け取ることができなくなりました」
 橋下親子の顔の変化を楽しんでいた。
「事情が変わった?まさか、国友鉄男君が警察に発見されてしまったのか」
 最悪な事態を想像して溜息を吐いた。
「いえ、まだ何処に居るのかは分かっていません。変わってしまったのは、昨日私が橋下議員にお話した捜査についての事柄そのものが違っていたということなんです」
 カバンの中から2つのグラスを取り出してテーブルに置いた。
「一体どうことなんだ。昨日話したばかりの事が、一日でどのように変わるというのかね」
 いい加減にしろとばかりに言葉に力が入った。
「まぁ、そんなに興奮なさらないで、今回の事件についてもう一度ゆっくり丁寧に説明させていただきます。まずその前に、今月の14日の夕刻、そう事件の前日なのですが、ある携帯会社が電波障害を起こして、翌日まで通信ができなくなりました。これは、テレビなどのメディアでも報道されましたので、勿論橋下さんもご存じですよね」
 朝比奈の言葉に橋下は頷いた。
「ご存知というよりも、橋下議員は経済産業省の副大臣でいらっしゃいますので、対応の為に首相官邸に召集されていらっしゃったのではないでしょうか」
 朝比奈は橋下を見詰めて小首をかしげた。
「対策を講じる為に、関連する省の幹部クラスは全て呼ばれたが、それがどうしたんだ」
 何が言いたいのか分からず苦々しい顔で答えた。
「復旧には丸一日掛かり、通話が可能となったのは15日の夕刻でした。つまり、橋下議員はその時は東京に居らした訳で、国友・内田御両家の結婚披露宴には出席できなかったですよね。勿論、長男である秘書の方も東京に向かわれた。すると、結婚披露宴に出席されたのは一体誰なんでしょう」
 隣に座る哲也の顔を見た。
「確かに、父の名代として私が出席しました」
 父親の顔を見てから仕方なく答えた。
「高校の同級生でしたので、もっと早く気づくべきだったのですが、お偉い方の座にも興味はなく、まさかそんな席に座っているとは、全く気が付きませんでした」
 残念そうに顔を左右に振った。
「そんなことが事件に何の関係があるんだ。犯人は、国友鉄男君なんだろう」
 いい加減にしろとばかりに語気を荒げた。
「昨日もお話したのですが、犯人は凶器を持ち出す為に引き出物のペアグラスを宅配便で偽の住所に送っていました。ですから、引き出物のペアグラスを今現在保有していない人物が犯人だとも説明したはずですよね」
 朝比奈は冷静に説明した。
「それがどうした。私の家にも引き出物のペアグラスがあっただろ」
 机に置かれたグラスを指差した。
「はい、昨日橋下さんからいただいたグラスなんですが、確かにデザインも同じでしたから、同じ店で披露宴の引き出物として選ばれたのは間違いないのですが、やはり新郎新婦の結婚に対する情熱は確かなもので、このグラスのそこには『FROM T』と鉄男、友美からの気持ちを刻まれていたのです。でも、昨日いただいたグラスにはその刻印はありませんでした。キッチンの棚にある残りのグラスを見ていただければ、私がわざと擦り替えたのではないことが分かっていただけると思います」
 テーブルにあった2つのグラスのc底を2人に見せた。
「それは・・・・・・」
 橋下は哲也の顔を睨んだ。
「それだけでは言い逃れもできると思いまして、宅配便の伝票と挙式の参列者名簿の筆跡鑑定を今朝していただき、息子さんが書かれたものと確認されました。つまり、宅配便を使った後、新しくペアグラスを購入されたのは橋下哲也君と断定されます」
 手にしていたグラスをカバンに戻した。
「ただ、それだけで哲也が犯人だと断定はできないだろ。君は国友徹也君が犯人と言っていたんだぞ。犯人でなければどうして身を隠す必要があるのかね」
 指を朝比奈に向けて怒っていた。
「落ち着いてください。まず、そもそも今回の殺人についてその動機から説明しますので、ゆっくり私の話を聞いてください。殺害された友美さんは、3年程前に自宅への帰宅帰りに男性に襲われ性的暴行を受けました。勿論、犯人が何処の誰かは知らなかったのですが、犯人の顔はしっかりと記憶されていたと思われます。そして、当日の披露宴の時、父親の代理でテーブルに着いている徹也の顔を見て気付いてしまった。その態度に、勿論徹也もその時の暴行犯が自分であると知られたことに焦った。もし、そのことが愛知グループの人間に話されてしまったら、結婚話が白紙になるどころか、父親にも迷惑を掛けることになってしまう。それで、どうしても2人きりになって話をつける必要があった。そこに舞い込んだのが、こっそりと父親と会いに行く友紀さんの姿だった。殺害方法は昨日話したように、マリア像で頭部を殴打したもので、後は父親を気絶させて非常口から駐車場に向かい、自分の車のトランクに押し込めて何事もなかったように、引き出物を架空名義で手続きした後、その紙袋に凶器のマリア像を入れて会場を去り、父親をトランクに乗せたまま車で一旦は何処かへ立ち去ったのでしょうね」
 反対に冷静な態度と言葉で対応した。
「しっ、しかし、父親が殺害現場にいた事は分かっているのなら、父親が犯人の可能性は無視できないだろう」
 肩を落とす徹也の姿を見ても、朝比奈の推理が信じられず言い返した。
「それは有り得ません。実際に凶器となったマリア像には亡くなった父親の指紋がベッタリと付いていました。でも、おかしいんですよね。娘さんにお聞きしたところ、父親は高校まで野球をやっていられたそうなのですが、ポジションはピッチャーで、しかもサウスポーだったのです。何故か、マリア像には右手の指紋しか付いていませんでした。2kgもあるマリア像を、利き腕てない右手で持って殺害するのは無理なのです。確か、徹也は右利きだったよな」
 隣の席の徹也に同意を求めた。
「そ、それは・・・・・・」
 顔を上げないで言葉を詰まらせた。
「犯人を特定すると、警察の捜査能力は凄いですね。まず、職場の友人たちに友美さんの様子がおかしくなった大体の日時を調べ、会社の出勤簿等から日にちを割り出して、会社から自宅までの防犯ビデオを全てチェックしてもらったところ、友美さんの後を付ける徹也の姿が確認できたんだ。そして、事件後の徹也の行動も全て把握し、父親である橋下潤一さん名義の別荘に車で出掛けていることが分かり、今警察が向かっているところです」
 ポケットのスマホをちらりと見た。
「どっ、どうして・・・・・」
 父親の潤一はそれが何を意味しているのか分からないでいた。
「鉄男は、披露宴のキャンドルサービスの時に、橋下副大臣の席に座る徹也の姿を見て動揺していた友美さんの驚きの表情が気になって、その理由を徹也に確かめようとした。色々と弁解したのだろうけれど、いずれは親族になる鉄男をずっと騙すことはできないと想い、殺害を決断したのでしょう。まぁ、これは私の推理ですので、まだ逮捕状は発行されていませんが、詳しくは徹也本人から話していただけると思います。騙して申し訳なかったのですが、隣の男性は検事ではなく愛知県警中央署の沖田刑事で、家の外にも既に多くの刑事さんが待機しています」
 右手で改めて沖田を紹介した。
「逮捕状もない。つまり、徹也が犯人と断定できる証拠は何もないということなんだな。警察での取り調べも任意なんだろ」
 最後の抵抗を試みた。
「これは殺人事件なのです。無駄な抵抗や圧力は掛けない方がよろしいかと思います。確かにあなたは政府の閣僚ではありますが、私の父親もそんな力に屈しない正義感の強い検事です」
 そう言うと、沖田のスマホが振動した。
『そうですか、分かりました。ありがとうございます』
 スマホを切って朝比奈に右手の親指を立てた。それは、橋下の別荘で鉄男の遺体が発見されたことを示していた。
「橋下副大臣。あなたは今回の殺人事件には関与していないとは思いますが、愚息が起こした事件に関しては父として、副大臣としての責任は負っていただきたいですね」
 橋下親子は返す言葉がなかった。
「沖田さん、後はよろしくお願いします」
 朝比奈は頷く沖田と入れ替わりに入ってきた刑事を部屋に残して、橋下邸を後にした。
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