マスクドアセッサー

碧 春海

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九章

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翌日、朝比奈は大神の運転する車で、尾張旭市に向かっていた。
「評議の多数決を崩し、吉田鋼鉄という巨悪を見つけ出してやったのに、警察も大したことないな。白井良二も結局は保釈したそうじゃないか」
 助手席の朝比奈が不満気な表情で尋ねた。
「吉田弁護士の指示なんだろうな、2人とも黙秘を続けているから捜査は進まない。家と事務所の捜査はやったけど、2人と被害者の石川由幸さんと結びつける証拠は何も出てこなかった。期待していた『オメガシールド』や帝王グループの不正を表す書類は勿論、押収したパソコンにはパスワードが設定されていて、そのパスワードを教えてくれるはずもなく、パソコン内の情報は見ることはできないからな。後は、通話記録なんだが、確かに何度も連絡を取り合っているが、顧問弁護士であることを考えれば、問題ないと判断されるだろう。今のところは、打つ手がないっていう状態だな」
 その手掛かりになることを期待して大神はハンドルを握っていた。
「おいおい、余り俺を当てにしないで、たまには警察の意地ってものを見せようとは思わないかね」
「お言葉を返すようですが、私の大切な部下は誰やらのせいで捜査に走り回っていますし、私もこうして手足となって行動させていただいております。見返りとは言いませんが、事件に対して何も得ることがなければ、ただの運転手になってしまうのですが」
「ああっ、それは申し訳ありませんでしたね。誰かさんとは違って、稼ぎが悪いもので車も買えないものですから。それからもう1点、大切な部下といっても2人なんですけどね」
「ああ言えば、こう言う。だからまともに就職もできないし、理解してもらえないから友人もできないんだ」
「別に沢山の人に理解してもらおうなんて考えていないよ。世の中には俺以上に変な奴もいるから、そいつ1人いればそれで十分だ」
 朝比奈がそう言っているあいだに、大神は名鉄瀬戸線三郷駅の南にある喫茶店『ぽっかぽか』の駐車場に車を止めた。
「おい、俺に会わせたい人物とはどういう人間なんだ、事件に関係しているんだろうな」
 車を降りる前に朝比奈に念を押した。
「月見里美鶴子と恵子姉妹の父親が経営していた会社の経理を担当していた人物だよ」
 平気な顔をしてシートペルトを外した。
「おい、おい、勘弁してくれよ。それって、事件に関係ないことだろ。また無駄足か」
 大神の期待は見事に打ち砕かれた。
「如何なる行為にも無駄なことはないって誰かが言ってました。まぁ、怒るのは話を聞いてからにしてくれないか。俺のことを多少でも理解していてくれているならね」
 その言葉に仕方ないなとシートベルトを外して外へ出た。
「お久しぶりです」
 店に入ると大神がマスターに挨拶した。
「ああ、大神君、今日は優作のお供かね」
 大柄の男性が、デザートを作る手を止めた。
「あの、金魚の糞じゃありませんよ。渋々、それもタクシー替わりに使われたみたいです」
 店内の見慣れた雰囲気に懐かしさを感じていた。
「まぁ、いいじゃないか、いつものことなんだから。2人とも、コーヒーでいいだろ。ああっ、奥の席の人だよ」
 マスターが奥の席に座る男性を指差した。
「初めまして、朝比奈優作と言います。こちらは、友人の大神です」
 自己紹介をして席に着いた。
「マスターの吉川さんの紹介ですが、私に何をお聞きになりたいのでしょう」
 2人が席に着き、マスターがコーヒーを運び終えたのを待って話を始めた。
「15年前にあなたが経理担当で働いていらっしゃった、月見里フーズの倒産について詳しい話をお聞きしたいと思い、マスターに協力してもらいました。よろしくお願いします」
 朝比奈は、グレーの薄いセーターに茶色のズボン姿の初老の山下忠幸に頭を下げた。
「どうしてそんな昔のことを、今調べていらっしゃるのですか。もう終わったことですよ」
 コーヒーカップを手にした。
「そうですね、あなたには昔の話ですが、どうして会社が倒産したのか、どうして両親が自殺しなければならなかったのか、事実を知らされないまま15年を過ごした人間には、まだ何も終わっていないのです」
「えっ、まさか、美鶴子ちゃんと恵子ちゃんに会ったのですか」
 流石に動揺していた。
「たまたま縁がありまして、出会うことになりました」
「そうですか。今も後悔しているのですが、あの時私は会社の借金返済の手続きや、次の就職先のことなどで大変な時でしたので、2人のことまで手が回らず気遣うことができませんでした。2人は私の娘の1つ年上でとても仲良くしてもらっていたので、どうなったのかずっと心配していたのです。無事に育ってくれていたのですね」
 穏やかな表情へと変化した。
「2人から、お父さんの会社の倒産について伺って少し調べさせていただきました。その当時、月見里フーズのメインバンクであった、名古屋第一銀行の融資担当者だった井上隆之は、ちょっと別件で警察に逮捕されました。しかし、彼は自ら15年前の話はしないでしょうし、警察も聞かないでしょう。当事者の両親が亡くなってしまっているので、詳しい話を知っているのはあなたしかいないと、当時尾張地区の食品加工協会の理事長だったマスターに紹介してもらったのです」
 朝比奈は横目でマスターを見ると、香りを楽しんだ後でコーヒーを口にした。
「そうでしたか。担当者の井上が融資課長になっていると聞いて、この世には悪人が出世するものだと思っていましたが、どんな罪にしても警察にお世話になることになったのなら、少しは気が晴れます」
 ホッとした表情を見せた。
「15年前にどんなことがあったのでしょう。知っている範囲で構いませんので、教えて頂けないでしょうか」
 朝比奈は軽く頭を下げた。
「月見里社長は堅実な方で、大きな利益はなくても従業員の為にも一生懸命働いていました。ですから、メインバンクである名古屋第一銀行の事業拡大への再三の提案にも、首を縦に降ることはありませんでした。しかし、15年前、白井グループを紹介してきて、ホテルやレストランを拡大することに伴い、食品の仕入れを全て月見里フーズに委託したいとの話を持ってきたのです。条件も良かったし、押し切られた形で契約を結んだのですが、その為には工場の規模の拡張やブランドの瀬戸豚の養豚場や養鶏場の土地の確保や倉庫を確保しなければならない為、必然的に名古屋第一銀行からの借り入れも増えました。そして、計画通りに順調に進められ白井グループ全体からの仕入れ金額も莫大な金額になりました。しかし、突然名古屋第一銀行から借入金の全額返却を通達されたのです。私たちはその理由が全く分からず何度も抗議したのですが、業績が見込めないなどとあやふやな事ばかり、はっきりとした理由は提示されなくて強引なものでした。何とか他の銀行から借入れたり、手持ちの財産を処分して返却したのですが、その後直ぐに白井グループが倒産してしまい、主要取引であった会社は支払いもされないまま倒産せざるを得なかったのです」
 淡々と話したが、時折怒りの表情を表した。
「銀行による典型的な貸し剥がしですね」
 大神が声を発した。
「白井グループの社長は自己破産も認められたのに、月見里社長は従業員や下請け業者のことを考え、その手続きは取らず会社の資産を全て処分しそれでも足りなくて、2人の死亡保険金で何とか補った状態です」
 山下がそう言うと、当時の様子が走馬灯のように過ぎて行った。
「白井グループの社長と月見里社長との関係については、マスターからはそんなに親しい間柄ではなかったと聞いていますが、山下さんから見てどうだったのでしょう」
「少なくとも親しい関係にあったとは思えません。そもそも、2つの会社を結びつけたのは名古屋第一銀行で、事業の拡大についても社長は消極的だったのですが、白井グループと名古屋第一銀行に押し切られたのです。結果論ですが、私がもう少し反対すればよかったと悔しくてたまりません」
 亡き社長が他の銀行に融資をお願いする為や、下請け会社の社長に申し訳なさそうに頭を下げる姿を思い出し泪が込み上げてきた。
「山下さんは帝王グループのことはご存じですよね」
「えっ、帝王グループですか。ああっ、ホテルを運営する会社ですか」
「はい、ホテル業務を基本にレストランやタレント事務所など色々な事業を経営する会社なんですが、その会社の取締役社長が白井健吾。15年前に倒産した白井グループの社長の息子なんです」
「えっ、まさか、そんな・・・・・・」
「一応、警察や検察に依頼はしましたが、15年前のことでもあり証拠を集めることは難しいだろうと、活発的に動く様子は残念ながら見えません。まぁ、コレは僕の想像ですが、白井グループは経費や仕入れ値の水増しに加えて、月見里フードから仕入れた食品を転売して得た金額を報告しない、つまり巨額な脱税しておいて計画倒産をした。その巨額な資金を元手に息子の白井健吾が、帝王グループを立ち上げて東海地区でも有数の巨大企業を築き上げたのだと考えています。真面目に誠実に従業員の為に働いていた経営者が死を選ばなければならず、脱税をし下請け業者を巻き込んだ人間が今ものうのうと暮らしている。どう考えてもおかしいですよね。警察は許しても、僕は決して許すことはできません」
 隣に座る大神の顔を見た。
「もし、今の話が本当なら、私だって許せません。何人もの人が苦しんだのですから。でも、15年前でも立証できなかったことを、今どうやって証明できるというのですか、どうしてその時に罰してくれなかったのですか」
 言葉だけなら何とでも言える。朝比奈のことは全く信じられなかった。
「彼らを弁護する訳ではありませんが、当時の検察担当者の中に現在帝王グループの顧問弁護士をしている吉田鋼鉄がいました。これは僕の勝手な想像なのですが、吉田検事が白井グループに情報を極秘に漏らしていたのだと思います。その事実を踏まえても、検察の捜査のずさんさは歪めません。この事件に関しては、僕の父も関与していましたので、大変申し訳なかったと思います。ですから、その償いも兼ねて今度こそは、きっちりとけじめをつけさせてもらいます」
「けじめと言われても、事件は既に時効ですね。どうしようもないですよ」
 右手の拳で机を強く叩いた。
「僕は根本的に性善説を信じてはいません。確かに昔は、殺人事件の件数も少なく、計画的で巨悪な事件も少なかった。しかし今は、無差別殺人とか模倣して何人も殺害する事件も増えてきました。それでも、犯人が逮捕されて裁判に掛けられても、死刑が下ることは稀有。実際、病院で点滴に薬物を混入し3人以上殺害した看護師も、反省や贖罪の気持ちを汲み取り、無期懲役になりました。誰も、死刑の判断は下したくありませんからね。でも、無期懲役といっても諸外国の終身刑とは違い、刑の執行開始後10年が経過し当該受刑者に改悛の状が認めれば仮釈放が認められる。仮に、20歳で犯行を犯した場合、30歳には世の中に出てきてしまうのです。無期懲役の意味はなんなのでしょう。それに、今の犯罪に対する刑が余にも軽すぎると思います。上限が低い為に、検事の求刑にしても裁判官の判決にしても、それ以上の罪を負わせることはできません。確かに、犯行を後悔し、やり直す機会を与えるのも必要かもしれませんが、1人の人間の人生を奪ったことに対しはどうなのでしょう。それが、自分の身内だったとしたら、僕はやはり後から反省されても許すことはできません」
「ど、どういうことなのでしょう」
 朝比奈の熱弁の意図が良く分からなかった。
「日本の再犯率は年々増加しているのが現状で、今では半数以上が再犯によるものです。同じことは再現される。僕が調べた限りでは、帝王グループはそれ以上の犯罪を犯していると考えられるのです。グループ傘下のタレント事務所の『オメガシールド』を警察が摘発しましたが、どこまで追求できるのか不安です。警備会社も経営していて、警察幹部の退職時の受け皿にもなっていますから、圧力を掛けることも考えられますし、所詮トカゲのしっぽきり程度のダメージしか与えられないかもしれません。大元である帝王グループ本部の不正を暴く為には、それなりの証拠が必要です。その糸口になるような情報をお持ちではないでしょうか」
 山下の瞳を見詰めながら尋ねた。
「うーん・・・・・・書類は全て処分されていますし、あったとしてもそれは白井グループとの関係を示すもので、帝王グループとの付き合いは全くありませんから、その点は協力できることは何もないと思います」
 少し考えてから言葉を選んだ。
「そうですか・・・・・それではもう1つ、美鶴子さんと恵子さんは一卵性双生児で、本当によく似ていらっしゃるのですが、どこで区別されていらっしゃったのでしょう」
「ああっ、本当によく似ていたね。ご両親は、流石に仕草や口調などで直ぐに分かったのでしょう。私の娘も幼稚園からの付き合いですから、ちゃんと区別できていたようですが、他の人は美鶴子ちゃんが私立、恵子ちゃんが公立の中学校にそれぞれ進んで、制服の違いで分かったくらいです」
 娘を含め、仲良く並ぶ3人の姿を思い出していた。
「貴重な情報をありがとうございました。事件が解決できたら、その報告を兼ねてお墓参りをしたいと思います。その時は、また付き合って頂けませんか」
「はい、喜んでご一緒します」
 今度は山下が頭を下げた。
「あっ、そうだ、もう1つ山下さんにお尋ねしたいことがあります」
 朝比奈は右の人差し指を立てた。
「なんでしょう」
「二人の姉妹は、奥さんの方の親戚に預けられたと聞いていますが、引き取って育てた人物の名前はご存知ないでしょうか」
「先程も言いましたが、詳しいことは何も聞いていません。ただ、娘なら何か聞いているかもしれません」
「もし分りましたら、こちらに連絡下さい」
 朝比奈法律事務所の名刺を取り出し、そこに記入された自分の携帯電話の番号を示した。
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