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その日の夕刻、公立がんセンターの白石萌の病室を、朝比奈が訪れていた。
「こんばんは、元気になりましたか」
窓からぼんやりと夜空を眺める萌に近づいた。
「朝比奈先生。また来てくれたんですね、ありがとう」
今の楽しみは朝比奈との会話だけだった。
「今日は、白石さんにとても重要な話があって伺いました」
「えっ、私にですか」
朝比奈のいつもと違う真剣な表情に緊張した。
「そうですね、淋しい話と嬉しい話がありますが、どちらから話しましょうか」
今度は少しいたずらっぽい表情で尋ねた。
「選ぶんですか・・・・・・じゃ、淋しくなる話からお願いします」
少し考えて答えた。
「あっ、やっぱりそちらを選ぶと思いました。実は、僕が白石さんにこの病院での個人授業をする事はできなくなりました」
「朝比奈先生、何処かに行っちゃうんですか」
本当にさみしそうな表情になった。
「いいえ、この病院で僕が教えることが無いということです」
「そうか、私、朝比奈先生の住む所から遠いところにある病院に転移するんですね」
更に落ち込んだ。
「いいえ、白井さんは早ければ明日、遅くても明後日には骨髄の移植を行うことになったからです。そうすれば、直ぐに退院できるからです」
「えっ、私、移植が受けられるんですか」
突然の話に事実を受け入れられないでいた。
「はい、間違いありません」
「確かに、朝比奈先生に会えなくなるのは淋しいけど、移植を受けられるのはとても嬉しいことですよ」
もう1つの話が気になってきた。
「すみません。入ってもらってもいいですか」
朝比奈は扉の外にも聞こえるように声を掛け、その言葉に反応して白石工と如月碧の2人が部屋に入って来た。
「その話はお父さんと担当医の如月先生にも聞いてもらいたいと思います」
朝比奈の言葉に3人が頷いた。
「まず、確認しておきたいことがあります。萌さんは、幼い時にお母さんを亡くし、その愛情を受けることなくここまできました。この前話してもらいましたけど、特に最近はお父さんの仕事が忙しくて、如月先生のような優しいお姉さんがいれば淋しい思いもしなかっただろうとね」
萌の方を向いて尋ねた。
「そっ、それは仕方ないことですから」
父親の白石は申し訳なさそうに萌の顔を見た。
「如月さんも、お祖父さんとお母さんを亡くし、お祖母さんは認知症で殆んど家族のいない状態なんですよね」
如月は朝比奈の言葉に小さく頷いた。
「先ずは、現実をお話します。今回、萌さんに骨髄を提供したのは、如月先生なんです」
その言葉に白石親子は驚き、如月は小さく頷いた。
「白井先生は勿論ご存知でしょうし、萌さんも担当医だった三矢先生から聞いていると思いますが、骨髄移植に関して他人間でHLAが合う確率は非常に低い。しかし親族間、特に親子や兄弟間では高い確率で一致することが起きる」
「どういうことですか」
如月と萌が殆んど同時に声を発した。
「如月先生と萌さんは近親者。つまり、姉妹なんですよ」
「えっ、あっ、えっ、どういうことですか」
如月は何を言っているのか理解できなかった。
「そうだね。突然の話で誰だって驚くよね。でも、ご本人もいらっしゃいますので、確認を兼ねましてお話したいと思います。もう、20数年前の話しになりますが、1組の大学生のカップルがいました。男性は4年生、女性は2つ年下の2年生の時に、男性は海外留学のチャンスが訪れます。男性は彼女の事もあり留学を一旦は躊躇したけれど、彼女の励ましや後押しもあって、大学を卒業後日本を離れることになった。その後、彼女は彼の子供を妊娠していることを知ることと、父親が病に倒れ大学を辞めることにもなる。まぁ、全て僕の推理ですが、彼女はそのことを彼には告げず、負担になることを避けて別れることを選んだ。そして、留学を終えて急いで彼女の元に駆けつけたが、そこには女の子と暮らす彼女の姿を見て、彼は留学期間の長さを悔いてその場を去った。お互いの思い遣りがボタンの掛け違いを起こしてしまいました。一言声を掛けていればと思いますが、もしそうだった場合はこんな素敵なお嬢さんがここに居ない訳ですからね」
ゆっくりと白石親子の顔を見た。
「朝比奈さんの言われる通りです」
その視線に頷いた。
「如月恵子さんは、お父さんの病気や碧さんの子育てもあり、暫くは会うことも連絡を取ることもなかった。しかし、碧さんが急性白血病にかかり、残念ながらお母さんのHLA型は適合せず、移植するドナーもなかなか見つからない為、仕方なく可能性を信じあなたを探し出し連絡を取った。幸い、HLA型が適応し移植も上手く行きました。その時初めて、如月碧さんが自分の娘だと知ることになる。ただ、白石さんも家庭を持っていた為に、骨髄を提供するだけしかできなかった」
「そうです、時間は取り戻せませんでした」
残念そうに言葉を返した。
「碧さんと白石さんのHLA型が一致したと言うことは、萌さんとも一致する訳です、本当に良かったですね」
「萌のことも助けてもらえて、本当に感謝するばかりです。今更後悔しても仕方ないことですが、恵子には本当に苦労をさせて申し訳ないと思っています。きっと私のことを恨んでいたでしょうが、碧先生を助けられたことだけが、せめての救いです」
如月碧に向かって頭を下げた。
「今となっては僕の想像でしかありませんが、白石さんのことを恨んではいなかったと思います。もし、本当に恨んでいたのなら、碧さんを産まなかったでしょうし、愛情を注ぎこんな素敵な女性にへと育てたりはしません」
右手で如月を示した。
「そんな・・・・・」
意外な言葉に驚いた。
「僕がそう感じたのはそれだけではありません。娘に『碧』と名付けたのも、その意思が現れていると思います」
如月のネームプレートを指差した。
「えっ、どういうことですか」
如月は右手で持ち上げて改めて見た。
「碧いと言う名前の漢字を分解してみてください」
「王と白と石ですか」
「僕は勝手にこう理解しました。白・石・工・エと分解して、白石工へと託したかったのではないでしょうか。お母さんは、とても発想の展開が優れた、頭の柔らかい人だったのでしょうね」
「まさか・・・・・」
如月は思わず口に手を当てた。
「碧さん、萌さん。最初の特別授業でWhat goes around,comes around と言う言葉を説明したのですが、覚えていますか」
「はい、和訳すると、因果応報になると教えてもらいました」
萌が答えた。
「そう、でもあの時には話さなかったけれど、もう1つ意味があるんだ。それは、『情けは人の為ならず』と言う言葉にも訳されるんだ」
「人に対して情けを掛けると、かえってその人の為にならないと言う意味ですよね」
萌が答えた。
「いいえ、それは間違った解釈です。萌ちゃんはまだ習っていないかもしれないけど、『ならず』は古文の文法で断定の『なり』に打ち消しの『ず』ですから、『~ではない』と言う意味で人の為ではないと訳すので、情けを掛ければ巡り巡って自分にも良い報いがやって来ると言う意味だと思います」
今度は如月が答えた。
「流石如月先生ですね。もう少し解説すると、これは旧5千円札にも描かれた新渡戸稲造が作った詩の一部に使われたもので、情けは他人の為ではなく自分自身の為に掛けるものだ。だから、自分が他人にした良いことは忘れてもいい。でも、人から良くしてもらったことは絶対に忘れてはいけないよと言いたかったようなんだ。正確には、情けは、自分の心の満足の為に掛けるものであって、見返りを求めるものではないが正解かな。白石さんは、白血病で苦しんでいた如月さんの為に骨髄を提供し、巡り巡って萌さんの骨髄提供者になることができた。これこそがWhat goes around,comes around だったのですね。これは僕からのお願いですが、どうでしょう、これからは家族として一緒に過ごしてみませんか。新しい家族を作ってください」
朝比奈の言葉に3人はお互いの顔をみ合いながら、小さく頷いた。
「ありがとうございました」
白石が代表して頭を下げ、その言葉に微笑んで朝比奈は病室を出た。
「朝比奈さん」
如月が朝比奈の背中に声を掛けた。
「私からもお礼をさせてください。本当にありがとうございました」
両手を前に頭を下げた。
「僕の方こそ色々お世話になり、また怖い目に合わせてしまい申し訳ありませんでした」
昨夜のことを思い出し頭を下げた。
「あの時は、パニックで頭が真っ白になり言葉にできなかったのですが、本当に恐ろしかったです。もうだめだと思ったら、何故か朝比奈さんの名前を叫んでました。まさか、目の前に現れたのか朝比奈さんだなんて、叫びが通じたと信じてしまいました」
朝比奈と確認できた時の自分の表情を想像してなぜか笑えた。
「約束しましたからね。僕には、12時までは責任がありましたから。結構そういうことには細かい性格でして」
「朝比奈さんが現れたのも驚きでしたが、その後の現象はもっと驚かされました。相手はナイフも持っていたし、喧嘩のプロだったのですよね。普通は一緒に逃げますよ」
指を鳴らし、反対に立ち向かっていく朝比奈が信じられなかった。
「折角、向こうから証人が現れてくれたのですよ。逃がすなんて勿体無いことできませんよ。ちょっと体も鈍っていましたので、ちょうどいい運動になりました。ただ、如月さんを襲うなんて許せなかったので、ちょっと力が入り過ぎたのかな、大神には遣り過ぎだと叱られましたけどね」
怖い狼の顔が浮かび、手で払い除けた。
「あの、できれば、命の恩人にお礼がしたいのですが」
真面目な表情で尋ねた。
「えっ、何でもいいですか」
「はい」
「如月先生の空いている時間でいいですので、僕に付き合っていただけませんか」
「えっ、こんどはどこに行くんですか」
ちょっと緊張してきた。
「亡くなった若杉先生のお墓参りに付き合ってくれませんか」
「えっ」
「若杉先生の自宅に、あなたと仲良く写ったツーショット写真が大切に飾ってありました。警察はその時点で、若杉先生は自殺だと判断していましたので、詳しく調べたりはしなかったのでしょう」
「朝比奈さんはよく気が付きましたね」
「それともう1つ、三矢先生が亡くなった時と、若杉先生が亡くなった時では、如月先生の受け取り方が全然違いましたからね。1日付き合って、怖い思いもしてまでも事件を解決しようとしましたからね」
「朝比奈さんには隠せませんね」
感心しながら朝比奈を見た。
「でも、周りからは鈍いとか空気が読めないってよく言われるんですよ。空気は吸うもので、読むものではないと思うんですよね」
「そっ、そうですね・・・・・それは、朝比奈さんには難しいかもしれませんね」
引きつった顔で答えた。
「今度は美人の女医さん、如月碧さんですよね」
通路から突然女性が現れた。
「えっ、美紀、どうしてここに」
少し後退りした。
「勿論、現場を押さえる為ですよ」
2人の顔を交互に見た。
「現場って、2人で患者さんを見舞っていただけだけど、それがどうかしたの」
美紀を避け如月を連れて喫茶フロアへと向かった。
「ちょっと待って、私の友達がこんな画像を撮って送ってくれたんだけど」
先日、如月と腕を組んでホテルに入るところが撮られていた。
「あっ、これは色々と事情があって、話すととても長ーくなりそうで、今度時間があった時に説明します」
「あの、調査の方でしたら、これは誤解です。その時は、たまたま捜査をする為に、偽装する必要があったのです」
如月が間に入った。
「捜査?また良からぬ事件に首を突っ込んでるってことなのね」
腕を組んで朝比奈を睨み付けた。
「いえ、私が無理に依頼したもので、その時は友達の彼氏の浮気現場を探るためだったのです。それも解決しまして、お礼の為にここの病院での食事を誘ったのです」
朝比奈が困らないように精一杯誤魔化した。
「庇ってくれて、ありがとうございます。でも、良いんですよ、彼女にはもう分かったからね。如月さんのような、まともな人がこんな僕みたいな変人を相手にしないとね。だろ。だけど、俺って本当に運が悪いよね。こんなところを撮られるなんてね」
「因果応報。悪いことをすれば、報いが来るのよ。いくら言い訳しても、高くつくわよ」
覚悟をしろと目が語っていた。
「こんばんは、元気になりましたか」
窓からぼんやりと夜空を眺める萌に近づいた。
「朝比奈先生。また来てくれたんですね、ありがとう」
今の楽しみは朝比奈との会話だけだった。
「今日は、白石さんにとても重要な話があって伺いました」
「えっ、私にですか」
朝比奈のいつもと違う真剣な表情に緊張した。
「そうですね、淋しい話と嬉しい話がありますが、どちらから話しましょうか」
今度は少しいたずらっぽい表情で尋ねた。
「選ぶんですか・・・・・・じゃ、淋しくなる話からお願いします」
少し考えて答えた。
「あっ、やっぱりそちらを選ぶと思いました。実は、僕が白石さんにこの病院での個人授業をする事はできなくなりました」
「朝比奈先生、何処かに行っちゃうんですか」
本当にさみしそうな表情になった。
「いいえ、この病院で僕が教えることが無いということです」
「そうか、私、朝比奈先生の住む所から遠いところにある病院に転移するんですね」
更に落ち込んだ。
「いいえ、白井さんは早ければ明日、遅くても明後日には骨髄の移植を行うことになったからです。そうすれば、直ぐに退院できるからです」
「えっ、私、移植が受けられるんですか」
突然の話に事実を受け入れられないでいた。
「はい、間違いありません」
「確かに、朝比奈先生に会えなくなるのは淋しいけど、移植を受けられるのはとても嬉しいことですよ」
もう1つの話が気になってきた。
「すみません。入ってもらってもいいですか」
朝比奈は扉の外にも聞こえるように声を掛け、その言葉に反応して白石工と如月碧の2人が部屋に入って来た。
「その話はお父さんと担当医の如月先生にも聞いてもらいたいと思います」
朝比奈の言葉に3人が頷いた。
「まず、確認しておきたいことがあります。萌さんは、幼い時にお母さんを亡くし、その愛情を受けることなくここまできました。この前話してもらいましたけど、特に最近はお父さんの仕事が忙しくて、如月先生のような優しいお姉さんがいれば淋しい思いもしなかっただろうとね」
萌の方を向いて尋ねた。
「そっ、それは仕方ないことですから」
父親の白石は申し訳なさそうに萌の顔を見た。
「如月さんも、お祖父さんとお母さんを亡くし、お祖母さんは認知症で殆んど家族のいない状態なんですよね」
如月は朝比奈の言葉に小さく頷いた。
「先ずは、現実をお話します。今回、萌さんに骨髄を提供したのは、如月先生なんです」
その言葉に白石親子は驚き、如月は小さく頷いた。
「白井先生は勿論ご存知でしょうし、萌さんも担当医だった三矢先生から聞いていると思いますが、骨髄移植に関して他人間でHLAが合う確率は非常に低い。しかし親族間、特に親子や兄弟間では高い確率で一致することが起きる」
「どういうことですか」
如月と萌が殆んど同時に声を発した。
「如月先生と萌さんは近親者。つまり、姉妹なんですよ」
「えっ、あっ、えっ、どういうことですか」
如月は何を言っているのか理解できなかった。
「そうだね。突然の話で誰だって驚くよね。でも、ご本人もいらっしゃいますので、確認を兼ねましてお話したいと思います。もう、20数年前の話しになりますが、1組の大学生のカップルがいました。男性は4年生、女性は2つ年下の2年生の時に、男性は海外留学のチャンスが訪れます。男性は彼女の事もあり留学を一旦は躊躇したけれど、彼女の励ましや後押しもあって、大学を卒業後日本を離れることになった。その後、彼女は彼の子供を妊娠していることを知ることと、父親が病に倒れ大学を辞めることにもなる。まぁ、全て僕の推理ですが、彼女はそのことを彼には告げず、負担になることを避けて別れることを選んだ。そして、留学を終えて急いで彼女の元に駆けつけたが、そこには女の子と暮らす彼女の姿を見て、彼は留学期間の長さを悔いてその場を去った。お互いの思い遣りがボタンの掛け違いを起こしてしまいました。一言声を掛けていればと思いますが、もしそうだった場合はこんな素敵なお嬢さんがここに居ない訳ですからね」
ゆっくりと白石親子の顔を見た。
「朝比奈さんの言われる通りです」
その視線に頷いた。
「如月恵子さんは、お父さんの病気や碧さんの子育てもあり、暫くは会うことも連絡を取ることもなかった。しかし、碧さんが急性白血病にかかり、残念ながらお母さんのHLA型は適合せず、移植するドナーもなかなか見つからない為、仕方なく可能性を信じあなたを探し出し連絡を取った。幸い、HLA型が適応し移植も上手く行きました。その時初めて、如月碧さんが自分の娘だと知ることになる。ただ、白石さんも家庭を持っていた為に、骨髄を提供するだけしかできなかった」
「そうです、時間は取り戻せませんでした」
残念そうに言葉を返した。
「碧さんと白石さんのHLA型が一致したと言うことは、萌さんとも一致する訳です、本当に良かったですね」
「萌のことも助けてもらえて、本当に感謝するばかりです。今更後悔しても仕方ないことですが、恵子には本当に苦労をさせて申し訳ないと思っています。きっと私のことを恨んでいたでしょうが、碧先生を助けられたことだけが、せめての救いです」
如月碧に向かって頭を下げた。
「今となっては僕の想像でしかありませんが、白石さんのことを恨んではいなかったと思います。もし、本当に恨んでいたのなら、碧さんを産まなかったでしょうし、愛情を注ぎこんな素敵な女性にへと育てたりはしません」
右手で如月を示した。
「そんな・・・・・」
意外な言葉に驚いた。
「僕がそう感じたのはそれだけではありません。娘に『碧』と名付けたのも、その意思が現れていると思います」
如月のネームプレートを指差した。
「えっ、どういうことですか」
如月は右手で持ち上げて改めて見た。
「碧いと言う名前の漢字を分解してみてください」
「王と白と石ですか」
「僕は勝手にこう理解しました。白・石・工・エと分解して、白石工へと託したかったのではないでしょうか。お母さんは、とても発想の展開が優れた、頭の柔らかい人だったのでしょうね」
「まさか・・・・・」
如月は思わず口に手を当てた。
「碧さん、萌さん。最初の特別授業でWhat goes around,comes around と言う言葉を説明したのですが、覚えていますか」
「はい、和訳すると、因果応報になると教えてもらいました」
萌が答えた。
「そう、でもあの時には話さなかったけれど、もう1つ意味があるんだ。それは、『情けは人の為ならず』と言う言葉にも訳されるんだ」
「人に対して情けを掛けると、かえってその人の為にならないと言う意味ですよね」
萌が答えた。
「いいえ、それは間違った解釈です。萌ちゃんはまだ習っていないかもしれないけど、『ならず』は古文の文法で断定の『なり』に打ち消しの『ず』ですから、『~ではない』と言う意味で人の為ではないと訳すので、情けを掛ければ巡り巡って自分にも良い報いがやって来ると言う意味だと思います」
今度は如月が答えた。
「流石如月先生ですね。もう少し解説すると、これは旧5千円札にも描かれた新渡戸稲造が作った詩の一部に使われたもので、情けは他人の為ではなく自分自身の為に掛けるものだ。だから、自分が他人にした良いことは忘れてもいい。でも、人から良くしてもらったことは絶対に忘れてはいけないよと言いたかったようなんだ。正確には、情けは、自分の心の満足の為に掛けるものであって、見返りを求めるものではないが正解かな。白石さんは、白血病で苦しんでいた如月さんの為に骨髄を提供し、巡り巡って萌さんの骨髄提供者になることができた。これこそがWhat goes around,comes around だったのですね。これは僕からのお願いですが、どうでしょう、これからは家族として一緒に過ごしてみませんか。新しい家族を作ってください」
朝比奈の言葉に3人はお互いの顔をみ合いながら、小さく頷いた。
「ありがとうございました」
白石が代表して頭を下げ、その言葉に微笑んで朝比奈は病室を出た。
「朝比奈さん」
如月が朝比奈の背中に声を掛けた。
「私からもお礼をさせてください。本当にありがとうございました」
両手を前に頭を下げた。
「僕の方こそ色々お世話になり、また怖い目に合わせてしまい申し訳ありませんでした」
昨夜のことを思い出し頭を下げた。
「あの時は、パニックで頭が真っ白になり言葉にできなかったのですが、本当に恐ろしかったです。もうだめだと思ったら、何故か朝比奈さんの名前を叫んでました。まさか、目の前に現れたのか朝比奈さんだなんて、叫びが通じたと信じてしまいました」
朝比奈と確認できた時の自分の表情を想像してなぜか笑えた。
「約束しましたからね。僕には、12時までは責任がありましたから。結構そういうことには細かい性格でして」
「朝比奈さんが現れたのも驚きでしたが、その後の現象はもっと驚かされました。相手はナイフも持っていたし、喧嘩のプロだったのですよね。普通は一緒に逃げますよ」
指を鳴らし、反対に立ち向かっていく朝比奈が信じられなかった。
「折角、向こうから証人が現れてくれたのですよ。逃がすなんて勿体無いことできませんよ。ちょっと体も鈍っていましたので、ちょうどいい運動になりました。ただ、如月さんを襲うなんて許せなかったので、ちょっと力が入り過ぎたのかな、大神には遣り過ぎだと叱られましたけどね」
怖い狼の顔が浮かび、手で払い除けた。
「あの、できれば、命の恩人にお礼がしたいのですが」
真面目な表情で尋ねた。
「えっ、何でもいいですか」
「はい」
「如月先生の空いている時間でいいですので、僕に付き合っていただけませんか」
「えっ、こんどはどこに行くんですか」
ちょっと緊張してきた。
「亡くなった若杉先生のお墓参りに付き合ってくれませんか」
「えっ」
「若杉先生の自宅に、あなたと仲良く写ったツーショット写真が大切に飾ってありました。警察はその時点で、若杉先生は自殺だと判断していましたので、詳しく調べたりはしなかったのでしょう」
「朝比奈さんはよく気が付きましたね」
「それともう1つ、三矢先生が亡くなった時と、若杉先生が亡くなった時では、如月先生の受け取り方が全然違いましたからね。1日付き合って、怖い思いもしてまでも事件を解決しようとしましたからね」
「朝比奈さんには隠せませんね」
感心しながら朝比奈を見た。
「でも、周りからは鈍いとか空気が読めないってよく言われるんですよ。空気は吸うもので、読むものではないと思うんですよね」
「そっ、そうですね・・・・・それは、朝比奈さんには難しいかもしれませんね」
引きつった顔で答えた。
「今度は美人の女医さん、如月碧さんですよね」
通路から突然女性が現れた。
「えっ、美紀、どうしてここに」
少し後退りした。
「勿論、現場を押さえる為ですよ」
2人の顔を交互に見た。
「現場って、2人で患者さんを見舞っていただけだけど、それがどうかしたの」
美紀を避け如月を連れて喫茶フロアへと向かった。
「ちょっと待って、私の友達がこんな画像を撮って送ってくれたんだけど」
先日、如月と腕を組んでホテルに入るところが撮られていた。
「あっ、これは色々と事情があって、話すととても長ーくなりそうで、今度時間があった時に説明します」
「あの、調査の方でしたら、これは誤解です。その時は、たまたま捜査をする為に、偽装する必要があったのです」
如月が間に入った。
「捜査?また良からぬ事件に首を突っ込んでるってことなのね」
腕を組んで朝比奈を睨み付けた。
「いえ、私が無理に依頼したもので、その時は友達の彼氏の浮気現場を探るためだったのです。それも解決しまして、お礼の為にここの病院での食事を誘ったのです」
朝比奈が困らないように精一杯誤魔化した。
「庇ってくれて、ありがとうございます。でも、良いんですよ、彼女にはもう分かったからね。如月さんのような、まともな人がこんな僕みたいな変人を相手にしないとね。だろ。だけど、俺って本当に運が悪いよね。こんなところを撮られるなんてね」
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