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二章

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 翌日、朝比奈は名古屋市中区にある愛知県警本部捜査1課の大神班を訪れることにした。一般の訪問者は受付などで事情を話したり、壁に掲示されていた案内板にて確認して、担当してくれる部署へと足を運んでいたが、朝比奈は当たり前のように慣れた仕草で右手を上げて、受付の女性に挨拶をしてエレベーターで三階まで上がっていった。捜査1課のプレートが掲げられた部屋へ入り、一番奥にあるスペースへと進んでいった。
「暇か?」
 朝比奈は部屋に居た3人の刑事に声を掛け、手にしていた袋を差し出した。
「お前程暇じゃないよ。今日はどうしたんだ、アルバイトのシフトにも入れてもらえなくなったのか」
 班長である友人の大神が、朝比奈から缶コーヒーとロールケーキの入った袋を受け取ると、他の刑事にも配った。
「今日は急に店が休みになったんだよ。でも、こんなに3人で寛いでいるってことは、中央署管内で起きた死亡案件には関わってはいないって事なんでしょうか」
 勝手に椅子に座り込んで尋ねた。
「ああっ、その件ならまだ事件とは断定されなくて、応援要請は来ていないはずだぞ。詳しい話は聞いていないけれど、男がフグ毒に当たって亡くなったってことを聞いた程度だ。多分その店を探しているところじゃないのか。えっ、まさか、フグ料理を提供したのがお前のバイト先の店だったんじゃないよな」
 朝比奈がわざわざ出向いてきたのはその為で、フグを手際よくさばくマスターの手際の良さを頭に描いた。
「確かに、マスターも俺もフグ調理師免許を持っているけど、彼は店でコーヒーを飲んだだけだよ。でも、あの状況で警察はまだ事件として扱わないんだ」
 ブラックの缶コーヒーのタブレットを開けて口へと運んだ。
「えっ、まさか、男が亡くなったのは『ゼア・イズ』だったのか。また、また、お前の目の前で人が死んだってことなのか」
 そう言い放つと大神は項垂れ大きなため息を吐いた。
「おいおいよしてくれよ。それじゃあまるで俺が死人を呼び寄せる死神みたいじゃないか。あっちから勝手にやって来て、こちらも迷惑なんだよ」
 大神を鋭い目で睨み付けた。
「まぁ、それは冗談としても、俺が所轄に居る知り合いの担当者から聞いた話では、最初は心不全による突然死と踏んで処理しようと思っていたようなんだが、倒れた男を咄嗟に心臓マッサージしていた男性が病死を疑い、刑事に突っ掛かり所轄に連行されたらしいぞ。まぁ、胃の内容物からテトロドトキシンが出たから、疑う要素はあったからその男の指摘がなかったら、簡単に病死として処理してた訳だから、警察としては感謝しなければならないけどな」
 今時、心臓マッサージができて、その挙句に事件に関わろうとする人間が居るなんてとても信じられなかった。
「本当にそうですよね。まさか一般人の素人が刑事に意見するなんて、まるでサスペンスドラマみたいですね。えっ、まさか・・・・・」
 現場だった『ゼア・イズ』を頭に思い浮かべると、倒れた男に心臓マッサージをする男性の姿がズームアップされ、隣に座っていた川瀬刑事が振り向くと大神も同意見とばかりに頷いた。
「そうですよ、心臓マッサージをしたのも、警察に意見をしたのも俺。ついでに、警察に男の身元を調査するように指示した男も素人の俺でした。それに、僕としてはもう少し中央署の刑事さんと話し合いたかったんだけど、残念ながら現場が『ゼア・イズ』だったし、店に美紀が居て、姉貴の名前を担当者に伝えたようで、連れ戻されてしまったよ。警察よりも、姉さんの小言の方が長いんじゃないかと覚悟したぐらいだよ。それで、ここには亡くなった男性の身元が、何処の誰だったのか知りたくてやってきたんだよ」
 朝比奈は呆れ顔で尋ねた。
「えっ、まさかとは思うけど、その事件に首を突っ込むつもりじゃないだろうな」
 大神は言葉を詰まらせた。
「事件現場は『ゼア・イズ』でなんですよ。それに病死でなければ事件と言うことになり、尚且つコーヒーの中にフグ毒が仕込まれていたとなれば、一番に疑われるのは俺になるよな。中央署が事件を解決してくれればいいけど、俺が犯人にされかねないからな」
 いつものことではあるが、朝比奈の話に他の2人の刑事は呆れ果てていた。
「俺は関わらない方が、お前の為だと思うけど。事件のことは警察に任せておけよ。それに、まだ事件と決まった訳じゃないんだからな」
 朝比奈麗子と、最高検察庁次席検事である父親の顔が頭に過ぎった。
「それで、男性の身元はわかったのか?」
 大神の質問に答えることなくマイペースで話を進める朝比奈の言葉に他の2人の刑事が呆気に取られていた。
「おい、俺の話聞いてたか」
 2人の刑事の手前、大神は語気を強めた。
「はい、はい。聞いていますよ。ただ、被害者は不思議なことに、身分を証明するものを何も持っていなかったんだよね」
 事件に接すると楽しくて仕方のない朝比奈。誰も止めることはできない状態であった。「しかし、お前がどうしてそのことを知っているんだ。疑っている担当者はそんなことを話すはずはないだろ」
 朝比奈の言葉に疑問を持った。
「ああっ、亡くなった人物を知っているかと尋ねられて、全く知らないと答えたら事情を教えてくれたんだよ」
 朝比奈は天井に視線を移して答えた。
「まぁ、深くは追求することはしないが、指紋による前科者リストのチェックにも引っかからず、監視カメラで動線を追ったり歯型による確認をしているようだが、現状では何処の誰なのか全く分かっていないようだな」
 嘘をついているのは明らか、しかし敢えて追求することはしなかった。
「身分を証明するのはなかったけど、スマホは所持していたはずだ。それから身分が分かったんじゃないか」
 そこから手掛かりがあったのではないかとわざわざ訪れたのであった。
「それも各携帯電話会社に問い合せても分からなくて、ロックが掛かっていて今暗証番号などを捜査しているんじゃないのかな」
 そこまででそれ以上は、詳しくは聞いていないようであった。
「まぁ、旅行にたまたま訪れた観光客が、たまたまフグ料理を食べて亡くなったなんて考えているんだろうな。でも念の為に、出入局管理局と連絡を取って調べてみてくれないか」
 佐藤刑事の態度から、警察としてはフグに当たったとして処理したいとのではないかと感じられた。
「えっ、何で出入国管理局が出てくるんだ」
 朝比奈の思っても見ない依頼に流石に大神が反応した。
「殺人犯が被害者を殺害後に、身元を証明するものを持ち去るってことはあるだろうけど、この男性は倒れた後は俺しか触れていないのに、財布の中には現金だけしか残されていなかったんだ。いくらスマホ決済が増えたといっても、クレジットカードの1枚くらいは持っていてもおかしくはないだろう。ひょっとすると、ゴルゴ13みたいな極秘を受けた人物だったのかもしれないだろう」
 興奮の余り被害者の持ち物を探したことをばらしてしまった。
「やっぱり所轄が来る前に調べていたんだな」
 大神は呆れ顔で朝比奈を見たが答える事はなかった。
「まさか朝比奈さんは、殺し屋が反対に殺されたって考えているのですか」
 事件性を感じていない川瀬が笑いを堪えて答えた。
「それでは川瀬刑事、男性の身元がはっきりしない理由を教えていただけませんか。外国からの入国者だったら、その可能性もあるのではないかと考えただけですよ」
 朝比奈は珍しく険しい眼差しで川瀬を見た。
「お前さぁ、簡単に言うけど、この案件は中央署が担当しているんだ。本部が首を突っ込むと、煙たがられるというか、亀裂が生じるんだよ。それに、毎回毎回、俺はお前の手下じゃないんだぞ」
 大神は不満を顔に滲ませていた。
「だから縦社会は嫌なんだよ。事件を解決するのに、警察も一般人もない。そんなことを言っているから、未決事件が増えるんだよ。警察の都合で事件が解決できなかったら、一体誰が責任を取ってくれるんだろうね」
 顔を左右に振ってからガックリと肩を落とした。
「ちょっと落ち着けよ。ただ、お前が事件に関わったからっていって、担当外の事件を勝手には調べられないんだ」
 他の刑事の目を気にしながら答えた。
「分かった、分かった。普段は市民の安全を守る為に一生懸命働いているなんて言っているけど、それは真っ赤な嘘だったんだな。もし事件だとすれば、犯人を早く逮捕しなければ、また被害者が出る可能性もあるというのにね。何度も言うけど、その時は一体誰が責任を取ってくれるのでしょう。まぁ、極秘に隠蔽するんだろうね」
 大神の言葉を聞くと朝比奈は残念そうに3人の刑事の顔を順に見た。
「無理を言うな、どんな組織にも暗黙のルールってのがあるんだ」
 大神も立場上、2人の刑事の手前そう言い返した。
「それでは仕方ないな。こちらも、その組織の力を使うしかないかな」
 朝比奈は微笑みを浮かべた。
「お前まさか・・・・・分かったよ。今回は特別ということで確認してみるよ。でも、いつも水戸黄門の印籠みたいに出されても困るんだよな」
 最高検察庁の次席検事である朝比奈の父親の顔が、大神の頭の中に広がった。
「それでは、優秀な警察の捜査に期待していますよ」
 朝比奈は立ち上がると、大神の肩を叩くと出口に向かい捜査1課の扉を開けて廊下に出た。そして直ぐにショルダーバックを抱えた1人の男性が朝比奈に近づいて来た。
「あの、捜査1課の刑事さんですか」
 捜査1課のプレートを確認して、朝比奈に向かって頭を下げると胸ポケットに手を伸ばした。
「えっ、まぁ」
 朝比奈は曖昧な返事を返した。
「あの、私はフリーライターの大野和夫と申します。ちょっとお時間よろしいですか」
 ポケットから取り出した名刺入れから1枚を取り出して朝比奈に差し出した。
「どの様なご用件でしょう」
 名刺を受け取ると誤解されているとは思ったが、朝比奈も特集記事などアルバイトでフリーライターをしていることもあり、どんな取材なのか興味を感じそのまま刑事の振りをすることにした。
「1週間程前に港区で起きた、麻薬の一斉取締の件について勿論ご存知だとは思いますが、話せる範囲でお聞きできないでしょうか」
 ショルダーバックの中からメモ用紙とボールペンを取り出した。
「あの、ここではなんですので、知り合いの喫茶店で話しませんか」
 朝比奈は辺を気にしながらバイト先でもある『ゼア・イズ』へ連れて行くことにした。
「麻薬の取締については勿論事件のことは知っていますが、担当は4課が担当していまして詳しくはお伝えできないかもしれません。先ずは、どこまで大野さんの耳に入っているのか教えていただけませんか」
 店のテーブル席に着き、コーヒーが運ばれてから朝比奈が口を開いた。勿論、朝比奈も事件のことは知っていたが、新聞やテレビで流れていた情報程度であった。
「先週の金曜日の深夜、港区のレンタル倉庫で大きな麻薬の取引が行われ、2kg以上の覚醒剤が押収されその場に居た組織の男達は全員逮捕されたのですが、その際に警察と組織の間で銃撃戦となったようなのです」
 他のお客には聞こえないように朝比奈に近づいて小声で話した。
「えっ、そこまで知っているのですか」
 朝比奈は全く知らなかったが、話を聞き出す為に敢えて驚かずに頷くように答えた。
「拳銃による死傷者が出なかったので報道はされなかったのだと思いますが、知人の記者に聞いたところその取引の際に負傷者が出ていて、それも組織側でなく警察官が大きな怪我を負ったとのことなのですが、実際はどうだったのでしょう」
 朝比奈の反応を伺いながら言葉を続けた。
「あの、その話はどこからの情報なのでしょう。こちらが聞きたいくらいです」
 警察が市民に不安を与えない為に情報を操作することは知っていても、警察官が負傷をしたことを報道しないのは、本当にそうであれば何か裏の事情があることは明白だ。
「情報源は以前勤めていた新聞社の先輩で、匿名で警察官からリークされた情報なんです。組織に縛られないフリーの私に託してくれたのです」
 真剣な表情で朝比奈を見た。
「あの、ライターとしての気持ちは分からなくはないですが、初めて合う僕にそんな情報を話して、大丈夫と思っているのですか。その、リークをした警察官を探した方が早いと思いますけど」
 普段、他人から変人扱いされている朝比奈であったが、意外とまともな判断をしていた。
「リークしてきた人物については色々な手を使って探したのですが、警察のようにはいかなかったようです。まぁ、出処も分からないネタですから大手の新聞社も動かなかったのでしょう。ですからフリーの私に託したのだと思います。それに宝くじでも買うつもりで『出たとこ勝負、当たって砕けよ』って感じだったのですよ。それに、先輩の話では、ただ警察官が組織の銃弾で怪我を負ったのならば記事として発表しただろうが、どうも記事にできない方法で怪我をしたようなのです。その警察が隠す事情が何なのかとても気になったものですから」
 大野は自分が想像していた刑事の高圧的な態度とは違う朝比奈の受けごたえに、何故か親近感を感じて詳しい情報を話し始めた。
「その気持ちよく分かります」
「えっ、分かるんですか・・・・・」
 朝比奈の言葉に驚いた。
「あっ、いえ、気にしないでください。でも、事実を伝えることが使命と感じているのでしたら、政府が行って来た愚策のワクチン接種やマイナ保険証に、絶対に成功しない大阪万博と誰も望んでいないインボイスの闇の事実を国民に少しでも知らせることの方が、今の段階では必要ではないのでしょうか」
 システムの利点や実施の有効性ばかりを大きく発表するばかりで、デメリットやそれに使われる税金のことを言わない今の政府に、朝比奈は怒りを覚えていた。
「勿論私もそのことについては憤慨していて、何度も投稿したり記事にもしてます。しかし、ユーチューブなどで多く取り上げられるようになったものの、まだ大手新聞社やマスコミで報道されることは殆んどありません。それは、政府による情報操作が行われているからだと考えられます。朝比奈さんが言われる問題は、国民にとっては重要なことだとは思いますが、例えどんな小さなことであっても正しいことは正しく、間違っていることは間違いだと、国民に知らせる義務が我々にはあると思います。ですから、今回の事件で発表されていない事実があれば突き止めて公表したいと考えて取材を始めたのです」
 真剣な表情で自分の思いを語った。
「大野さんの熱意はよく分かりました。知り合いの刑事にも事情を聞いて、確認できる範囲で調べお伝えできることがあれば連絡します」
 朝比奈はジャケットの内ポケットからボールペンを取り出して、大野からもらっていた名刺の裏側に自分の名前と携帯番号を書き込んで大野に差し出した。
「朝比奈優作さん・・・・・では、もう1枚名刺を・・・・・・」
 大野は差し出された名刺を受け取り名前読み上げると、内ポケットから名刺入れを取り出した。
「いえ、刑事である僕があなたの名刺を持っているのは不味いと思いますし、名前も連絡先も覚えましたから」
 朝比奈は自分が刑事であると思い込ませるように言葉を発した。
「そっ、そうですね。それではよろしくお願いします」
 大野は頭を下げて立ち上がりテーブルに置かれた伝票に手を伸ばした。
「ここは僕が」
 朝比奈はその手を制した。
「それではご馳走になります」
 大野はもう一度頭を下げて店を出ていった。朝比奈は残っていたコーヒーを飲み干し立ち上がると『つけておいてください』とマスターに声を掛けて店を出ると、情報を仕入れる為に気は進まなかったが、姉の弁護士事務所へ向かうことにした。
「こんにちは」
 朝比奈は途中で買い込んだスウィーツを手に扉を開けると、わざと明るい声を発した。
「あら、珍しい人が現れたものね。弁護のご依頼でしたら、今は仕事が立て込んでいまして、申し訳ありませんがお引受け兼ねます。どうぞお引き取りください」
 姉の麗子は、朝比奈の顔を見ると冷ややかな表情で答えた。
「あの、姉さんに弁護してもらわなければならないことなんて何もしていないですけど」
 手にしていたデザートを椅子に腰掛けていた美紀に差し出した。
「あら、そうかしら。中央署の知り合いから連絡が入ったわよ。また、いつものように取り調べを受けたそうじゃないの。美紀ちゃんが気を利かせて、他の刑事にあなたが私の弟だと話してくれたから無事に解放されたんでしょ」
 美紀へ視線を移し同意を求めた。
「えっ、あの時はまだ姉さんの耳には入っていなかったんだね。姉さんが後でどのように聞いたのかは知りませんが、それは全くの誤解で警察が病死で処理しようとしていたので、間違った判断をしないようにとアドバイスを送っただけです。それなのに、何故か取調室で関係ないことまで聞かれて、カツ丼も奢ってはもらえませんでした」
 勝手に席に着くと麗子がその前に腰を下ろした。
「何がカツ丼よ。まぁ、そこまでは仕方ないとして、今日ここにやって来たということは、またその事件に首を突っ込む為に情報収集に来たんでしょ」
 長年の付き合い、朝比奈の魂胆は見え見えであった。
「お言葉ですが、間違いとは言え僕が疑われて警察で取り調べを受けたんですよ。それも、警察は事件として扱おうとしない様子なんですから、僕が事件の真実を明らかにするしかないじゃないですか」
 美紀が運んできたコーヒーを手に強い口調で言い放った。
「あのね、毎回言うけど、それは警察の仕事なのよ。警察が事件性があれば本気で捜査するから、あなたが事件を解決する必要はありません」
 麗子もコーヒーを手に取ってゆっくりと答えた。
「残念なことですが、警察は事件性も感じていないし、本腰で捜査をするとは思えません。警察からどのように聞いたのか分かりませんが、亡くなった男性の胃の内容物からはフグ毒のテトロドトキシンが検出されています。でも、テトロドトキシンは摂取量にもよりますが、10分から2時間程の差が出てきますので、警察は何処かの粗悪なフグの料理店で食事をした後で、『ゼア・イズ』へコーヒーを飲みに来たと考えるでしょうね」
 自分が持ってきた皿に乗せられたモンブランケーキを手に取って、フォークで切れ込みを入れて口へと運んだ。
「亡くなった男性が『ゼア・イズ』で口にしたのでなければ、他の店で食したと考えるのが妥当でしょうね」
 苺のショートケーキの苺にフォークを差し込んだ。
「まぁ、無いとは言えませんが、その店は断定できないと思いますよ。その亡くなった男性の身元が分かっていませんからね」
「えっ、身元が分からないってどういうこと?」
「亡くなった男性は、身分を表す免許証やクレジットカードなどの証明証を持っていなかったんですよ。一瞬、僕は殺害されたのではないかと思い、暴力団関係者ではないかと警察の捜査を待っていたのですが、指紋からは前科者リストには載っていないとのことでしたので、次の可能性として海外からの来日者ではないかと思い、今大神に出入局管理局に照会するように依頼してきたところです。スマホは所持していたのですが、データの解析には時間が掛かるというか、現時点では事件性が無いと思っていますから、本気で調べる気もないかもしれません」
 先程の大神や川瀬刑事の態度を思い出していた。
「それも含めて事件のことは警察に任せなさい。何時も言っているけれど、あなたのが関わることではない。反対に、いつもいつも色々な人に迷惑を掛けることになるんだからね」
 実感を込めて言い放った。
「姉さん、警察が事件を解決してくれれば僕だって首を突っこんだりしませんよ。でも、今のままでは警察は頓珍漢な方向に進んでしまいます。それに、もし事件となれば、コーヒーを点てたマスターとそれを運んだ俺が、犯人として真っ先に疑われることになるんだよ。そうなる前に事件を解決しておかなければ、それこそ姉さんや親父に大変な大変な迷惑を掛けることになってしまうんです。それでは申し訳ないですので、不本意ではありますが仕方なく情報収集をしている訳なんですよ」
 わざと大袈裟なリアクションを用いて言い返した。
「でも、程々にしておいてよ。それで、あなたが態々事務所に来たのは、どんな情報を得る目的なんでしょうね」
 麗子は納得はできないものの、仕方なく朝比奈の意見を受け入れた。
「実は、『ゼア・イズ』で男性が亡くなった後、警察が到着するまでの間は、僕が店の鍵を掛けたから店への出入りは無かったのですが、倒れる直前に店を出た人物が1人居るのです。その人物というのが、美紀と一緒に居た北川と言う男性だったのですよ。店内に居たお客やスタッフは警察で一応話は聞いていると思いますが、その北川さんだけは警察が駆け付けたこともあり、関わりたくないと思ったのでしょうか、店の中には戻ってこなかったのですよ」
 朝比奈は来日したばかりで事件に関わりたくないという北川の心情を理解しつつも、美紀を残して立ち去ったことに納得できないでいた。
「そのことについては、彼から何の連絡も入ってこなくて私も心配しているのよ。美紀さんから聞いたと思うけれど、名前は北川龍一と言って日本人の父親とアメリカ人の母親の間に生まれたハーフだったの。父親の仕事の関係から、彼は大学まではアメリカで生活していたの。彼が入学したのはカリフォルニア州立大学だったんだけど、2年生の時に父親が日本に戻ることを機会に、交換留学生制度を利用して東大の法学部に転入してきて同期となり、卒業後は司法試験にも合格して私は法務省、彼は何故か財務省にと入省したんだよね。大学時代からは、政治にとても興味があったり順調にエリートコースを歩んでいたんだけど、財務省を辞めて黒田潤一国会議員の公設秘書になったって共通の友人から聞いた時にはそれも有りかなと思っていたんだよ。しかし、この前あった時の話でそんな話はデマで、外資系の会社に勤めていると聞いた時には、どうしてって聞き返しそうになったわよ」
 渋々話し始めた。
「財務省の超エリートコースを捨ててまで、外資系の会社に引き抜かれるなんて余程好条件で迎えられたか、財務省で何か事件を起こしたのでしょうかね」
 朝比奈に取っては異次元で別世界のことではあったが、何か釈然としなかった。
「詳しくは本人に聞かなければ分からないけれど、私なりに調べたところでは北川君の父親と黒田大臣は高校からの親友で、それに加えて黒田議員には子供が居なくて彼を自分の子供のように思っていたらしくて、公設秘書として採用する話があったのは本当だったみたい。多分、北川君に後継者として地盤を引き継がせる可能性はまだ残っているみたいね。その前に、色々と他の世界を知る為に色々と経験させているんじゃないかと言うのが友人の結論みたいね」
 政治に対して全く興味がない麗子にとって、財務省のエリートコースを捨ててまで国会議員に憧れる北川の考えは理解できなかった。
「将来国会議員になる為の勉強で、外資系の会社に勤めているという訳ですか」
 北川が勤めている外資系の会社のことが気になった。
「彼が勤めている会社はニューランドリーっていって、一昨日アメリカから仕事の関係で来日していて、暫くの間は友人達と会うと言ってたわ」
 先日の会話を思い出してその内容を伝えた。
「確かに、予定が詰まっていたかもしれないけれど、迷惑を掛けた訳だから姉さんや美紀にも連絡が無いなんておかしい、何かあったのかもしれないな」
 警察に話を聞かれて時間を取られるのが嫌だったのかもしれないが、エリートならば最小限の礼儀は尽くして欲しいものだ。
「そうね、私も気にはなっていたけれど、現時点では何も連絡はないわね。会った時は私も色々テンパってて連絡先を聞きそびれたのよ。美紀ちゃんに聞いといてと頼んでおいたんだけど、事件が起こってそれきりになってしまったの。だから、今も連絡が取れないって事になっている訳よ」
 朝比奈と同じく呆れ顔の表情で答えた。
「そうだったのですか・・・・・・それでは、北川さんの実家の連絡先は分かっているのですか」
 連絡が取れない事情があるのではないのか、そちらの方が心配であった。
「両親を含めた家族はアメリカに住んでいるようで、連絡先は分からないのよ。ただ、北川君が会うと言っていた共通の友人には連絡して、もし姿を現したり電話などでの連絡があった場合には知らせて欲しいと念を押しておいたわ」
 連絡を取ったその友人の顔を頭に思い描いていた。
「まぁ、勤めている会社名と黒田議員に関係していることが分かっただけでも十分ですよ。確か、黒田議員は今は法務大臣だったよね」
 国会での答弁するメガネを掛けた小太りで初老の人物が頭に浮かんだ。
「黒田議員は財務省の大臣を務めていたこともあるので、その時に北川君の活躍と有能さを感じ取り、跡を継がせるには十分だと思ったかもしれないわね」
「ちょっと、申し訳ないんですけれど、親父や昔の伝を使って黒田議員と北川さんの事を聞いてもらえませんか」
「あのね・・・・・・分かったわ、時間が取れたらやってみるわ」
 朝比奈の性格を知り尽くしている麗子は諦めて渋々承諾した。
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