2 / 16
一章
しおりを挟む
名古屋市の中心部、地下鉄中央栄町駅より徒歩3分、ビジネスにも観光にも便利な場所に立つ名古屋クラウンホテル。270室以上の客室に7つのレストラン・バーは勿論フィットネスクラブや美容室などの施設も充実し、角界の著名人や国会議員は勿論、『愛知の迎賓館』として皇族御用達の4ツ星ホテルのランクに恥じないように、歴史の中で培われた経験をもとに、常に上質なサービスと伝統のお料理でのおもてなしで、多くのお客様に利用されている。その名古屋クラウンホテルの最上階にあるロイヤルスウィートルームは、各部屋を含む総面積180㎡もあり、自動洗浄式のトイレに大き目の浴槽の他に、ケーブルTV・DVDプレーヤー・パソコン端末・ワイヤレスインターネット・ワーキングデスク・冷蔵庫・ミニバー・ルームサービス・ランドリーサービス・FAX・セーフティーボックスなども装備され、1室2名で夕食・朝食のサービス料が付いて、1泊50万円の部屋を内川康晃が2週間連泊の予定で滞在していた。
内川康晃は日本を代表する推理作家で、大学を卒業後大手商社に在職中に『聖者と皇女』でデビューし、愛知県犬山市の明治村に隣接する別荘地に商社を退職して居を構え、ミステリー作家として歩みを始めた。代表作は和製ホームズと称えられた『名探偵西園寺俊介』や名警部『如月麟太郎』のシリーズなど既に150冊以上の作品が出版され、その内の数多くがTVや映画作品となっていた。
「先生『伊勢志摩連続殺人事件』ついに脱稿されたのですね。お疲れ様でした」
内川が万年筆のキャップを回しながら閉じる姿を目に1人の男が頭を下げた。この男は朝比奈優作。今回の内川の作品が伊勢志摩と名古屋で起こる殺人事件の為に、取材なども便を兼ねて名古屋クラウンホテルに滞在していて、そのアシスタントとお世話係を兼任する為に、内川の古くからの友人である朝比奈の父親の依頼で、もう直ぐ2週間になろうとしていた。
「ああっ、何とか書き終えることができたよ。優作君いつものように頼むよ」
書き終えたばかりの原稿を朝比奈に差し出した。
「分かりました。どのような締めになるのかとても楽しみです」
原稿を受け取ると、一番最初に内川の完結作品が読めることを本当に幸せに感じ笑顔で答えた。
「君のアドバイスもありやっと書き終えたのに、冬文社からは次の作品の話が出ているんだよな、少しはゆっくりと休ませて欲しいよ」
朝比奈が煎れたハーブティーを手に、本当にくたびれたように肩を落とした。
「仕方ないですよ、先生の作品を楽しみにしている愛読者が、それ程沢山居るってことなんですよ。ありがたいことですよ」
早速最初のページに目を落としながら朝比奈が答えた。
「反対にプレッシャーが掛かるよ。一昔前は、殺人においても色々な手段があったのだけれど、今は殺人のトリックも本当に限られてきたし、防犯カメラの普及や通行に関してはNシステム、位置情報ではスマホの機能が充実化したから、犯人を特定しやすくなり殺人も難しくなったからね。それに多くのミステリー作品が発表され、新しいトリックを考えるのもそんなに簡単じゃないんだよ」
そう言うと、溜息を吐いた。
「確かに、マリコさんの活躍で科学捜査も確立し、自殺なのか他殺なのか正しく判断されるようになったみたいですからね。でも先生、それは警察が初動捜査で事件性があると判断した場合で、警察が自殺と判断した場合は警察はそれ以上搜索しませんからね。1年間の日本全国の不審死数は約15万人。最も多い東京都にある東京都監察医務院の年間検案数は、約1万4千体で解剖数は約2千体です。これを1日平均すれば、検案数は38体、解剖数は6体となります。それで事件性があると判断されれば帳場が立ち、所轄は勿論県警本部からも数名の刑事が動員され捜査が始まる。単純に考えて、病死に自殺や事故ではない遺体と判断されれば、捜査に人員が割かれる訳で仕事も増える。警察も人間ですから、できれば事件性が無いとして処理したいと考えるのは、信条としては理解できるのですが反面そんなことはないと信じたいですね」
左の顳かみを叩きながらも、今まで朝比奈が実感した経験からの言葉であった。
「まぁ、その気持ちも分からなくはないけど、もし見落としがあったとすれば被害者家族はやりきれないな」
小説の中での家族を想像して悲痛な表情となった。
「あっ、そう言えば確か先生は、先週の日曜日に志摩国際観光ホテルにも取材なさっていますよね」
一旦小説の原稿をテーブルに置いて朝比奈が尋ねた。
「ああっ、日帰りだったけれど、ちょっと調べたいことがあったからね」
ハーブティーを飲み干して答えた。
「ユーチューブのニュースで知ったのですが、カピバラやモルモット、そして外見も奇妙なピラルクなんかも食べたり、オオサンショウウオを育てたことがあるなんて自慢する、皇族の御子息が伊勢神宮をご参拝する為に、志摩国際観光ホテルに宿泊したのですが、先生は出会うことはなかったのですか」
膝の上で腕を組んだ。
「ああっ、『愛知県の伊勢神宮でご参拝してきました』とおっしゃったお坊ちゃまだろ。もし宿泊していたとすれば、いくら私用とは言え護衛官など大勢の人間をぞろぞろ引き連れてきているはずだけど、そんな気配は全くなかった。えっ、それって本当の話なのかね」
腕を組んでその時のことを思い出していた。
「間違いないですよ。気になって志摩国際観光ホテルのホームページを確認したら、確かに宿泊していることになっているのです。でも、先生がそんな気配は全くなかったと言われると、ご子息は一体何処に宿泊されたのでしょうね」
そう言うと嬉しそうに微笑んだ。
「えっ、伊勢神宮に参拝したのは間違いないんだろ。そして、志摩国際観光ホテルに宿泊したってことも。でも、私は日曜日にレストランでの朝食を食べて直ぐに向かったから、もし、お坊ちゃんが宿泊していれば、余程早くに出立つかしない限り気づくと思うけどな」
内川は頭を傾げた。
「先生の話を聞いて何となく分かりました。取材をされた前日の土曜日、このホテルでは演歌歌手の浜ゆうこのランチ・ディナーショーが、1人3万円で400名の規模で行われる予定だったのが、当日にキャンセルされていたのです。表向きには、予定がバッティングしていたとなっていますが、僕もホテルでアルバイトの経験からすれば、ランチ・ディナーショーは何ヶ月も前から計画されている訳ですから、バッティングすることは有り得ないし、ましてやこんな伝統と格式のある4ツ星ホテルでは絶対に起こりえません。一応親しくなったホテルの関係者にも確認したのですが、どこからか圧力が掛かったみたいなのですよ」
組んでいた手の人差し指を重ねて唇に当てた。
「マスコミや両ホテルに圧力を掛けて事実を捻じ曲げる。高学歴の頭のいい人間が省庁に集められているはずなのに、その前に良識のある人間が居ないってことなのだろうな。上からの指示には逆らえない、ずっとイエスマンでいれば昇格や昇給をして、定年時には想像もできない退職金が国から支給される。昔からなんだろうが、世の中は理不尽なことばかりだな」
呆れ顔で答えるのが精一杯だった。
「まぁ、全員がそうではなく、自分の保身を考える一部の人間だと信じたいですね」
その顔を見て、どちらのホテルもその皇族に関係するのだとか、話を深堀りする気持ちもなくなった。
「あっ、そうだ、話は戻るけど、もし朝比奈君が警察に分からないように殺害するなら、どんな方法を使うかい」
内川は突然話を変えて朝比奈に尋ねた。
「警察にバレないように殺害する方法、つまり完全犯罪ってことですね。まぁ、自殺を装って警察に事件性が無いと思わせることが一番だと思いますが、先程も言いましたが、科学捜査が異常な程に発達しましたので、地方では比較的可能かもしれませんが、大都市ではこれは大きなリスクを負うことになりますね。ですから、反対に事件性があると疑われても、見破れない方法を使いますね」
暫く考えてから答えた。
「えっ、科学捜査の編みを潜り抜け、司法解剖をされても他殺とは判断されない方法があるって言うのかい」
思っても見ない返答に流石に驚いていた。
「そうですね。一番簡単な方法としては、体内から毒物が検出されない方法を考えますね。先生もよくご存知だとは思いますが、毒殺の時はよく青酸カリが使われますよね。それは、変な毒が使われないようにと、何か警察との申し合わせがあった為か、他の毒は余り小説には使われていません。この薬品は毒性が強く、口から摂取したり皮膚の傷口から吸収したりすると、呼吸困難や意識障害を起こします。致死量は0.2~0.3グラムでメッキの加工や冶金、医大に薬学部など医療に関する部署に農業の研究所等、利用分野は幅広いのですが、管理は厳格になっていて、取り扱うには登録や許可が必要であり、毒物及び劇物取締法に基づき、購入時の身元確認や販売記録の保管が義務付けられ、鍵が掛かる倉庫などで管理しなければなりません。小説では犯人が医師であったり、メッキ工場に勤めていたりしますよね」
また左の顳かみを叩いた。
「朝比奈君随分詳しいんだね」
内川は感心していた。
「それは、一応製薬会社に勤めていた経験があるからです。日本では約200の物質が毒物として登録されています。小説によく出てくるふぐ毒で有名なテトロドトキシンは含まれていません。まぁ、これは被害者が食したかどうかで分かりますからね。ただ、その200種類の毒以外の新しい毒を作れば、解剖をされても毒としては検出されずに、病死として扱われることになります」
推理作家に対して少し笑みを作った。
「朝比奈君、そんなのは専門家でしか無理だし、もしできたとしたらノーベル賞ものだぞ」
呆れ顔で答えた。
「そうですよね。ただ、即効性を求めなければ、病院などで処方されている持病の薬がありそれがカプセルであれば、中身をすり替えてじわじわと毒性を蓄積させる方法はあると思います。例えば、僕ならエチレングリコールを使いますね。甘味を持ち、生体内で代謝を受けると有毒化します。代謝物のシュウ酸カルシウムの折出により腎障害を引き起こします。これは自動車の不凍液にも利用され、比較的入手も可能ですからね」
自分の言葉に納得していた。
「エチレングリコールか・・・・・・・・・」
内川は自然にワーキングデスクの方に目を移した。
「でも、そんな薬品を使わなくても、例えば先生が小説に書かれているようにしっかりと遺書を残せば、警察も事件性はなく自殺と判断してくれると思いますよ」
朝比奈は手法を変えてみた。
「簡単に遺書といっても、今時は自記筆で書くなんてことは殆んど無く、パソコンやスマホに書き残すことが多い。でも、それは本人でなくてもできることで、警察も簡単には信じないだろう」
今まで苦労してきた経験が顔ににじみ出ていた。
「それは先生の腕の見せどころですよね。パソコンやスマホにそれらしい遺書を残して、部屋を密室状態にするとか、そのトリックが謎解きになり読者を引き付けるんですよ」
朝比奈がそう返答した時にドアをノックする音がへやに響き、今夜はフランス料理のルームサービスでの夕食が運ばれて来た。食事の間は2人とも無口であったが、食事を終えると朝比奈は、バイトに向かう準備を始めた。
「先生、今夜も夜のバイトがありますので『伊勢・志摩連続殺人事件』の推敲は明日でもよろしいですか」
朝比奈は準備を終えてリビングで寛ぐ内川に声を掛けた。
「ああっ、編集者には明後日の午後3時にここで会う予定だから、それに間に合えば構わないよ」
書き終えたばかりではあったが、次の作品へと考えを巡らせていた。
「食事の間に考えていたのですが、次回の先生の作品の参考になるか、先程の先生の問いについてもう1つ答えを見つけました。密室のトリックは意外と出尽くしたと思うので、もし僕が完全犯罪を企てるとすれば、遺体を警察に発見されないようにします」
朝比奈は内田の様子からそのことを察して話を続けた。
「まぁ、確かにそうなんだけど、先程も話していたように色々な科学捜査が充実してきて、山に埋めても海に沈めてもその現場を目撃されていない可能性は100%じゃないだろ」
朝比奈が何が言いたいのか分からなかった。
「ちょっと表現方法が間違っていましたね。警察に発見されても良い方法を作るのです。以前、僕は葬儀社でアルバイトをしていて経験したことなのですが、旧家の多い地域は告別式は勿論、前日の通夜も何十人もの人が参列します。しかし、今はごく親しい親族のみで執り行う家族葬が増えているのです。実際に体験した話ですが、病院でなくなった場合は、お棺を持参して御遺体を収納するのですが、通夜も告別式もしないで斎場も利用されないとなれば、一旦葬儀社で預かることになります。そこで、御遺体と殺害した遺体をすり替えるのですよ」
ちょっと得意げに語った。
「いやいや、それは無理だよ。斎場は使わなくても、家族との最後のお別れとして、お棺の扉を開いて顔を見るじゃないか」
その表情に反発するように答えた。
「通常はそうなのですが、僕がアルバイトをしていた時は新型ウィルスの最盛期で、お別れ際には感染予防の為に、お棺の扉は開けないことになっていました。つまり、火葬場についても、誰も確認することはなかったのです。その後、病死していた遺体が発見されても勿論事件性は無いし、警察が不審に思っても生きていた人物との照合捜査をする訳ですから、身元は永遠に分からないのですから捜査もされない。完全犯罪の出来上がりです」
我ながらよく考えたものだと自画自賛していた。
「そういう手もあったんだ。本当に現場の人間でなければ分からないことだね。そのトリック今度の作品で使わせてもらってもいいかい。アイデア料としてアルバイト代に追加しとくから」
次の作品に対して微かな光が見えたようで顔に赤みが戻ってきた。
「それは構いませんが、思いつきのアイデアで本当にいいのですか」
却って心配になった。
「いや、斬新でとても面白いと思うよ。それでは、よろしく頼むよ」
聞きなれない言葉を放った内川から掛け時計に目を移した朝比奈は、慌てて頭を下げて出掛ける事を告げて部屋を後にした。そして、徒歩で十数分のところにある『ゼア・イズ』というカフェバーに向かい翌朝の5時まで勤めた後、名古屋クラウンホテルのロイヤルスウィートルームへと戻り、カードキーを使ってドアを開けると部屋の灯りが点っていて、朝比奈は自分のアイデアを参考に内川が早起きをして小説を書き始めたのだと思い、ワーキングデスクへと向かうと机に覆いかぶさるように倒れ込んでいる姿が目に止まった。その異常な格好に慌てて駆け寄ると、既に内川は息をしていなくて念の為に首筋に指先を当ててみたが、脈を打つことはなかった。
「どうして・・・・・・」
朝比奈はそう呟くと、ポケットからスマホを取り出して警察に連絡を取ると、部屋の中を自分が出て行く前の状態と比較しながら確認して回った。特に違いは認められなかったが、内川から預かってテーブルに置いていた原稿の位置が、微妙にズレていることに気づき、手に取って捲って行くと最後のページの『完』の下に『it takes two to tango』と書かれていた。
(先生はあれから書き加えたのだろうか)
そう考えていると、パトカーのサイレンが聞こえてきて、読んでいた原稿を持っていた自分のカバンに丸めて押し込んだ。そして、呼び出された所轄の刑事が受付を素通りしてエレベーターで最上階へと向かい、スマホで告げられた部屋番号を確認してドアをノックした。朝比奈はその音に反応してドアをゆっくりと開けた。
「中田警察署の捜査1課の島崎と言います。ご連絡を頂いた朝比奈さんでしょうか」
背が高く体格のよい男性が警察手帳を掲げて声を掛けてきた。
「朝比奈は僕です。この部屋に長期滞在していた男性が亡くなっていたので連絡させていただきました。どうぞこちらです」
朝比奈はワーキングデスクに倒れ込んでいる内川の遺体まで2人の刑事を案内した。
「あの、救急車は呼ばれていないのですか」
内川の姿を目にして島崎が尋ねた。
「既に息もしていなかったし、脈も感じ取れませんでした。ですから、先に警察に連絡を取らさせてもらいました」
冷静に話す朝比奈に驚いていた。
「すみませんが、この方は誰なんですか」
こんな豪華な部屋に滞在できるなんてどんな人物なのか興味も湧いていた。
「内川康晃です」
朝比奈は改めて両手を合わせた。
「内川康晃・・・・あなたとはどの様な関係なのですか」
島崎もポケットから白い手袋を取り出して両手を合わせた。
「えっ、先輩、内川康晃先生ですよ。知らないんですか」
後ろに控えていた後輩刑事の吉沢が驚きの声を発した。
「お前、この人物を知っているのか」
自分より前に出ようとしている吉沢を止めながら尋ねた。
「当たり前ですよ。ミステリー作家の巨匠でTVドラマでも有名な『名探偵西園寺俊介』や警部『如月麟太郎』シリーズの生みの親なんですよ。1度は見たことあるでしょう」
呆れ顔で言い返した。
「えっ、そうなのか。だからこんな客室に宿泊していたんだな。そっ、それで、朝比奈さんと言われましたか、あなたと内川さんの関係はどうだったのでしょう」
吉沢の言葉に動揺していた。
「色々複雑な関係でしたが・・・・・・一言で表現すれば内川先生のお世話係でした」
顎に手を当ててしばらく考えた末に最も当てはまる答えを見つけた。
「えっ、お世話係?」
朝比奈の表現は、却って分かりづらくしていた。
「はい、内川先生は、ホテルのこちらの部屋で小説を書かれていまして、僕がアシスタントを含め色々なお世話をしていたのです」
これならどうだと説明した。
「つまり、内川先生とこの部屋にずっと一緒に泊まっていたということなんですね」
何となく理解し念を押した。
「はい、その通りです」
軽く頷いた。
「既に亡くなっていると言われましたが、一緒に居てあなたは内川先生の異変に気付かなかったのですか」
まぁ、他の部屋で寝ていれば仕方ないかとは思ったが、それにしては服装がパジャマ姿でないのが気になった。
「それはお世話係として本当に申し訳ないと思っています。僕は昨夜の7時過ぎまで2人でルームサービスでの夕食をとっていたのですが、バイトに向かう為に7時40分にはこの部屋を出ていました。そして、帰ってきたのがつい先程で、先生が亡くなっていたのを確認して連絡をした訳です」
その時の状況を思い出し確認しながら答えた。
「えっ、どういうことですか。先生のお世話をしているのにバイトに出ていたのですか」
朝比奈の言葉が理解できないでいた。
「バイトの件は内川先生の許可を得ていまして、昨夜は早目にお休みになられるとのことでしたので、いつもよりは少し早く出掛けられました。でも、遺体の硬直状態から考えて、亡くなったのは昨夜の遅い時間だと思われますので、いつも通りに出掛けていても結果は一緒だったと思いますよ」
自分にも納得させる為の言葉だった。
「えっ、まさか、遺体を触ったのか」
異界な言葉に流石に驚いた。
「はい、昨夜からずっと店が混んでいまして、僕の帰りが少し遅くなってしまったものですから、もう少し早く帰っていたらと思い亡くなった時間を知りたくて、ちょっと触らせてもらいました」
至極当たり前のように答えた。
「あのね、勝手に遺体に触れられては困るのですよ。事件性があった場合は指紋を取ることだってあるのですから」
コイツ一体何者なんだと疑いの眼差しで朝比奈を見た。
「すみません。自然に手が動いてしまいました。それに、指紋に関しては、一緒に生活していたのですから、先生の身体に付いていても不思議ではありませんよね」
謝ってはいたが少しも反省はしていなかった。
「あなたがこの部屋に居るという事は、この部屋の鍵をお持ちなのですね」
話を変えて質問した。
「僕がずっと部屋のカードキーを預かっていました。先生が外に出られる場合は、取材以外は一緒でしたから」
ポケットから部屋の番号が印字されたカードキーを取り出してみせた。
「先輩、争った形跡もありませんし、多分病死だったのでしょうね」
吉沢は総報告すると、鑑識などを要請するかどうか島崎に判断を委ねた。
「朝比奈さん、内川先生に体の異常はなかったのでしょうか。持病とか飲んでいる薬とか」
判断をする前に朝比奈に質問した。
「糖尿病と高血圧の薬を食後に飲んでいらしたのですが、昨夜も特に異常はなかったと思います。ですから、急に体調を崩し亡くなるとは信じられませんので、念の為に司法解剖をした方が良いと思います。著名人でもありますから、死因はきっちりと調べておくべきだと僕は思います。飲んでいた薬は、机の一番上の引き出しに入っていますので、それも確認してみてください」
島崎に変わって朝比奈が吉沢に指示をした。
「あの、ご指摘はありがたいのですが、判断は警察がしますのでお構いなく。一応あなたの8時以降の行動についてお聞かせ願いませんか」
吉沢にあちらに行けと目配りした。
「このホテルの近くにある『ゼア・イズ』に着いたのが、8時30分過ぎだったと思います。そこでのアルバイトを終えてこの部屋に戻ってきて異変に気づき警察に連絡したのです。店のマスターや従業員に聞いて頂ければ分かると思います」
朝比奈は一応ポケットから店の名刺を出して島崎に差し出した。
「分かりました。事件性があった場合は確認させていただきます」
名刺を確認してからポケットに入れた。
内川康晃は日本を代表する推理作家で、大学を卒業後大手商社に在職中に『聖者と皇女』でデビューし、愛知県犬山市の明治村に隣接する別荘地に商社を退職して居を構え、ミステリー作家として歩みを始めた。代表作は和製ホームズと称えられた『名探偵西園寺俊介』や名警部『如月麟太郎』のシリーズなど既に150冊以上の作品が出版され、その内の数多くがTVや映画作品となっていた。
「先生『伊勢志摩連続殺人事件』ついに脱稿されたのですね。お疲れ様でした」
内川が万年筆のキャップを回しながら閉じる姿を目に1人の男が頭を下げた。この男は朝比奈優作。今回の内川の作品が伊勢志摩と名古屋で起こる殺人事件の為に、取材なども便を兼ねて名古屋クラウンホテルに滞在していて、そのアシスタントとお世話係を兼任する為に、内川の古くからの友人である朝比奈の父親の依頼で、もう直ぐ2週間になろうとしていた。
「ああっ、何とか書き終えることができたよ。優作君いつものように頼むよ」
書き終えたばかりの原稿を朝比奈に差し出した。
「分かりました。どのような締めになるのかとても楽しみです」
原稿を受け取ると、一番最初に内川の完結作品が読めることを本当に幸せに感じ笑顔で答えた。
「君のアドバイスもありやっと書き終えたのに、冬文社からは次の作品の話が出ているんだよな、少しはゆっくりと休ませて欲しいよ」
朝比奈が煎れたハーブティーを手に、本当にくたびれたように肩を落とした。
「仕方ないですよ、先生の作品を楽しみにしている愛読者が、それ程沢山居るってことなんですよ。ありがたいことですよ」
早速最初のページに目を落としながら朝比奈が答えた。
「反対にプレッシャーが掛かるよ。一昔前は、殺人においても色々な手段があったのだけれど、今は殺人のトリックも本当に限られてきたし、防犯カメラの普及や通行に関してはNシステム、位置情報ではスマホの機能が充実化したから、犯人を特定しやすくなり殺人も難しくなったからね。それに多くのミステリー作品が発表され、新しいトリックを考えるのもそんなに簡単じゃないんだよ」
そう言うと、溜息を吐いた。
「確かに、マリコさんの活躍で科学捜査も確立し、自殺なのか他殺なのか正しく判断されるようになったみたいですからね。でも先生、それは警察が初動捜査で事件性があると判断した場合で、警察が自殺と判断した場合は警察はそれ以上搜索しませんからね。1年間の日本全国の不審死数は約15万人。最も多い東京都にある東京都監察医務院の年間検案数は、約1万4千体で解剖数は約2千体です。これを1日平均すれば、検案数は38体、解剖数は6体となります。それで事件性があると判断されれば帳場が立ち、所轄は勿論県警本部からも数名の刑事が動員され捜査が始まる。単純に考えて、病死に自殺や事故ではない遺体と判断されれば、捜査に人員が割かれる訳で仕事も増える。警察も人間ですから、できれば事件性が無いとして処理したいと考えるのは、信条としては理解できるのですが反面そんなことはないと信じたいですね」
左の顳かみを叩きながらも、今まで朝比奈が実感した経験からの言葉であった。
「まぁ、その気持ちも分からなくはないけど、もし見落としがあったとすれば被害者家族はやりきれないな」
小説の中での家族を想像して悲痛な表情となった。
「あっ、そう言えば確か先生は、先週の日曜日に志摩国際観光ホテルにも取材なさっていますよね」
一旦小説の原稿をテーブルに置いて朝比奈が尋ねた。
「ああっ、日帰りだったけれど、ちょっと調べたいことがあったからね」
ハーブティーを飲み干して答えた。
「ユーチューブのニュースで知ったのですが、カピバラやモルモット、そして外見も奇妙なピラルクなんかも食べたり、オオサンショウウオを育てたことがあるなんて自慢する、皇族の御子息が伊勢神宮をご参拝する為に、志摩国際観光ホテルに宿泊したのですが、先生は出会うことはなかったのですか」
膝の上で腕を組んだ。
「ああっ、『愛知県の伊勢神宮でご参拝してきました』とおっしゃったお坊ちゃまだろ。もし宿泊していたとすれば、いくら私用とは言え護衛官など大勢の人間をぞろぞろ引き連れてきているはずだけど、そんな気配は全くなかった。えっ、それって本当の話なのかね」
腕を組んでその時のことを思い出していた。
「間違いないですよ。気になって志摩国際観光ホテルのホームページを確認したら、確かに宿泊していることになっているのです。でも、先生がそんな気配は全くなかったと言われると、ご子息は一体何処に宿泊されたのでしょうね」
そう言うと嬉しそうに微笑んだ。
「えっ、伊勢神宮に参拝したのは間違いないんだろ。そして、志摩国際観光ホテルに宿泊したってことも。でも、私は日曜日にレストランでの朝食を食べて直ぐに向かったから、もし、お坊ちゃんが宿泊していれば、余程早くに出立つかしない限り気づくと思うけどな」
内川は頭を傾げた。
「先生の話を聞いて何となく分かりました。取材をされた前日の土曜日、このホテルでは演歌歌手の浜ゆうこのランチ・ディナーショーが、1人3万円で400名の規模で行われる予定だったのが、当日にキャンセルされていたのです。表向きには、予定がバッティングしていたとなっていますが、僕もホテルでアルバイトの経験からすれば、ランチ・ディナーショーは何ヶ月も前から計画されている訳ですから、バッティングすることは有り得ないし、ましてやこんな伝統と格式のある4ツ星ホテルでは絶対に起こりえません。一応親しくなったホテルの関係者にも確認したのですが、どこからか圧力が掛かったみたいなのですよ」
組んでいた手の人差し指を重ねて唇に当てた。
「マスコミや両ホテルに圧力を掛けて事実を捻じ曲げる。高学歴の頭のいい人間が省庁に集められているはずなのに、その前に良識のある人間が居ないってことなのだろうな。上からの指示には逆らえない、ずっとイエスマンでいれば昇格や昇給をして、定年時には想像もできない退職金が国から支給される。昔からなんだろうが、世の中は理不尽なことばかりだな」
呆れ顔で答えるのが精一杯だった。
「まぁ、全員がそうではなく、自分の保身を考える一部の人間だと信じたいですね」
その顔を見て、どちらのホテルもその皇族に関係するのだとか、話を深堀りする気持ちもなくなった。
「あっ、そうだ、話は戻るけど、もし朝比奈君が警察に分からないように殺害するなら、どんな方法を使うかい」
内川は突然話を変えて朝比奈に尋ねた。
「警察にバレないように殺害する方法、つまり完全犯罪ってことですね。まぁ、自殺を装って警察に事件性が無いと思わせることが一番だと思いますが、先程も言いましたが、科学捜査が異常な程に発達しましたので、地方では比較的可能かもしれませんが、大都市ではこれは大きなリスクを負うことになりますね。ですから、反対に事件性があると疑われても、見破れない方法を使いますね」
暫く考えてから答えた。
「えっ、科学捜査の編みを潜り抜け、司法解剖をされても他殺とは判断されない方法があるって言うのかい」
思っても見ない返答に流石に驚いていた。
「そうですね。一番簡単な方法としては、体内から毒物が検出されない方法を考えますね。先生もよくご存知だとは思いますが、毒殺の時はよく青酸カリが使われますよね。それは、変な毒が使われないようにと、何か警察との申し合わせがあった為か、他の毒は余り小説には使われていません。この薬品は毒性が強く、口から摂取したり皮膚の傷口から吸収したりすると、呼吸困難や意識障害を起こします。致死量は0.2~0.3グラムでメッキの加工や冶金、医大に薬学部など医療に関する部署に農業の研究所等、利用分野は幅広いのですが、管理は厳格になっていて、取り扱うには登録や許可が必要であり、毒物及び劇物取締法に基づき、購入時の身元確認や販売記録の保管が義務付けられ、鍵が掛かる倉庫などで管理しなければなりません。小説では犯人が医師であったり、メッキ工場に勤めていたりしますよね」
また左の顳かみを叩いた。
「朝比奈君随分詳しいんだね」
内川は感心していた。
「それは、一応製薬会社に勤めていた経験があるからです。日本では約200の物質が毒物として登録されています。小説によく出てくるふぐ毒で有名なテトロドトキシンは含まれていません。まぁ、これは被害者が食したかどうかで分かりますからね。ただ、その200種類の毒以外の新しい毒を作れば、解剖をされても毒としては検出されずに、病死として扱われることになります」
推理作家に対して少し笑みを作った。
「朝比奈君、そんなのは専門家でしか無理だし、もしできたとしたらノーベル賞ものだぞ」
呆れ顔で答えた。
「そうですよね。ただ、即効性を求めなければ、病院などで処方されている持病の薬がありそれがカプセルであれば、中身をすり替えてじわじわと毒性を蓄積させる方法はあると思います。例えば、僕ならエチレングリコールを使いますね。甘味を持ち、生体内で代謝を受けると有毒化します。代謝物のシュウ酸カルシウムの折出により腎障害を引き起こします。これは自動車の不凍液にも利用され、比較的入手も可能ですからね」
自分の言葉に納得していた。
「エチレングリコールか・・・・・・・・・」
内川は自然にワーキングデスクの方に目を移した。
「でも、そんな薬品を使わなくても、例えば先生が小説に書かれているようにしっかりと遺書を残せば、警察も事件性はなく自殺と判断してくれると思いますよ」
朝比奈は手法を変えてみた。
「簡単に遺書といっても、今時は自記筆で書くなんてことは殆んど無く、パソコンやスマホに書き残すことが多い。でも、それは本人でなくてもできることで、警察も簡単には信じないだろう」
今まで苦労してきた経験が顔ににじみ出ていた。
「それは先生の腕の見せどころですよね。パソコンやスマホにそれらしい遺書を残して、部屋を密室状態にするとか、そのトリックが謎解きになり読者を引き付けるんですよ」
朝比奈がそう返答した時にドアをノックする音がへやに響き、今夜はフランス料理のルームサービスでの夕食が運ばれて来た。食事の間は2人とも無口であったが、食事を終えると朝比奈は、バイトに向かう準備を始めた。
「先生、今夜も夜のバイトがありますので『伊勢・志摩連続殺人事件』の推敲は明日でもよろしいですか」
朝比奈は準備を終えてリビングで寛ぐ内川に声を掛けた。
「ああっ、編集者には明後日の午後3時にここで会う予定だから、それに間に合えば構わないよ」
書き終えたばかりではあったが、次の作品へと考えを巡らせていた。
「食事の間に考えていたのですが、次回の先生の作品の参考になるか、先程の先生の問いについてもう1つ答えを見つけました。密室のトリックは意外と出尽くしたと思うので、もし僕が完全犯罪を企てるとすれば、遺体を警察に発見されないようにします」
朝比奈は内田の様子からそのことを察して話を続けた。
「まぁ、確かにそうなんだけど、先程も話していたように色々な科学捜査が充実してきて、山に埋めても海に沈めてもその現場を目撃されていない可能性は100%じゃないだろ」
朝比奈が何が言いたいのか分からなかった。
「ちょっと表現方法が間違っていましたね。警察に発見されても良い方法を作るのです。以前、僕は葬儀社でアルバイトをしていて経験したことなのですが、旧家の多い地域は告別式は勿論、前日の通夜も何十人もの人が参列します。しかし、今はごく親しい親族のみで執り行う家族葬が増えているのです。実際に体験した話ですが、病院でなくなった場合は、お棺を持参して御遺体を収納するのですが、通夜も告別式もしないで斎場も利用されないとなれば、一旦葬儀社で預かることになります。そこで、御遺体と殺害した遺体をすり替えるのですよ」
ちょっと得意げに語った。
「いやいや、それは無理だよ。斎場は使わなくても、家族との最後のお別れとして、お棺の扉を開いて顔を見るじゃないか」
その表情に反発するように答えた。
「通常はそうなのですが、僕がアルバイトをしていた時は新型ウィルスの最盛期で、お別れ際には感染予防の為に、お棺の扉は開けないことになっていました。つまり、火葬場についても、誰も確認することはなかったのです。その後、病死していた遺体が発見されても勿論事件性は無いし、警察が不審に思っても生きていた人物との照合捜査をする訳ですから、身元は永遠に分からないのですから捜査もされない。完全犯罪の出来上がりです」
我ながらよく考えたものだと自画自賛していた。
「そういう手もあったんだ。本当に現場の人間でなければ分からないことだね。そのトリック今度の作品で使わせてもらってもいいかい。アイデア料としてアルバイト代に追加しとくから」
次の作品に対して微かな光が見えたようで顔に赤みが戻ってきた。
「それは構いませんが、思いつきのアイデアで本当にいいのですか」
却って心配になった。
「いや、斬新でとても面白いと思うよ。それでは、よろしく頼むよ」
聞きなれない言葉を放った内川から掛け時計に目を移した朝比奈は、慌てて頭を下げて出掛ける事を告げて部屋を後にした。そして、徒歩で十数分のところにある『ゼア・イズ』というカフェバーに向かい翌朝の5時まで勤めた後、名古屋クラウンホテルのロイヤルスウィートルームへと戻り、カードキーを使ってドアを開けると部屋の灯りが点っていて、朝比奈は自分のアイデアを参考に内川が早起きをして小説を書き始めたのだと思い、ワーキングデスクへと向かうと机に覆いかぶさるように倒れ込んでいる姿が目に止まった。その異常な格好に慌てて駆け寄ると、既に内川は息をしていなくて念の為に首筋に指先を当ててみたが、脈を打つことはなかった。
「どうして・・・・・・」
朝比奈はそう呟くと、ポケットからスマホを取り出して警察に連絡を取ると、部屋の中を自分が出て行く前の状態と比較しながら確認して回った。特に違いは認められなかったが、内川から預かってテーブルに置いていた原稿の位置が、微妙にズレていることに気づき、手に取って捲って行くと最後のページの『完』の下に『it takes two to tango』と書かれていた。
(先生はあれから書き加えたのだろうか)
そう考えていると、パトカーのサイレンが聞こえてきて、読んでいた原稿を持っていた自分のカバンに丸めて押し込んだ。そして、呼び出された所轄の刑事が受付を素通りしてエレベーターで最上階へと向かい、スマホで告げられた部屋番号を確認してドアをノックした。朝比奈はその音に反応してドアをゆっくりと開けた。
「中田警察署の捜査1課の島崎と言います。ご連絡を頂いた朝比奈さんでしょうか」
背が高く体格のよい男性が警察手帳を掲げて声を掛けてきた。
「朝比奈は僕です。この部屋に長期滞在していた男性が亡くなっていたので連絡させていただきました。どうぞこちらです」
朝比奈はワーキングデスクに倒れ込んでいる内川の遺体まで2人の刑事を案内した。
「あの、救急車は呼ばれていないのですか」
内川の姿を目にして島崎が尋ねた。
「既に息もしていなかったし、脈も感じ取れませんでした。ですから、先に警察に連絡を取らさせてもらいました」
冷静に話す朝比奈に驚いていた。
「すみませんが、この方は誰なんですか」
こんな豪華な部屋に滞在できるなんてどんな人物なのか興味も湧いていた。
「内川康晃です」
朝比奈は改めて両手を合わせた。
「内川康晃・・・・あなたとはどの様な関係なのですか」
島崎もポケットから白い手袋を取り出して両手を合わせた。
「えっ、先輩、内川康晃先生ですよ。知らないんですか」
後ろに控えていた後輩刑事の吉沢が驚きの声を発した。
「お前、この人物を知っているのか」
自分より前に出ようとしている吉沢を止めながら尋ねた。
「当たり前ですよ。ミステリー作家の巨匠でTVドラマでも有名な『名探偵西園寺俊介』や警部『如月麟太郎』シリーズの生みの親なんですよ。1度は見たことあるでしょう」
呆れ顔で言い返した。
「えっ、そうなのか。だからこんな客室に宿泊していたんだな。そっ、それで、朝比奈さんと言われましたか、あなたと内川さんの関係はどうだったのでしょう」
吉沢の言葉に動揺していた。
「色々複雑な関係でしたが・・・・・・一言で表現すれば内川先生のお世話係でした」
顎に手を当ててしばらく考えた末に最も当てはまる答えを見つけた。
「えっ、お世話係?」
朝比奈の表現は、却って分かりづらくしていた。
「はい、内川先生は、ホテルのこちらの部屋で小説を書かれていまして、僕がアシスタントを含め色々なお世話をしていたのです」
これならどうだと説明した。
「つまり、内川先生とこの部屋にずっと一緒に泊まっていたということなんですね」
何となく理解し念を押した。
「はい、その通りです」
軽く頷いた。
「既に亡くなっていると言われましたが、一緒に居てあなたは内川先生の異変に気付かなかったのですか」
まぁ、他の部屋で寝ていれば仕方ないかとは思ったが、それにしては服装がパジャマ姿でないのが気になった。
「それはお世話係として本当に申し訳ないと思っています。僕は昨夜の7時過ぎまで2人でルームサービスでの夕食をとっていたのですが、バイトに向かう為に7時40分にはこの部屋を出ていました。そして、帰ってきたのがつい先程で、先生が亡くなっていたのを確認して連絡をした訳です」
その時の状況を思い出し確認しながら答えた。
「えっ、どういうことですか。先生のお世話をしているのにバイトに出ていたのですか」
朝比奈の言葉が理解できないでいた。
「バイトの件は内川先生の許可を得ていまして、昨夜は早目にお休みになられるとのことでしたので、いつもよりは少し早く出掛けられました。でも、遺体の硬直状態から考えて、亡くなったのは昨夜の遅い時間だと思われますので、いつも通りに出掛けていても結果は一緒だったと思いますよ」
自分にも納得させる為の言葉だった。
「えっ、まさか、遺体を触ったのか」
異界な言葉に流石に驚いた。
「はい、昨夜からずっと店が混んでいまして、僕の帰りが少し遅くなってしまったものですから、もう少し早く帰っていたらと思い亡くなった時間を知りたくて、ちょっと触らせてもらいました」
至極当たり前のように答えた。
「あのね、勝手に遺体に触れられては困るのですよ。事件性があった場合は指紋を取ることだってあるのですから」
コイツ一体何者なんだと疑いの眼差しで朝比奈を見た。
「すみません。自然に手が動いてしまいました。それに、指紋に関しては、一緒に生活していたのですから、先生の身体に付いていても不思議ではありませんよね」
謝ってはいたが少しも反省はしていなかった。
「あなたがこの部屋に居るという事は、この部屋の鍵をお持ちなのですね」
話を変えて質問した。
「僕がずっと部屋のカードキーを預かっていました。先生が外に出られる場合は、取材以外は一緒でしたから」
ポケットから部屋の番号が印字されたカードキーを取り出してみせた。
「先輩、争った形跡もありませんし、多分病死だったのでしょうね」
吉沢は総報告すると、鑑識などを要請するかどうか島崎に判断を委ねた。
「朝比奈さん、内川先生に体の異常はなかったのでしょうか。持病とか飲んでいる薬とか」
判断をする前に朝比奈に質問した。
「糖尿病と高血圧の薬を食後に飲んでいらしたのですが、昨夜も特に異常はなかったと思います。ですから、急に体調を崩し亡くなるとは信じられませんので、念の為に司法解剖をした方が良いと思います。著名人でもありますから、死因はきっちりと調べておくべきだと僕は思います。飲んでいた薬は、机の一番上の引き出しに入っていますので、それも確認してみてください」
島崎に変わって朝比奈が吉沢に指示をした。
「あの、ご指摘はありがたいのですが、判断は警察がしますのでお構いなく。一応あなたの8時以降の行動についてお聞かせ願いませんか」
吉沢にあちらに行けと目配りした。
「このホテルの近くにある『ゼア・イズ』に着いたのが、8時30分過ぎだったと思います。そこでのアルバイトを終えてこの部屋に戻ってきて異変に気づき警察に連絡したのです。店のマスターや従業員に聞いて頂ければ分かると思います」
朝比奈は一応ポケットから店の名刺を出して島崎に差し出した。
「分かりました。事件性があった場合は確認させていただきます」
名刺を確認してからポケットに入れた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる