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祝ってもらえる日
しおりを挟むヴァイスハイム王国での生活にも、少しずつ慣れてきた。
周囲が私を「殿下の婚約者」として扱う場面は、確実に増えている。会釈の仕方、声のかけ方、立ち位置。
あからさまではないけれど、以前とは違う距離感だ。
服装も変わった。
令嬢用のドレスより、動きやすい方がいいと気づいてしまったから。王宮案内の時に着せてもらった、騎士魔法学校幼少部の制服。あれを気に入ってしまって、結果――
「専用に仕立えましょう」
いつの間にか話が進み、気づけば“リズ専用”の制服が出来上がっていた。
さすがに驚いたけれど、着心地は抜群だった。動きやすく魔力の流れも妨げない。もう令嬢らしく振る舞う必要はないらしい。
ふと机の上のカレンダーを眺める。
「……こっちに来てから、ひと月か」
思ったより、短くて。思ったより、濃い。
指先で日付をなぞって、ふと止まる。
「あ」
今日は――誕生日だった。
意識した途端、胸の奥が少し冷えた。
同時に思い出す。
十年前。あの日も同じ日付だった。
忘れもしない。
罪を着せられ連れ出され、首に刃が当てられた日。
無意識に首元へ手をやる。そこには、何もない。
痕も、痛みも、当然――生きている。
「そうか」
十年前に戻ってきたからしばらく忘れていたのだ。
今日は本来なら、私が死んだ日だった。
少しだけ、息を整える。
過去は、過去だ。ここは違う。
首から手を離しカレンダーを閉じる。
「前に進こう」
小さく呟いて、私は立ち上がった。
その直後。
「おはようございます、リズ様」
ノックも控えめに、エマが部屋に入ってくる。
「朝餉のご用意ができました」
「ありがとう、今行く」
制服の上着を整えながら立ち上がり、エマと護衛についていたルーカスと共に部屋を出る。
回廊を歩きながら、ふと思い出したことを口にした。
「ねえエマ」
「はい」
「この国って、正式に結婚できるのは十二歳からだよね?」
エマは一瞬だけ考え、頷いた。
「ええ。王族・貴族ともに、原則は十二歳からです」
「そっか」
私は前を見たまま、何気なく呟く。
「じゃあ、あと五年かぁ」
――ピシリ。
空気が、音を立てて止まった気がした。
左右を見ると、エマもルーカスも完全に固まっている。
「……?」
思わず足を止める。
「どうしたの?」
エマがゆっくりとこちらを向いた。
その表情は妙に慎重だ。
「……お待ちください」
「?」
「今、リズ様は……六歳であられますよね?」
「いや、今日七歳になったの」
それが何か問題?
という気持ちで言っただけだった。
数秒の沈黙。
エマとルーカスが、そっと視線を交わす。
「……」
「……」
そして、ルーカスが低く呟いた。
「これは……殿下に報告だな」
「ええ」
エマも、即座に同意する。
「ちょ、ちょっと待って」
思わず声を上げる。
「二人共どうしたの?」
二人は答えない。
ただ難しい顔をしていた。
「……私、変なこと言った?」
そう聞くと、エマは一瞬だけ口を開きかけて、閉じた。
そして、ぽつり。
「……いえ、その……」
「?」
エマは深く息を吸ってから、少しだけ声を上げた。
「本来、誕生日でしたら小さいパーティーを開く予定でして……!」
今度は、横にいたルーカスが気まずそうに視線を逸らす。
「いずれ来る誕生日にパーティーを開く場として、中庭の使用許可も取っていました」
「え?」
「庭師も飾り付けの準備をしていましたし、料理場では、リズ様用の小さなケーキの話も……」
次々と出てくる“裏話”。
「ちょ、ちょっと待って」
思わず両手を上げる。
「そんな大ごとだったの?」
エマは少しだけ頬を膨らませた。
「大ごとです。誕生日ですから」
「しかも」
ルーカスが、低い声で続ける。
「まだ誰も、“おめでとう”を言えていない」
……あ。
「だから」
エマが申し訳なさそうに言う。
「先に“五年後”の話が出てしまって……」
「順番が、完全に逆でした」
数秒。
それから、私は吹き出した。
「そっか、誕生日って祝ってもらう日だったね。うん、やろう。誕生日パーティー」
「よろしいのですか?」
「うん。むしろ嬉しい」
「じゃあ」
ルーカスが少しだけ表情を緩める。
「まずは改めて」
二人同時に、少し照れたように言った。
「「お誕生日、おめでとうございます」」
胸の奥が、ふっと温かくなる。
「ありがとう」
そう答えると、エマはやっと笑った。
「でしたら、朝餉のあとにでも……少しだけ、時間をいただけますか?」
「パーティーってほどじゃないですけど」
「“誕生日らしいこと”を、させてください」
「……うん」
私は頷いた。
「楽しみにしてる」
回廊の空気が、すっかり元に戻る。
さっきまでの緊張が嘘みたいに。
誕生日は重たい決断の日じゃない。
今日はただ――
祝ってもらっていい日なのだ。
そんな話をしていると朝餉の席に、いつもより少し遅れて到着することになった。
「いつもより遅かったな」
殿下がこちらを見る。
「何かあったか?」
「えっと……」
珍しく、言葉に詰まる。
どう答えようか迷っていると、横に控えていたエマが一歩前に出た。
「失礼ながら、殿下」
静かで、けれどはっきりとした声。
「本日はリズ様、七歳のお誕生日でいらっしゃいまして」
殿下が一瞬、目を瞬かせる。
「……そうか」
「お祝いの準備が間に合っておらず、その件について少しお話をしておりました」
強調されるお話の部分に、さっきのやり取りを思い出して、なんとなく気まずくなる。
私は視線を下げて、カップに手を伸ばした。
殿下は小さく息を吐き、眉間に指を当てる。
「完全に失念していたな……」
そう言ってから、隣に立つノアへ視線を向けた。
「今日の予定だが、調整は可能か」
ノアは即座に答える。
「午前中を少し詰めれば、午後からは時間を取れるかと」
「なら——」
「ちょっと待ってください!」
思わず声が出た。
「そんな、殿下。いいですから」
本当に、そこまでしてもらうつもりはなかった。
「誕生日っていっても、別に——」
「よくない」
きっぱりと遮られる。
殿下は私を見ていた。逸らさず、真っ直ぐに。
「婚約者の誕生日を祝えない男がいていいわけがないだろう」
その言葉に、頭が真っ白になる。
ずるい。
そんな真剣な顔で言われたら、何も言えない。
「……はい」
結局、それだけ答えて黙るしかなかった。
殿下は小さく頷き、再びノアを見る。
「午後は空けろ」
「承知しました」
話が決まってしまった。
エマは満足そうに微笑み、ノアはどこか楽しそうに口元を緩めている。
「……大ごとになってきたな」
小さく呟くと、殿下が聞き逃さなかった。
「何か言ったか?」
「いえ、何も」
そう答えながら、私はカップを持ち上げる。
どうやら今日は、
思っていたより“誕生日らしい日”になりそうだった。
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