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お披露目
しおりを挟む大広間の扉の前で足が止まった。
中からは音楽とざわめき。
華やかな声と、グラスの触れ合う音。
「緊張しているか」
隣から低い声。
「少しだけ」
正直に答えると、リヒトは何も言わず、ほんのわずかに手を引き寄せた。それだけで不思議と呼吸が整う。
扉が、ゆっくりと開かれた。
光が溢れ出す。
一歩、踏み出した瞬間。
――視線。
無数の視線が、こちらに集まるのを感じた。
囁き声が波のように広がる。
「……あの方が」
「第一王子の……」
「婚約者?」
「まだ、あんなに小さいのか」
言葉の一部だけが、耳に届く。
けれど、それ以上に強く感じるのはリヒトの存在だった。
腕を引かれながら堂々と前へ進む。
歩調は一定。迷いはない。
私はその隣で、教えられた通り視線を落としすぎず背筋を伸ばして歩く。
サファイアブルーのドレスが、灯りを受けて静かに揺れた。深く澄んだ青が、光の下でわずかに表情を変え、幼さを残したまま夜会の空気に溶け込んでいく。
「……」
ざわめきが少しずつ変わる。
驚きから、確認へ。そして――評価へ。
「……思ったより、落ち着いている」
「殿下の隣に立つのに、怯えていない」
「なるほど……」
それらの声を、私は聞かないふりをした。
今、見るべきものは一つだけ。
隣にいる人。その人の腕に手を添え、同じ方向を向いて立っているという事実。
やがて音楽が一段落する。大広間の中央で足が止まった。リヒトが一歩前に出る。それだけで空気が締まる。
「皆、集まっているな。改めて紹介しよう」
低く、通る声。
その間に心臓が跳ねる。
「――俺の婚約者だ」
視線がこちらに集中する。
逃げ場はない。でも私は一歩前へ出た。
教えられた通りに小さく、けれど確かに礼をする。
この瞬間。私は“守られる子ども”ではない。
第一王子の隣に立つ、婚約者としての私だった。
大広間に静かな拍手が広がっていく。
音楽が、静かに切り替わった。
軽やかで、けれど格式のある旋律。
最初の一曲に相応しい王宮の舞踏曲だ。
「踊れるか」
「はい」
短く答えると、リヒトはそれ以上何も言わず手を差し出した。
大きな手。その手に、自分の小さな手を乗せる。
「力は抜け」
囁くような声。
「俺が合わせる」
一瞬だけ視線が絡む。
次の瞬間、音に合わせて体が動き出した。
教え込まれた通りの一歩。
踏み出し、寄せて、回る。
最初は、周囲の視線が気になった。
けれどすぐにそれどころではなくなる。
リヒトの動きは正確で、揺れがない。
私の歩幅、重心、癖まで把握しているかのように、すべてが自然に導かれていく。
「……」
息が合う。呼吸のタイミングが、重なる。
サファイアブルーのドレスが、回転に合わせてふわりと広がった。床に映る二人の影が、一瞬だけ綺麗に重なる。
「筋がいいな」
唐突に、低い声。
「本番で言われると、動揺します」
「事実だ」
それだけ。
でも、その一言で肩の力が抜けた。
音楽に身を委ねる。
数えなくても、次の動きが分かる。
考えなくても、足が出る。
怖くない。
殿下の腕の中にいるから、ではない。隣に立っているという実感がちゃんとそこにあるからだ。
曲の終わりが近づく。
最後の旋回。音が静かに収束する。
止まる。
ほんの一瞬、互いの距離が近いまま。
「よくやった」
低く、耳元で。
その声だけで胸が少しだけ跳ねた。
拍手が起こる。
控えめで、けれど確かな音。
私は顔を上げ殿下と同じ方向を見る。
この場所で。この音楽の中で。
私たちは、確かに“最初の一歩”を踏み出したのだった。
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