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閑話⑧ リヒトside
しおりを挟む朝の光が差し込むリヒトの執務室。
簡単な報告を終え、ノアが書類を整理しているところへ控えめなノックが入った。
「失礼いたします」
扉を開けて入ってきたのは、エマだった。
「殿下。リズ様のことでご報告が」
その一言にリヒトの視線が鋭くなる。
「何かあったのか」
一瞬、室内の空気が張り詰める。
だがエマは、少しだけ表情を和らげて続けた。
「いえ。ご心配には及びません」
「昨晩ですが、夜会からの帰り道で歩きながら眠られてしまいまして。そのまま朝までお目覚めになられず、現在は湯浴みをされております」
「そのため、本日の朝餉をご一緒できないかもしれないと、お伝えしてほしいとのことで参りました」
一拍。
リヒトとノアが、同時に顔を見合わせた。
「なるほど」
ノアが小さく息を吐く。
「やはり、疲れはきちんと出ていたのですね」
「無理をしなかったのは良い判断だ」
リヒトはそう言いながら、どこか安堵したように椅子に深く座り直す。
「周りを頼れたということだろう」
それから、少しだけ口元を緩めた。
「ただ……」
視線を落とし、続ける。
「これが俺の耳に入ると知ったら、リズは相当ごねただろうな」
その言葉に、エマは思わずふふっと笑った。
「ええ、それはもう」
「『歩きながら眠ったことは言わないでください』と、念を押されました」
リヒトの眉が、わずかに動く。
「だが」
エマは背筋を伸ばし、はっきりと言った。
「殿下には包み隠さずお伝えすることを、お約束しておりますので」
ノアが小さく笑う。
「信頼されていらっしゃる」
「ええ。ありがたいことに」
エマはそう答え、一礼した。
「では、失礼いたします」
エマが退出し、扉が静かに閉まる。
しばらく、室内には書類をめくる音だけが響いていた。
「……」
先に口を開いたのは、ノアだった。
「殿下」
「なんだ」
「本当に、よくやっておられましたね」
言葉は控えめだが、評価ははっきりしている。
「夜会を“やり過ごした”のではなく、きちんと“立っていた”」
リヒトは、少しだけ目を伏せた。
「ああ。俺もそう思う」
それから静かに続ける。
「子どもだからと、庇われる位置に甘んじなかった。だが、無茶もしていない」
視線を上げ、窓の外を見る。
「……危ういな」
ぽつりと零れたその言葉にノアは苦笑した。
「ええ。ですが」
一拍置いて。
「だからこそ、でしょう」
「殿下が……」
言いかけて、言葉を選び直す。
「――手放せなくなったのは」
リヒトは答えない。
ただ、わずかに息を吐き、背もたれに身を預けた。
「……朝餉は、一人か」
「ええ」
ノアは即座に返す。
「ですが」
ほんの少し、口角を上げて。
「その方が、落ち着かないご様子かと」
リヒトは鼻で小さく笑った。
「余計なことを言うな」
だが、否定はしない。
窓から差し込む朝の光は穏やかだった。
夜会は終わり、日常が戻ってきたはずなのに。
確かに何かが、変わり始めていた。
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