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ひとりじゃない
しおりを挟む中央魔導回廊へと続く道は、すでに“いつもの姿”を失っていた。
本来なら、床や壁に刻まれた魔術式が淡く脈動し、静かに魔力の流れを示しているはずの場所。
けれど今は違う。
制御を失った魔力が溢れ出し、回廊全体が眩いほどの光に満たされていた。
「……っ」
思わず目を細める。
光は一定ではない。脈打つように強弱を繰り返し、回廊そのものが呼吸しているかのようだ。
その合間を縫うように、ふわりふわりと宙を漂うのは、凝縮された魔力の塊。球状にまとまったそれは、一見すると幻想的ですらある。けれど、近づけばすぐに分かる。
(熱い)
肌に触れなくても、空気越しに伝わってくるほどの熱量。不安定に凝縮された魔力が行き場を失い、回廊内を漂っている。
「このままじゃ……」
放置すればいつ暴発してもおかしくない。
私は足を止め、即座に簡易結界を展開した。半透明の膜が、身体を包み込む。
次の瞬間、漂う魔力に触れた結界の表面がじり、と焼けるような音を立てた。
(消耗が早い)
長くはもたない。それでも。
「進むしかない」
一歩、踏み出す。結界越しに熱が伝わる。
凝縮魔力がゆっくりと視界の端を流れていく。
それはまるで暴走しかけた魔力が、逃げ場を探して彷徨っているかのようだった。
王宮設備はこの先。
王宮全体の魔力が集まり、そして流れ出していく中枢。ここで止められなければ被害は一気に広がる。
私は呼吸を整える。殿下が戻るまで。
この回廊が沈黙してしまう、その前に。
簡易結界を維持しながら、王宮設備の区画へ足を踏み入れる。瞬間、空気が変わった。
「……っ」
息を吸っただけで、喉が焼けるように痛んだ。
肺に入ってくる空気そのものが熱を帯びている。
簡易結界の内側ですら、肌にじわりと汗が滲む。
設備室の中央。制御の核として据えられているはずのものーー紫の魔鉱石。
本来なら、硬く安定した結晶体のはずだ。中央魔導回廊から流れ込む魔力を受け止め、必要な分だけを分配する要の存在。
それが今は。どろり。どろり、と。
形を保てず、まるで溶けた蝋のように崩れ落ちていた。
供給過多。
中央魔導回廊から押し流されてくる魔力が、処理能力を完全に上回っている。紫の光は濁り、脈動は乱れ、
内部で魔力が暴れ回っているのがはっきり分かる。
「このままいけば」
破裂する。それも、静かにではない。
一気に魔力を解放し設備全体を巻き込み、回廊へ。そして王宮中へと連鎖する。
その光景を想像して恐怖に震えた。
(まだ……)
視線を走らせる。完全に臨界点には達していない。
溶解は始まっているが、核そのものはまだ“残っている”。
(間に合う)
一歩踏み出すと、結界が悲鳴を上げるように軋む。熱と魔力が容赦なく押し寄せてくる。
無茶はしない。でも止めなきゃいけない。
殿下が戻る、その時まで。
この紫の核が完全に崩れ落ちてしまう、その前に。
私は魔力を練り上げた。ここからが、本番だ。
「はじめよう」
完全に止める必要はない。壊す必要もない。
私は右手を魔鉱石へ向けた。
指先から、細く、しかし確かな魔力を流し込む。
暴れている魔力の流れに、無理やり割り込む感覚。
「静かに、優しく」
囁くように告げる。
次の瞬間、魔鉱石の表面を走っていた濁った紫光が、ふっと色を変えた。
深い藍。夜の底のような色。溶解していた動きが、ぴたりと止まる。
どろりと垂れていたはずの表面に霜のような魔術紋が走り、内側で荒れ狂っていた魔力が強引に“眠らされた”。
(封じた)
ただし、完全じゃない。
中に溜まる魔力は増え続けている。これは延命処置。時間を稼ぐための危うい均衡。
同時に、私は左手を広げた。
「――結界、再構築」
簡易結界の輪郭が震える。その上から、新たな魔術式を重ね書きする。
一層。
二層。
半透明だった膜が、幾何学的な紋様を浮かべながら厚みを増していく。
衝撃を受け止める層。
魔力を散らす層。
回廊への連鎖を断つ層。
三重。
結界が、低く唸りを上げた。
「……っ」
体の重心が僅かにブレる。だが立ち止まらない。
足元の床に刻まれた魔術式を踏み替え、位置を微調整する。
右手は魔鉱石を離さない。左手は結界を維持し続ける。
(どちらかを止めたら……終わり)
視界が霞む。でも決してやめない。
魔鉱石の内部で、抑え込まれた魔力が軋むのが分かる。結界の外側で、暴走寸前の魔力が叩きつけてくる。
それでも、まだ。
「……沈黙なんて、させない」
息が荒くなる。喉が熱で焼け、額を汗が伝う。
それでも私は目を逸らさなかった。
王宮で過ごすみんなの顔が頭を過ぎる。
失いたくない。
だって殿下は来てくれるから。
信じていられるからこそ耐えられる。
ひとりじゃ、ないから。
何分、いや、何十分が過ぎただろう。
そんなに経っていないのかもしれない。けれど、この場では一分一秒が異様なほど長く感じられた。
呼吸ひとつ。瞬きひとつ。
その度に、結界が、魔鉱石が、次の瞬間を耐えきれるかどうかを試されている気がして。
時間は進んでいるはずなのに、終わりだけが見えなかった。
――そのとき。
外から異質な魔力の気配が触れた。
重く澄んだ、揺るぎない魔力。
(来た)
胸の奥がわずかに緩む。結界の向こう。回廊の先。
「……遅いです、殿下」
そう呟いた声は魔力の唸りに掻き消されたけれど。
私は、確かに笑っていた。
時間は稼いだ。あとは、任せる番だ。
「悪い。遅くなった」
聞き慣れた声。
その声に、張り詰めていた何かがふっと緩んだ。
視界の端で、結界の向こうに立つリヒト殿下が見える。
その表情。ほんの一瞬だけだったけれど、私は見逃さなかった。眉がわずかに寄り、唇がきつく結ばれている。
(あ)
焦ってる。
それも、隠しきれてないくらいに。
「……ふ」
思わず喉が鳴った。
「おかしいな」
こんな状況なのに、胸の奥から笑いが込み上げてくる。
「殿下が……そんな顔するなんて……」
可笑しくて、可笑しくて。
必死に保っていた魔力制御の糸が、その瞬間ぷつりと緩む。体は正直だった。限界だと、とっくに伝えてきていたはずなのに。
結界の震え。魔鉱石のうなり。
全部まだ聞こえているのに、それが急に遠くなる。
「あとは」
声が、うまく出ない。
「……任せる、番……」
視界が、白く滲んだ。
足元の感覚が消え、力が抜けていく。
倒れる、と思った瞬間――
「リズ!」
呼ばれた気がした。
でも、もう応えられない。
最後に見えたのは、結界越しに伸ばされたリヒト殿下の手。
(… だいじょうぶ)
そう思ったところで。
世界が、静かに暗転した。
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