ただ、きみを愛してる。

【２】_3

　
　
　
　そんな俺でも、サヴィーは傍にいることを選んでくれた。
　俺が、そうすればいい、と言った当初の提案のとおり、普段からどこへ行くにも俺の後をくっついてきた。時には腕を絡めてみたり、なんていうこともして、ただの友人同士がするには過剰なスキンシップを交えながら、そうやって俺たちは、学校生活を常に一緒に過ごしていた。
　あくまで実情は、“そういう関係”を持っているフリ、ではあったけれど。同室だということも効果的だったのか、思いのほかスンナリ、周囲は俺たちの関係を誤解した。
　どうやら、サヴィーに絡んでいた例の下衆な連中にも、俺の素性と、主家がサイラーク伯爵家だということも、知れてくれたようだし。――ていうか、もともと隠してもいなかったから、普通に訊かれてアッサリ正直に答えちまったのは俺なんだけどな。
　サイラーク家は、本来ならば“成金”なんて呼ばれてしまうほどに、貴族としては新興で、それすなわち、家格が低い、と見做されている家門だ。それでも昨今では、レイノルド様の持つ人脈のおかげか、我が国で一目置かれる貴族の一人として数えられ、その家名もわりと広く知られるまでになっていた。――まあそらそうだろう、と、そこは俺のような子供でも解る。現国王陛下と、それに並ぶ権力を持つ我が国の監督官、ユリサナ帝国皇太子殿下、そんな国の頂点に立つ御二方から浅からぬ誼と並々ならぬ信頼を得ているのが、当家ご当主レイノルド・サイラーク伯爵閣下、であるのだから。そのような御方を相手取り、おいそれと“成金”などと気軽に扱き下ろすことは、さすがに並みの貴族では出来んだろうさ。てーことは、並みの貴族に仕えている輩にしても同様、ってことになるんだろう。
　そんなわけで例の連中も、サイラーク家に縁を持つ俺と既に“そういう関係”として出来上がっている――ように見せ掛けている――サヴィーに対し、わざわざ手を出そう、なんていう気も失せたようで。二人で一緒にいる時に憎々しげな眼差しを向けてきたりはしたものの、とりあえずその程度のみに止とどまっている。
　そして、サヴィー曰く『同類』である者も同輩の中に他一人二人ほどいたらしいが。それぞれ、サヴィーにとっての俺、みたいな存在を見つけたか何だかして、とりあえず平穏無事な日々を過ごせているらしい。ヘタしたら“公衆便所”として集団暴行まがいの無茶をされている者も居るのでは…などと心配していたサヴィーにとって、それは何よりの僥倖だったようだ。思いのほか嬉しそうに、にこにこと報告してきた。
　俺としても、そこはホッと安心というものである。サヴィーやその『同類』とやらには、やはりどうしても、コルトの境遇が重なってしまうから……彼のように傷を負う者が出ないのであれば、それこそが何よりだ。


　一抹のしこり、らしきものはあれ……それでも思いのほか学校生活は楽しく過ぎていった。
　そうはいっても、憶えなければならないことは多いわ、頭だけでなく身体も使わなきゃならないわ、こなすべき課題も多すぎるわ、教官たちは揃いも揃って厳しいわ鬼だわ、人の邪魔することしか能が無いイヤミな同輩は多いわ、…なもんで、決して楽しいばかりの学校生活とは言い難かったけれど。
　それでも、同じ目標を持つ仲間同士、時には敵同士ともなり、切磋琢磨して目の前の課題を乗り越えていく、という経験は、やはり学校でなければ得られない、それは貴重な時間を貰えたと思う。
　何とか落第することも無く、留年も免れ、あっという間に一年が過ぎた。
　このまま二年目の学習課程も無事に終えられれば、晴れて卒業を迎えられる。
　ここで自分が躓くことなんて、想定すらしていなかった。一年目を乗り越えられたのだから、二年目もまた、同じように皆で力を合わせれば乗り越えられると、信じて疑いもしていなかった。


　――嵐は、忘れた頃にやってくるものでもあったのに。


　あれほどに見目の良いサヴィーが人の耳目を集めるのは、当然といえば当然のことだった。
　だから彼は、そのテの輩から常に狙われていると云っても過言ではなかったのだ。
　俺は、それをどこまでも甘く考え過ぎていた。


　また、そもそもで言うなれば、俺の存在自体も、あちこちから目の敵にされていたようなフシがある。
　最初から主家の名を隠そうともしていなかったことで、ちょっと名の知れてきたサイラークの家名を笠に着て好き放題やっている、なんてふうに思われていたとしてもおかしくはない。それに、いかに目上の者であっても、尊敬すら出来ない輩に自分から媚を売るような真似も大嫌いだった。それは、見ようによっては、不遜、だの、傲岸、だのとも、捉えられかねないだろう。
　事実、入学早々にして、二年目の先輩方とちょっとした諍いを起こしてしまったこともあったっけ。
　普通なら遠慮して引くようなところでも、先輩であることを大義名分にして図々しく踏み込んでこようとする、そんな輩が、やはり少なからずこの学校には居た。そういった奴らが、あれこれと詭弁を弄しては、何とかしてサヴィーを手に掛けんと、あの手この手でちょっかいばかり掛けてくるもんだから。さすがに温厚な俺でも、いい加減ブチ切れた。…というのが、その諍いの経緯である。
　その時は、些細な揉め事でも大事おおごとにはしたくない先輩方の打算により、何事も無かったかのように、上がった火の粉は即座に揉み消していただけたため、俺も事なきを得た。
　だけれども、なんだかもう色々と面倒くさくなってしまって、先輩方の主催する勉強会、等といった“後輩は強制参加！”的な催しや会合、そういったもののほとんどを勝手に不参加と決め込んだ。――どうせ、その大半が、“そういう関係”を結びたい後輩との縁繋ぎの場、なんだろうしな。そんなもの、主催者の顔ぶれを見れば解ってしまう。サヴィーは、そういう方面での視線を自分に向けてきた相手のことを、ことごとく記憶していたのだから。そんな輩の勉強会云々に参加してみたところで、後輩にとっちゃ全く実にも薬にもならないに違いない。
　サヴィーのおかげで、俺なりに慎重に相手の人とナリを見て行動していた、と自負しているつもりだったのだが……それでも、大部分の輩から総スカンを食っていたことも間違いではない。――だって、本当にロクでもない人間ばっかり多すぎるんだから、そうなるのも仕方ないだろうが。
　事実、そんな俺を哀れんで陰ながら助けてくれるような同期の友人たちがいなければ、アッサリ一年目で落第していたかもしれない。
　結果として何事もなく一年目を乗り越えられた俺のことを、先輩方が憎々しげに睨み付けながらご卒業あそばされていったことは……今となっては良い思い出である、としか言い様がないな。


　先輩、という厄介な目の上のタンコブが居なくなってくれたことで、気が緩んでいなかったのか、と問われれば……きっと、そう、だったのだろう。
　奴らは虎視眈々と、雌伏し時を待っていた。――すべては、それに思い至ることもなかった、ほかでもない俺の過失だった。


　学校生活も二年目となれば、先輩がいなくなった代わりに、後輩が出来る。
　優しくて面倒見の良いサヴィーは案の定、後輩にも自分の『同類』らしき者がいないか、酷い目に遭っているような子はいないか、と目を配り始めた。
　そうやって見つた僅かばかりの『同類』とやらのうち、あのサヴィーに『目が離せない』とまで言わしめた後輩が、一人だけ居た。
　なんというか……俺と同い年らしいそいつは、顔立ちこそ可愛らしくはあるんだが、取る行動がいちいち、どんくさいというか的外れというか何というか…なカンジを全くもって隠せていない、およそ執事という仕事には明らかに向いてないよねコイツ？　とシミジミ思わせてくれちゃうようなヤツであり。
　そんなだから、『一人で放っておいたら、あっという間に攫われて、どこかに連れ込まれちゃう』と、しょっちゅうサヴィーがハラハラしながら見守っていたものだった。
　まあ…言い方は悪いが、そこまでの見た目ぱっぱらぱー人間を前にすれば、誰しも毒気を抜かれてしまうのではなかろうか、と。
　うっかりそんな考え方をしてしまうくらいには、サヴィーが心配するほどの事は何も起こらず、そいつは平穏無事な学校生活をのほほんと送っているように俺には見えていた。
　――あくまでも、見えていた、だけなのだけれども。


　やはり、先輩・後輩という間柄では、どんなに目を配っていたとしても、その目の届かない部分も多くある。
　こちらの死角で何かが起こっていたとしても、本人が自己申告でもしてこなきゃ何も知ることが出来ない。
　更に、その“起こったこと”が、たとえば集団暴行のような非人道的行為であったとしても、当の本人がそれを“嫌なこと”だと受け止めてすらいなければ、こっちだって対処の仕様が無い。


　サヴィーが、そのアホな後輩に起こっていた“事実”を知ることとなったのは、二年目も早や半分以上が過ぎ去って、そろそろ冬になろうとしている時分のことだった。


　何につけ目立つサヴィーが目を掛けてやっていた所為で、もしかしたらその後輩も悪目立ちしてしまっていたのかもしれない。
　その彼に目を付けた誰かが、あのサヴィーが構っているからにはアイツも男娼あがりなんだろう、という考えに及んだとしても、何もおかしいことはない。
　よく見たら可愛らしい顔をしている。おまけに、見るからに頭が足り無さそうだ。少し優しくしてやれば、すぐに言いなりになってくれそうでもある。――そう考えた不埒な輩が居たとしても、それも当然だ、としか言い様がない。
　そんな不埒な輩が、その考えを実行に移したとして……あのアホ後輩ならば、それにアッサリ引っ掛かるのも自明の理、というものだったのだろう。もはや。


　何だかんだで……そのサヴィーの可愛がっていた後輩は、よりにもよって入学当初早々から、どっかの誰かに騙された挙句に不特定多数の輩から凌辱されていたということが、ここへきてようやっと発覚したのである。


　そのことを、あたかも世間話のついでにあっけらかんと語った当のアホ後輩は、まるっと騙されているものだから、自分が何をされているのか、どんなに酷いことをされているのか、そういったことを全くもって解っちゃいない。なぜなら、もともと男娼あがりの彼にとっては、男からそういう行為を求められ、また応じることが、ただの“日常”だったからだ。普通に考えれば“酷いこと”であっても、それをされるのが“日常”として強要されてきたらしいソイツには、そもそも、そういった行為に対しての嫌悪感というものが極めて無に等しかったのだ。これまで置かれていた環境が、彼にその行為の意味を教えることすら、自ら考えさせる機会すらも、奪っていたということだ。――俺もサヴィーも、この時はまだ、それを知らなかった。ここに来る以前の彼について知り得たのは、もっと後になってからのことだ。
　だから俺たちは、また変なこと言い出したよコイツ、と、最初はうっかり聞き流してしまっていた。
　とはいえ、彼の言っていることがどうもおかしい、どこか齟齬がある、と訝しく思ったサヴィーが、変だと思った部分を掘り下げて掘り下げて、あちこちしこたま掘り下げまくってやったおかげで、彼に起こっているであろう“事実”を何とか把握することが出来たのである。
　当然ながらサヴィーは、自分が彼に関わった所為でこんな事態になってしまったのではないかと、己を責めた。
　俺としては、同情の余地はあれど、何より当人の自業自得ではないのか、としか思えなかったが、人一倍面倒見がよくて責任感の強いサヴィーは、そんな意見は受け入れなかった。
　騙す方が悪いのは当然だが、騙される方にも騙されるだけの“それなりの理由”があるものだ。特にあのぱっぱらぱー後輩の場合、騙される理由の“それなり”が明白である。だからこそ、自分が気付いてあげるべきであったと、自分が気付いてあげなければならなかったと。慰めれば慰めるほど、そうやってひたすらサヴィーは自身を責め続ける。
　そして、その責任に苛まれるあまり、とうとうサヴィーは一人で突っ走ってしまった。
　――それこそが、彼を狙う奴らの思うツボ、というものだったのだ。


　放課後になり、フと気付けば珍しくサヴィーが自分の近くに居ないことに、その日に限って俺は、何故かしら不穏な予感を覚えた。
　例の後輩に関する“事実”を知ったばかりのことだから尚更、そう思ってしまったのかもしれない。
　あのアホのためにサヴィーが何かやらかしそうな予感も、その時からひしひしと感じていた、ということもある。
　とりあえず近くに居た友人数名にサヴィーの行方を尋ねてみるも、誰からも「知らない」と云う返事しか返ってこなかった。そこで訊き方を変えて、例のアホ後輩を見なかったかと尋ねると、アッサリ目撃情報が飛び出す。
「あの子なら、ちょっと前に、何人かと連れ立って一年生のサロンに向かってるの見たよ」
「…その話、サヴィーにもしたか？」
「いや。というか、わざわざ話さなくても、サヴィーもそれ見てた筈だけど……」
　即座に俺は踵を返し、そのサロンの方面へ向かって走り出していた。
　だが到着したサロンは、既にもぬけの殻だった。
　机や椅子の配置が乱れていることから、誰かしらが利用していたらしき痕跡はある。だが、ここに居た奴らがそれから何処に行ったのか、手がかりが何も無い。
　――どこにいるんだ、サヴィー……！
　焦るあまり、落ち着かない視線がきょろきょろと辺りを彷徨う。
　そんな時、何か視界の中に違和感を覚えた気がして、そちらへと視線を向けた。
　そして、そこに在る筈のないものを目にして、思わず駆け寄り、それを手にする。
　――間違いない、これはサヴィーの……！
　俺も見たことのある、彼が主人から『在学中はずっと入れっぱなしにしておくこと』と命じられていた、例の尻穴拡張用の器具。
　普通の状態では、こんなところに落ちていよう筈もないものが、現にここにこうして落ちている。――ということは、サヴィーがこれを無理やり外されるような事態に陥った、っていうことに他ならないではないか。


　サヴィーに懸想し、俺を目の敵にしていた連中は、まさにこれを狙っていたのだ。
　憎い敵の隙を突いて獲物を掻っ攫い、それを自らの手中に収めること。
　それは、気に食わない俺の鼻を明かすことが出来るうえ、サヴィーの身体を好きにして楽しむことも出来る、まさに一石二鳥。それに加えて、サヴィーを奪われたことに臍を噛むであろう俺の様を見て嘲笑うことも叶う。これほど胸のすく意趣返しも無いに違いない。
　だからこそ、サヴィーが俺の目の届かない場所まで離れる瞬間を、これまで雌伏し虎視眈々と待ち構えていた。
　良いようにほいほいと騙されていたあの後輩もまた、そのために準備され撒かれた餌、でもあったのだろう。おそらくは。
　これまでずっと撒き続けてきた餌に、今ここで、ようやく獲物が食い付いてきた、というところなのか。


　俺は、急いで友人たちのもとへと取って返した。
　そして、信頼できる友人皆に事情を話し、どんな手を使ってもいい、一刻も早くサヴィーを探し出してくれ、と頼み込んだ。
　こうしている間にも、どこかでサヴィーが酷い目に遭っているかもしれない。
　こうなったのも、すべては俺の責任だ。俺の見通しの甘さが、この事態を招いてしまったのだ。


　――だが、そうであっても……そんな卑怯な輩ども相手に、そう簡単に屈服してなるものか……!!


「ニール・ランディ。お話は解りました。――ですが、それが虚偽であった場合、あなたも只では済みませんよ」


　友人たちに打てるだけの手段を打ってもらうよう頼み込み、そうしてから最後に俺が頼ったのは、風紀と規律に関しては特に厳しいと名高い、評判の鬼教官だった。
　――こんな手段を取ってきた輩に何も罰が無いなんてヌル過ぎる、その悪行が発覚したら、相応の罰は受けてもらわないと……！
　そのためには、逃げ場すら塞がれた現行犯として、罰則を与えるべき判断を下す側の人間によって現場が押さえられなければ話にもならない。だからこそ今、俺は恥も外聞もかなぐり捨てる覚悟でもって、こうして教官に頭を下げている。
「あなたは、友人の姿が見えないことを、よりにもよって同じ学び舎の同朋が拉致したのだと言ったのですよ。告発として聞くには、あなたの言い分は主観的に過ぎて、それを信じるに足る根拠が欠けているようにも思えますが……」
「…これ、何だかわかりますか教官」
　俺は早々に、もはや最終手段！　とばかりの、拾ったサヴィーの拡張用器具を、その眼前に突きつけた。
　これが何であるのか、どういう用途のものであるのか、ということから辛抱強く説明し、自然に落ちる筈もない場所に不自然なまでにコレが転がっていたことが何を意味するのか、それを切々と訴える。
「彼を拉致したのが誰であろうと関係ない、これがサロンという場所に落ちていたこと自体が、今サヴィーが貞操の危機に陥っているという、何よりの証明とならないでしょうか」
「…わかりました。そこまで言うのでしたら、あなたの言い分を信用いたしましょう。手の空いている教官全員に声を掛け、構内を捜してみます」
「お願いいたします！　それと教官方には、出来れば寮の方を確認していただきたいんです！　各部屋の扉を開けられるのは、予備の鍵を使える教官方だけですから！」
「いいでしょう……では、あなたがたは、それ以外の場所を当たってください」


　結果として、そう時間を掛けずにすぐ、サヴィーは見つかった。
　案の定、サロンで襲われ、逃げられないよう拘束されたのち、寮の空き部屋へと連れ込まれていたようだ。
　ちなみに、例のアホ後輩も一緒に、やっぱり襲われる側としてそこに居た。しかも呆れたことに、見かけた彼を心配して様子を窺いに行ったサヴィーを、わざわざ猛獣どもの犇めくサロンへと招き入れた元凶がコイツ、だったということも判明した。
　後から聞いたところによると、そいつはサロンへと連れ込まれ、案の定、男どもに促されるまま全裸になっては嬉々として股を開いていたそうなのだ。その様子を隠れて窺っていたサヴィーだったが、何とかして彼を助けなければと、誰かを呼びに行くべくその場を去ろうとしたところを、当の後輩本人に見つかってしまい。その彼が声を上げてサヴィーを呼んでしまったことで、即座にその場にいた男どもにも見つかり、捕まってしまった、と……そういう経緯だったらしい。
　密室に連れ込まれていた彼らを見つけてくれたのは、俺の目論見どおり、施錠された扉を開けることの出来た教官の一人だった。
　また更に俺の目論見どおりなことに、まんまと現行犯で、当然その場にいた全員が処分を受ける事態となった。
　それは、思っていた以上に重すぎる処分だった、と……のちに言わざるを得ない、それほどのものだったのである。