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07.一方通行

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 小さく息をつきながらママチャリの鍵を開けた。駅前を通り過ぎて、気付けばカッコウの音声も聞こえなくなる。

 居酒屋さん、レストラン、定食屋さん、喫茶店。横目に眺めていく内に小学校が見えてきた。子供達が野球の練習をしている。バットがボールを打つ。気持ちのいい音が鳴り響いた。

 正面に目を向けると――見えてくる。L字型のレンガ造りの建物。5階建てで、2階までがオレンジ、3階からは薄い灰色で塗られている。

 僕らが住んでいるのは1階の一番奥だ。唯一の出入り口であるエントランスから数えて1分近く歩く。不便ではあるけど、隣が空き屋なのもあってのびのびと暮らすことが出来ている。

「あらぁ! カナちゃん! おかえりなさい」

 自動扉が開いたのと同時におばあさんが声を掛けてきた。やせ細った身体。アーチ状に曲がった腰。しわくちゃな肌。しゃがれ声。一見すると70代後半。相応の老いを感じさせるけど、瞳だけやたらとギラついているように見える。僕はこの目がどうにも苦手だ。

「大家さん。体調、もういいんですか?」

「心配かけたねぇ~。バァちゃん、もうすっかり元気だから」

 大家さんは、持病が悪化した関係でこの半年間留守にしていた。今日から復帰か。昨日は見かけなかった。奏人かなとからも聞いてない。

「で~も、1回ぐらいは見舞いに来てくれても良かったんじゃないかい?」

「すみません。練習で手一杯で」

「バァちゃんより練習かい!?」

「お伺い出来ない分、母と桃をお送りしたんですけど」

 母さんの実家は塩山で桃園を経営してる。その関係か、母さんの名前は『桃子』だ。

「そうそう! お母さん相変わらず綺麗ねぇ~」

 僕らへの不満はどこへやら。大家さんの関心は母さんに移った。そうしていつの間にか若かりし頃の大家さんの話へ。所謂『武勇伝』だ。情熱的というか、壮絶というか……。聞いているだけで疲れた。

「やっぱカナちゃんは話せるねぇ~」

 相槌を軽く打った程度だったけど、満足してもらえたみたいだ。内心でほっと息をつく。

「お兄ちゃんもねぇ。もうちょっと愛想が良ければねぇ~」

「アニキじゃないですよ」

 反射的に返した。大家さんの目が真ん丸になる。

「あらァごめんなさいね! カナちゃんの方がお兄ちゃんだったかしら」

「俺達は見ての通りの双子です。アニキも弟もないんですよ」

 出来る限りマイルドに。大家さんの胸にすっと入っていくように願いながら伝える。

「あいっ変わらずだねぇ~。男なんだから細かいこと気にするンじゃないよ」
 
 細かいこと。そう。大多数の人にとっては取るに足らないことだ。でも僕らにとっては譲れないことだから。胸の中で言い訳をしながら「すみません」と頭を下げる。

「えーっと? 何の話してたっけ? ……ああ! そうそう。お兄ちゃんね。バァちゃんの方からわざわざ声かけてやったってのに、くわっと睨みつけてきてねぇ~。もうバァちゃん怖くって怖くってぇ~」

 誇張か。事実か。分からない。どっちもあり得るから。

「……すみません」

「もう前みたく、暴れたりしないだろうね?」

 体温が下がってく。雨が冷たい。

「しませんよ」

「本当かい?」

「はい。誓ってないです」

 真っ直ぐに大家さんの目を見て答えた。真剣に伝えたつもり――だったけどまともに取り合ってくれそうにない。頬を赤らめて顔を俯かせてる。曲解されたか、あるいは言葉とは別のところに意識が向いてしまったんだろう。

「じゃあ、俺はこれで」

「ああ! 待っとくれ」

 鼻で息を吸って振り返る。

「肉じゃが、お兄ちゃんに渡しといたから」

「えっ……」

 病み上がりの中、作ってくれたんだ。桃のお礼かな。胸の奥がじんわりと温まっていく。

「ありがとうございます。ナオと今晩にでもいただきます」

「感想、楽しみにしてるよ♡」

 会釈をして進んでく。重量感のある鉄製の扉。バッグから鍵を取り出して中へ。ガチャリと音を立てて扉が開いた。家に入ると控えめな音を立てて扉が閉まった。

 切り替わってく。急速に。明確に。輪郭が朧げに。トーンも下がってく。暗い。とても静かだ。悲しいほどに。果てしなく。

「おっかえり~」

 中扉の前。オリーブ色のTシャツに、黒の短パン姿で満面の笑みを浮かべている。目鼻口の色形・配置、輪郭、肌の色すべてが僕と一致しているもう1つの顔。唯一の違いだった表情も、みるみる内に重なり合っていく。

「ただいま、奏人」

 ――そう。こっちが本物。今日表にいたのはだ。
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