21 / 102
ディナヴィア
スクルータ・モルス
しおりを挟む地獄が始まったのは、7歳の時のことだった。
父親テネーブル・フォティノースが犯罪者として捕まったのだ。ただの犯罪者じゃない。若い女を104名も殺したディナヴィア史上最凶の犯罪者だ。剣豪シオン・リジルが証拠を掴み、父の足を切り落とし逃げられないようにしていた。後にこのことがきっかけで、シオンは英雄と呼ばれるようになっていった。
出血多量で死にかけていた父は、火あぶりにされ苦しみながら死んでいった。
それを見た母親は、絶望して自殺した。
残った被害者や、周囲の人間は、テネーブルの娘と息子はどうするか困り果てた。そのとき、最愛の娘を殺されたマクミラン・モルスが養父になることに名乗り出た。被害者が加害者の子供を引き取るなんて前代未聞である。
けれども、止めるものは、誰もいなかった。
俺は、モルス家で生活することになった。いや、生活なんて優しいものではない。
犬小屋で鎖につながれながら、生きていた。もちろん毎日のように虐待されていたし、身体が痛くない時なんてなかった。成長するにすれ、虐待はますます悪化した。ナイフで刺されたり、真冬の池に突き落とされたり、釘付きのバッドで殴られたり、蹴られたり……。
テネーブルの息子として烙印を押されて生きる人生は、地獄でしかなかった。
痛い、死にたい、悲しい、憎い、殺したい……それ以外の感情なんて知らなかった。常に心を殺し、いつか痛みなんて少しも知らない全世界の人間を皆殺しにすることだけを夢見ていた。
世界は、あまりにも残酷だった。
モルス家の犬小屋に足枷をつけて繋がれ、毎日、吐くほど叩かれた。「お前のせいだ、お前のせいだ!!」と皮膚がめくれ、肉がえぐれるくらい蹴られた。
僕と同じように違う場所でひどい生活を送っていた姉さんはある日、忽然と姿を消したらしい。牢屋に閉じ込められていたはずだから、共犯者がいたのだろう。
だけど、誰にも助けてもらえなかった僕は、逃げられなかった。
僕だけ助けてもらえなかった。
姉さんにすら見捨てられた。
思考は真っ暗に染まり、絶望で満たされる。
やっと、全てを理解した気がした。
この世界に美しいものなどない。
優しい人間なんて存在しない。
いるのは、人間の皮を被った化物だけだ。
そう思っていたのに……。
ある日、一人の少女が俺の前に現れた。
「あなた、人間なの?」
血が凍り付きそうになるくらい冷たい空の下、鈴の音を転がすような綺麗な調べが響き渡った。
顔をあげたとたんに、まるで魔法にかけられたみたいに一人の少女に引きつけられた。
月の光を編み込んだような銀色の髪、透き通る空みたいな青い瞳……。
彼女は、とても美しかった。
俺は、その時、自分が本当に人間なのかゴミなのかもうわからなくなっていたから、その質問に答えることができなかった。
「まるで犬みたいね。そんなところで何をしているの?」
「あ……。あ……ああ……」
緊張のあまり言葉が出てこない。
「私のペットにならない?私も犬が欲しいと思っていたの」
「そいつは、テネーブルの息子だ。危険すぎる。やめておいた方がいい」
少女の隣にいる黒髪に血のように赤い瞳をした男がそう忠告した。男は、目に掛かる長さの前髪を左に寄せているかっこいい男だ。
「あら、エレボス。危険な犬なんて私のペットにぴったりじゃない」
彼女はしゃがんで、俺の足かせにそっと触れた。
重たかった足枷は、一瞬で氷になってパリンと音を立てて割れた。
「さあ、行きましょう」
自分に起こったことが信じられなかった。
だけど、これが歪んだ夢を実現するチャンスであることは理解できた。
「まっ……。まって……。あいつらを……ころし……たい……」
暖かい光が漏れている家を指さす。
もう足枷はなくなった。だったら、するべきことは一つだ。
「いいわよ。でも早くしてね」
落ちていた大きめの石を掴んで、足音を立てないようにゆっくりと家に入った。そして、マクミランの頭に石を振り落とした。プシューとした真っ赤な血が彼の頭からこぼれ落ちた。そして、逃げようとするメイヤーズにも石を投げつけ、そばにあった瓶で頭を殴りつけた。
何度も何度も割れた瓶で、メイヤーズの頭を叩きつけた。その後は、マクミランの頭蓋骨が壊れて脳みそが潰れるくらいたたき続ける。
死んだ後も何十回も殴り続けていた。
人を殴ることは、とても楽しい。
「はあ、はあ、はあ……」
手首が温かい血で染まっていく。
すごく温かい……。他人の体温はこんなに温かかったんだ……。冷えた手首が温まる。
ああ、気持ちいい。
ゾクゾクとした魂が高揚する感覚感じながら、やっぱり自分はテネーブルと息子だと実感した。
セレネーは、温かいスープとパンを僕にくれた。
僕に柔らかいベッドと布団をくれた。犯罪者の息子になってから、初めて誰かから優しくしてもらう感覚を味わった。
人間扱いされた。ゴミに対する扱いじゃなかった。彼女は僕を殴らかったし、暴言も吐かなかった。僕に居場所をくれた。
むずがゆくて、苦しかった。
ベッドで寝ようとした日、あまりにもフワフワで、温かくて、幸せで眠れなかった。汚したらいけないと思ったのに、ベッドの上で泣き続けた。
それは、何度も夢に見た光景だった。メイヤーズみたいに温かいご飯と、寝床があったらどれほど幸せだろう。あんな風に愛されたら死んだっていい。あれが欲しい。喉から手が出るほど欲しい。欲しくて、欲しくて、欲しくて、痛くて、苦しくて……消えたくて、悔しくてたまらない。自分なんかに一生手に入るわけないと思っていたのに……。
ポロポロと洪水みたいな涙が止まらなかった。自分がどうして泣いているのかなんてわからなかった。こんなものがもらえるなら、ほかに何もいらないと思った。
心臓がドキドキとして、生きているって実感した。
生きていてよかったと初めて思えた。
自分は特別に不幸だったから、何をしても許されると思っていた。
誰かが傷ついている瞬間を見ると、自分よりも不幸な人がいると安心することができた。
誰かが泣いている瞬間を見ると、かわいそうなのは自分だけじゃないんだと慰めになった。
世界中の幸せな人間から幸せを奪い取りたかった。みんなをどん底まで突き落とせば、自分が相対的に幸せになれると信じていた。
人を殺す快楽に目覚めた僕は、父親以上に人を殺した。幼い子供も、若い女も、ためらいなく殺した。人を殺していると、自分は奪われる側ではなく、奪う側になれたとホッとすることができた。命を奪う瞬間に、誰かの全てを奪ってやったような暗い喜びが湧き上がってきた。
セレネーは、ずっと自分の中で特別だった。彼女のために生きたかった。彼女のために、どんな人間だろうと殺してやりたかった。
年を経ても、彼女への気持ちは色褪せなかった。むしろ、彼女を崇拝する思いが積み重なって、胸が押しつぶされそうなくらいだった。
セレネーを世界で一番幸せな女性にしてあげたかった。
彼女は僕に世界をくれたから、彼女に世界をあげたかった。
セレネー……。
セレネー……。
僕には、君以外の全てが人間に思えない。ただの醜い塊にしか思えない。
世界中の人間からどう思われたっていい。どんな死に方をしたって構わない。
ただの君のスクルータでい続けたかった。
何度でも君のために生きたい。何度でも君のために死にたい。
君を愛し続けたい。
君に利用され、尽くし続けていきたい。
優しくされることなんて知らなかった。
憎しみと恐怖と痛み、空腹以外の感情なんて知らなかった。
誰かの愛し方も、愛され方もわからなかった。
セレネーに出会ってから、全てが変わった。生まれて初めて、誰かのために何かをしたいと思えた。
生きていてよかったって感じた。
喜び、嬉しい、恥ずかしい、崇拝、愛情…………全て君からもらったものだ。だから、君に返したかったんだ。
君が善人でも、悪人でも、偽物でも構わなかった。
君のそばにいたかった。
君が見る美しい光景を一緒に見続けたかった。
そしたら、何もいらなかった。
意識がぼんやりとしてきて、自分がもうすぐ死ぬのを感じる。
初めて出逢った頃の美しい君が、記憶の中で僕に問いかける。
「あなた、人間なの?」
ああ、僕は、人間だ。
君が僕を人間にしてくれたんだよ……。
だから、僕は君に全てを………………。
12
あなたにおすすめの小説
虚ろな檻と翡翠の魔石
篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」
不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。
待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。
しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。
「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」
記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました
タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。
クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。
死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。
「ここは天国ではなく魔界です」
天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。
「至上様、私に接吻を」
「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」
何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?
過労死転生した公務員、魔力がないだけで辺境に追放されたので、忠犬騎士と知識チートでざまぁしながら領地経営はじめます
水凪しおん
BL
過労死した元公務員の俺が転生したのは、魔法と剣が存在する異世界の、どうしようもない貧乏貴族の三男だった。
家族からは能無しと蔑まれ、与えられたのは「ゴミ捨て場」と揶揄される荒れ果てた辺境の領地。これは、事実上の追放だ。
絶望的な状況の中、俺に付き従ったのは、無口で無骨だが、その瞳に確かな忠誠を宿す一人の護衛騎士だけだった。
「大丈夫だ。俺がいる」
彼の言葉を胸に、俺は決意する。公務員として培った知識と経験、そして持ち前のしぶとさで、この最悪な領地を最高の楽園に変えてみせると。
これは、不遇な貴族と忠実な騎士が織りなす、絶望の淵から始まる領地改革ファンタジー。そして、固い絆で結ばれた二人が、やがて王国を揺るがす運命に立ち向かう物語。
無能と罵った家族に、見て見ぬふりをした者たちに、最高の「ざまぁ」をお見舞いしてやろうじゃないか!
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました
よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、
前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。
獣人が支配する貴族社会。
魔力こそが価値とされ、
「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、
レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。
そんな彼を拾ったのは、
辺境を治める獣人公爵アルト。
寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。
溺愛され、守られ、育てられる日々。
だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。
学院での出会い。
貴族社会に潜む差別と陰謀。
そして「番」という、深く重い絆。
レオンは学び、考え、
自分にしかできない魔法理論を武器に、
少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。
獣人と人族。
価値観も、立場も、すべてが違う二人が、
それでも選び合い、家族になるまでの物語。
溺愛×成長×異世界BL。
読後に残るのは、
「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。
悪役神官の俺が騎士団長に囚われるまで
二三@冷酷公爵発売中
BL
国教会の主教であるイヴォンは、ここが前世のBLゲームの世界だと気づいた。ゲームの内容は、浄化の力を持つ主人公が騎士団と共に国を旅し、魔物討伐をしながら攻略対象者と愛を深めていくというもの。自分は悪役神官であり、主人公が誰とも結ばれないノーマルルートを辿る場合に限り、破滅の道を逃れられる。そのためイヴォンは旅に同行し、主人公の恋路の邪魔を画策をする。以前からイヴォンを嫌っている団長も攻略対象者であり、気が進まないものの団長とも関わっていくうちに…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる