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噂 〜アトラス視点〜
しおりを挟むアトラスが、訓練場にたどり着いてもハイデンの姿はなかった。いつもハイデンは、誰よりも早く来て一人で練習していたが、今日は珍しく寝坊したのかもしれない。
きっと、そのうち現れるだろうと思っていたが、なかなか現れない。
集合時間になった時もハイデンは現れず、周囲はざわめきだした。
「おかしいな。団長がまだ来ていない」
「いつも、誰よりも早くに来るのに」
「寝坊でもしたんじゃないか」
「団長に限って、それはないだろう」
「そういえば、朝、団長と聖女が話しているところを見たんだ」
その言葉を聞いた瞬間、全身が凍り付いたように冷たくなる。
数日前、俺は、セレナ・ホワイティに告白された。どうして彼女が俺のことを好きになったのかは、わからない。どうせ俺の美貌に目がくらんだのだろう。
彼女は、美しい人であったが、告白によって感情が揺さぶられなかった。
俺の心を一番揺さぶる人間は、ハイデンだった。
愛は、もう憎しみに塗りつぶされても、彼のことを考えてしまう。
だから、聖女がどんなに優しくて美しくても、彼女と付き合おうと思わなかった。彼女と付き合っても、俺が彼女のことをあまり考えないだろうから。
けれども、彼女は諦めた様子はなかった。
あなたは間違っている、あなたの運命の人は私よ……など何かに憑りつかれたようにと必死に語り掛けてきた。その様子が、背筋がゾッとするほど怖かった。彼女は、聖女だから、自分の考えに自信を持ち、変な思い込みをしているのかもしれない。
彼女と話をしたくなくて、用事がある振りをして帰宅したが、それがいけなかったかもしれない。
彼女の怒りの矛先は、ハイデンに向いたのではないだろうか。
おかしな考えだ。だけど、俺が興味を示していた人間は、ハイデンだけだ。
彼女は、そんなハイデンが邪魔者に見えたんじゃないか。
そして、ハイデンに危害を加えようとしているんじゃないか。
単純な戦闘能力だけでは、セレナよりハイデンの方が上であるが、セレナは、毒や睡眠薬などを用いるのかもしれない。背後から襲ったりするかもしれない。そうなると、ハイデンは殺されてしまうかもしれない。
いや、俺が考えすぎているだけで、ハイデンは寝坊して、遅刻しているのかもしれない。
でも、ハイデンは、そんな男だろうか……。
それに、セレナのあの目つきは、やばかった。
俺のことを救い出してあげるとか、おかしなことを言っていた気がする。
早くハイデンを助けないと、大変なことになるのかもしれない。
いや、何をしようとしている?
ハイデンが危害を加えられても、俺が助ける義理があるのか。
あいつから、何をされたのか忘れたのか。
ハイデンのことなんて、放っておけばいい……。
だけど、彼のことを考えてしまう。
ずっと前から、彼の亡霊に憑りつかれている。夢の彼に、何度も話しかけ、泣き叫びながら、目を覚ました。
いっそのこと、彼に関する記憶を全て捨てられたらいいとすら思っていた。そしたら、自分は普通の人間として誰かを愛して幸せになることができる気がした。
彼を失いたくない。
彼のことだけを考えて、生きていた。彼を失うと、自分が生きている意味すら、分からなくなる気がした。
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あれだけひどい目にあったのに、砂漠で水を欲しがるように、彼の愛を求めている。
何て愚かな生き物だろうか……。
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