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決意
しおりを挟む狂気に憑りつかれたセレナが包丁を振り上げる。
「だから、もう死んで」
やばい。
殺される。
ギュッと目を閉じるが、衝撃は訪れない。
目を開けると、右手でセイラの包丁を掴むアトラスがいた。
彼の手のひらからは、深紅の血が流れ落ちているが、掴み方が上手だったのか、それほど傷は深くなさそうだ。
「ひっ」
セイラは、悲鳴をあげて包丁から手を離した。
「どうして……アトラスがこんなところにいるの‼私は、あなたを傷つけるつもりなんてなかったわ。ハイデンが悪いの。そう……彼が私にひどいことを言ったのよ!」
「ハイデンに何をした?」
低く怒りに満ちた声で、アトラスがそう聞き返す。
「……は、話をしていただけよ」
セレナは、アトラスの迫力に怯え、青ざめながら、後ずさる。
しかし、アトラスはゆっくりとセレナに近づいていく。
「嘘だな」
アトラスが血だらけの右手で、セレナの首を掴んだ。
「きゃああああ!」
「お前は、ハイデンを殺そうとしただろう」
アトラスがセレナの首を締め上げていく。
「は、離して。苦しいわ」
セレナの瞳から涙がポタリ、ポタリと流れ落ちていく。
「違うの……。アトラス。私を信じて。あなたは、ハイデンに騙されている。あなたの運命の人は、私よ!あなたが、愛すべき人は、私なの。予知夢でお告げをみたの。私とあなたは、結ばれる運命だわ。どうしてそんな男を庇うの?彼は、本当は消える運命だったの。私は、その運命を修正しているだけなの。あなたは、私を幸せにしてくれる人なの!!!」
セイラは、かすれた声で、泣きながら叫ぶようにそう言った。
けれども、アトラスの瞳は、深海のように暗く冷たかった。
「幸せにしてもらうことばかり夢見るんじゃなくて、自分で幸せになるよう努力しろよ」
低い声でそう言い、彼はセレナの首を絞める力がさらに強くする。
「い、いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ‼誰か助けてええええええ!!死にたくない!!!」
まずい。
このままだと聖女が死んでしまう。
「アトラス!離せよ!!!死んじゃうかもしれないだろう!」
そう言うが、彼は彼女の首から手を離そうとしない。
「でも、こいつは、君を殺そうとした」
「俺は、まだ生きているだろう!彼女は、法が裁く。聖女は、国にとっても貴重な存在だ」
「……仕方ないな」
長いため息をついたアトラスは、セイラの首から手をパッと離した。
床に乱暴に落とされたセイラは、涎を垂れ流し、這いつくばりながら必死に息を吸った。
「げほっ、げほっ、はあ、はあ、はあ……」
彼女は、降りやまない雨のように涙を流し続けている。
しばらくたって、呼吸が整ってきた彼女は、かすれた声で「どうして」と叫んだ。
「どうしてそんな男を助けるのよ!私の方がかわいいじゃない!!!」
彼女は、胸に手を当てながら必死にそう叫ぶ。
「貴族教育も、ダンスも、マナーも辛かった。だけど、あなたと結婚するために頑張った。全部、あなたのためだったのよ。あなたは、私の王子様なの……」
まるで、彼女は恋人にすがりつく捨てられた女のようだ。
けれども、アトラスは、そんな彼女を冷たい目で見ている。
「どうして……私じゃダメなの……」
どさりと音を立てて聖女が床に崩れ落ち、ひざをつく。
彼女の涙が、床へと流れ落ちていった。
アトラスは、彼女の涙を拭うことなく遠ざかり、俺に近づいて行く。そして労わるように、俺の頭に手を置いた。
「俺は、お前の予知夢なんて信じない」
彼は、ゆっくりと俺のロープをほどきながら、セイラに告げる。
「誰を好きになるかも、誰の隣にいたいかも俺が決める。運命だって、自分で決める」
その言葉を聞いた彼女がすすり泣く音は、いつまでも鳴り止もうとしなかった。
アトラスは、ここに来る前に、騎士団に連絡していたらしい。
セレナは、騎士団により連行されていった。今後、裁判が開かれ彼女の刑罰が決まるだろう。
セレナが連行されると、アトラスは「寮まで送ります」と言ってくれた。
「その前に、早く治療しないと」
アトラスの手のひらは、血だらけになっていた。
「それより、あなたの怪我は大丈夫ですか?」
「俺は、たんこぶができたけ。石頭なんだ。アトラスは、大丈夫?」
「これくらい平気です」
「いや、早く治療しないと。感染するかもしれない」
俺とアトラスは、薬屋に行き消毒薬と包帯を購入した。その後、近くの木陰でハイデンがアトラスの手の傷を消毒してから、包帯を巻いた。
「痛い?大丈夫?」
「全然痛くありません」
「……ごめん。俺のせいでごめん」
「これくらい大丈夫です」
そう言ってくれたが、彼の包帯が巻かれた手を見ていると、胸にガラスの破片が突き刺さったようにズキッと痛んだ。
「……助けてくれてありがとう」
アトラスは、お礼を言われ慣れていないのか、彼の頬が夕日色に染まっている。
「ああ……」
「何で、俺なんか助けるんだよ」
「……俺があなたに復讐するためです」
「でも……」
そう言っているくせに、俺を死刑にしようとしてないじゃないか。
アトラスは、変だ。
口では、俺を憎んでいるって言っているくせに、俺を守ってくれた。
アトラスがいなければ、死んでいるところだった。
アトラスの優しさに、恩返しがしたい。
ずっと傷つけてばかりいたこいつに、償いをしたい。
どうして、俺は、自分が生き残ることばかり考えていたんだろうか……。
あまりにも恥知らずだ。
「俺……ずっと死ぬのが怖かったんだ」
前世で、もうすぐ死ぬかもしれないと恐怖で怯えながら生きていたから、生まれ変わっても自分が死ぬことが怖くてたまらなかった。
最近も、ギロチンで死刑になる夢ばかり見ていた。
ニコニコとしている時も、死にたくない、死にたくないと心の中で叫んでいた。
「俺を突き落としたくせに」
「うん……。でも、今は違うんだ」
「は?どういう意味?」
アトラスの眉間が狭くなった。
「今は、自分が死ぬよりも怖いものができたんだ」
砂の王は、倒される瞬間、最後の力を振り絞って近くにいたアトラスに呪いをかける。呪いをかけられたアトラスは、徐々に身体が砂の化け物へとなっていく。そんな彼は、街の人間や愛する人を守るため1人でマグマの中に落ちていくのだ。
「それは何ですか?」
「……」
答えは言わないで、まるで夢でも見ているように微笑みながら、アトラスを見つめる。
それは、アトラスだ。
出会う前から、俺のヒーローだった。誰もいない病室で、彼に憧れながら、何度も何度も小説を読んだ。そして、出会ってから、彼のことばかり考えている。彼は、俺がひどいことをしても助けてくれた。
その恩を返したい。
俺が、アトラスの代わりに死のう。砂の王の呪いを受けるのは、アトラスじゃなくて、俺になるよ。
前世の俺は、16年も生きていて、何も成し遂げられなかった。何もできない自分が、恥ずかしかった。
だけど、そんな俺でも、役に立つ方法がある。傷つけたアトラスへの償いができる。
今度こそ意味のある生き方をしたい。
意味のある終わりを迎えたい。
俺に優しい気持ちを取り戻させてくれてありがとう。
原作みたいな悲しい終わりは、お前には迎えさせない。
俺が身代わりになって、お前を守ってやる。
だから、お前は、俺が死んだら俺のために泣いてくれ。それだけで、俺は生まれてきてよかったと思えるから。俺が死んだら、他の誰かを愛して結婚して欲しい。でも、俺のことを忘れないで欲しい。たまには、涙を流して欲しいんだ。
それは、身の程知らずな願いだろうか......。
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