25 / 28
第一章 清純派聖女、脱出する
#25 イッシュ、一肌脱ぐ。①
しおりを挟む
祭りごとのピークは大抵メインイベントのある日だろうが、それは王都での話だ。
周りの宿場町にはこれから王都へと向かう人と、観光を終え帰る人、どんどんと商品を運んでくる商人とがすれ違う今が一番ごった返している。
そこを一人の女性が家へと帰ろうと四苦八苦していた。彼女の家はメインストリート中にあるものだからどうやっても人混みを避けられない。
午前のうちならば人もそれほど多くないだろうという女性の読みは甘かった。しかしつい最近地方からここへと嫁いできた彼女がこれだけの人数の客を想像できなかったのも、そこをうまく進んでいけないのも致し方のないことだろう。普段ならば数分の距離が果てしなく感じて彼女は不安に駆られていた。
「わっ」
遂に横から入って来た体の大きい男性が後ろからぶつかってきて、彼女は前につんのめる。新しく買ってもらった靴はまだ履き慣れず、バランスを立て直せずに彼女は目をつぶって衝撃に備える。
「おっと」
しかしやって来たのは力強い腕に抱きとめられた感覚と、品の良い香水の香りだった。
「大丈夫ですか?」
人の良さそうな、柔らかな声が降って来て彼女が見上げると黒髪に黒い瞳の男性と目が合う。甘い顔つきのその男性は彼女の期待を裏切らず優し気な笑みを作った。
「も、申し訳ありません」
「いえいえ、この人混みですから」
そっと女性が体を離そうとすると男性は「あ、」と声を溢す。だからもう一度女性が軽く赤らめた顔を上げると、男性はふにゃりと困ったように笑っていた。紳士的だった印象が一気に幼くなって、女性は口元に手をやり瞬きを繰り返す。
「すみません、お急ぎですか?」
「あ、いや、でも、」
「僕の袖のボタンが、レースに引っかかってしまったようで」
「あ、」
男性が周りを見渡して、女性と共に一旦脇道へと逸れていく。そこで男性はまた少し困ったように呻いて、しかしさほど迷うことはせず自分のボタンの方を引きちぎった。
「えっ、あの」
「お時間取らせてしまい申し訳ありませんでした。 取れましたよ」
「ですが、この後なにかご予定があったのではないですか?」
男性は堅すぎないフォーマルな装いで、髪もきっちりとスタイリングされている。観光客でないことは確かだった。
「はは、一応、商談をさせていただきに来たのですが何分急なことでアポイントも取れていないものですから。 また出直しますよ」
女性が彼を家まで招いてボタンを縫い付けると提案したのは、至極自然な流れだった。
***
「ほら、今時こんな志の高い方はなかなかいたものではありませんよ」
助けると思って、ね? なんて若奥様が目をキラキラと輝かせるものだから、宿場町の町長も少しずつ態度が軟化してきた。
ウィッグと目の色を変える目薬で変装をしたイッシュが、二人に気付かれないよう目を細めながら時計をうかがうと丁度昼を過ぎた頃だった。
午前のうちにごった返すメインストリートの人混みの中から町長の若奥様を見つけ接触し、まんまと町長の屋敷へと転がり込んだイッシュは既に本題に入っていた。若手実業家といった風貌の彼は実年齢の17より3つ4つ上に見える。
彼は奥様の方に多用した、へにゃりとした愛嬌を振りまく笑顔は封印して話を続けた。
「もちろん、あの集落の子供たちの労働力を独占したいという話ではありません。 特に今日のような祭りごとの際はご入用でしょう、こちらが彼らを縛り付けるということはしませんので、ご安心ください」
町長は四十代くらいの男で、通された部屋の調度品を見ても羽振りがいいのが分かる。
この町の人間にはあの集落の子供たちに十分な賃金を出すという発想がそもそもないので、そこが狙い目だとイッシュは考えていた。こちら側が縛り付けなくとも、労働力は金のある方へと流れていく。
んんと唸りながら町長は組んでいた腕を解いて前傾姿勢になった。
「だがね、リチャード君。 君の話を信じたいのはやまやまなのだが、私にはその万能薬の生産なんていう夢物語が本当に実現可能なのか判断がつかないのだよ」
「その点も、問題ないかと思います」
キタ、とイッシュは内心勝利を確信して、懐から一枚の名刺を取り出した。
それはセムの服のあちらこちらに嫌がらせのように入れられていたアレックスの名刺だ。その名前を見て町長はピっと動きを止め、若奥様の方は声に出して驚いた。
セムは宿で上着のみならず叩けばどこからでも出て来たそれをうんざりぎみに片っ端から捨てていたが、この名刺が交渉の場でどれだけの威力を発揮するかイッシュは知っている。
アレックスは戦地で多くの人間を救った英雄であり、なおかつ治癒をギフトに頼り切っていたこの国でほとんど初めて薬学に身を乗り出し医師不足の現状を打破しようとしている庶民派の人間だ。
特に戦地であの聖騎士を救ったという話はもはや伝説のように語られており、王都近くのこの町で彼のことを知らない者などいない。
「やっぱり優秀な方の元には優秀な方が集まるのねえ」
イッシュは謙遜しながら困ったような笑顔を浮かべる。
イッシュの言った経歴は全部と言っていいほどでっち上げだが、交渉の場ではいかに耳触りの良い物語を作れるかがキモだ。イッシュはわざと少し目を伏せて言いにくそうに、しかし誠意をみせようと口を開いたかのようにして話始める。
「恥ずかしながら、私はずっといかに効率的に生産、流通させ利益を得るかばかりを追い求めてきました。しかし薬品の流通に携わった際に彼と出会い、その献身的な働きに触れ今この国に必要なことはそれだけではないと気づかされたのです」
クサいくらいのセリフだが、この奥様には丁度いいだろう。町長の方は、魔晶花の栽培が成功すれば直接その研究所と取引してもらって構わないと言えば眉が上がった。
結局そのあと話はトントンと進み、後日アレックスがこちらに出向くということでまとまった。奥様が食事でもと粘ったが得意の困り笑顔で乗り切って、イッシュはさっさと町を出た。
周りの宿場町にはこれから王都へと向かう人と、観光を終え帰る人、どんどんと商品を運んでくる商人とがすれ違う今が一番ごった返している。
そこを一人の女性が家へと帰ろうと四苦八苦していた。彼女の家はメインストリート中にあるものだからどうやっても人混みを避けられない。
午前のうちならば人もそれほど多くないだろうという女性の読みは甘かった。しかしつい最近地方からここへと嫁いできた彼女がこれだけの人数の客を想像できなかったのも、そこをうまく進んでいけないのも致し方のないことだろう。普段ならば数分の距離が果てしなく感じて彼女は不安に駆られていた。
「わっ」
遂に横から入って来た体の大きい男性が後ろからぶつかってきて、彼女は前につんのめる。新しく買ってもらった靴はまだ履き慣れず、バランスを立て直せずに彼女は目をつぶって衝撃に備える。
「おっと」
しかしやって来たのは力強い腕に抱きとめられた感覚と、品の良い香水の香りだった。
「大丈夫ですか?」
人の良さそうな、柔らかな声が降って来て彼女が見上げると黒髪に黒い瞳の男性と目が合う。甘い顔つきのその男性は彼女の期待を裏切らず優し気な笑みを作った。
「も、申し訳ありません」
「いえいえ、この人混みですから」
そっと女性が体を離そうとすると男性は「あ、」と声を溢す。だからもう一度女性が軽く赤らめた顔を上げると、男性はふにゃりと困ったように笑っていた。紳士的だった印象が一気に幼くなって、女性は口元に手をやり瞬きを繰り返す。
「すみません、お急ぎですか?」
「あ、いや、でも、」
「僕の袖のボタンが、レースに引っかかってしまったようで」
「あ、」
男性が周りを見渡して、女性と共に一旦脇道へと逸れていく。そこで男性はまた少し困ったように呻いて、しかしさほど迷うことはせず自分のボタンの方を引きちぎった。
「えっ、あの」
「お時間取らせてしまい申し訳ありませんでした。 取れましたよ」
「ですが、この後なにかご予定があったのではないですか?」
男性は堅すぎないフォーマルな装いで、髪もきっちりとスタイリングされている。観光客でないことは確かだった。
「はは、一応、商談をさせていただきに来たのですが何分急なことでアポイントも取れていないものですから。 また出直しますよ」
女性が彼を家まで招いてボタンを縫い付けると提案したのは、至極自然な流れだった。
***
「ほら、今時こんな志の高い方はなかなかいたものではありませんよ」
助けると思って、ね? なんて若奥様が目をキラキラと輝かせるものだから、宿場町の町長も少しずつ態度が軟化してきた。
ウィッグと目の色を変える目薬で変装をしたイッシュが、二人に気付かれないよう目を細めながら時計をうかがうと丁度昼を過ぎた頃だった。
午前のうちにごった返すメインストリートの人混みの中から町長の若奥様を見つけ接触し、まんまと町長の屋敷へと転がり込んだイッシュは既に本題に入っていた。若手実業家といった風貌の彼は実年齢の17より3つ4つ上に見える。
彼は奥様の方に多用した、へにゃりとした愛嬌を振りまく笑顔は封印して話を続けた。
「もちろん、あの集落の子供たちの労働力を独占したいという話ではありません。 特に今日のような祭りごとの際はご入用でしょう、こちらが彼らを縛り付けるということはしませんので、ご安心ください」
町長は四十代くらいの男で、通された部屋の調度品を見ても羽振りがいいのが分かる。
この町の人間にはあの集落の子供たちに十分な賃金を出すという発想がそもそもないので、そこが狙い目だとイッシュは考えていた。こちら側が縛り付けなくとも、労働力は金のある方へと流れていく。
んんと唸りながら町長は組んでいた腕を解いて前傾姿勢になった。
「だがね、リチャード君。 君の話を信じたいのはやまやまなのだが、私にはその万能薬の生産なんていう夢物語が本当に実現可能なのか判断がつかないのだよ」
「その点も、問題ないかと思います」
キタ、とイッシュは内心勝利を確信して、懐から一枚の名刺を取り出した。
それはセムの服のあちらこちらに嫌がらせのように入れられていたアレックスの名刺だ。その名前を見て町長はピっと動きを止め、若奥様の方は声に出して驚いた。
セムは宿で上着のみならず叩けばどこからでも出て来たそれをうんざりぎみに片っ端から捨てていたが、この名刺が交渉の場でどれだけの威力を発揮するかイッシュは知っている。
アレックスは戦地で多くの人間を救った英雄であり、なおかつ治癒をギフトに頼り切っていたこの国でほとんど初めて薬学に身を乗り出し医師不足の現状を打破しようとしている庶民派の人間だ。
特に戦地であの聖騎士を救ったという話はもはや伝説のように語られており、王都近くのこの町で彼のことを知らない者などいない。
「やっぱり優秀な方の元には優秀な方が集まるのねえ」
イッシュは謙遜しながら困ったような笑顔を浮かべる。
イッシュの言った経歴は全部と言っていいほどでっち上げだが、交渉の場ではいかに耳触りの良い物語を作れるかがキモだ。イッシュはわざと少し目を伏せて言いにくそうに、しかし誠意をみせようと口を開いたかのようにして話始める。
「恥ずかしながら、私はずっといかに効率的に生産、流通させ利益を得るかばかりを追い求めてきました。しかし薬品の流通に携わった際に彼と出会い、その献身的な働きに触れ今この国に必要なことはそれだけではないと気づかされたのです」
クサいくらいのセリフだが、この奥様には丁度いいだろう。町長の方は、魔晶花の栽培が成功すれば直接その研究所と取引してもらって構わないと言えば眉が上がった。
結局そのあと話はトントンと進み、後日アレックスがこちらに出向くということでまとまった。奥様が食事でもと粘ったが得意の困り笑顔で乗り切って、イッシュはさっさと町を出た。
0
あなたにおすすめの小説
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
追放された偽物聖女は、辺境の村でひっそり暮らしている
潮海璃月
ファンタジー
辺境の村で人々のために薬を作って暮らすリサは“聖女”と呼ばれている。その噂を聞きつけた騎士団の数人が現れ、あらゆる疾病を治療する万能の力を持つ聖女を連れて行くべく強引な手段に出ようとする中、騎士団長が割って入る──どうせ聖女のようだと称えられているに過ぎないと。ぶっきらぼうながらも親切な騎士団長に惹かれていくリサは、しかし実は数年前に“偽物聖女”と帝都を追われたクラリッサであった。
お兄様、冷血貴公子じゃなかったんですか?~7歳から始める第二の聖女人生~
みつまめ つぼみ
ファンタジー
17歳で偽りの聖女として処刑された記憶を持つ7歳の女の子が、今度こそ世界を救うためにエルメーテ公爵家に引き取られて人生をやり直します。
記憶では冷血貴公子と呼ばれていた公爵令息は、義妹である主人公一筋。
そんな義兄に戸惑いながらも甘える日々。
「お兄様? シスコンもほどほどにしてくださいね?」
恋愛ポンコツと冷血貴公子の、コミカルでシリアスな救世物語開幕!
身代わりで呪いの公爵に嫁ぎましたが、聖女の力で浄化したら離縁どころか国一番の溺愛妻になりました〜実家が泣きついてももう遅い〜
しょくぱん
恋愛
「お前のような無能は、死神の生贄にでもなっていろ」
魔力なしの無能と蔑まれ、家族に虐げられてきた伯爵令嬢レティシア。 彼女に命じられたのは、近づく者すべてを病ませるという『呪いの公爵』アレクシスへの身代わり結婚だった。
鉄格子の馬車で運ばれ、たどり着いたのは瘴気に満ちた死の城。 恐ろしい怪物のような男に殺される――。 そう覚悟していたレティシアだったが、目の前の光景に絶望よりも先に別の感情が湧き上がる。
(な、何これ……汚すぎるわ! 雑巾とブラシはどこ!?)
実は、彼女が「無能」と言われていたのは、その力が『洗浄』と『浄化』に特化した特殊な聖女の魔力だったから。
レティシアが掃除をすれば、呪いの瘴気は消え去り、枯れた大地には花が咲き、不気味だった公爵城はまたたく間にピカピカの聖域に塗り替えられていく。 さらには、呪いで苦しんでいたアレクシスの素顔は、見惚れるほどの美青年で――。
「レティシア、君は一体何者なんだ……? 体が、こんなに軽いのは初めてだ」
冷酷だったはずの公爵様から、まさかの執着と溺愛。 さらには、呪いが解けたことで領地は国一番の豊かさを取り戻していく。
一方で、レティシアを捨てた実家は、彼女の『浄化』を失ったことで災厄に見舞われ、今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくるが……。
「私は今、お城の掃除と旦那様のお世話で忙しいんです。お引き取りくださいませ」
これは、掃除を愛する薄幸令嬢が、その愛と魔力で死神公爵を救い、最高に幸せな居場所を手に入れるまでのお話。
主婦が役立たず? どう思うかは勝手だけど、こっちも勝手にやらせて貰うから
渡里あずま
ファンタジー
安藤舞は、専業主婦である。ちなみに現在、三十二歳だ。
朝、夫と幼稚園児の子供を見送り、さて掃除と洗濯をしようとしたところで――気づけば、石造りの知らない部屋で座り込んでいた。そして映画で見たような古めかしいコスプレをした、外国人集団に囲まれていた。
「我々が召喚したかったのは、そちらの世界での『学者』や『医者』だ。それを『主婦』だと!? そんなごく潰しが、聖女になどなれるものか! 役立たずなどいらんっ」
「いや、理不尽!」
初対面の見た目だけ美青年に暴言を吐かれ、舞はそのまま無一文で追い出されてしまう。腹を立てながらも、舞は何としても元の世界に戻ることを決意する。
「主婦が役立たず? どう思うかは勝手だけど、こっちも勝手にやらせて貰うから」
※※※
専業主婦の舞が、主婦力・大人力を駆使して元の世界に戻ろうとする話です(ざまぁあり)
※重複投稿作品※
表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる