火輪の花嫁 ~男装姫は孤高の王の夢をみる~

秦朱音|はたあかね

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第一章 男装姫は孤高の王の夢を視る

第九話 蔵の記憶

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 久遠が覚えている最初の記憶は、真っ暗闇に包まれた狭いのことである。

 今思い起こしてみれば、久遠が嵐を恐れるようになったのは、その頃の記憶が原因かもしれない。

 昼なのか夜なのかも分からない、闇に包まれた蔵の中。
 時を教えてくれるのは、天井近くにある小さな明かりりから差す朝日だけ。
 真っ暗な蔵の外では何事もなかったように時が流れているのだということを、久遠はその光を見て知った。

 久遠のほかには、蔵の中には誰もいない。

 なぜ自分だけがこんなところに閉じ込められているのか。
 自分は何者なのか。名はなんなのか。
 これからどうすればいいのか。
 誰も教えてくれない、何も分からない。

 恐怖と空腹に怯えながら耐え、何日か経ったある日のこと――蔵の外で、風が大きく音を立てて吹き始めた。そう時を置かず、激しい雨も降り始める。
 外の世界を知らないはずなのに、なぜだか久遠には、それがなのだと分かった。
 蔵の壁が、風にギシギシと音を立てながら揺れる。久遠の背中には、激しく雨粒が打ち付けられる振動が伝わってくる。
 久遠はただ恐怖に泣き叫び、体を小さく丸めて嵐が通り過ぎるのを待った。

 嵐の翌朝――涙で目を腫らした久遠の肩を、何者かが力いっぱい掴んだ。驚いて顔を上げると、髪に白いものが混じった初老の男性が目の前にいた。

『早く起きろ』
『あなたは誰……?』
『……記憶は、残っていないのだな?』
『記憶? 何も』
『私はお前の祖父だ。お前の名は、今日から十六夜いざよい久遠くおん。分かったか?』

 そんな言葉を交わしたあと、粗末な男物の服を手渡された。

『お前は男だ、男として生きていけ』――そう言われ、男装を強いられた。口調や振る舞いが男らしく見えるまで、蔵から一歩も外に出さないと告げられた。

 かすかな記憶の中で、久遠は自分が女であると知っていた。が、祖父を名乗るこの男に抵抗すれば、久遠に前途みらいはない。

 男装し、堂々と日の光の下を歩かせてもらえるようになったのは、七、八歳くらいの頃だったと思う。もっとも、自分の年が本当にその歳なのかどうかも、確かめようがなかった。

 あの時、祖父の言うことを聞かず、蔵から出られなかったとしたら……今頃、どうなっていただろうかと思う。
 自分は男だ。そう信じ込んだ。そうしなければ、再び蔵に戻される。
 だから、なぜ女として生きることを許されなかったのか、祖父や父に尋ねることはできなかった。もう二度と、あの暗くて孤独な蔵には戻りたくないからだ。

「うっ……」

 過去の辛い記憶のせいで、久遠の口から嗚咽が漏れた。
 今、燦の寝室も、蔵の中と同じく闇に包まれている。
 あの時と違うのは、背中に感じる、燦の温もりだ。



 ――一筋ひとすじの光が走って、消えた。
 一瞬のことだ。稲妻のようでもあり、剣の太刀筋のようでもある、一本の光。

 その光が消えたあと、久遠の目の前にぼんやりと浮かんだのは、美しい領巾ひれをなびかせた髪の長い女の横顔だった。どことなく懐かしい、その女に会ったことがある。そう感じた。

(振り向いて、こちらを見て)

 その女が誰なのか、確かめねばならないと思った。
 しかし、声が出ない。喉から絞り出そうとするが、息が詰まるばかりである。

 ふと、その女の胸元が光った。眩しさに、思わず目を背ける。光に手をかざして眩しさを避けながら、久遠は彼女のほうに走った。
 地を蹴ろうとするが上手くいかない。まるで水の中を進むような感覚で、いつまで経っても女には近付けない。

 周りには白い靄。少しずつ広がる靄に包まれ、女の姿は見えなくなった。
 唯一最後まで見えたのは、女が胸元に抱く、、だった――。



 翌朝。久遠が心地よい温もりに身を任せて微睡まどろんでいると、突然額に鋭い痛みが走った。

「……痛ッ!」
「おい、そろそろ起きろ」
「え? あれ?」

 見慣れない天井に驚いて、久遠は飛び起きた。寝台の上、隣には横たわったまま肘を突き、久遠を睨みつける燦の顔がある。

「うわっ、燦様!」
「お前に夢見を頼んだのは俺だが、仮にも王の寝室でくつろぎすぎじゃないか? 主よりも寝坊した上、いびきまでかくとは」
「いびき!?」

 あまりに驚いて、声がひっくり返る。確かに昨晩、久遠は燦の夢見をしようと手を握った。寝惚けた燦に引っ張られ、寝台に横になったのは覚えている。
 背中の温もりが心地よくて、そのまますっかり眠ってしまったのだ。

(夢見の結果……どうだったっけ)

 花緒の時と同様、はっきりと燦の夢が見えたわけではない。夢に出てきた女が誰なのか、確かめることもできなかった。

(でも、あの人が燦様の后になる人……)

 一筋の光が走り、その後に現れた一人の女。
 彼女が胸に抱えていたのは――月、だ。

 もちろん、実際に抱えていたのは月ではなく、ただの光であったのだが――なぜか久遠の心の中には、「あの光は月だ」という言葉が浮かんだ。
 夢見の結果を、そのまま燦に伝える。燦は一通り久遠の話を聞くと、真剣な顔をして寝台の上にあぐらをかいた。

「……月を胸に抱く女?」
「はい」
「月を抱くとは、どういう意味だ?」
「僕もよく分からないんです。ぼんやりと光る何かで、でも僕はそれをはっきりと月だと感じました。夢の中なので、現世とは少し見え方が違うのです」

 こんな説明で伝わるのだろうか。不安に思いながら燦を見つめていると、彼は久遠の肩に手を置いた。

「月を胸に抱く者と言われても、具体的にどの姫のことを指しているのかは分からんが、むしろこの結果は都合がいい」
「都合がいい?」
「ああ。久遠、よくやった」

 思いがけず褒められて、久遠は頬を染める。

(僕の夢見で王の役に立てた……のかな?)

 どの姫のことを指しているのか分からないほうが、都合がいい? どういう意味だろう。
 ぼんやりしている久遠を寝台に残したまま、燦は立ち上がって伸びをする。昨晩脱いだほうを手にとったところで、部屋の外を走る小さな足音が近付いて来た。
 朝日が差し込む連子窓れんじまどの向こうからちょこんと覗いたのは、子どもの影だ。

りんか?」
「はい! 兄さま!」

 元気な返事に続いて、戸が開く。そして、燦の胸に一人の少年が飛び込んできた。

「燦兄さま、おはようございます!」
「おはよう、霖。よく眠れたか?」
「はい!」

 燦に抱き上げられたのは、目がくりっと丸く可愛い男の子だ。年は五、六歳といったところか。日紫喜家には前王である耀よう、新王の燦、更にその下に霖という名の弟がいるというのは、父から聞いて知っていた。

「ねえ、兄さま。この人、誰?」

 霖が、久遠を指差して燦に問う。久遠は急いで寝台から下りると、髪を整えながら霖に向かって頭を下げた。

「霖様。僕は十六夜久遠と申します。今日は燦様の夢見に参りまし――」
「うーん、なんだかひょろひょろしてて、兄さまとはちがうな。花緒姉さまみたい」
「霖様!? 僕はれっきとした男ですよ。花緒様と比べてもらえるのは嬉しいですが」
「ふうん。ねえ、兄さま! みんなが兄さまをまっています。のお話を聞きたいんだって」
「こんな朝早くから、もう皆が集まったのか。すぐに行く。皆に伝えてくれ」
「はい、兄さま!」

 燦の腕から下りると、霖は間髪入れず部屋を飛び出していく。無邪気で可愛らしい。久遠の甥っ子たちとは大違いだと思ったが、口にするのは止めておいた。

「久遠、行くか。夢見の結果を聞きたくてうずうずしている当主様たちがお待ちかねだ」
「はい、すぐに準備します。あの……燦様、夢見の結果はどのようにお伝えになるのですか?」
「お前から聞いた通り、そのまま伝えるが」
「でも、結局どの方を后となさるのかはっきりしないですし……」
「心配するな。着替えが終わったらお前も来い。ああ、身支度をするなら隣の部屋を使ってくれて構わない。姿見がある」
「あっ、はい!」

 着替えを燦に見られずにすみそうで、久遠は胸を撫でおろした。
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