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第一章 男装姫は孤高の王の夢を視る
第十一話 道の先
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熱の行き先に目をやると、巻き上がる風の中、日の光を浴びた黒髪がなびくのが見えた。
久遠を蹴ろうと足を振り上げていた父は、まるで時が止まったかの如く呆然と立ち尽くしている。すると、ほんの少し時を置いて、袍の腹の部分が上下に真っ二つに裂け、ひらりとその腹が露わになった。
「……え?」
父も兄も、そして久遠も、一瞬の出来事に言葉を失う。
誰かが通りすがりに父を斬ったのか? しかも、体には傷一つ付けず、衣だけを。
風がおさまる。久遠の前を通り過ぎた男の背中を見ていると、彼はゆっくりとこちらを振り向いた。
「あっ、燦……様!?」
そこに立っていたのは、燦だった。
右手には、剣のようなものが見える。
(剣……いや、あれは、炎?)
剣に見えたものには実態がなく、燃える炎が剣の形に見えていただけのようだ。再び激しく吹いた風に、剣はその姿をふっと消した。
「……よく斬れる剣だ。切れ味を確かめさせてもらったよ、十六夜万葉人」
父は名を呼ばれても動けない。斬られた恐怖に震えながら、なんとか顔だけを燦に向けた。
「燦王よ……なぜ、このようなことをなさる」
「それは俺の台詞だ。誰が久遠を十六夜の里に連れ帰っていいと言った?」
「久遠は覡の見習いであり、我が息子です。連れ帰るのも何をするのも、我々が決める」
「ほう。俺が仮初めの王だからと言って、随分と小馬鹿にされたものだ」
燦は右手を天に向けてまっすぐ挙げた。その場に小さく風が巻き上がったかと思うと、燦の右手に炎が燃え上がる。その炎は、徐々に剣の形に変わっていく。
「……そ、それは! 火輪剣!?」
「まさか! 火輪剣は日紫喜家の宝物。こんなところに持ち出すものか」
「それでは、その剣は……」
「これが日紫喜家の、炎武の才だ」
炎武の才――十六夜家にとっての、夢見の才のようなものだろうか。
形を成さないはずの炎が、剣となる。燦が目の前を通り過ぎた時に熱を感じたのは、炎でできた剣が発したものだったのだ。
(燦様は、僕を都に連れ戻そうとしている。父上に剣を向けてまで)
久遠はこれまで、十六夜家に縛り付けられてきた。
男装を強いられ、小間使いとして家族からも虐げられてきた。その十六夜から、離れる――そんな道があったなんて、考えたこともなかった。
「次は袍だけではすまない。腹に傷を付けてもらいたくなければ、久遠を渡せ」
「渡す? なぜですか?」
「俺の夢見をさせるからに決まっているだろう」
「ですが!」
父が言い返すと、燦はその場で一度、剣を振るった。
離れた場所にいる久遠にも、太刀筋から発せられる風と熱が伝わってくる。
「十六夜よ。先日から不思議だったのだ。ただの見習いであるなら、久遠を手放したくない理由はなんだ? 誰にも言えない事情でもあるのか?」
「そ、そんなものはありませぬ……!」
「では、この話は終わりだ。久遠、来い。都に戻るぞ」
「え? えっと……?」
「一人で歩けるか? この先に車を待たせてある」
そういうと、燦はつかつかと久遠に近付き、抱き上げた。
息を呑む久遠の背後では、父と兄の悔しそうな呻き声が遠ざかっていく。
「あの、燦様! 僕、自分で歩けます。王に運んでもらうなんて、恐れ多くて」
「遠慮するな。怪我をしている」
「殴られたのは顔だけです」
「お前は軽すぎて、抱いていてもいなくてもそう変わらん。もう少し食べて太れ。それとも、十六夜家ではいつも先ほどのように殴られ、食事も満足にもらえなかったのか?」
燦の言葉は淡々としているが、確かな怒りが滲んでいた。
「……いえ、虐げられたというのは大げさです。僕を闇から助けてくれたのは、十六夜家ですから」
暗くて狭い蔵の中から久遠を引っ張り出してくれたのは、十六夜の祖父だ。
祖父が来てくれなければ、久遠は蔵の中で恐怖に怯えながら命を落としたはず。
(だから、僕はこれまで十六夜に忠実に仕えてきて……)
今さらになって、久遠の体が恐怖で震え始める。
久遠は十六夜家を裏切った。里に連れ帰ろうとしていた父の意に背き、燦に付いてきてしまった。
燦は父に殴られた久遠を助けてくれたが、これからも久遠を守ってくれるとは限らない。燦が夢見に飽きれば、久遠はいつかまた十六夜の里に戻ることになる。
行き先はきっと、あの蔵の中だ。
久遠の体の震えを抑えるように、燦の腕に力が入った。
「久遠。お前を俺の従者として雇ってやる」
「……従者? 僕がですか? こんな弱っちいのに、役に立ちません」
「何を言う。お前のおかげで、后選びを先延ばしにできた。早速役に立っているじゃないか」
「あれは、僕の手柄ではないですよね?」
「つべこべ言うな。お前は俺の従者として仕え、夜は夢見をするんだ。さすがの十六夜も、王の寝室に忍び込むことはできないだろう」
「え? それはどういう……」
「お前を守ってやる、という意味だ」
燦は顎を上げたまま、ふんと鼻を鳴らした。
(僕を……守ってくれるの? 燦様が?)
腕に抱かれたまま、久遠は燦の顔を見上げる。
その時、見渡す限り遮るものが何もない一本道に、ぴゅうと木枯らしが吹いた。
燦の黒髪が揺れる。
久遠は、燦の胸の温もりに身を預けた。
久遠を蹴ろうと足を振り上げていた父は、まるで時が止まったかの如く呆然と立ち尽くしている。すると、ほんの少し時を置いて、袍の腹の部分が上下に真っ二つに裂け、ひらりとその腹が露わになった。
「……え?」
父も兄も、そして久遠も、一瞬の出来事に言葉を失う。
誰かが通りすがりに父を斬ったのか? しかも、体には傷一つ付けず、衣だけを。
風がおさまる。久遠の前を通り過ぎた男の背中を見ていると、彼はゆっくりとこちらを振り向いた。
「あっ、燦……様!?」
そこに立っていたのは、燦だった。
右手には、剣のようなものが見える。
(剣……いや、あれは、炎?)
剣に見えたものには実態がなく、燃える炎が剣の形に見えていただけのようだ。再び激しく吹いた風に、剣はその姿をふっと消した。
「……よく斬れる剣だ。切れ味を確かめさせてもらったよ、十六夜万葉人」
父は名を呼ばれても動けない。斬られた恐怖に震えながら、なんとか顔だけを燦に向けた。
「燦王よ……なぜ、このようなことをなさる」
「それは俺の台詞だ。誰が久遠を十六夜の里に連れ帰っていいと言った?」
「久遠は覡の見習いであり、我が息子です。連れ帰るのも何をするのも、我々が決める」
「ほう。俺が仮初めの王だからと言って、随分と小馬鹿にされたものだ」
燦は右手を天に向けてまっすぐ挙げた。その場に小さく風が巻き上がったかと思うと、燦の右手に炎が燃え上がる。その炎は、徐々に剣の形に変わっていく。
「……そ、それは! 火輪剣!?」
「まさか! 火輪剣は日紫喜家の宝物。こんなところに持ち出すものか」
「それでは、その剣は……」
「これが日紫喜家の、炎武の才だ」
炎武の才――十六夜家にとっての、夢見の才のようなものだろうか。
形を成さないはずの炎が、剣となる。燦が目の前を通り過ぎた時に熱を感じたのは、炎でできた剣が発したものだったのだ。
(燦様は、僕を都に連れ戻そうとしている。父上に剣を向けてまで)
久遠はこれまで、十六夜家に縛り付けられてきた。
男装を強いられ、小間使いとして家族からも虐げられてきた。その十六夜から、離れる――そんな道があったなんて、考えたこともなかった。
「次は袍だけではすまない。腹に傷を付けてもらいたくなければ、久遠を渡せ」
「渡す? なぜですか?」
「俺の夢見をさせるからに決まっているだろう」
「ですが!」
父が言い返すと、燦はその場で一度、剣を振るった。
離れた場所にいる久遠にも、太刀筋から発せられる風と熱が伝わってくる。
「十六夜よ。先日から不思議だったのだ。ただの見習いであるなら、久遠を手放したくない理由はなんだ? 誰にも言えない事情でもあるのか?」
「そ、そんなものはありませぬ……!」
「では、この話は終わりだ。久遠、来い。都に戻るぞ」
「え? えっと……?」
「一人で歩けるか? この先に車を待たせてある」
そういうと、燦はつかつかと久遠に近付き、抱き上げた。
息を呑む久遠の背後では、父と兄の悔しそうな呻き声が遠ざかっていく。
「あの、燦様! 僕、自分で歩けます。王に運んでもらうなんて、恐れ多くて」
「遠慮するな。怪我をしている」
「殴られたのは顔だけです」
「お前は軽すぎて、抱いていてもいなくてもそう変わらん。もう少し食べて太れ。それとも、十六夜家ではいつも先ほどのように殴られ、食事も満足にもらえなかったのか?」
燦の言葉は淡々としているが、確かな怒りが滲んでいた。
「……いえ、虐げられたというのは大げさです。僕を闇から助けてくれたのは、十六夜家ですから」
暗くて狭い蔵の中から久遠を引っ張り出してくれたのは、十六夜の祖父だ。
祖父が来てくれなければ、久遠は蔵の中で恐怖に怯えながら命を落としたはず。
(だから、僕はこれまで十六夜に忠実に仕えてきて……)
今さらになって、久遠の体が恐怖で震え始める。
久遠は十六夜家を裏切った。里に連れ帰ろうとしていた父の意に背き、燦に付いてきてしまった。
燦は父に殴られた久遠を助けてくれたが、これからも久遠を守ってくれるとは限らない。燦が夢見に飽きれば、久遠はいつかまた十六夜の里に戻ることになる。
行き先はきっと、あの蔵の中だ。
久遠の体の震えを抑えるように、燦の腕に力が入った。
「久遠。お前を俺の従者として雇ってやる」
「……従者? 僕がですか? こんな弱っちいのに、役に立ちません」
「何を言う。お前のおかげで、后選びを先延ばしにできた。早速役に立っているじゃないか」
「あれは、僕の手柄ではないですよね?」
「つべこべ言うな。お前は俺の従者として仕え、夜は夢見をするんだ。さすがの十六夜も、王の寝室に忍び込むことはできないだろう」
「え? それはどういう……」
「お前を守ってやる、という意味だ」
燦は顎を上げたまま、ふんと鼻を鳴らした。
(僕を……守ってくれるの? 燦様が?)
腕に抱かれたまま、久遠は燦の顔を見上げる。
その時、見渡す限り遮るものが何もない一本道に、ぴゅうと木枯らしが吹いた。
燦の黒髪が揺れる。
久遠は、燦の胸の温もりに身を預けた。
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