火輪の花嫁 ~男装姫は孤高の王の夢をみる~

秦朱音|はたあかね

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第二章 孤高の王は託された夢を探す

第十二話 燦の過去

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 父がいて、母がいる。
 朝が来れば目を覚まし、夜になれば眠りにつく。
 それが当たり前のことで、いつまでも続くのだと、日紫喜ひしきさんは信じて疑わなかった。

 ――あの日、日紫喜邸の裏にある宝物院ほうもついんで、とある光景を目の当たりにするまでは。
 
 雪の降る夜だった。
 昨日までとは打って変わって、凍えるような寒さが都を襲った。夜中に目を覚ました燦は、あまりの寒さに寝台の上で震えた。

『十歳になったら、母とは離れて一人で眠るのですよ』

 その言いつけを守って、燦は今年から自分の寝室で休むことにしている。四つ年上の兄――耀ようも、十歳からは一人で寝ていたと聞いた。負けてはいられない。

 外からは、雪の降るような音が聞こえる。
 立ち上がって連子窓を開けると、屋敷の外は一面の雪景色だった。

(寒い……今夜だけなら、一人で寝なくても許してもらえるかな?)

 この寒さと静けさの中、もう一度眠れる気がしない。母の寝台に潜り込んで温もりたい。
 母だって、本心では燦と共に寝たいのだ。夜中に母の寝室を訪ねても、一度だって燦を拒んだことなどないではないか。
 明日は早起きして、兄が起きてくる前に、こっそり自分の寝室に戻ってしまえばいい。そうすれば、「燦はまだ子どもだな」と揶揄からかわれることもないだろう。

 裸足で歩く廊下は氷のように冷たい。炎武えんぶの才を使えば、少しは体を温められるだろうか、とも考えたが、幼い燦はまだ一人で才を使うことを禁じられている。
 兄よりも自分のほうが、よほど炎武の才を上手く使えるのに……と、不貞腐ふてくれた顔をして、燦は母の寝室の戸をそっと開けた。

(あれ? 母上がいない)

 母の寝台はも抜けの空だった。しかししとねに触れてみれば、まだ温もりがある。
 かわやにでも立ったのかと思ったが、なぜか燦の胸の奥では、ざわざわと嫌な予感がした。

(母上はどこ……!)

 雪がしんしんと積もる中、燦は母を探して歩く。屋敷の中にはいない。ふと外を見ると、庭に積もった雪の上に、母のものらしき足跡が点々と残っていた。
 裸足のまま、雪の上に下りて走る。心臓が口から飛び出しそうなほど早鐘を打ち、顎がガクガクと震える。

 足跡は、屋敷裏の宝物殿のほうに続いていた。
 あそこには、日紫喜家が天から授かった宝物、火輪剣ひのわのつるぎが収められている。
 建物沿いに進み、曲がり角を右に曲がれば、宝物殿が見えるはず――しかし、燦が建物の角を曲がる直前、その場に母の悲鳴が聞こえた。

(何があった……!?)

 燦は咄嗟に、建物の縁側の下に身を隠して覗き見る。
 前方には、扉が開いたままの宝物殿。そしてその手前、人の顔がなんとか判別できるかという距離に、女がうつ伏せに倒れていた。
 積もったばかりの白い雪の上には、赤い染みが広がっていく。

「――其方そなたはまさか、久靄くもや蘇芳姫すおうひめか。よりによって、陽主の后に見つかるとは」
「父上、まだ息があります。とどめを刺しましょう。火輪剣を奪ったのが我らだと知られてしまいます……!」
「黙れ! 誰かが聞いておったらどうする」

 倒れた母のすぐ横で、男が二人、言い争いを始めた。後ろにいる背の低い男は、衛士が身に着ける綿冑めんちゅうのようなものを被っており、顔が見えない。そしてその手前、と呼ばれた初老の男の手には、血のついた剣が握られている。

 雪の上に倒れ、肩を震わせながら男たちを睨みつける母の姿を見て、燦は母の命が尽きようとしているのだと察した。

(なぜ……! なぜ、母上を斬ったんだ!)

 今すぐここから飛び出して、母を守りたい。だが、幼い自分の手では守り切れない。
 父を呼びに走る? このまま自分が飛び出す?
 涙を堪えて必死で考えていると、倒れている母と目が合った。

 ――絶対にそこから出て来るな。

 母の目が、はっきりと燦にそう訴える。

(母上……!)

 涙を堪え、息を殺し、燦は身を隠した柱に頭を打ち付けた。

 落ち着け。母にはまだ息がある。今なら間に合う。
 燦は、男たちに飛び掛かろうと心を決めた。一人では使うなと禁じられてはいるが、今こそ炎武の才を使う時。

 柱から顔を出し、母に視線を送る。
 右手を挙げて、その手に炎を出そうと気を溜めた。

 燦の動きに気が付いた母は、最期の力を振り絞って立ち上がる。母を斬った男の手にあった火輪剣に手を伸ばし、不意を突いてその刃を両手で握った。

「うわあっ! 放せ!」
「黙りなさい……火輪剣を奪おうとする者は……必ず天の怒りを買う……お前が、綺羅ノ王になどなれるものか……!」

 手から血を流しながら、母が大声で叫んだ。それが最期の言葉だった。
 男が力を込め、母の腹に剣が突き刺さる。深く刺さってもなお、母はその刃を放さなかった。

 命をかけて火輪剣と、そして燦を守ったのだ。

「父上、人が来ます!」
「……くそっ! 蘇芳姫にさえ見つからなければ!」
「火輪剣が抜けません、諦めるしか」

 雪が勢いを増した。強い風が吹き始める。

(母上が雪に埋まってしまう! 早く助けないと)

 しかし、ここで燦が飛び出せば、母と同じように斬られて命を落とすだけだ。燦を守ろうとした母の思いが、無に帰してしまう。

「……おじいさま、おとうさま!」

 風雪の強まる中、バチャバチャと沓音くつおとをさせて、小さな女の子が駆けてきた。

(危ない!)

 声が出そうになり、燦は慌てて自分の口を押さえる。

一葉いちは姫さま、危のうございます! 雪で濡れる前に早く中へ……っ、きゃああっ!」

 女の子を追ってきた女官の一人が、倒れて血まみれの母を見つけたようだった。その後ろから、身分の高そうな女性も駆け付けた。

「……香宵かよい、この女官は一葉の侍女か?」
「はい、義父上。これは一体どのようなことでございますか。蘇芳を……綺羅ノ王の后を、その手で殺めたと?」
「火輪剣を手に入れようとしたところに、ちょうど蘇芳姫が現れたのだ。咄嗟に斬ってしまった」
「なんと恐ろしいことを! 天がお怒りです。これから大嵐となりましょう。王の后を手にかけるなど、綺羅を滅ぼすほどの大罪です。我々は、とがを受けねばなりませぬ」

 天の怒り――それは、綺羅ノ王后である燦の両親が最も恐れているものだった。
 かつて、ここ綺羅に起こった主家同士の争いのせいで天がお怒りになった。大嵐が国を襲い、綺羅は一度滅びかけたが、日紫喜が王として国を治めることとなり収まったという。
 日紫喜には綺羅を守る使命がある。ほかの主家から妻を娶り、主家との縁を大切にせよ――という話は何度も聞かされた。

 母の命が奪われたことで、その大嵐が再来したというのか。
 燦の目から、ここまで堪えてきた涙が溢れた。

(もう、綺羅ノ国なんかどうでもいい! 母の傍で死にたい)
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