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第五章 男装姫は靄を晴らす
第三十四話 霧中の才
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炎に巻き込まれる――そう思ったのに、一葉の体を包んだのは炎ではなく、冷たい水しぶきだった。
(これは何? 海水!?)
濡れた顔を袖で拭い、目を開ける。
すぐ見えたのは燦の背中。そして、その右手に握られた剣だった。炎武の才で生み出した、炎の剣だ。
そして少し離れたところには、碧李輝比佐が息を切らせて膝を突いている。
(……ということは、この水しぶきは碧李家の水煙の才か)
祖父の放った一撃に対し、輝比佐が水煙の才で海水を呼び出して勢いを削ぐ。一瞬できた間に燦が滑り込み、炎武の才を使って受け止めた、ということだろう。
主家の協力のおかげで助かった。
「一葉、次が来る。早く木の陰に逃げろ!」
「燦様、でも……!」
「早く!」
祖父が再び剣を振るう。轟音が鳴り、空が赤く染まる。
燦が右手の剣で炎を払うと、ほんの少しだけ軌道がずれた。向きを変えた炎の一撃は久遠の右耳元をかすめ、側にあった木に燃え移る。枯れた枝葉は一気に燃え上がり、パチパチと激しく火の粉を飛ばす。
燦と一葉は手を握り合い、地を転げるようにして火の粉を避けた。
息をつく間もなく立ち上がった燦は、一葉をその場に残して祖父に立ち向かって行く。
火輪剣と燦の才がぶつかり合い、キィィンという音を立てた。
(お祖父様……!)
きっと祖父はもう、正気を失っている。
味方に取り込んだはずの主家から見放され、宝物である月影の石は手に入らず、焦っている。
十年だ。
日紫喜家から王位を簒奪しようと謀り、宝物殿の前で蘇芳姫と香宵姫の命を奪ってから、十年。
罪を償うはずだったその十年の間、十六夜がやってきたことは何か。
一葉を蔵に閉じ込め。
女として生きる道を奪い。
再び火輪剣に手を伸ばそうと、虎視眈々と謀略を巡らせた。
祖父は既に齢七十を超えている。火輪剣を手に入れたところで、あの年では使いこなせない。若き王に、力で敵うはずがない。
ずっと祖父の言いなりだった父の目にも、諦めの色が浮かんでいる。祖父の袍を後ろから掴み、止めようと必死で声を掛けている。
一葉は両手を地について、体を起こす。
するとそこに、何者かの手が差し出された。
皺の寄った老爺の手だ。
顔を上げると、目の前にいたのは久靄家の当主だった。
「……君は、一葉というのかね?」
穏やかで、どこか懐かしい声だった。
「はい、私は一葉です」
自信を持って、力強く答える。
一葉の母の香宵は、久靄家から十六夜に嫁いだ姫だ。つまり、久靄家当主であるこの老爺は、一葉の祖父に当たる。
十六夜久遠として生きていたら、決して言葉を交わすことのなかった、肉親だ。
一葉にもまだ、愛してくれる家族がいるのかもしれない。そう考えただけで、目の奥が熱くなった。
「一葉か……先ほどから、その名をどこかで聞いたような気がしてならない。君は先ほど、我々が霧中の才によって記憶を消されていると言ったな?」
「はい、そうです。久靄家のご当主様」
「分かった。協力しよう。今こそ綺羅の天の下に、主家が互いに手を取り合う時だ」
久靄家の当主が手を挙げて合図をすると、烽火家の当主がそれに気が付いて駆け寄ってきた。目の見えない久靄に腕を差し出し、二人は傷を負って倒れている和暮家の当主の元に向かう。
久靄、和暮、烽火の三家が揃った。そこに碧李輝比佐も合流する。
「和暮殿、そういう訳だ。貴殿が負った怪我は、五主家が協力して必ず治そう」
「……分かっているよ、久靄殿。だが、私が霧中の才を使えば、貴家の才を打ち消すことになる。よろしいな?」
「もちろんだ。過去を知らねば、十六夜を正しく裁くことはできない。我々の記憶を、取り戻してくれ」
久靄家当主のその言葉に、碧李と烽火も同意するように頷いた。
和暮家当主は怪我の痛みに耐えて力を振り絞り、起き上がる。心配そうに見つめる花緒に笑みを向けた後、威風の才を使うための呪文を唱え始めた。
(花緒様とは、桁違いの力だ……!)
海にせり出した崖が、地面ごと揺れる。
辺りに散らばった小石や木片がコトコトと小刻みに震え始めたかと思うと、一斉にふんわりと浮いた。どこからともなく生まれた風が、身構える間もなく一気に舞い上がる。
「燦様! 風が来ます!」
炎武の才による剣が風で吹き消されたら、燦が斬られてしまうかもしれない。
一葉は風の中をよろよろと走り、燦に手を伸ばした。痺れる手で、燦の指先をなんとか掴む。
巻き起こった暴風はすべてを呑み込み、かき混ぜるように渦を巻き――そして、静まった。砂埃で夜の空気が霞み、周りがほとんど見えない。
しっかりと繋いだ燦の手だけが、久遠の不安を和らげた。
「もう……収まったのかな?」
恐る恐る、顔を上げる。隣に並ぶように倒れている燦と目が合って、頷き合った。
体を起こしてあたりを見回す。徐々に視界が開けてくる。
婚礼の儀のために設けられた祭壇は跡形もなく崩れていた。各主家の宝物はあちらこちらに散らばっており、衛士たちが慌てて拾い集めていた。
「……お祖父様は?」
(これは何? 海水!?)
濡れた顔を袖で拭い、目を開ける。
すぐ見えたのは燦の背中。そして、その右手に握られた剣だった。炎武の才で生み出した、炎の剣だ。
そして少し離れたところには、碧李輝比佐が息を切らせて膝を突いている。
(……ということは、この水しぶきは碧李家の水煙の才か)
祖父の放った一撃に対し、輝比佐が水煙の才で海水を呼び出して勢いを削ぐ。一瞬できた間に燦が滑り込み、炎武の才を使って受け止めた、ということだろう。
主家の協力のおかげで助かった。
「一葉、次が来る。早く木の陰に逃げろ!」
「燦様、でも……!」
「早く!」
祖父が再び剣を振るう。轟音が鳴り、空が赤く染まる。
燦が右手の剣で炎を払うと、ほんの少しだけ軌道がずれた。向きを変えた炎の一撃は久遠の右耳元をかすめ、側にあった木に燃え移る。枯れた枝葉は一気に燃え上がり、パチパチと激しく火の粉を飛ばす。
燦と一葉は手を握り合い、地を転げるようにして火の粉を避けた。
息をつく間もなく立ち上がった燦は、一葉をその場に残して祖父に立ち向かって行く。
火輪剣と燦の才がぶつかり合い、キィィンという音を立てた。
(お祖父様……!)
きっと祖父はもう、正気を失っている。
味方に取り込んだはずの主家から見放され、宝物である月影の石は手に入らず、焦っている。
十年だ。
日紫喜家から王位を簒奪しようと謀り、宝物殿の前で蘇芳姫と香宵姫の命を奪ってから、十年。
罪を償うはずだったその十年の間、十六夜がやってきたことは何か。
一葉を蔵に閉じ込め。
女として生きる道を奪い。
再び火輪剣に手を伸ばそうと、虎視眈々と謀略を巡らせた。
祖父は既に齢七十を超えている。火輪剣を手に入れたところで、あの年では使いこなせない。若き王に、力で敵うはずがない。
ずっと祖父の言いなりだった父の目にも、諦めの色が浮かんでいる。祖父の袍を後ろから掴み、止めようと必死で声を掛けている。
一葉は両手を地について、体を起こす。
するとそこに、何者かの手が差し出された。
皺の寄った老爺の手だ。
顔を上げると、目の前にいたのは久靄家の当主だった。
「……君は、一葉というのかね?」
穏やかで、どこか懐かしい声だった。
「はい、私は一葉です」
自信を持って、力強く答える。
一葉の母の香宵は、久靄家から十六夜に嫁いだ姫だ。つまり、久靄家当主であるこの老爺は、一葉の祖父に当たる。
十六夜久遠として生きていたら、決して言葉を交わすことのなかった、肉親だ。
一葉にもまだ、愛してくれる家族がいるのかもしれない。そう考えただけで、目の奥が熱くなった。
「一葉か……先ほどから、その名をどこかで聞いたような気がしてならない。君は先ほど、我々が霧中の才によって記憶を消されていると言ったな?」
「はい、そうです。久靄家のご当主様」
「分かった。協力しよう。今こそ綺羅の天の下に、主家が互いに手を取り合う時だ」
久靄家の当主が手を挙げて合図をすると、烽火家の当主がそれに気が付いて駆け寄ってきた。目の見えない久靄に腕を差し出し、二人は傷を負って倒れている和暮家の当主の元に向かう。
久靄、和暮、烽火の三家が揃った。そこに碧李輝比佐も合流する。
「和暮殿、そういう訳だ。貴殿が負った怪我は、五主家が協力して必ず治そう」
「……分かっているよ、久靄殿。だが、私が霧中の才を使えば、貴家の才を打ち消すことになる。よろしいな?」
「もちろんだ。過去を知らねば、十六夜を正しく裁くことはできない。我々の記憶を、取り戻してくれ」
久靄家当主のその言葉に、碧李と烽火も同意するように頷いた。
和暮家当主は怪我の痛みに耐えて力を振り絞り、起き上がる。心配そうに見つめる花緒に笑みを向けた後、威風の才を使うための呪文を唱え始めた。
(花緒様とは、桁違いの力だ……!)
海にせり出した崖が、地面ごと揺れる。
辺りに散らばった小石や木片がコトコトと小刻みに震え始めたかと思うと、一斉にふんわりと浮いた。どこからともなく生まれた風が、身構える間もなく一気に舞い上がる。
「燦様! 風が来ます!」
炎武の才による剣が風で吹き消されたら、燦が斬られてしまうかもしれない。
一葉は風の中をよろよろと走り、燦に手を伸ばした。痺れる手で、燦の指先をなんとか掴む。
巻き起こった暴風はすべてを呑み込み、かき混ぜるように渦を巻き――そして、静まった。砂埃で夜の空気が霞み、周りがほとんど見えない。
しっかりと繋いだ燦の手だけが、久遠の不安を和らげた。
「もう……収まったのかな?」
恐る恐る、顔を上げる。隣に並ぶように倒れている燦と目が合って、頷き合った。
体を起こしてあたりを見回す。徐々に視界が開けてくる。
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「……お祖父様は?」
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