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第五章 男装姫は靄を晴らす
第三十五話 償うべきは
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「……お祖父様は?」
そう呟くと、一葉と繋がっていた燦の手が突然離れた。
燦は、火輪剣を握ったままうつ伏せに倒れる祖父を見つけ、飛び掛かったのだ。馬乗りになり、その手から素早く火輪剣を取り返す。
ようやく持ち主の手に戻った剣を見て、一葉の肩からどっと力が抜けた。
混乱に乗じてその場から一人で逃げ出そうとした父は衛士に捕まり、あっと言う間に後ろ手に縛り上げられた。
(これですべて終わった……のか?)
ここにいる皆は、失った十年前の記憶を取り戻したのだろうか?
先んじて威風の才を受けていた一葉には分からない。
(確かめなければ)
久靄家の当主の姿を探す。当主たちは意識を失った和暮家当主に寄り添い、声をかけている。衛士や資人たちが薬師を呼び、あたりは騒然とし始めた。
しばらくすると、久靄の当主が立ち上がる。
「一葉、一葉はどこだ……!」
「はい、ここにおります!」
駆け寄って、久靄家当主の背中にそっと手を添える。
「……どうでしょうか、私のことを思い出しましたか?」
威風の才が、皆の頭の中にかかる靄を吹き飛ばしてくれていますように。
一葉は祈りながら、当主の言葉を待つ。
久靄の老爺は一度大きく息を吐くと、左手を伸ばして一葉の頬に触れた。次は右手が頭に触れ、それから両手が肩に置かれる。
目が見えないからか、今、一葉がどんな顔をしているのか、手で触れて確かめているようにも思える。
「一葉よ……思い出した。君は私の可愛い孫だ。愛娘の香宵が産んだ大切な姫……!」
「はい……これまでも、合議の場で何度かお祖父様にお会いしていました。男の格好なんかしていましたけど、十六夜久遠の正体は私だったのです」
「私は目が見えぬ。一葉がどんな格好をしていても構うものか。香宵と一葉のことを、十年も忘れてしまっていた私を許しておくれ」
「……っ! 許すも何も、私自身も忘れていたのですから」
「いや、許してほしい。才というものは、その家の者には効きづらいものだ。久靄家の当主である私に、霧中の才は完全にはかかっていなかったはず。もしも私の目が見えていれば、合議の場で一葉の顔を見て、それをきっかけに過去を思い出せたかもしれぬ」
「そうなんですね、だから一葉という名前に聞き覚えがあると仰って……」
そうか、もしかして。
祖父が一葉の名を「久遠」に変え、わざわざ男装させた理由。
それは、もしも一葉が久靄家の者と顔を合わせたとしても、本人であると悟られないようにするためだったのかもしれない。いつぞや日紫喜家で祖父と父の話を立ち聞きした際、「久遠の正体を明かせば、久靄の者に気付かれる」と言っていたような気もする。
(そんな理由で、私は隠されていたのか)
憂いても時はもう戻らない。どんな格好をしていても一葉は一葉だ。
久靄家の当主は、男装姿の奥にある十六夜一葉そのものを見てくれた。そしてそれは、自分の正体が一葉であろうと久遠であろうと好きだ、と言ってくれた燦も同じ。
(はっ……燦様は?)
先ほど祖父を取り押さえた燦を振り返る。
祖父は衛士に引き渡され、父とともに縄で縛られていた。燦はその隣で、火輪剣を祖父に向けたまま立っている。
空の雲が晴れて月が顔を覗かせると、項垂れていた祖父は月を見上げ、そして大声を上げて笑い出した。
その高笑いの不気味さに、その場にいた者たちは手を止めて黙り込む。
「久遠!」
祖父の叫声に、一葉の肩がぴくりと震えた。
「儂と万葉人を追い詰めたつもりか? お前も十六夜家の者であることに変わりはない。……十年だぞ。我々は既に罪を十分すぎるほど償った。せめて十六夜家を主家に戻してもらえるよう、お前が取り計らうのだ」
「お祖父様、まだそんなことを……! 先ほどの威風の才で、十年前の十六夜の罪は暴かれました。十年前、あなたと父上が王后の命を奪った罪は重い。償うのはむしろこれからです!」
「お前が男として生きた十年は、無駄にせよと?」
「……どういうことです?」
「十年前、十六夜家は天意により、未来永劫、男児しか生まれぬ呪いを掛けられた。考えてみろ。お前のほかに誰一人女は生まれておらんだろう?」
「それは……確かにそうですが、今は関わりのない話では?」
兄の子は確かに三人とも男児である。それが、十六夜が天から受けた罰によるものだとは知らなかったが。
主家から追われた十六夜が日紫喜に嫁ぎ、王家に血を残すことを避けるための呪いではないだろうか。
祖父は何を言いたいのか――汲み取れずにいると、祖父の目に月が映ってギラリと光った。
「儂は天意を尊重し、女であるお前のことも男として育てた。十六夜は日紫喜家に対し、后を輩出する意図はないという恭順の証だ。十年前の償いは、お前がしっかりとやってくれたよ」
「そ、そんな馬鹿なこと……」
祖父と父の犯した罪を、なぜ一葉が代わりに償わなければならないのか。
燦の母、蘇芳姫を殺めたのは一葉ではない。
一葉の母、香宵姫のこともそうだ。
(十六夜の罪を、なぜ私が――いや、違う)
一葉も十六夜家の一員なのだ。
天から宝物を授かる代わりに、主家は綺羅の安寧を守る責を負う。
天や他の主家から見れば、祖父と一葉も同じ十六夜。
祖父や父が罪を償うのではない。十六夜が償うのだ。
一葉は、罪を免れない。
「一葉! しっかりしろ!」
かき乱された一葉の心に、燦の声が響く。
燦はいつもこうだ。内なる世に閉じこもり、我を忘れそうになった一葉を、現世に引き戻してくれる。
燦は膝を突き、祖父の胸ぐらを掴む。
「十年前、お前は我が母を斬った」
「燦王よ。お前の母、蘇芳姫は久靄家から日紫喜に嫁いだ姫。あの小生意気な香宵の従姉だ! 二人で結託し、我が十六夜が王となるのを阻んだ。だから斬ったのだ!」
「……十六夜是誓、俺はお前を許さない! 日紫喜から后を、俺から母を、そして一葉から香宵姫を奪った。たとえ天が赦しても、王が赦さぬ!」
「王といっても、主家の一つである日紫喜家の当主に過ぎぬ。すべてに勝るのは天意だ。さあ一葉よ、早く祭壇で天に許しを乞うのだ!」
目を見開いた祖父の隣で、燦の手にある火輪剣が火を噴いた。
一度天に向けられた剣先が、怒りに任せた燦の手によって、祖父の首元に振り下ろされる。
そう呟くと、一葉と繋がっていた燦の手が突然離れた。
燦は、火輪剣を握ったままうつ伏せに倒れる祖父を見つけ、飛び掛かったのだ。馬乗りになり、その手から素早く火輪剣を取り返す。
ようやく持ち主の手に戻った剣を見て、一葉の肩からどっと力が抜けた。
混乱に乗じてその場から一人で逃げ出そうとした父は衛士に捕まり、あっと言う間に後ろ手に縛り上げられた。
(これですべて終わった……のか?)
ここにいる皆は、失った十年前の記憶を取り戻したのだろうか?
先んじて威風の才を受けていた一葉には分からない。
(確かめなければ)
久靄家の当主の姿を探す。当主たちは意識を失った和暮家当主に寄り添い、声をかけている。衛士や資人たちが薬師を呼び、あたりは騒然とし始めた。
しばらくすると、久靄の当主が立ち上がる。
「一葉、一葉はどこだ……!」
「はい、ここにおります!」
駆け寄って、久靄家当主の背中にそっと手を添える。
「……どうでしょうか、私のことを思い出しましたか?」
威風の才が、皆の頭の中にかかる靄を吹き飛ばしてくれていますように。
一葉は祈りながら、当主の言葉を待つ。
久靄の老爺は一度大きく息を吐くと、左手を伸ばして一葉の頬に触れた。次は右手が頭に触れ、それから両手が肩に置かれる。
目が見えないからか、今、一葉がどんな顔をしているのか、手で触れて確かめているようにも思える。
「一葉よ……思い出した。君は私の可愛い孫だ。愛娘の香宵が産んだ大切な姫……!」
「はい……これまでも、合議の場で何度かお祖父様にお会いしていました。男の格好なんかしていましたけど、十六夜久遠の正体は私だったのです」
「私は目が見えぬ。一葉がどんな格好をしていても構うものか。香宵と一葉のことを、十年も忘れてしまっていた私を許しておくれ」
「……っ! 許すも何も、私自身も忘れていたのですから」
「いや、許してほしい。才というものは、その家の者には効きづらいものだ。久靄家の当主である私に、霧中の才は完全にはかかっていなかったはず。もしも私の目が見えていれば、合議の場で一葉の顔を見て、それをきっかけに過去を思い出せたかもしれぬ」
「そうなんですね、だから一葉という名前に聞き覚えがあると仰って……」
そうか、もしかして。
祖父が一葉の名を「久遠」に変え、わざわざ男装させた理由。
それは、もしも一葉が久靄家の者と顔を合わせたとしても、本人であると悟られないようにするためだったのかもしれない。いつぞや日紫喜家で祖父と父の話を立ち聞きした際、「久遠の正体を明かせば、久靄の者に気付かれる」と言っていたような気もする。
(そんな理由で、私は隠されていたのか)
憂いても時はもう戻らない。どんな格好をしていても一葉は一葉だ。
久靄家の当主は、男装姿の奥にある十六夜一葉そのものを見てくれた。そしてそれは、自分の正体が一葉であろうと久遠であろうと好きだ、と言ってくれた燦も同じ。
(はっ……燦様は?)
先ほど祖父を取り押さえた燦を振り返る。
祖父は衛士に引き渡され、父とともに縄で縛られていた。燦はその隣で、火輪剣を祖父に向けたまま立っている。
空の雲が晴れて月が顔を覗かせると、項垂れていた祖父は月を見上げ、そして大声を上げて笑い出した。
その高笑いの不気味さに、その場にいた者たちは手を止めて黙り込む。
「久遠!」
祖父の叫声に、一葉の肩がぴくりと震えた。
「儂と万葉人を追い詰めたつもりか? お前も十六夜家の者であることに変わりはない。……十年だぞ。我々は既に罪を十分すぎるほど償った。せめて十六夜家を主家に戻してもらえるよう、お前が取り計らうのだ」
「お祖父様、まだそんなことを……! 先ほどの威風の才で、十年前の十六夜の罪は暴かれました。十年前、あなたと父上が王后の命を奪った罪は重い。償うのはむしろこれからです!」
「お前が男として生きた十年は、無駄にせよと?」
「……どういうことです?」
「十年前、十六夜家は天意により、未来永劫、男児しか生まれぬ呪いを掛けられた。考えてみろ。お前のほかに誰一人女は生まれておらんだろう?」
「それは……確かにそうですが、今は関わりのない話では?」
兄の子は確かに三人とも男児である。それが、十六夜が天から受けた罰によるものだとは知らなかったが。
主家から追われた十六夜が日紫喜に嫁ぎ、王家に血を残すことを避けるための呪いではないだろうか。
祖父は何を言いたいのか――汲み取れずにいると、祖父の目に月が映ってギラリと光った。
「儂は天意を尊重し、女であるお前のことも男として育てた。十六夜は日紫喜家に対し、后を輩出する意図はないという恭順の証だ。十年前の償いは、お前がしっかりとやってくれたよ」
「そ、そんな馬鹿なこと……」
祖父と父の犯した罪を、なぜ一葉が代わりに償わなければならないのか。
燦の母、蘇芳姫を殺めたのは一葉ではない。
一葉の母、香宵姫のこともそうだ。
(十六夜の罪を、なぜ私が――いや、違う)
一葉も十六夜家の一員なのだ。
天から宝物を授かる代わりに、主家は綺羅の安寧を守る責を負う。
天や他の主家から見れば、祖父と一葉も同じ十六夜。
祖父や父が罪を償うのではない。十六夜が償うのだ。
一葉は、罪を免れない。
「一葉! しっかりしろ!」
かき乱された一葉の心に、燦の声が響く。
燦はいつもこうだ。内なる世に閉じこもり、我を忘れそうになった一葉を、現世に引き戻してくれる。
燦は膝を突き、祖父の胸ぐらを掴む。
「十年前、お前は我が母を斬った」
「燦王よ。お前の母、蘇芳姫は久靄家から日紫喜に嫁いだ姫。あの小生意気な香宵の従姉だ! 二人で結託し、我が十六夜が王となるのを阻んだ。だから斬ったのだ!」
「……十六夜是誓、俺はお前を許さない! 日紫喜から后を、俺から母を、そして一葉から香宵姫を奪った。たとえ天が赦しても、王が赦さぬ!」
「王といっても、主家の一つである日紫喜家の当主に過ぎぬ。すべてに勝るのは天意だ。さあ一葉よ、早く祭壇で天に許しを乞うのだ!」
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