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第六章 男装姫は孤高の王の夢を見る
最終話 男装姫は孤高の王の夢を見る
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燦の邸の庭は、以前と変わらず殺風景だった。
昨冬に何度も夢見をした燦の寝室は、すべての戸が開け放たれていて、中が丸見えになっている。寝室のほうも庭と同じで、以前と何も変わらない。木でできた寝台と、その奥には屏風があった。
燦の邸を見回して、ほかに人の気配がないことにホッとする。この三月の間に、后を迎えたようには見えなかったからだ。
「一葉。とりあえず、そこに座れ」
燦が縁側を指差したので、一葉はそこにちょこんと座った。その隣に燦も並んで腰掛ける。
「燦様。私に見せたいものとはなんですか?」
「まあ、待て。一葉、月影の石を持っているか?」
「はい、いつも持ち歩いていますが……」
一葉は襟元に手をやって、首に掛けていた月影の石を外した。以前、燦に付けてもらった飾り紐はそのまま使っている。
燦は石を受け取ると、無言で立ち上がった。そして、目の前にある池の縁石の上にそれを乗せる。
一体どうするつもりだろうかと黙って見守っていると、燦は側に落ちていた別の石を拾い、その手を思い切り振り上げた。
(何……?)
一葉が止める間もなく、燦はその石を月影の石に振り下ろし、叩き割った。割れた月影の石の破片が飛び散り、池の中にぽちゃんと落ちる。
「嫌だ! 燦様、止めてください!」
一葉は悲鳴を上げて、燦の腕に飛びついた。
あれは母の形見の石だ! 月影の石以外に、一葉と母を繋ぐ物は残っていない。
なぜ燦はこんなひどいことをするのだろう。
いくら綺羅ノ王とはいえ、これはあまりにも横暴ではないか。
「待て、一葉」
「待てません! これは確かに十六夜の宝物ですが……私の母の形見でもあるんです!」
今なら、母の気持ちがよく分かる。
母がなぜこの月影の石を、一葉に託したのか。
祖父と父が蘇芳姫の命を奪ったあの夜、母はこと切れた蘇芳姫の背中を撫で、反対側の手で一葉を抱き締めた。その時に、祖父たちに聞かれないよう一葉にだけこっそり囁いたのだ。
『この石を大切に。どうしても辛くなった時に必ず助けてくれるから――』と。
母は懐から石を取り出し、一葉の懐に突っ込んだ。その直後に、一葉は母から引き離されることとなった。
十六夜家は主家に相応しくない。祖父と父を止めることができなかった母は、せめて十六夜の宝物だけは渡すまいと考えたのだろう。
「だから……どうか壊さないでください……」
涙まじりの声で燦に縋る。
十六夜が犯した罪は、月影の石を壊すのではなく、別の形で償わせてほしい。
燦は、一葉を落ち着かせるようにそっと肩に手を置いた。そして一葉の目の前に、月影の石を差し出す。
「壊したりするものか。これを見ろ」
「……え?」
(あれ?)
おかしい。一葉が燦に渡したのは、どこにでもあるゴツゴツした石の塊だった。
しかし今、燦が一葉の目の前に下げているのは、琥珀色に光る宝石のような美しい石。
「……これは、なんですか?」
「月影の石の、本当の姿だ。元はこんなにも美しかったんだな。長年の間、周りを塗り固められて隠されていたようだ」
「私が持っていた石ころの中に、こんな宝石が入っていたと? それを取り出すために石を割ったのですか?」
「ああ。俺が、お前の大切なものを壊すわけがないだろう?」
良かった。安心のあまり力が抜けて、一葉はその場にへたり込んだ。燦から月影の石を受け取り、太陽に透かして見る。
「綺麗……本物の月みたい」
日の光を浴びて、輝く月。
そう。それはまるで、以前一葉が夢に見た、美しき姫が胸に抱く光のような――。
(あの夢は、燦様の夢見をした時に視たものだったっけ)
合議の場で燦に夢見を頼まれ、燦の后となるべき相手を視た夜。その夜の夢に出てきた女性が胸に抱いていた石も、このように光り輝いていた。
あまりの美しさに一葉が言葉を失っていると、燦は満足げに微笑んだ。
「一葉。あれを見てくれ」
燦は振り向いて、寝室のほうを指差した。一葉は何がなんだか分からず、素直に燦が差した先を見る。
以前と変わらない、殺風景な寝室。
燦の寝台。
そしてその奥に、屏風。
「あっ……」
前に見た時、屏風の一番左の扇には何も描かれていなかった。しかし、今は違う。人のような絵が見える。一葉の見間違いではなさそうだ。
燦は縁側から寝室に上がり、屏風を手に戻ってくる。
太陽の光の下で見ると、屏風に使われている金箔がきらりと光った。一葉はその眩しさに目を閉じて、そして再びゆっくりと開けた。
一番左側の扇を見る。
そこには、一人の女が描かれている。
そしてその女は、胸に石を抱いていた。
「燦様! 私が夢に見たのは、この女の人です! 間違いありません」
「そうか。この屏風には、それぞれの扇に主家の才と宝物が描かれている。実は五日ほど前、一番左の扇に突然、この絵が現れた」
「月主……ですね」
間違いない。ほかの扇には、日紫喜、和暮、烽火、碧李、久靄――そして各主家の宝物が描かれている。残っているのは、月主・十六夜家のみだ。
「どこからどう見ても、女の絵だな」
「はい」
「十六夜家にいる女は、誰だ?」
「……私です。十六夜家の直系には、私以外に女はいません」
この十年、十六夜は天からの罰として「男児しか生まれない」という呪いをかけられていた。それ以前は、父にも、そして祖父にも姉妹はいない。
つまり十六夜家の女というのは、それすなわち一葉のことである。
「天は十六夜を赦してくださったのでしょうか? 私に月主として十六夜家を継げと?」
「そうだ」
涙が溢れた。一葉は口元に手を当てて嗚咽を堪える。
燦は先ほど、屏風にこの絵が現れたのは、五日ほど前だと言った。五日前と言えば、あの嵐の日だ。一葉が桔梗姫の部屋で「燦に会いに行こう」と決めて、前を向いた日。
綺羅ノ国の主家は陽主・日紫喜の王に従い、才を生かして国の平穏を守る。燦から離れていた一葉が、月主としてもう一度燦の側に寄り添い、支えていくと決めたことで、天は十六夜の罪をお赦しになったのだ。
(過去の罪は消えない。でも、これで前途に向けて堂々と進んでいける)
我慢できなくなり、声を上げて泣いた。すると燦が一葉の頭を撫でる。
一葉は燦の胸の中に飛び込んで、その温もりに身を預けた。
「一葉。それともう一つ、気付いたことがあるだろう?」
「もう一つ?」
「分からないのか?」
「そんなこと言われても」
一葉は燦の胸から離れた。袖で涙を拭って、もう一度よく目を凝らして屏風を見る。
……先ほど見たのと同じ絵だ。
沓を脱いで縁側に上がり、屏風の前に正座をして再び眺める。
(もう一つ、気付くことなんて……ある?)
困り果てて振り向くと、燦は呆れたようにふっと笑った。
「まだ分からないのか。そこに描かれているのは、胸に月を抱く姫だろう?」
「はい」
「胸に月を抱く姫が、俺の后になるんじゃないのか?」
「夢見の結果はそうでしたが……あっ、まさか……」
そうか。この屏風に描かれた女が一葉なのだとしたら、胸に月を抱く姫というのは一葉のことになる。つまり――。
「私が、燦様の后に?」
燦は片方の口元を上げて微笑むと、ゆっくりと頷いた。
……信じられない。
一葉の胸の奥から、言葉にできない感情が湧き上がる。
「お前が戻ってくるのをずっと待っていた。一葉は、自分の力で前を向いたな」
「……過去に囚われていたところから一歩、進めた気がします」
「月主であり、綺羅ノ王の后。運命に立ち向かい、負けずに前を向いた一葉にしかできないことだ」
「はい。私は強くありたい。そして……燦様のお側にいたいのです」
燦は頷いて、そして空を見上げた。一葉も隣に寄り添って、顔を上げる。
西の空はもう、茜色に染まり始めている。
燃える炎のような眩しい太陽。そして反対側には、琥珀の月。
もうすぐ、夜が訪れる。
夢見にはまだ早いのに、燦の指が一葉の指に絡んだ。触れた指先から伝わるのは、夢ではなくて燦の熱だ。
今夜はどんな夢を見るだろう。
願わくば、隣にいる王の夢を見たい――一葉は燦の肩に頬を寄せ、目を閉じた。
(おわり)
昨冬に何度も夢見をした燦の寝室は、すべての戸が開け放たれていて、中が丸見えになっている。寝室のほうも庭と同じで、以前と何も変わらない。木でできた寝台と、その奥には屏風があった。
燦の邸を見回して、ほかに人の気配がないことにホッとする。この三月の間に、后を迎えたようには見えなかったからだ。
「一葉。とりあえず、そこに座れ」
燦が縁側を指差したので、一葉はそこにちょこんと座った。その隣に燦も並んで腰掛ける。
「燦様。私に見せたいものとはなんですか?」
「まあ、待て。一葉、月影の石を持っているか?」
「はい、いつも持ち歩いていますが……」
一葉は襟元に手をやって、首に掛けていた月影の石を外した。以前、燦に付けてもらった飾り紐はそのまま使っている。
燦は石を受け取ると、無言で立ち上がった。そして、目の前にある池の縁石の上にそれを乗せる。
一体どうするつもりだろうかと黙って見守っていると、燦は側に落ちていた別の石を拾い、その手を思い切り振り上げた。
(何……?)
一葉が止める間もなく、燦はその石を月影の石に振り下ろし、叩き割った。割れた月影の石の破片が飛び散り、池の中にぽちゃんと落ちる。
「嫌だ! 燦様、止めてください!」
一葉は悲鳴を上げて、燦の腕に飛びついた。
あれは母の形見の石だ! 月影の石以外に、一葉と母を繋ぐ物は残っていない。
なぜ燦はこんなひどいことをするのだろう。
いくら綺羅ノ王とはいえ、これはあまりにも横暴ではないか。
「待て、一葉」
「待てません! これは確かに十六夜の宝物ですが……私の母の形見でもあるんです!」
今なら、母の気持ちがよく分かる。
母がなぜこの月影の石を、一葉に託したのか。
祖父と父が蘇芳姫の命を奪ったあの夜、母はこと切れた蘇芳姫の背中を撫で、反対側の手で一葉を抱き締めた。その時に、祖父たちに聞かれないよう一葉にだけこっそり囁いたのだ。
『この石を大切に。どうしても辛くなった時に必ず助けてくれるから――』と。
母は懐から石を取り出し、一葉の懐に突っ込んだ。その直後に、一葉は母から引き離されることとなった。
十六夜家は主家に相応しくない。祖父と父を止めることができなかった母は、せめて十六夜の宝物だけは渡すまいと考えたのだろう。
「だから……どうか壊さないでください……」
涙まじりの声で燦に縋る。
十六夜が犯した罪は、月影の石を壊すのではなく、別の形で償わせてほしい。
燦は、一葉を落ち着かせるようにそっと肩に手を置いた。そして一葉の目の前に、月影の石を差し出す。
「壊したりするものか。これを見ろ」
「……え?」
(あれ?)
おかしい。一葉が燦に渡したのは、どこにでもあるゴツゴツした石の塊だった。
しかし今、燦が一葉の目の前に下げているのは、琥珀色に光る宝石のような美しい石。
「……これは、なんですか?」
「月影の石の、本当の姿だ。元はこんなにも美しかったんだな。長年の間、周りを塗り固められて隠されていたようだ」
「私が持っていた石ころの中に、こんな宝石が入っていたと? それを取り出すために石を割ったのですか?」
「ああ。俺が、お前の大切なものを壊すわけがないだろう?」
良かった。安心のあまり力が抜けて、一葉はその場にへたり込んだ。燦から月影の石を受け取り、太陽に透かして見る。
「綺麗……本物の月みたい」
日の光を浴びて、輝く月。
そう。それはまるで、以前一葉が夢に見た、美しき姫が胸に抱く光のような――。
(あの夢は、燦様の夢見をした時に視たものだったっけ)
合議の場で燦に夢見を頼まれ、燦の后となるべき相手を視た夜。その夜の夢に出てきた女性が胸に抱いていた石も、このように光り輝いていた。
あまりの美しさに一葉が言葉を失っていると、燦は満足げに微笑んだ。
「一葉。あれを見てくれ」
燦は振り向いて、寝室のほうを指差した。一葉は何がなんだか分からず、素直に燦が差した先を見る。
以前と変わらない、殺風景な寝室。
燦の寝台。
そしてその奥に、屏風。
「あっ……」
前に見た時、屏風の一番左の扇には何も描かれていなかった。しかし、今は違う。人のような絵が見える。一葉の見間違いではなさそうだ。
燦は縁側から寝室に上がり、屏風を手に戻ってくる。
太陽の光の下で見ると、屏風に使われている金箔がきらりと光った。一葉はその眩しさに目を閉じて、そして再びゆっくりと開けた。
一番左側の扇を見る。
そこには、一人の女が描かれている。
そしてその女は、胸に石を抱いていた。
「燦様! 私が夢に見たのは、この女の人です! 間違いありません」
「そうか。この屏風には、それぞれの扇に主家の才と宝物が描かれている。実は五日ほど前、一番左の扇に突然、この絵が現れた」
「月主……ですね」
間違いない。ほかの扇には、日紫喜、和暮、烽火、碧李、久靄――そして各主家の宝物が描かれている。残っているのは、月主・十六夜家のみだ。
「どこからどう見ても、女の絵だな」
「はい」
「十六夜家にいる女は、誰だ?」
「……私です。十六夜家の直系には、私以外に女はいません」
この十年、十六夜は天からの罰として「男児しか生まれない」という呪いをかけられていた。それ以前は、父にも、そして祖父にも姉妹はいない。
つまり十六夜家の女というのは、それすなわち一葉のことである。
「天は十六夜を赦してくださったのでしょうか? 私に月主として十六夜家を継げと?」
「そうだ」
涙が溢れた。一葉は口元に手を当てて嗚咽を堪える。
燦は先ほど、屏風にこの絵が現れたのは、五日ほど前だと言った。五日前と言えば、あの嵐の日だ。一葉が桔梗姫の部屋で「燦に会いに行こう」と決めて、前を向いた日。
綺羅ノ国の主家は陽主・日紫喜の王に従い、才を生かして国の平穏を守る。燦から離れていた一葉が、月主としてもう一度燦の側に寄り添い、支えていくと決めたことで、天は十六夜の罪をお赦しになったのだ。
(過去の罪は消えない。でも、これで前途に向けて堂々と進んでいける)
我慢できなくなり、声を上げて泣いた。すると燦が一葉の頭を撫でる。
一葉は燦の胸の中に飛び込んで、その温もりに身を預けた。
「一葉。それともう一つ、気付いたことがあるだろう?」
「もう一つ?」
「分からないのか?」
「そんなこと言われても」
一葉は燦の胸から離れた。袖で涙を拭って、もう一度よく目を凝らして屏風を見る。
……先ほど見たのと同じ絵だ。
沓を脱いで縁側に上がり、屏風の前に正座をして再び眺める。
(もう一つ、気付くことなんて……ある?)
困り果てて振り向くと、燦は呆れたようにふっと笑った。
「まだ分からないのか。そこに描かれているのは、胸に月を抱く姫だろう?」
「はい」
「胸に月を抱く姫が、俺の后になるんじゃないのか?」
「夢見の結果はそうでしたが……あっ、まさか……」
そうか。この屏風に描かれた女が一葉なのだとしたら、胸に月を抱く姫というのは一葉のことになる。つまり――。
「私が、燦様の后に?」
燦は片方の口元を上げて微笑むと、ゆっくりと頷いた。
……信じられない。
一葉の胸の奥から、言葉にできない感情が湧き上がる。
「お前が戻ってくるのをずっと待っていた。一葉は、自分の力で前を向いたな」
「……過去に囚われていたところから一歩、進めた気がします」
「月主であり、綺羅ノ王の后。運命に立ち向かい、負けずに前を向いた一葉にしかできないことだ」
「はい。私は強くありたい。そして……燦様のお側にいたいのです」
燦は頷いて、そして空を見上げた。一葉も隣に寄り添って、顔を上げる。
西の空はもう、茜色に染まり始めている。
燃える炎のような眩しい太陽。そして反対側には、琥珀の月。
もうすぐ、夜が訪れる。
夢見にはまだ早いのに、燦の指が一葉の指に絡んだ。触れた指先から伝わるのは、夢ではなくて燦の熱だ。
今夜はどんな夢を見るだろう。
願わくば、隣にいる王の夢を見たい――一葉は燦の肩に頬を寄せ、目を閉じた。
(おわり)
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