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第六章 男装姫は孤高の王の夢を見る
第四十話 蘇芳の墓
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「うわあ! 綺麗!」
都を一望できる丘の上で、一葉は思わず声を上げた。
つい数か月前までは雪で白一色に染まっていたのが嘘のように、見下ろす景色は春真っ盛り。
丘の斜面には薄紅色の桜がいっぱいに咲き誇り、鮮やかな新緑との対比が美しい。町では祭りが行われているようで、楽器の音色まで聴こえてくる。
久靄領を発ったのは、三日前だ。旅の疲れが溜まっているはずなのに、景色を見ているうちに自然と足が軽くなる。
一葉は誰もいない細い山道を、鼻歌を歌いながら進んだ。
一葉が都を訪れることを、燦には伝えていない。碧李領で別れた時に「戻って来い」と言われたのに、行き先も告げず黙って姿を消したことが心苦しくて、どうしても文を出せなかった。
そもそも、燦はもう一葉のことなんて忘れているかもしれない。
王としてやるべきことは山積みであろうし、もしかしたら今頃もう后を迎えているかも。
もしそうなら、一葉は燦の幸せを邪魔したくない。
(前のように燦様の従者として仕えるのは無理でも、せめて都で暮らしたいな)
桔梗姫のおかげで、一葉は使用人としてどこでもやっていけるくらいには経験を積んだ。これまではできなかった学問にも触れさせてもらえたし、女として覚えておくべき化粧や着付けも学んだ。
都には五主家の別邸もある。主家の縁戚や名門商家のお屋敷も多い。頑張って探せば、一葉の働き口は見つかるだろう。
(そろそろ、休憩しようかな)
眼下に日紫喜家の屋敷が見えてきたところで、一葉は少し休むことにした。座るのにちょうどいい切り株を見つけ、腰を掛ける。
顎の下で結んだ紐を解いて笠を脱ぐ。汗ばんだ額に吹く春風が心地いい。
水を一口飲むと、生き返ったように元気が出てきた。
「さて、日紫喜家に向かう前に、蘇芳姫の元にご挨拶に行かなきゃ」
ここに来る前に、久靄の祖父から聞いたのだ。各主家当主からの進言により、十年前に亡くなった蘇芳姫の墓を建てることになったと。
一葉も十六夜家の一員として、蘇芳姫の墓前に手を合わせにいくべきだ。そう思った一葉は、燦に会う前に、蘇芳姫の元を訪ねようと決めていた。
この丘に日紫喜家の墓地があると聞いている。
(少し休んでから、墓地の入口を探そうかな)
一葉が一息ついていると、都のほうから数人の男が坂を登ってくるのが見えた。大きな荷を背負っているので、都の商人かもしれない。
墓地の入口がどこにあるのか知っているかもしれないと、一葉は立ち上がって声をかけた。
「すみません! このあたりに墓地の入口があると聞いたのですがご存知ですか?」
「墓地? ……ああ、知っているよ」
「良かった! 今からお参りに行くのですが、道が分からなくて」
「そうか。じゃあ、連れて行ってやるよ」
あっさり了承したと思うと、男たちは一葉を取り囲むようにして立った。相手の人数は三人。前方と左右を囲まれ、一葉の後ろは丘の斜面だ。
失敗したかもしれない……と思った。
これまでの一葉は、男装をしていた。だから破落戸の類に絡まれることは少なかった。しかし、今の一葉はどこからどう見ても女。しかも一人旅の途中である。
ここで襲われて万が一のことがあっても、旅人ならば不運な遭難で済まされてしまう。人気のない山道で、柄の悪そうな男たちにわざわざ話しかけてしまったことを激しく後悔した。
(……男装って、意外と便利だったんだな)
いつの間にか、あれだけ一葉を苦しめた男装に抵抗がなくなっている自分に気付き、おかしくなって笑いが込み上げる。しかし、今は面白がっている場合ではない。
「墓地に連れて行ってやるからこっちに来いよ」
「いえいえ、やっぱり結構です。自分で探してみます。なんだか別のところに連れて行かれそうですし……」
笑って誤魔化そうとしたが無駄だった。
男の一人が、一葉の手首を掴んで引いた。一葉が体勢を崩して転びそうになると、ほかの二人も一葉の腰や腕に手を伸ばしてくる。
吐き気がするほどゾッとして、一葉は身を捩った。
「いやっ! 放してください!」
「墓地に行くだけだって」
「自分で行くって、言っているでしょ! とにかく放して」
「――そうだ、すぐに放せ」
一葉の言葉の後に、背後から低い声がした。破落戸の男たちの声ではない。一葉に絡んできた男たちはその声を聞き、怯えた目をして後退る。
「急にどうしました? あれ?」
男たちは思いのほかあっさり引き下がり、一目散に坂を走って逃げていく。何が起こったのかと振り向くと、一葉の目の前には黒髪の男が立っていた。その手には、炎のようなものが揺れている。
(炎武の才……!)
この才を使えるのは、ここ綺羅ノ国では限られた者だけだ。
「燦様!」
「一葉、無事か?」
心の準備が整わない中での、突然の燦との再会だった。
◇
蘇芳姫の墓に手を合わせ、目を閉じる。
真新しい墓石の前には、供えたばかりの花があった。燦が用意したものだろう。
十年前、宝物殿が焼け落ちた際、蘇芳姫と香宵の亡骸は見つからなかったという。見つからなかったというより、二人が亡くなったことを誰も覚えていなかった――というのが正しい。だから、この場所に蘇芳姫は眠っていない。
それでも、今、蘇芳姫が天のどこかから喜んでくれていると思いたい。綺羅ノ国中の人が、蘇芳姫のことを思いだし、悼んでいることを。
頭を上げると、隣に燦が立っていた。
立ち上がろうとする一葉に手を差し伸べたので、一葉はその手を遠慮がちに取った。
「この十年、母の墓はどこにもなかった。ようやくこうして形にできて良かったよ」
「はい。私も十六夜家の者として、蘇芳姫様にお詫びとご挨拶をしたかったので」
「皆が母上のことを思い出すことができたのは、一葉のおかげだ」
「いえ、そんなことは……」
一葉は慌てて首を横に振った。
蘇芳姫の存在を思い出させることができたのは、和暮家による威風の才のおかげだ。一葉は何もしていない。むしろ、誰もが記憶を失った中、燦だけが蘇芳姫の存在を信じ続けていたことが、今に繋がっているのだと思う。
(それでも、私の夢見が少しでも燦様の助けになったのなら、嬉しいけど)
突風が吹いた。墓地の脇に並ぶ桜の木から、花びらが舞い散る。
風を避けるために向きを変えると、蘇芳姫の墓の隣に、もう一つ真新しい墓石があるのに気が付いた。一葉はその墓に一歩近付く。
その墓石に書かれていた名は――久靄香宵。
十六夜家に嫁ぐ前の、母の名前だった。
「……っ! これは、燦様が建てて下さったのですか?」
「ああ。最後の最後まで、母上を守ってくれた香宵姫も一緒にと思ったんだ」
「ありがとう……ございます……」
涙目になって口元を押さえた一葉の頭に、燦が笠を載せた。
「挨拶が済んだら、早く日紫喜の屋敷に戻ろう。お前に見せたいものがある」
都を一望できる丘の上で、一葉は思わず声を上げた。
つい数か月前までは雪で白一色に染まっていたのが嘘のように、見下ろす景色は春真っ盛り。
丘の斜面には薄紅色の桜がいっぱいに咲き誇り、鮮やかな新緑との対比が美しい。町では祭りが行われているようで、楽器の音色まで聴こえてくる。
久靄領を発ったのは、三日前だ。旅の疲れが溜まっているはずなのに、景色を見ているうちに自然と足が軽くなる。
一葉は誰もいない細い山道を、鼻歌を歌いながら進んだ。
一葉が都を訪れることを、燦には伝えていない。碧李領で別れた時に「戻って来い」と言われたのに、行き先も告げず黙って姿を消したことが心苦しくて、どうしても文を出せなかった。
そもそも、燦はもう一葉のことなんて忘れているかもしれない。
王としてやるべきことは山積みであろうし、もしかしたら今頃もう后を迎えているかも。
もしそうなら、一葉は燦の幸せを邪魔したくない。
(前のように燦様の従者として仕えるのは無理でも、せめて都で暮らしたいな)
桔梗姫のおかげで、一葉は使用人としてどこでもやっていけるくらいには経験を積んだ。これまではできなかった学問にも触れさせてもらえたし、女として覚えておくべき化粧や着付けも学んだ。
都には五主家の別邸もある。主家の縁戚や名門商家のお屋敷も多い。頑張って探せば、一葉の働き口は見つかるだろう。
(そろそろ、休憩しようかな)
眼下に日紫喜家の屋敷が見えてきたところで、一葉は少し休むことにした。座るのにちょうどいい切り株を見つけ、腰を掛ける。
顎の下で結んだ紐を解いて笠を脱ぐ。汗ばんだ額に吹く春風が心地いい。
水を一口飲むと、生き返ったように元気が出てきた。
「さて、日紫喜家に向かう前に、蘇芳姫の元にご挨拶に行かなきゃ」
ここに来る前に、久靄の祖父から聞いたのだ。各主家当主からの進言により、十年前に亡くなった蘇芳姫の墓を建てることになったと。
一葉も十六夜家の一員として、蘇芳姫の墓前に手を合わせにいくべきだ。そう思った一葉は、燦に会う前に、蘇芳姫の元を訪ねようと決めていた。
この丘に日紫喜家の墓地があると聞いている。
(少し休んでから、墓地の入口を探そうかな)
一葉が一息ついていると、都のほうから数人の男が坂を登ってくるのが見えた。大きな荷を背負っているので、都の商人かもしれない。
墓地の入口がどこにあるのか知っているかもしれないと、一葉は立ち上がって声をかけた。
「すみません! このあたりに墓地の入口があると聞いたのですがご存知ですか?」
「墓地? ……ああ、知っているよ」
「良かった! 今からお参りに行くのですが、道が分からなくて」
「そうか。じゃあ、連れて行ってやるよ」
あっさり了承したと思うと、男たちは一葉を取り囲むようにして立った。相手の人数は三人。前方と左右を囲まれ、一葉の後ろは丘の斜面だ。
失敗したかもしれない……と思った。
これまでの一葉は、男装をしていた。だから破落戸の類に絡まれることは少なかった。しかし、今の一葉はどこからどう見ても女。しかも一人旅の途中である。
ここで襲われて万が一のことがあっても、旅人ならば不運な遭難で済まされてしまう。人気のない山道で、柄の悪そうな男たちにわざわざ話しかけてしまったことを激しく後悔した。
(……男装って、意外と便利だったんだな)
いつの間にか、あれだけ一葉を苦しめた男装に抵抗がなくなっている自分に気付き、おかしくなって笑いが込み上げる。しかし、今は面白がっている場合ではない。
「墓地に連れて行ってやるからこっちに来いよ」
「いえいえ、やっぱり結構です。自分で探してみます。なんだか別のところに連れて行かれそうですし……」
笑って誤魔化そうとしたが無駄だった。
男の一人が、一葉の手首を掴んで引いた。一葉が体勢を崩して転びそうになると、ほかの二人も一葉の腰や腕に手を伸ばしてくる。
吐き気がするほどゾッとして、一葉は身を捩った。
「いやっ! 放してください!」
「墓地に行くだけだって」
「自分で行くって、言っているでしょ! とにかく放して」
「――そうだ、すぐに放せ」
一葉の言葉の後に、背後から低い声がした。破落戸の男たちの声ではない。一葉に絡んできた男たちはその声を聞き、怯えた目をして後退る。
「急にどうしました? あれ?」
男たちは思いのほかあっさり引き下がり、一目散に坂を走って逃げていく。何が起こったのかと振り向くと、一葉の目の前には黒髪の男が立っていた。その手には、炎のようなものが揺れている。
(炎武の才……!)
この才を使えるのは、ここ綺羅ノ国では限られた者だけだ。
「燦様!」
「一葉、無事か?」
心の準備が整わない中での、突然の燦との再会だった。
◇
蘇芳姫の墓に手を合わせ、目を閉じる。
真新しい墓石の前には、供えたばかりの花があった。燦が用意したものだろう。
十年前、宝物殿が焼け落ちた際、蘇芳姫と香宵の亡骸は見つからなかったという。見つからなかったというより、二人が亡くなったことを誰も覚えていなかった――というのが正しい。だから、この場所に蘇芳姫は眠っていない。
それでも、今、蘇芳姫が天のどこかから喜んでくれていると思いたい。綺羅ノ国中の人が、蘇芳姫のことを思いだし、悼んでいることを。
頭を上げると、隣に燦が立っていた。
立ち上がろうとする一葉に手を差し伸べたので、一葉はその手を遠慮がちに取った。
「この十年、母の墓はどこにもなかった。ようやくこうして形にできて良かったよ」
「はい。私も十六夜家の者として、蘇芳姫様にお詫びとご挨拶をしたかったので」
「皆が母上のことを思い出すことができたのは、一葉のおかげだ」
「いえ、そんなことは……」
一葉は慌てて首を横に振った。
蘇芳姫の存在を思い出させることができたのは、和暮家による威風の才のおかげだ。一葉は何もしていない。むしろ、誰もが記憶を失った中、燦だけが蘇芳姫の存在を信じ続けていたことが、今に繋がっているのだと思う。
(それでも、私の夢見が少しでも燦様の助けになったのなら、嬉しいけど)
突風が吹いた。墓地の脇に並ぶ桜の木から、花びらが舞い散る。
風を避けるために向きを変えると、蘇芳姫の墓の隣に、もう一つ真新しい墓石があるのに気が付いた。一葉はその墓に一歩近付く。
その墓石に書かれていた名は――久靄香宵。
十六夜家に嫁ぐ前の、母の名前だった。
「……っ! これは、燦様が建てて下さったのですか?」
「ああ。最後の最後まで、母上を守ってくれた香宵姫も一緒にと思ったんだ」
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